届かない世界
新作に煮詰まって新作って首絞めてるよね
「遠いですね」
開かれた夜会で誰もがその中心で踊る二人に目を向けていた。
男も女も特別秀でた容姿の持ち主であり、軽やかなステップを踏むその姿は一対の絵画のようだ。
誰もがその姿に見惚れほっと吐息を吐いた。
そして私はその姿を今日も遠くでみるしかない。
踊っている男は私の夫であり、華族の西園寺圭だ。そして、妻であってもとても遠い存在。
「ほら、見てみなさい。西園寺さまのところの」
「ああ、あれが成り上がりの」
「おかわいそうな、西園寺さま。あんな方とご成婚されることになるなんて」
聞こえてきたのは周囲の華族たちの冷たい視線と言葉だ。
私は顔を伏せて人気のないバルコニーへと逃げ込んだ。
静かなで暗いバルコニーから見る夜会の様子はまるで別世界だ。
彼らが言うことは分かる。
華族でもない私が夜会に出られるのはひとえに夫である西園寺様のおかげ。
ほら、踊っていた令嬢と西園寺さまは笑っている。
私の前ではそんな姿みせてもくれないというのに…
分かっている。
私、伊藤こずえは成金の娘だ。
父は成り上がりだと言われながらも持ち得た力は大きなものであったが、この貴族の社会ではどうにもならなかった。
どうにかして華族の仲間入りを果たしたい父は父親の代で没落しかけていた西園寺家に目を付けた。
お金の工面をする代わりに娘を妻にと打診したのだ。
もちろん生粋の華族である西園寺家はいい顔はしなかった。
だがそれでも困窮にあえいでいた西園寺家はこれを断ることはできなかった。
とはいえ、成り上がり者だと華族からは蔑まれ、西園寺さまは憐みの目で見られている。
視線の先の別世界の住人には私は到底なりえないのだ。
バルコニーの扉が小さくたたかれ、そちらに視線をやればよく知る男が立っていた。
「こんばんは、こずえさん」
誰もいないバルコニーにやってきたのは同じ成り上がりと言われる京本いさむだ。
「俺もここで華やかな世界を見学してもよろしいか」
この男も容姿も商才に恵まれているがこの社会ではどうにもならない身分の差にいら立ちを持っている。こうやって社交界で会えば私のもとにやってきては皮肉を放ってくる。
同じ穴のムジナ同士話も合うのもある。
そういって彼も私の隣に立つとまぶしそうに目を細めながら夜会を眺めはじめた。
「こんばんは、京本さま。今日もご婦人は素敵な方ですね」
先ほどまで貴族の令嬢に群がられていた男にそう言ってやれば男は苦笑いを浮かべた。
「いやいや、彼女たちは本気ではないさ。俺は成り上がりだからね。それに私も既婚者だ。」
そう京本とはもう一つ類似点ある。
この男も没落しかけた貴族の令嬢を娶っているのだ。
「…御夫君を妻がとってしまって申し訳ない」
同じ視線の先にいる女性を見ながら京本が少し申し訳なさそうに小さい声で謝った。
「いえ、私の方もですし」
誤ってもらう必要はない。彼の妻と踊っているのは私の夫でもある。
夫が踊っていたのは京本の妻である京本優奈だ。
このようなことを述べるのはよくないことだが、京本の夫婦間は私よりも悪い。
京本ゆきなは社交界デビューの際からその容姿の可憐さから社交界の花として君臨してきていた。
貴族意識の強い優奈にとって京本との結婚は屈辱でしかありえなかった。
今も彼女は夫のことを気にすることもなく散財し好き勝手に生きている。
京本とはいうと念願の貴族の仲間入りを果たし仕事に力を入れている。
そんな京本は妻に何もいわずただ静観しているだけだ。
そして幼馴染同士である西園寺と優奈は私との結婚が決まるまでは、仲睦まじい恋人同士であったことは有名な話。
そのこともあって私の風当たりはなかなかきついものがある。
「恋などしなければ楽なのでしょうがね」
西園寺には恋人がいる。
そのことを知っていても私はこの結婚を断ることなく受け入れた。
至極簡単な話、私は西園寺のことが好きだった。
