81.温泉タイム(男性編)
カーミラの一声で湯浴みを終え、アーニャとドラグノフが戻ってくる。
丁度そのタイミングで魔王とクレイスが薪を拾い終えて戻って来た。
「これ位あれば今日明日の分は持つでしょう」
「おー、これで暖まれるな! 温泉ってのは温かいけどそのままだと湯冷めしそうだしな! クレイスってば気が利くじゃねえか!」
誰のせいだと思ってるんですか、と小さく呟くクレイス。
そんな彼の心情を知る由も無く、満面の笑顔を浮かべるドラグノフ。
「では我等も一息付くとするか、この近辺の魔物程度に遅れを取るなど有り得んが、周囲の警戒は怠るなよ?」
「分かってるわよ、馬車潰されて足が無くなったら面倒だからね」
魔王の指示を聞くまでも無く、分かってるからゆっくりしてこいとカーミラはこちらを見る事無く、手を振り入浴を促す。
アーニャだけなら兎も角、他の方が入っている時に私が入る訳にも行かないからすっかり身体が冷えてしまった。
流石に冬の夜は芯まで冷え込む、私も入浴を楽しむとしよう。
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鼻を突く独特の臭いが立ち込める白煙の中、豊富な湯量を湛えた水面の中に足を入れる。
温度は若干高めか。指先を入れた瞬間、一度足を引っ込める程度には高いが、入れないという程熱くは無いようだ。
水底に足を伸ばし、ゆっくりと腰を下ろす。
「ふー……」
意図せず反射的に漏れる溜息。
身体に沁みる、という表現がこれ程ピッタリと当て嵌まる物も無いだろう。
冬空の空気で冷え切った手足の指先にじんじんと熱が纏わり付く。
急激に暖められたせいか、指先に血が集まり、肌が赤く染まる。
「クロノキアの温泉に湯治に来る者は多いと言いますが、まさか私が来る事になるとは思いませんでしたね」
クレイスの身体は、痩せてはいるが必要な場所に必要なだけの筋肉が付いた、良く絞られたしなやかな肉体である。
褐色の肌の左肩から胸元を横断するように、傷口こそ塞がっている物の、痛ましい大きな傷跡が残っている。
あれ程の傷、常人が受けたら即絶命しそうな物だが……良く生きていた物だ。
「傷口はどうだ? まだ痛むか?」
「いえ、もう殆ど痛みは有りませんね。大方治ったという所でしょうか」
「ふん。あの邪神の小娘が付けたらしいが、切り捨てておいて自分で傷を治すなどとんだマッチポンプだな」
邪神の意図が読めず、不愉快そうに腕を組む魔王。
普段は甲冑の上からの姿しか見ていないのだが、あれだけの重装備を普段から着ているだけあり、
魔王サミュエルはクレイスとは対照的に全身を筋肉の鎧で包んだような、猛者の体型である。
深い青の肌に陰影を生む程に筋肉が隆起しており、その上を無数の刺青が走っている。
一部しか見えてなかったが、魔王のあの刺青は全身に入れてあるのか。
「何でもクレイスに憎悪の種? とかいう代物が付いていたと言うが、そんな物見た事も聞いた事も無い。ドラグノフの奴も証言してたから一先ず信じておいたが、本当にそんな物あるのか?」
「どう、なんでしょうかね。私も良く実感が無いのですが……少なくとも、あの一件から何処か気持ちが落ち着いたような感じはありますね」
「言われてみれば、あの後からお前はあまり人間達を痛め付けて殺す事に執着しなくなったな」
「執着ですか……今でも、シアを殺した人間達が憎いのは変わりません。ですが、人間を皆殺しにした所でシアが蘇る訳でも無いですからね」
縁に寄り掛かり、雲一つ無い夜空を仰ぎ見るクレイス。
そんな彼の様子を見て、そうか。と呟く魔王。
「……貴様も何か喋ったらどうだ?」
