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75.亡国の力、失われた技術

 黒い獣の狙いは、アーニャ――邪神であった。

 飛び込んで来たのは一頭だけだが、野生由来の機敏な動きで、アーニャの身体に牙を突き立てようとする。

 だが、相手が悪かった。

 魔族と魔物の違いは、言葉を解せるか、知性の有無である。

 目の前の獣には知性は無く、獣と同じである。

 それ故に、一番身体の小さい、ひいては仕留め易い見掛けの邪神に襲い掛かったのだが、その中身は少女の物ではなく別物である。

 易々と少女の身体を噛み貫くはずのその鋭い牙は、あっさりと邪神が片手で受け止める。

 そのまま即座に空いた片手で下顎も掴み、まるで洗濯の終わった衣服のシワを伸ばすかのような仕草で、勢い良く黒い獣を振り上げ、地面に向けて振り下ろす。

 叩き付けられた魔物は悲痛な悲鳴を短く上げたが、すぐに体勢を立て直し、様子を伺うかのように一歩飛び退き、威嚇するように唸り声を上げる。


「――調度良いか。カーミラ、アレクサンドラ。お前達は手を出すなよ」


 邪神は決断する。

 目線は魔物からは切らないが、邪神はアルフに向けて指示を飛ばす。


「アルフ。お前がこの魔物を倒すんだ」

「私が……ですか?」

「そうだ。そして、これがお前に授ける最期の授業だ」


 邪神の目の色は、さながら死期を悟った老人のようで。

 己が生きた証を、後世を行く者に託すかのように言葉を連ねる。


「お前の目の前に居るのは、何だ?」


 アルフは、大人である自分よりも遥かに大きい、黒い獣を眼前に見据えて断言する。


「魔物です」

「そう、魔物だ。腹を空かせ、自らの持つ生を全うしようと、賢明に今を生きる魔物だ」

「あの、それが一体どうしたと言うのですか?」

「アルフ。私はお前に、その武器を授けた。そして、その武器を扱う為に必要な基礎体力もお前の努力によりその身に付いた」


 邪神が目線を切れば、魔物は再び襲い掛かって来るだろう。

 そうはさせまいと、邪神はその場から動く事無く、魔物を睨み続ける。

 邪神が本気を出せば、この程度の魔物は瞬きする間も無く地に伏すだろう。

 魔王すら易々と退ける邪神という存在からすれば、簡単な話だ。

 だが、邪神は何故かそうしない。

 まるで、その魔物をその場に縛り付けるかのように。


「なぁ、アルフ。その武器を実際に使って、恐ろしく思った事は無いか?」

「恐ろしく……?」

「そう。その武器は、剣とは違い非力な者が格上の相手をいとも容易く倒す事が出来る……余りにも容易く殺せるが故に、時に扱う本人にすら相手を殺したという自覚が生まれない程にだ」


 己が見聞きした、その全てを。

 アルフに託すかのように邪神は続ける。


「武器とは、戦う為の道具だ。それ故に武器を振るえば、必ず誰かが傷付き、時にその命すら奪う」

「……そう、そうですね。確かに時折、恐ろしくもなります」

「アルフ、忘れるなよ? お前に与えたその武器は、誰かの命を奪う為の物だ。それを忘れれば、必ずそのしっぺ返しが貴様を襲う。その代償は、当然お前の命だ……いや、命で済めば良いがな」


 邪神の脅すかのような口調、迫力に圧され、生唾で喉を鳴らすアルフ。

 更に続けて、邪神は説く。


「その武器は、魔法を不得手とする我等レオパルドの民が、この世で生きる為に生み出した戦う術だ。魔法を扱えぬ者、アルフよ。今一度聞こう、お前はその武器を、何の為に振るう?」


