61.白と黒の襲撃者
白い綿埃のような物が、ゆっくりと宙から落ちてくる。
粉砂糖をまぶしたかのような地面に、静かに舞い落ちた。
比較的温暖な気候であるレオパルドに、遂に本格的な冬が訪れた。
気候同様、ここレオパルド城下町も往来が冷え込み、町を繋ぐ動脈たる荷馬車が時折入れ替わりに走るだけである。
舞い散る雪の影響で遠方の景色は白く淀み、その全容を包み隠している。
レオパルド城、その正門を守るのは二人の魔族であった。
その二人は全身を良く磨き上げられた鋼鉄の甲冑に身を包み、
間接部分からは地肌であろう鱗の肌が露出している。
身の丈は優に3メートルにも迫ろう巨体で、その巨体に相応しい大振りの戦斧をそれぞれ両者は所持している。
魔王が居を構える城の正門の護衛。当然重要性は高く、その任に当たれるのはそれ相応の強さを備えた優秀な者だけである。
彼等はその戦闘力の高さを認められ、ドラグノフが治める竜族の軍から引き抜かれた竜人族。
即ちドラグノフと同じドラゴニュートである。
降雪の中、身動き一つせずその任に当たる。
錬度の高さがその佇まいから容易に見て取れた。
この真冬の中、寒さに弱いドラゴンでもあるにも関わらず彼等が門番の任に着いているが、
彼等はアイスドラゴンという常に零下を下回る寒い気候に生息するドラゴンの亜種であり、
通常のドラゴンと違いその弱点は真逆であり、彼等にとって寒いのは願っても無い事なのである。
「ん――?」
門番である竜人族の男が、目敏くその影を見付ける。
おぼろげに映る遠景に、溶け込み切れない出で立ち。
新雪にその足跡を刻み、迷う事無くその歩を魔王城へと進める。
背丈や体格からして男だろう。黒いコートを着込み、その背に隠す事無く一振りの剣が背負われている。
「何者――」
影が、消える。
門番である魔族がその言葉を言い終わる、ほんの刹那。
両者共に白雪を巻き上げつつその巨体を地に沈める。
何をしたのかはとても肉眼で確認出来る物ではないが、間違いなく男は何かをしたのだろう。
ピクリとも身体は動かず、完全に意識を奪われている。
「――殺すな、というのがこんなにも面倒だとはな」
男は自嘲するかのように一笑する。
そして倒れた二人の魔族には興味ないと言わんばかりにその視線を魔王城へと向ける。
その目の前には大岩の如く立ち塞がる鉄扉と、それを取り付けられた巨大な石造りの城壁がそびえ立つ。
城壁は降り注ぐ雪と白い闇に包まれ、その頂上が霞んで見えない程に高い。
男が、その場から消える。
まるでそれが当然といった様子で、その場で地を蹴り城壁の頂上へと跳び上がる。
片膝付く事無くあっさりと着地し、蒼紅の瞳で白に覆われた魔王城を視認する。
音も無く、男は静かに魔王城へと進むのであった。
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暖炉の火が室内を舐め、燃え盛る薪が乾いた音を弾けさせる。
魔王が政を執り行う執務室でクレイスは一人、秘術の記された古文書を穴が開く勢いで睨み続けていた。
「交霊術……確かにその術式が……やはりこれは複合術で……」
己が考えを纏めるかのように、無意識に口を動かし推察する。
自らが携えた知識を総動員し、答えを導こうとするがそれは及ばず。
無知を嘆くかのように頭を掻きむしる。
答えの出ない問答に疲れたのか、魔術書を書架へと戻し大きく溜息を一つ。
「シア、これが償いになるかは分からないけれど。せめてこの不始末だけは――」
今は亡き思い人の名を口にするクレイス。
彼は以前から人間への復讐の為、人間を根絶やしにする事を考え動いてきた。
それがひいては魔王の為になると。
しかし以前の一件が原因か、クレイスからはすっかり憑き物が落ちたかのように大人しくなっている。
アーニャに施した術の解除法を探すのは以前と変わらずだが、
その探す理由が脅威の排除から贖罪へと推移しているように見える。
「――ん? 待てよ。あれが交霊術の物だとすると、あの陣形もしや……」
何かに気付き、掴んだ細い糸を手繰り寄せるかのように考え込む。
棚に戻した魔術書を確認しようと再び手を伸ばした。
その瞬間、執務室に耳を貫く破壊音が発生する。
執務室の木枠の窓を打ち破り、一つの影がクレイスの背後を横切る。
即座に警戒の表情を顕にし、音のした方向へ身体を向ける。
そこには、一人の人物がたたずんでいた。
全身を黒の装束で包み、肩に掛かる程に伸びた白銀の対照的な毛髪。
クレイスが目線を向けた時には、既に男の視線はクレイスを向いていた。
『第一種警報発令、繰り返します。第一種警報発令、戦闘要員は直ちに兵装を整え、迎撃体勢に移って下さい。繰り返します――』
その後、間髪入れずに。レオパルド城内に金属を打ち鳴らすけたたましい音量の警報が鳴り響く。
同時に声による警告放送も始まる。とても聞き取り易い、女性の声である。
レオパルド城全域でその声が響き渡っており、まるで城のあらゆる場所にその女性が存在するかのようである。
「そこの魔族、貴様に聞きたい事がある。何処でヤツと出会った?」
若い顔付きとは対照的に、深く年季を帯びた声で男はクレイスに詰問する。
「誰だ貴様は!」
「二度は言わん、質問に答えろ」
男が先程打ち破った窓ガラスを踏み割り、更に細かく砕ける。
クレイスに向けてゆっくりと歩み寄り、距離を詰める。
「それ以上動くな! ここを魔王の居城と知って――」
クレイスの言葉が全て放たれる前に、男の手がクレイスの顔を掴み、捉えていた。
そのまま壁に押し付けるように男は詰め寄る。
「さっさと答えろ」
背に携えた剣を開いた片手で掴み、刀身に巻き付いた布が解き放たれる。
その鈍い刀身がクレイスの喉元に突き付けられる。
何の飾りっ気も無い、何処にでもある鉄製の剣のようにも見えるが、
その刀身には何か例えようの無い不気味な気配が宿っているように思える。
クレイスは低く唸る。
「ヤツと何処で出会った? 貴様との関係は? 知っている事を洗いざらい吐け。さもなくば――」
男の糾弾に近い質問攻めは、男の背後で爆ぜた爆炎によって中断させられる。
咄嗟に身を翻し、手にした剣で炎を薙ぎ払い、消し去る。
掻き消された炎の先に、片腕を突き出した一人の男。
「我が居城にようこそ、とでも言えば良いか? 侵入者よ」
黒光りする甲冑を打ち鳴らし、侵入者を睨み付ける一人の男。
それは恐怖の象徴であり、全ての魔族の頂点に立つ最強の存在。
――魔王、サミュエル。
「私の目を盗んで、我が配下に手を出すとは随分姑息な真似をするのだな。――覚悟は出来ているか?」
低く、静かに。ドスの聞いた声で、侵入者を威嚇する。
腰に携えた剣、ティルフィングを抜剣し。
サミュエルは侵入者目掛け切り掛かった。
クリスマスなんて無かった