先程から視線を送っている事に気付いたのか、魔王がこちらに声を掛けてくる。
「えっ、私ですか?」
「他に誰がいると言うのだ」
「とは言っても、私なんかに話せるような事は……」
「ならこちらから話題を振ってやろう。貴様最近コソコソと何処かで活動しているようだな。何やら棒状の物を担いでいる所も見た者がいるし、一体何をしている?」
棒状……という事は、恐らく銃の事だろう。
銃という存在を知らない者から見れば、あれは棒状の何かだったり杖だったりとしか思えないのだろう。事実、私も最初見た時はそういった感想しか浮かばなかった。
「……訓練ですよ。ただ城で生活してるだけでは身体が鈍ってしまいますから」
「訓練だと? 一丁前に兵士にでもなったつもりか、そんな貧弱な身体で」
嘲るように鼻で笑う魔王。
魔族最強である魔王を名乗る事が許されたサミュエルと私の身体を比べられても。
寧ろ誰なら勝てるのだ。
「魔王や魔族に勝つとかそういうのは置いておいて、農夫は身体が資本ですから。身体が衰えては困りますから」
「今更貴様が農民に戻れると思っているのか? 元より貴様を自由にする気など――」
真横から飛んで来る黒い殺気を感じ、身体を縮こまらせながらその殺気の大元へ視線をゆっくりと向ける魔王。
私もその視線の先を向くと、柵の影から頭だけを覗かせて、幼少の娘の物とは思えぬ鬼の形相で魔王を睨み付ける邪神がいた。
「いちびっとんやないで、オドレの立場分かっとんのかワレェ」
「ひっ! いや、これは断じてそういう事では」
「そういう事って、どういう事や」
「それは、その……」
情けない声を出し、邪神から遠ざかるように後退りする魔王。
もう好い加減見慣れた光景である。
邪神を刺激するような発言をしなければ良いのに、学習しない魔王である。
私は、もう諦めた。
アーニャを元に戻す手段が見付かるまで、成り行きに任せる事にした。
「まーだ教育が足りないなら、もっぺんワシと遊ぶか?」
黒いオーラを纏いながら、柵の脇からひょっこりと姿を現す邪神。
脇に置いてあった魔王の剣――ティルフィングに手を伸ばし、その柄を掴む。
それを見た瞬間、魔王の表情が真顔へと戻る。
「その剣に触るな! それは、先代魔王から――」
「ぐっ!? おおおぉぉぉぉぉぉ!!」
魔王の放った怒気を帯びた声は、邪神の上げた腹の奥底から響くような悲鳴とも叫びとも分からぬ咆哮によって掻き消される。
邪神がティルフィングに触れた途端、突如邪神は苦しみ出す。
「アーニャ……? おい、一体どうしたんだ!」
私の呼び掛けに、邪神は答えない。
邪神は痙攣したかのように身体をくの字に折り曲げ、身体を抱え込むかのように腕を回し、地面に転がり落ちる。
のたうつ芋虫のように身体を数度くねらせ、やがてその動きはピタリと止む。
意識を取り戻したかのように、ゆっくりと身体を起こす邪神。
「――どうして、私達はこうなってしまったのだろうな……一体何処で、道を……」
視点の定まらぬ深く沈んだ瞳で、誰に言うでもなく呟く邪神。
瞬き一つすると、意識を取り戻したかのように邪神は周囲を見渡す。
「ここは……この感じ、クロノキアか……? 何だ、一体何が……」
半ば困惑、半ば不思議そうな様子で一人呟く邪神。
邪神は何故か唐突にさっきまで理解していたはずの事を忘れるが、一体何がどうなっているのだろうか。
魔法に関して門外漢な私には何一つ分からない。
「おい貴様、さっさとその剣を離せ」
「剣……?」
邪神は手にしたティルフィングを一瞥し。
「何を言っている、この剣は私が先代から受け継いだ物だ。何故手放す必要がある?」
それが当然であるかのように、あっさりと言ってのけた。
ホタテ美味しいキュ!




