70.稽古
黒鉄の鎧の大男と、年端もいかぬ小さな小娘が。互いに持った剣で打ち合い、鍔迫り合う。
その振り抜いた風圧のみでちょっとした瓦礫が転がっていくレベルではあるが、当の小娘は余裕満々の表情である。
余裕ではあるが、油断している訳ではないようで。
目の前の大男との打ち合いから瞬時に後ろへ飛び退き、先程まで自分のいた場所を紫電の槍が通過していく。
飛び退いた先の頭上から、怒声と共に急降下してくる赤緑の影。
彼女が振りかぶった朱槍をまるで斧を叩き付けるかのように振り下ろす。
頭上に視線を向け、見切ったとばかりに最小限の動きで小娘は避けてみせる。
満身の力を込めた一撃があっさりと空振りに終わり、当てるべき対象がいなくなった矛先は何も無い地面に向けられ、叩き付けた衝撃で土砂が舞う。
背後から息を殺して降り抜かれた氷の刃が、小娘の亜麻色の髪をほんの少しばかり切り裂いた。
気配を消して忍び寄ったが、それすらも見切られ、かわされる。
――魔王サミュエル、そして魔王に仕えるクレイス、カーミラ、ドラグノフ。
人類最大の敵である魔王と、それに付き従う四天王の内の三人。
国家規模で当たらねばならないレベルの脅威であり、まともに戦えば亡国の危機は間違いない程の戦力。
決して手を抜いていない彼等の戦いを、まるで子供と遊ぶかの気楽さで軽々といなし続ける小娘――アーニャの姿。
稽古、特訓と銘打ってはいるが。せめて一太刀、にすら到達していない側から見ても勝負にならない試合であった。
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クロノキア鉱山地帯の北西部。
所々陥没した地面や、めくれ上がった土肌が見受けられる開けた地形。
元々はそれなりに木々が生えていたようだが、どうやら何者かがこの場所で暴れたようで。
薙ぎ倒されたり、腐っていたり、炭になっていたりと無残な状態の樹木が散見される。
「っぜりゃあああァァ!」
気迫の込められた声が轟く。この声はドラグノフの物だろう。
先程カーミラの放った魔法により巻き上げられた土埃のせいで一体中で何が起きているのか、窺い知る事が出来ない。
響く乾いた剣戟音や、魔法によって起きた発光によって中で戦闘が行われているんだな、と分かる程度である。
今回の特訓は、魔王や四天王だけで行うと邪神は言っていた。
私と勇者であるアレクサンドラは後でやるという事なので、今は遠目に魔王達の戦いを眺めているだけである。
眺めているのだが、やっぱり土埃で何も見えない。
「――あれが、魔王……四天王の実力、か……」
悔しそうに、アレクサンドラは目を伏せる。
土埃で良く見えないが、彼女はこの特訓の光景を視認出来ているようだ。
これが勇者と凡人である私との差なのだろうか?
目を凝らし、よーく観察してみるもののやっぱり見えるのは土埃のみである。
私もそれなりに視力には自身があるが、見えない物は見えない。
「カーミラとかいう四天王、私に手加減していたというのは本当だったんだな……」
「見えるんですか? 私には土埃しか見えないのですが……」
「見ると言うより、魔力を追っているんだ。感じる、と言った方が良いか? アルフは魔法は使えないのか?」
「残念ですが、あまり学が無いもので。それに、どうやら私如きに使えるような代物ではないようですからね」
「なら……あぁ、普段何を特訓しているのかと思えば剣の方か」
「勇者様が何を納得したのか分かりませんが、剣なんて私には使えませんよ」
「ん? では一体何を訓練しているんだ?」
ほんの興味本位での質問なのだろうが、返答に困る。
『コレ』は確かに強力な武器だ。
だからこそ、あまり他言するべき物では無いように思える。
これが人々の手に回れば、誰でも簡単に魔物を討てるようになる。
その威力は、邪神直々の指導で身を以って体感した。
そして、この武器は人と魔族の争いにも間違いなく用いられるようになるだろう。
「……まぁ、身体を鍛えているんですよ。重荷を担がされて走り回ってますからね、魔物に襲われても逃げる位なら出来るんじゃないでしょうか?」
「賢明だな。戦う力が無いなら逃げるのが最善手だ……だからこそ、戦うべき力がある者が戦わねばならないのに、その私がこの体たらくとはな……」
アレクサンドラは歯噛みする。
魔王を討つべく旅立った勇者として、囚われの身である現状は彼女にとって不本意な物だろう。
――レオパルド、そしてクロノキア。
魔物や魔族が跋扈する、忌むべき地と教えられてきた。
私が行く事など無いだろうと思っていたが、何の因果かこうしてその地に居る。
そして、ここに住まう魔族達の姿を間近で見て、彼等もまた私達人間と同じ様に日々を過ごしている事を知った。
私達は、何故戦わなければならないのだろうか?
同じ言葉を話し、同じ様な生活をする。
人と魔族、そこに何の違いがあるというのか。
そんな考えが浮かぶ私は、間違っているのだろうか?