はじめはミーハーのような恋だった。
初めて社交界に出た際にひときわ目立っていた西園寺から目が離せなくなったのだ。
そこには彼女もいたがそれでもどうしようもなく彼に惹かれてしまったのだ。
なんども社交界に出ては遠くから眺める日々だったけど、時折話しかけてもらえることもあり内気で引っ込み思案な私にさえ優しく微笑んでくれる彼にまた恋に落ちて行った。
少しずつ少しずつ恋が降り積もっていき、私は完全に西園寺を愛するようになった。
二人が並んだ姿は聖域だった。
その聖域を私と京本は犯した。
『天上の恋人』そうたとえられるほどに西園寺たちの恋は有名だった。
どちらも没落しかけておりその恋はもともと実らないものだと誰もが知っていた。
だからこその美談だったのだ。
それなのに貴族でもないただの成り上がり達にこの物語を壊されたことに貴族たちはいからせたようだ。
それでも西園寺と結婚できただけでも私は幸せなのです。
「あ~あ~、君の旦那に妻を奪われてしまった」
「だまりなさい、圭」
「はいはい、お姫様のいうとおり口を閉ざすことにするよ」
ああ怖いと優奈に聞こえる程度に言ってやれば、怖いほどの笑顔とつないだ手に力を込めてきた。
「金があっても成金と結婚するなんて…なんて屈辱なのかしら」
優奈は貴族意識が強い。
なまじにかつて名門とまで呼ばれて家の出でもあってなおさらだ。
優奈とは幼馴染という関係だ。
周囲からは『天上の恋人』とか笑えるような名前を付けられているが俺も優奈もそのような感情を抱いたことはない。
むしろ我儘な妹(優奈)に手を焼いている兄(俺)のような関係だ。
恋人ふりをしているのも没落しかけているためよりよい条件男に出逢うまでの虫除けにされていたかわいそうな男なのである。
俺からしてみれば良い条件の男と結婚したというのに不平不満ばかりの優奈には首をかしげる。
「いい男だと思うけどな、成金ってそんなに嫌なものかな?」
ダンスしながらバルコニーの京本に視線をやる。
俺自身もこずえと結婚したが別段気にすることもないと思う。
むしろ可愛い妻を持ててそのうえ家を持ち直すことができたのならば万々歳だ。
それに周囲に気が付かれないよう俺に殺気を投げてくる京本に愛されていると俺はひしひしと感じているが…
「いい条件だと思うわよ。あのままでは、どっかのおなかの出た男にでも貰われそうだったし…けど私は」
言いどよむ優奈に俺が言葉を重ねた。
「私はお姫様になりたかったって」
優奈は昔から「お姫様」だった。
周囲もそう扱ったし、自身もそうふるまった。
社交界に出るようになっても男は優奈にひざまつきその愛を乞うた。
けどどの手も取らなかった。
優奈は我儘だ。
欲しいものはすべて欲しがったし手に入れてきた。
気に食わないものは排除しそうやって生きてきた。
そしてそれをずっと終わらせることなく生きていきたいと思っていた。
だからこそ結婚相手には慎重だった。
そんな彼女は殿下との婚約話までいただくまでになった。
そう、家が没落するまでは…それはもう世界は彼女中心で回っていたのだ。
だが没落してしまえば話は違うその婚約話も流れ今までの暮らしさえ危ぶまれたのだ。
「殿下との婚約も固まりそうだった自分がまさか成金と結婚するなんて許せない」
どんなわがままも許していることも知っている。
そこまで愛してもらっているのに…
「私の話はいいわ。圭こそ早く離婚してしまえばいいじゃない。貴方には商才があるのだから」
「俺はいいよ。妻との暮らしに不満はないしね」
妻の家から援助され始めてみた鉄鋼業が成功した。
今ではその援助金さえ返してもまだまだ余裕があるほど潤っている。
今更だが父にない商才が俺にはあったらしい。
惜しむならもっと早く気が付くべきだった。
まぁ、俺は妻がどう思っているかは知らないが離婚する気が起きないほどには妻を愛しているらしい。