93.夢
γヽ⌒ へ
{ /ノしノ}i _)
jcj ゜ ー゜ )し イヤーン
(つ/ )
|`(..イ
しし'
「まだそこにガキがいるぞ!」
「一匹たりとも逃がすな! 人々に仇成す蛮族に制裁を!」
飛び交う怒声、背後に迫る多数の足音。
呼吸を荒げながらも手足を振り乱し、必死に駆ける。
戦う力無く、抗う事も出来ず。
無力な私はただただ戦乱の場から逃げ出す事しか出来なかった。
迫り来る悪意を振り切ろうと森の中へ逃げ込んだのが災いしたか、
足を木の根に引っ掛け、駆けていた勢いそのままに地面に身体を打ち付ける。
痛みに耐えつつも地に手を付き、立ち上がったその時。
背後で複数の足音が止む。
振り向けばそこには武器を手に取り、鎖帷子を着込んだ人間の兵士の姿。
その目は血走った殺気に満ちており、既に正気を伺える状態ではない。
目の前の兵士は最早何も言うでもなく、手にした槍を無言で振り上げる。
小さく悲鳴を漏らし、目を腕で覆う。
刹那、乾いた剣戟音が響く。
襲い来るはずの傷みが訪れない事を不思議に思いながら、腕を退ける。
目を覆ったのはほんの数秒であった。
その僅かな間で、私を追っていた数名の兵士は地に伏していた。
「おいガキンチョ、無事か?」
手にした黒い剣を血潮で染め、返り血をベットリと頬に付けたその男は優しい笑顔で私に問う。
上から下まで一瞥し、大した怪我が無いのを確認すると一人納得したように頷く。
「カーミラ、このガキのお守り任せたぞ」
「はいはい。分かったからさっさと片付けて来なさい」
背後から不意に飛ぶ女性の声。
振り向けばそこには何時までも変わらぬ、妖艶な存在感を放つカーミラの姿。
その女性はゆっくりと私に近付き、そのか細い腕とは思えぬ力であっさりと私を抱きかかえる。
「私の居ない間に急襲とは舐めた真似をしてくれるな。そのツケはキッチリ払って貰うぞ」
男から笑顔が消え、殺気を帯びる。
片手に剣を携えたまま、男は未だ戦火に燃える私の故郷の町へと飛矢の如く飛び込んで行く。
私の命を救ってくれた恩人であるその男。
それが魔王リズレイスだと知ったのは、この場をカーミラと共に離脱した後であった。
―――――――――――――――――――――――
鳥の鳴き声が聞こえる。
おぼろげな視界が鮮明になり、淡い朝の日差しが目に飛び込む。
――夢、か。
随分と昔の夢を見ていたようだ。
身体を起こし、室内を見渡す。
どうやら執務室の机の上で突っ伏したまま眠っていたようだ。
ああ、そうか。
最後の書類作業を終え、ベッドに戻る気力も無くそのままここに倒れ込んだんだった。
視線を左に移すと、黒革張りのソファの上で眠ったように死んでいる。
じゃない、死んだように眠っているクレイスの姿が確認出来た。
ここ最近、邪神――人間の小娘、アーニャとか言ったか?
アーニャが暴れる事も無く、大人しくしているせいか事務作業に追われる以外の憂いが無くなっている。
そして先日、遂に溜め込んだ事務作業の山の一掃が終わったのだ。
最後の書類に署名と捺印を終え、そのまま睡魔に誘われるまま倒れ。
机で寝ていたので余り目覚めの良い朝とは言えない。
身体のあちこちが強張っている。
「起きたかサミュエル……いや、魔王か。私がこの場にいるのに何とも不思議な物だな」
クレイスの寝転がっているソファの反対にはアーニャ……いや、先代魔王リズレイスが座り込んでいた。
まるでこちらが起きるのを待っていたかのように、深くソファに腰掛け、悠々と読書に耽っていた。
「――本当に、貴方はリズレイスなのか?」
「リズレイスなのか? と言われてもな。カーミラ曰くそうらしいが、何度聞かれても思い出せない物は思い出せんからな」
目の前の魔王を名乗る少女は、困った表情を浮かべる。
あの時出会った時感じた、魔王リズレイスの魔力。
それと全く同質の物を目の前の少女は持っている。
故に眼前にいるのは紛れもない先代魔王、リズレイスなのだろう。これは疑いようも無い。
しかし何故名前を忘れているのだろうか?
普通自分の名前などという重要な代物を忘れる訳が無いと思うのだが。
「所で、何用だ?」
「ん? 良く気付いたな、ちょっと現魔王であるお前に言いたい事があってな」
「わざわざこんな場所にまで来て、私が起きるまで待っているのだから用件があって当然だろう。無理矢理起こさないという事は急ぎの用じゃないようだが」
「本当に察しが良いな」
少女はソファから勢い良く飛び降り、私のいる机の前で立ち止まる。
その目は、何時に無く真剣な眼差しであった。
「礼を言いたかったのだ、後を継いだ魔王である、魔王サミュエルにな」
「礼だと?」
「先日街中を見て、城下の魔族達を見ていれば分かる。魔王とは魔族最強の証ではあるが、賢王の証ではない」
魔王とは、魔族最強の力を有する者のみが名乗る事を許された称号である。
確かにリズレイスの言う通り、最強ではあっても最知の称号ではない。
頭がキレるという意味では私よりそこのクレイスの方がよっぽどキレ者である。
「どうやら貴方は悪政を敷く魔王ではない、魔族にとって良き王のようだ。私の亡き後、良く魔族達を守ってくれた。ありがとう」
「――当然だ。礼を言われる筋合いも無い」
弱きを助け、魔族を虐げる人間を討つ。
先代魔王リズレイスのその在り方に、私は心動かされたのだ。
彼の死後、彼の持っていた剣を受け継ぎ、数多の強敵を退け、私は魔王の座へと着いた。
私の命の恩人である彼の為に何かを成し遂げたい。
その思いは今も変わらず、これからも変わらないだろう。
それが彼の恩に報いる唯一の方法だと思っているから。
「ただ一言、それだけが言いたかったのだ。早朝に失礼した、今はゆっくり休むと良い」
少女はそう言い残し、執務室を後にする。
扉を壊す事無く、丁寧に開け閉めして。
ありがとう、か。
まだまだ先代魔王に追い付けたとは到底思えないのだが、
彼の影を踏む事位は出来たのだろうか?
椅子から立ち上がり、朝日の差し込む窓から外を眺める。
残雪の残りが散見するが、最近は雪が降る事も無く、徐々に春の到来を感じさせる。
眼下に望む城下では、魔族達が今日も仕事に精を出すのだろう。
彼等魔族を守る、それが私の信じる魔王の責務。
私はそれをただ守り続けるだけだ。
今も、そしてこれからも。