 邪神の問いに、アルフは一考する。

 何か意図があるのかと邪推しようともしたようだが、この問いはそんな複雑な物ではないと判断し、アルフは答える。


「アーニャを……娘を守る為です。邪神が中に居る限りは万が一など無いとは思いますが、今日が大丈夫なら明日も無事、という保障はありませんから」

「娘を守る為、か。そうだな、それで良い。お前の娘を守る為に、その力を存分に振るえ。襲い来る敵からお前の家族を守る為にな」

「――あの魔物を、倒せば良いんですね?」


 邪神の言葉を受け入れ、アルフは邪神と対峙する魔物に視線を飛ばす。

 その目は鋭さを増しており、かつて農夫の一村人であった者の物では無かった。

 外敵を狩る、狩人の眼差しで。目の前を魔物を睨みつつ、手にした武器を手に取る。


 アルフは木製の取っ手を右手で握り、左手をその先端のやや手前に添える。

 腰を落とし、重心を安定させる。

 鷹のような鋭い目付きで、魔物に狙いを定める。


「忘れるなよアルフ。それを使えば、お前の手で一つの命を奪うという事を。大切な家族を守る為に、お前はその手で命を奪うんだ」

「ええ、分かっています」

「私が教える、最期の授業だ……アルフ、あの魔物を――殺せ」


 魔物は痺れを切らし、その目標を邪神から別の対象へ変える。

 次に弱そうと判断されたのは、どうやらアルフのようだ。

 口元から唾液を垂らしつつ、腹に食料を詰め込み満たそうと、鋭利な爪を持った四足の足で踏み込む!


「邪神――いや、アーニャを守る為に」


 意を決し、アルフは右手の人差し指を引き絞る。

 アルフの武器の突端から刹那、火が吹き上がり、その光は即座に立ち消える。

 森の中に響き渡る、乾いた炸裂音。

 つんざくようなその音は強く短く轟き、すぐに静まった。

 仄かな白い煙を上げ、小さな金属製の筒が一つ、地面の上で跳ね。そして地に横たわる。

 それと時を同じくして、アルフに飛び掛かろうと予備動作に移っていた魔物は、力無く重力に引かれるがままに地に臥す。

 額からは血を流しており、この僅かな間で魔物は絶命したようである。


 襲い来る外敵が消えた事で、夕暮れの森に静けさが戻る。


「な、何だ……? 一体、何が――」

「それって、もしかしてあの時の……? でも、魔法な訳無いわよね……一体、何なのそれ……?」


 場に立ち込めた沈黙を破ったのは、アレクサンドラであった。

 それにカーミラも続く。

 アレクサンドラとカーミラ、それぞれ反応こそ若干違うが、両者共に驚きの表情を浮かべている。


「――どうだ、アルフ。初めてその手で命を奪った感想は?」

「命を奪うのは、別に初めてじゃないです」

「ほう、初耳だが?」

「以前、不作の時に喰って行く為に猟師に頼んで猪を仕留めたりしてましたから……ですが、ちゃんと私の身に刻みました。この痺れが、重みが。命を奪うという事なんですね?」

「そうだ、それを忘れるなよアルフ。忘れなければ――っと、どうやらもう時間のようだな」


 何かに気付き、邪神はアルフに別れを切り出す。


「戦う術を持たなかった者、アルフよ。お前に、我等レオパルドの民がこの世に居たその証を託す。まだまだ私としては教え足りないが、私もそろそろ限界のようだ」

「限界……? 一体何が限界なのですか?」

「『私』という存在が、もう持たないようだ……アルフ、レオパルドの地下……お前が射撃訓練をしていた部屋の奥に私の部屋がある。そこの書庫を見ておけ、お前の役に立つ筈だ」

「書庫ですか? ですがあんまり難しい内容だと私には……」

「おとーさん、だれとはなしてるの?」


 邪神はアルフの返答を待たず、その姿を消す。

 アルフが話していた空間には、変わらぬ調子で父を慕う娘、アーニャの姿があるだけであった。


 

―――――――――――――――――――――――



 新たな星が生まれ、目の前で星がまた一つ消えて逝く。

 今度は私の番か。

 長く持ったのか、それとも短い方なのか。私には判断が付かないな。


 もう自らの名前も、家族も、殆ど思い出せない。

 消え逝く意識の中、最期に思い浮かぶのは、死の間際の光景。


 緑色の髪を振り乱し、素面なら間違い無く美男子であろうその表情を醜く歪め。

 返り血が目に飛び込んだかのような、真紅の瞳を見開き。

 白い歯の覗く口元を下品に開け広げ、醜悪な笑い声を上げる一人の男。

 名前も知らぬ、かつてのレオパルドを滅ぼした者の一人。


「神の名の下に、『抹消』の力! 今こそ我が元へ!」


 このような、醜悪な大量殺戮者の手になど掛かってたまるか。

 私は私の手で、その生の幕を下ろさせて貰う。


 その後、何の因果か。

 また活動する機会が与えられたようだが、それもこれまで。



 ――あの男、一体何者だったのだろうか?


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