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ヤドカリ  作者:
2/3

ある記者の取材記1

「じゃあ、ゆっくりでいいから話してくれるかな」


待ち合わせた喫茶店の席に座り、私は目の前の十三歳の高橋梨花(仮名)という少女に話しかけた。古ぼけた昔ながらの喫茶店。私たちの他には誰もいない。

「はい……、あの……、でも、何処からお話ししたらいいんでしょうか」

 顔にかかった黒い髪を払おうともせず、少女はオズオズと口を開く。長めの黒いスカートに、地味な茶色のカーディガン。この年代には特有の生命力と明るさはこの少女からは少しも感じられない。色というものが彼女からは感じられないのだ。年齢からは不相応な丁寧な言葉遣いも私には違和感を感じさせた。そして、色の無い彼女の中では、伏し目がちの目だけが黒く深い闇に包まれている。


 あの事件の発覚から五年。今になっても事件は少女に暗い影を落としている。恐らく少女が受けた傷は一生癒えることはないだろう。それほどまでに陰惨な事件だった。

「君が覚えている範囲でいいんだ。出来るだけ最初から話して欲しい」

謎に包まれたあの事件の真相に少しでも近づけるかもしれない。ずっと事件を追い続けてきた記者としてはようやく出会えた事件の生き残り。細い細い糸をたぐりやっと彼女まで辿りつけたのだ。

 私は笑顔を絶やさないように出来るだけ優しく話しかけた。


 注がれていた水を静かに飲み干すと、少女は私とは目を合わせることなく、耳を澄まさなければ聞こえないほどの小さな声で語り始めた。


 父があの人を連れて帰ってきたのが全ての始まりでした。ええ、もちろんご存知やと思います。六年前の事です。


 あの人とは、田中美智子(仮名)容疑者のことだ。美智子は、五年前に殺人の容疑で逮捕されたあと、拘留中の拘置所で六十四歳で自らの命を絶っている。美智子の自殺後、その共犯とみなされていた者たちも次々と自殺し、当初は毎日のように騒ぎたてていたマスコミも腫れ物を扱うかのように報道を控えるようになった。そしてこの事件は事件に関わっているとみられる多くの行方不明者も見つからないまま、被疑者死亡の未解決事件として闇に葬られようとしている。


 私の家は、若く見える恰好いいパパと、いつもお洒落なママが自慢でした。小さいけれど新築の一戸建てに住み、それなりに幸せな家庭やったと思います。

当時、大手メーカーの営業担当をしていたパパは、酷く疲れた顔であの人を家に連れて来ました。

「この人にはえらい迷惑かけてしもたから……」

そう言いながら、戸惑うママと私に、しばらくあの人を泊めてあげることを伝えました。

 あの人は茶色に染めたボサボサの頭をしていました。薄紫の高そうな服に身を包んでいましたが、あの人が着ていると、とても下品に見えました。とても威圧的な雰囲気で、私がそれまでに接したことのない人間だと感じました。

 あの人は不機嫌そうに家に上がると、品定めをするかのように、我が家のリビングをジロジロと眺めていました。その首には白いサポーターが巻かれていました。父の説明では運転していた車があの人の車と接触事故を起こしてしまったとのことでした。


 その夜、リビングからあの人の怒鳴り声が響いてきました。

「あんたのせいでウチの人生メチャメチャになったんや!ボケぇ。いてまうぞ!ゴラァ!分かっとんのか!」

「お前と娘、ソープに沈めたろか。あぁ!何か言うてみんかい。ゴラァ!」

今までに聞いたことのないような恐ろしい怒鳴り声がニ階の私の部屋まで響いてきました。当時七歳やった私は恐ろしく、ただただ布団にくるまって震えていました。でも、パパとママがきっと何とかしてくれる。そう信じていました。

 翌朝、少し静かになったリビングをそっと覗き込むと、あの人がソファに足を組みながらふんぞり返って座っており、パパとママがその側で正座をしていました。その顔は一夜にして酷くやつれ、恐ろしい事が私たち家族を襲っていることは幼い私にも理解できました。


 ママに学校へ行ってきなさいと言われたので、行きましたが、気になって勉強どころではありません。早退して、お昼には帰りました。


「ギャハハハハハ!」

「お前マジやって。ちゃんと聞いとんのかい!」


 玄関のドアを開けると数人の男たちの下品な笑い声が聞こえてきました。


 そっとリビングを覗くと、あの人の他に三人の男がソファに座り、笑いながら煙草を吸っていました。床には何本ものビールの空き缶が転がっています。私の誕生日に買ってもらった電子ピアノは無残に壊され、投げ捨てられていました。そして、私の一番の友達やった人形のメルちゃんの顔には、灰皿代わりにされたのでしょう。何本もの煙草が生け花のように突き刺さっていました。


 あの人は、私が帰ったのに気づくと、私を呼びました。

「おっ、帰ったか。アンタ、こっちおいで」

私は怯えながらあの人の元に近づきました。

「アンタ名前何て言うんや?」

「梨花です」

「よっしゃ、梨花、アンタ今日からウチのことお母ちゃんて呼び!ええな!」

あまりに突然の物言いに唖然とした私はパパとママはどこに言ったのか、そこにいる男たちは誰なのかを尋ねました。

「そこにおんのはウチの息子たちや、今日からココに一緒に住むんやで。ほんで、アンタのパパとママやけどな、いらんことしよったからお仕置きとしてそこに立ってもらっとる」

