71.『邪神』の思い
バ レ ン タ イ ン な ん て 無 か っ た 、 い い ね ?
ここは一体何処なんだろう?
身体は――動かない。
熱くも無い、寒くも無い。
眼前に広がるのは、暗い暗い闇の海。
その中を、水泡のような淡い光が無数に漂っている。
まるで夜空に輝く星々のようで、とても美しく見えた。
また、とても儚くも見える。
俺は――
俺は……? 僕は……? 私……?
俺は、一体誰なんだ?
思い出せない、自分の姿が。
男だったのか女だったのか、自分の名前すら思い出せない。
何故ここに来たのかも分からない。
必死に自分の記憶を掘り起こす。
――俺は、誰かと戦っていた。
黄金色に輝く剣を振るうその男は、俺に向かって斬り掛かろうと容赦無くその刃を打ち下ろす。
男は、泣いていた。
何故彼は泣いているのだろうか? 何故彼は俺を殺そうとするのだろうか?
俺は――彼を知っている。
目の前で命を取り合いを繰り広げている彼を、確かに俺は知っている。
とても良く知っているはずなのに、どうしても名前が思い出せない。
視界が歪む。
何故俺達は、殺し合いをしているのだろう?
何故俺達は、道を間違えてしまったのだろう?
記憶が途切れる。
最期の記憶は、一面白銀の雪景色であった。
遠くの景色を霞ませる雪の降る中、身体を押して歩いている。
魔力など、彼を倒す為に枯れ果てるまで使い切った。
最後の間際、彼が刺し違える形で放った一撃は俺の腹部に大きな風穴を開けて逝った。
傷口を塞ぐ為の治療に用いる魔力も無い。
それに、この傷は決して治らない。
直接命は奪われなかったが、彼は確実に俺に止めを刺していたのだ。
目の前が揺らぎ、視界が闇に包まれる。
俺は、彼を倒した。そして俺はもうじき死ぬだろう。
死ぬならばせめて、最期の地は……
魔王と育った、故郷の地で――
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俺は、魔王。
名前は覚えていないが、それだけは記憶がはっきりしている。
残っている断片的な記憶の中、一番新しい記憶。
それは、魔王として座する私の前に。傷付き、聖剣を構えた姿で再開を果たした勇者の姿。
額から血を流し、構えた剣には血がこびり付いている。
なぁ、勇者よ。
私は、お前の仲間を沢山殺したぞ?
そしてお前も、私の大切な仲間を山ほど殺したな?
俺もお前も、拭い切れない程に血に塗れた。
俺は、俺達は。一体何処で道を間違えたんだろうな?
同郷の旧友との再会が、どうしてこんなにも重く、苦しくて切ないのか。
――俺は、俺を慕ってくれる魔族の皆を裏切れない。
俺の大切な仲間を奪った、お前を許さない。
お前が今、私の目の前に立っているという事は、更にまた屍を積み上げたのだろう?
……いや、一人だけ殺しても死なない輩がいたか。
目のやり場に困る格好をした女だが、黙って勇者を素通りさせる馬鹿ではない。
恐らく彼女も無事ではないだろう。
もう戻れない。もう引けない。
話し合いで解決出来る場所など、とうに遥か彼方へ行ってしまった。
玉座から立ち上がり、自らの剣を抜き、剣の真名を唱える。
刀身から失われた輝きが、黄金色の輝きを放ち蘇る。
これで『三度目』だ。
持てる全ての力、俺自身の命すら捨てでも勇者であるお前を討つ!
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私は――誰だ?
意識が朦朧とする。
自分の意思を保っている時間より、意識を失っている時間の方が多くなってきた。
アーニャという娘の肉体と繋がって以降、徐々に記憶が失われるようになっている。
――そろそろ、私も消える頃合かな。
この闇の水面を漂う無数の光の数々。
私もまたその無数の光の一つであり、その数は不変ではない。
いくつもの光が新たに生まれ、輝きを失い消えていった光も沢山ある。
今度は私の番だという事だな。
身体が、引き寄せられる感覚に襲われる。
この感覚には流石に何度も味わえば慣れはするが、恐らくこれが最期だろう。
魔法を使えぬ、戦う術の無い男、アルフよ。
消え逝く前にお前に私達の全てを託そう。
娘を守りたいというその気持ちで、正しくこの力を使う事を願おう。




