68.荷馬車に乗って
クロノキアへの道中の足は馬車に頼る事になった。
どうやら邪神の鍛え直す対象には私も入っているようで、幸先が不安である。
ドラグノフは一日でクロノキアにまで辿り付けるらしいが、
それは彼女がドラゴンという種族でかつ空を飛べるという特権を持っているが故であり。
今回道中を共にする事になったので陸路を一週間程度掛けての移動となる。
魔王が居城を留守にしている、というのは余り大々的に公にするのは憚られる為、
荷馬車1台に乗ってのお忍びの移動となっている。
車内は元々荷物を載せる為、それなりに広くはなっているが、
こんな限られた空間の中に、魔族の中でも最強の者のみが名乗る事を許された魔王。
更にはその魔王に仕える四天王の内二人が私と同席している。
ついでに言うと更にもう一人が手持ち無沙汰に車外をクルクルと飛び回っている。
この旅路に同席したアレクサンドラの横にはピッタリとカーミラが張り付くように座っており、
以前カーミラが仕掛けたという逃走防止用の首輪が付けられたままである。
仮に無かったとしても、この面々を前に逃げる事は不可能だとは思うが。
そのカーミラの隣に私は座っており、その対面には魔王とクレイスとアーニャが座っている。
魔王の隣に座るアーニャという光景が、非日常感を演出するのに一役買っている。
――クロノキアとレオパルドを繋ぐ主要道路は伊達に魔族の首都と繋がる道を名乗っている訳ではない。
路面はとても安定しており、荷馬車に伝わる振動も僅かでしかない。
誰一人として口を開かない、静かな車内には荷馬車の車輪が立てる乾いた音のみが響く。
特に、この面々が揃ったからといって話す話題があるという訳ではなく。
先程から車内には重苦しい沈黙が立ち込めている。
その沈黙を察したのか察してないのか、荷馬車の屋根でドスンと重い音が鳴る。
「むー、まおー達おせーぞ。あたいだけならもうとっくにクロノキアに着いてるぞー?」
「そりゃアンタだけは一人で空から最短距離行けるんだから早いでしょうよ」
「まおー達も飛んでくりゃ良いのに。飛べるだろ?」
「魔力で飛ぶのにも限界があるのだよ、貴様には翼があるから体力の限り飛べるのだろうがな」
「それに、皆が城を留守にしているのは余り公にしたくはありませんからね。飛んで行ったら目立ちますからね、ドラグノフさんのように。城下町に住まう力無き魔族にとっては私達が心の拠り所なのですから」
屋根の上から、逆さになった頭だけを車内に覗かせて文句を垂れるドラグノフを一同は諌める。
ボサボサに伸びきった髪が重力に引かれて垂れ下がっており、若干怖い。
目立たないようにとは言ったが、ドラグノフは手持ち無沙汰で周囲を子供のように飛び回っており、傍からは非常に目立っている気がする。
これは良いのだろうか? いや、ドラグノフが城に居ないというのは別に良いのか。
城内に魔王もカーミラもクレイスも居ないというのが知られるのが困るだけか。
――それにしても、特訓か。
思えば邪神に散々この武器を担がされた上で走らされたな。
常に携帯させられた上で「自分の身体の一部のように使えるようになるには常日頃から持ち続けるのが一番だ」とか言われて。
邪神曰く、どうやら私は『この武器』を扱う才覚はあったようで。
今まで戦いとはほぼ無縁の生活をしてきたので、そんな風に言われてもピンとは来ないが。
結局、練習以外でろくに使う事無く今日までを過ごしてきた。
使わないのが一番なのだろうが。
武器を振るうという事は、必ず誰かの血が流れる訳で。
……もし「その時」が来たなら、私には出来るのだろうか?
邪神から預けられたこの武器は、鳥肌が立つ程に恐ろしい武器だ。
不意を突けば、腕に自身のある歴戦の戦士すら何も出来ずに殺めてしまう程である。
――いや、やるとも。
邪神が宿っている間は、アーニャに危害が加わる事は恐らく無いだろう。
だが、それはずっとなのか?
不測の事態が起きて、アーニャの身に危険が降り掛かるなら。
私は躊躇い無く、この武器を使うだろう。
最愛の妻の忘れ形見、最愛の娘。それを守る為なら、例えこの手が血で汚れようと構わない。
その為に私は今まで邪神にしごかれ続けたのだから。
……魔法の才覚に恵まれなかった、かつてレオパルドに住んでいたという人々の忘れ形見。
その者と同様に、魔法を使うに至らない私の力になってくれ。
「――ここからは山道だからな、少々早いが今日はここで野営をするぞ」
「えー! まだ着かないのかよー!」
「だからアンタの基準で考えないでよね」
魔王の提案に、車内に顔だけ覗かせたまま膨れっ面で文句を言うドラグノフ。
荷馬車に揺られ続けて今日で三日か。
一週間程度と聞いているから、恐らく半分位は来ているはず。
しかしもう半分か……
時折ドラグノフとカーミラの軽い掛け合いがあるからまだ良い物の、
基本的に車内は誰も喋らない沈黙が立ち込めているのだ。
正直、空気が重くて辛い。
アレクサンドラに至ってはここ数日一言たりとも喋っていない。
野営の為に、荷馬車の動きがゆっくりと停止する。
止まった車内からまるで逃げ出すかのように降車し、座り続けで固まった身体を伸ばす。
早くクロノキアに着いてくれ。
これ以上沈黙に押し潰され続けるのは勘弁な私は、心の底からそう思った。
一向に治る気配が見えない、土壇場で書き始める病。