そう言って庭を指差しました。

 そこには十二月の冬空の下で裸で立たされているパパとママがいました。男たちにリンチを受けたのでしょう。顔はパンパンに腫れ上がり、身体中アザだらけになっていました。私の足はガクガクと震え、あの人へ恐怖のあまり、動くこともできませんでした。

 夕方になるとようやくパパとママは、家に入ることを許されました。あの人に命じられ、二人は食事の準備を始めます。男たちに笑われながら背中を蹴られても決して逆らわず、準備を続けていました。

「梨花、人間にとって一番大事なんは信頼や、あいつらはその信頼を裏切ったからもう人間とちゃう。豚や。あいつらはもうアンタのパパとママやない。アンタの親はウチだけなんや。分かったな?」

パパとママが受けた仕打ちを目の辺りにした私は、恐怖のあまり、涙と鼻水を垂らしながら首を縦にブンブンと振るしかありませんでした。


 この三人の男たちというのは、松田慎一(仮名・当時32)、永田浩二(仮名・当時30)、太田龍之介(仮名・当時22)である。三人とも美智子容疑者とは血縁関係は無いが、美智子の事を「お母ちゃん」と呼び、共に一連の事件を起こしてきた実行犯である。三人とも美智子と共に逮捕されたが、美智子の自殺を聞いたあと、留置所にて申し合わせたように首を吊って自殺している。

 また、豚というのも興味深いキーワードである。今は新しい住宅街となっているが、昔事件現場の近くには養豚場があったと聞く。美智子も同じ辺りの育ちである。彼女は幼い頃から豚が飼われ、屠殺される所を見ていたのかもしれない。


 少女は話を続けた。

 私たち家族にとっては地獄の日々が始まりました。パパとママは服を着ることも許されず、あの人たちに何かを命じられる他は、ずっとリビングの隅で正座をさせられていました。あの人は何かと難癖をつけ、息子たちに命じてパパとママをリンチしました。

 パパの顔面は特に酷く、腫れて何処が目やら鼻やら分からへんほどになり、身体はメルちゃんのように灰皿代わりにされ、根性焼きの痕が日に日に増えていきました。ママはリンチに加え、男たちと一緒に別の部屋に連れていかれ、その部屋からはいつも苦しそうな悲鳴が響いてきました。


 食事の用意や給仕は私と両親が行いました。いつも私たちの分はほとんど残っておらず、あの人たちから放り投げられる残飯を食器も使わず、豚のように漁っていました。

 ママのセンスで綺麗に飾られていた自慢の我が家は残飯や、酒、煙草の吸い殻などでみるみるうちに汚れていき、男たちは豚小屋と呼びました。そして、土足で家の中を歩きまわり、私たちの宝物をゴミのように庭に捨てていきました。

 私たちは寝る事も許されませんでした。昼も夜も男たちの見張りがつき、寝てしまうと、庭へ放り出され、ホースで水をかけられました。

 永遠に続くかのような罵倒と暴力と睡眠不足に、私たち家族の精神は壊れていきました。

「何やってんのや!アホンダラァ!!」

「ホンマにアンタらは豚や!豚の子供もやっぱり豚かぁ!」

「アンタみたいな豚を面倒みなあかんこっちが迷惑やわ」

些細な事で、怒鳴られ、叩かれていると、抵抗する気力も失ってしまうんです。

 そうして、さんざん恫喝した後で、

「アンタがええ子やていうことは良く分かってるんやで」

と頭をなでながら優しく言ってくれたりしました。

怒鳴って、怒鳴って、怒鳴って、少し褒める。それがあの人のやり方でした。

パパとママへのリンチもあの人の命令で始まるのですが、

「もうそれくらいにしとき」

「止めんかい!アホウ!アンタらやり過ぎやねん」

と男たちを止めるのもあの人でした。

 そして、時には患部を氷で冷やしながら、

「酷いことしよるわ。ホンマにカンニンな」

そんな事を言いながら涙ぐんでくれたりするのです。

 そうすると、私たちは涙を流してあの人に感謝しました。私たちを守ってくれるのはあの人しかいないとすら考えるようになっていきました。

 身体も心もあの人に支配され、父と母は命じられるがままに、仕事も辞め、学校へも行かず、あの人のために働いていました。お金も渡していたんやと思います。


 私は……、まだマシやったと思います。服を着る事も許されていましたし、男たちからは暴力を受けることもありませんでした。けど、私の自慢だった素敵なパパとママが変わり果てていき、あの人たちに涙や鼻水やヨダレをだらだら流しながら土下座をし、服従している姿は私の心を壊すには充分でした。

 私は、あの人のことを「お母ちゃん」と呼び、パパとママからは距離を置き、出来るだけあの人に気に入られるように振る舞いました。

 

 私が覚えている限り、そんな中でもママは三回逃亡を試みました。でも、その度に捕まり、足の爪を剥がされ、腱を切られ、足を引き摺りながらしか歩けなくなりました。今覚えば、わざと隙を見せて逃亡させ、捕まえていたんやと思います。そうして、逃げても絶対に捕まってしまうという事を心と身体に刻み込むことで私たちの心を折っていったのです。

三回目にママが逃げ出したとき、それを「お母ちゃん」に知らせたのは私でした。


 そんなある日、事件は起こりました。


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