87.悲鳴
タキオンドラゴンに乗って世界を旅したい(錯乱)
クロノキアからレオパルドへの帰路は特に波乱も無く終わる結果となった。
狭苦しい車内の旅が続いたが、これでやっと一息が付ける。
安堵の溜息を一つ付き、アーニャの様子を見る。
アーニャ……いや、今は魔王リズレイスか?
死んだとされている彼の者は、荷馬車の小窓から覗き込むように外を見ている。
レオパルドの領内に入り、雪解け水でぬかるんだ大通りを往来する魔族の姿が目立ち始める。
魔族の持つ巨躯を存分に生かし、軽々と木樽を肩に担ぐ者。
何か物の売買の交渉をしているのだろうか、全身を体毛に覆われたコボルトらしき者と立派な巻き角を持った山羊頭の魔族が神妙に話し合っている。
背丈がアーニャと然程変わらない小さな子供の魔族が、まだまだ寒さの残りを感じさせる白い吐息を上げながら走り回っている。
そんな魔族達の様子を、小窓から目を細め、見守るような優しい眼差しで見続けるリズレイス。
「夢潰えたが、それでも私は魔王の責務を全う出来たのだな……」
心中を吐露するかのように、思い返すかのように。
優しい口調で呟くリズレイス。
魔族全員を思いやるような温かな眼差しは、まるで子を想う父母のようにも見えた。
―――――――――――――――――――――――
荷馬車が魔王城の正門の前で止まり、衛兵と一言二言交わす。
その後すぐに門が開け放たれ、荷馬車は中庭へ乗り入れる。
馬車の足が止まると、リズレイスを宿したアーニャが飛び降り、それに続きサミュエルとクレイスが。
最後に私とアレクサンドラ、カーミラが下車する。
「んーっ……やっぱ日の光は心地良いわねえー」
背伸びしながら、およそ吸血鬼の台詞とは思えぬ言葉を吐くカーミラ。
吸血鬼は日光に弱いのでは無かったのだろうか? 本当に彼女は吸血鬼なのだろうか?
「ここは何も変わらんな。以前私がいた時と何も変わってない」
そんな私の疑問を他所に、城壁や魔王城のあちらこちらをキョロキョロと見渡し、
落胆のような安堵のような複雑な口調でリズレイスは口を開く。
「どうやら私は無事勇者を討ち取れたようだな」
「ええ、そうよ。だけどその代償として貴方は命を落とした……まさかこんな形で再会出来るとは思って無かったけどね」
髪をかき上げ、溜息を付くカーミラ。
しかしその表情には僅かに笑みが見えて取れた。
「しかし、クレイスの仮説が正しいにしても。この小娘をこのままにしておくのは流石に不味いだろう。何か打開策は無いのか?」
現状の曖昧なアーニャの立ち位置を明白にせんと、サミュエルはクレイスに尋ねる。
「いえ、残念ながら……いかんせん不明瞭な術式なせいで具体的な対抗術式が分かりません」
しかしその質問に答えが返ってくる訳も無く。
顎に手を添え、答えの出ない問題に頭を悩ませるクレイス。
サミュエルも深くは追求せずに「そうか」と一言で済ませる。
「さーて、これからサミュエルとクレイスはまた書類の山に埋もれる訳ね」
「ぬぐうっ!?」
「げっ!」
魔王と四天王としての責務をすっかり忘れていたのか、
不意に脇腹を殴られたかのような悲鳴を上げるサミュエルとクレイス。
指摘した当のカーミラは意地悪な笑みを浮かべて二人を見ている。
「カーミラ、貴様も手伝え」
「イヤよ。私そういう辛気臭い作業嫌いなの。私の仕事は私の城跡にあるこの魔王城と繋がるゲートの防衛、そうでしょ?」
助けを求めるかのように視線を向けるサミュエルに対し、約束を反故にはさせないわよ、と釘を刺すようにカーミラは言う。
その割にはしょっちゅうこの魔王城に来ていたり、今回のように遠出したりしているのだが良いのだろうか?
「魔王様、クレイス様!」
赤銅色の肌をした魔族の一人が、帰還した二人を目敏く見付け、駆け寄ってくる。
そして、無慈悲にもその言葉が振り下ろされる。
「クロノキアの流通ルートの再整備案、それからファーレンハイト領とラーディシオン領に対する国境警備の件で判を頂きたいのですが……」
自らの身に降り掛かる、避けては通れぬ紙の雨嵐を予感し、サミュエルとクレイスの悲痛な叫びが木霊する。
そんな二人は置いておき、一先ず今自分がやるべき事を思い出す。
この城の地下――銃火器が保管されている、魔王すら知らぬ忘却の地。
その奥の部屋に行けと邪神――否、アーニャの中にいたかつてのレオパルドの民は言っていた。
そこには何か私にとって必要な、重要な事があるのかもしれない。
渋々執務室へ連行される二人を横目に、私は城内へと歩を進める。
――私の動向に気付き、後を追う者の存在に気付く事も無く。




