6.瓦解の危機
邪神降臨の儀式を行ってから、数週間が過ぎた。
あの人間達の名は、邪神を宿した娘の方がアーニャ、そして父の方がアルフと言うらしい。
衣食住の保障という餌で城に繋ぎ止める事には成功したが、何時までも現状のままという訳にも行くまい。
何とかあの術式の解除方法を得るか、またはアーニャを始末するしかない。
だが、不意討ちも失敗した以上アーニャを始末するという方法は非現実的だろう。
父親を人質に、という策も考えたが。
あの邪神の力の前では私達に抵抗する術は無いようだ。
何処かに父親を監禁してからとも考えたが、どうやら邪神の力の中には読心術の類もあるようでこれまた無意味。
不意討ちすれば父親殺害位は出来るが、それは決壊寸前の川の堤防を自ら突き崩す行為と何ら変わらないだろう。
「あぁ、くそっ! 何故私はあんな術の行使を命じてしまったのだ……! 過去に戻れるなら今すぐ戻って過去の私を殴り飛ばしたい所だ!」
玉座に鎮座し、頭を抱え自らの行為を悔いている様子の魔王様。
これ以上魔王様が悩み苦しむ姿は見たくない。
魔王様の失態は私の失態、フォローするのが私の責務。
「魔王様だけが気に病む必要はありません。実際に術式を発動したのは私です、責任の一端は私にもあるのです」
「そう言ってくれるのはありがたいが……しかしクレイス、何故あの小娘とその父親を我が居城に留めるような指示を出したのだ。あんな連中さっさと野に放り出せば良い物を」
魔王様としてはあの邪神を宿した娘、アーニャは目の上のたんこぶ、いや喉元に突き付けられた刃のように感じられるだろう。
実際私自身もそう感じている。さっさと何処かへ捨てたい、始末してしまいたい。そして一息付きたい。
だが殺す事が現状不可能な以上、放り投げる訳には行かない。
その理由は魔王様にも説明し、納得して頂かねば。
「私も可能ならばそうしている所です。ですが、現状を推察するにあのアーニャという小娘を放り出すのは今の我々にとって不利益の方が大きいのです」
「不利益?」
「いえ……不利益で済めば御の字です、最悪の場合……魔王軍が、瓦解します」
「何だと? 何故そのような事態になるのだ?」
魔王様の疑問は尤もである。
何故人間の小娘一人にそんなに戦々恐々とする必要があるのかと。
まぁ今はその小娘には邪神の力が宿っていて途方も無い力を秘めているのだが、
それでも魔王軍を守る手段はいくらでもあるだろう。各地に散らして伏せさせておく等。
だが問題点はそこではない。邪神の力が強大で、その力が我々に向けられている事では無いのだ。
一番の問題は、我々魔物や魔族が魔王軍として結集している根本の理由である。
「魔王様。我が魔王軍は『最強の力を有する魔王』という存在を最後の拠り所として結集しています。例えどんな事態になろうと、私達には最強の魔王様が居る。その大黒柱に寄り添う形で我等魔王軍は存続しています」
魔王様の庇護があるからこそ、力で魔物も魔族も服従させられる。
魔王様の庇護があるからこそ、弱い魔物も魔族も守られている。
魔王様の庇護があるからこそ、魔族同士の余計な争いが起こらないのだ
魔王様に逆らえば命は無い、魔王様が定めたルールこそが我々のルール。
その恐怖があるからこそ暴力が支配するこの魔物や魔族達の中に法が生まれるのだ。
結論を述べると、魔物や魔族を支配出来ているのは『魔王が不敗』である事が前提なのだ。
我等魔族や魔物にとって、魔王様とは限り無く神に等しい御方。
逆立ちしようと何をしようと、決して倒す事は出来ない。
その強さ故に神格化され、恐れ崇める対象となっているのだ。
「その決して負ける筈が無い魔王が、敗れたと大衆に知れれば……以前の様相になるでしょう」
先代魔王は、人間側が差し向けた『勇者』という者に敗れた。
正確には相討ちなのだが、ともあれ絶対不敗である筈の魔王が死んでしまったのだ。
魔王が死んだ結果、絶対的な力で支配していた魔物や魔族が好き勝手に暴れ回り、
魔族や魔物同士による縄張り争いや略奪行為が頻発する暗黒期となってしまったのだ。
魔王様も前魔王が討たれた時の魔物や魔族の様子は痛い程感じている筈。
その光景を思い出したのか、魔王様の顔も曇る。
「魔王様が敗れた所を見たのは私を除けば、あの人間の二人だけです」
私自身が魔王様が敗れた事を口外する事は無いし、魔王様自身も当然口外しない。
だから口外する可能性のあるあの二人を引き止めたのは当然の判断である。
「だが、奴等がその事を口外したらどうする? 止めようにも我等に止める手段は無いぞ?」
魔王様が疑問を提示するが、その件に関しては余り神経質になって考える必要は無いだろう。
父親の方は、人間の戯言と一笑に付されて終わりだ。
問題はあのアーニャの方だ。
あの邪神の力を公に見せ付けてしまえば、アーニャが魔王様を倒したという言葉に信憑性が出てしまう。
が……しかし。
「言い触らす気があるならとっくにそうしているでしょう。ですが、そうしないという事は邪神にはその気が無いという事なのでは? 楽観視は出来ませんが」
アーニャが城から出て行き、魔王を倒したと言いたいなら。ただそうすれば良い。
精鋭ばかりを集めた魔王軍も、四天王である私も、それ所か魔王様ですら。
あの邪神の力を宿したアーニャには敵わないのは既に証明されてしまっている。
言い触らすのを止めようとした所で、また殴り飛ばされて終わるのが目に見えている。
「どの道、あの邪神の力を野放しにするのは危険です。あの力が魔王様を討たんと画策する連中の手に渡り、それに邪神が同調するような事があったら……」
「うぐ……!」
魔王様も言葉に詰まる。その力で散々酷い目に遭わされ身に沁みている。
そうなれば、もう我々に出来る事は何も無い。
あの邪神の力、本気を出している気配がまるで感じられなかった。
つまり私も魔王様も、手を抜いた状態であれだけ圧倒されてしまったのだ。
もし本気を出されれば、肉片の一片残さずこの世界から消滅するだろう。
アーニャは現状、魔王撃破の報を言う気は無いが、心変わりをしないとも限らない。
魔族の手の物に同調し魔王様が討たれるなら、ただ新しい魔王が生まれるだけである。
だが、アーニャは『人間』だ。
魔族に味方せず、人間側の者に同調されるような事があれば……
考えるだけで、背筋が寒くなる。
「万が一そんな事態が起きてしまう位なら、安全を期してこの城の中であの娘を囲って飼い殺しにした方が結果的に魔王軍も魔王様も安泰な筈です」
「うぬぬ……背に腹は代えられんな……!」
またあの邪神の力で私も魔王様も嬲られるかもしれない。
しかも一度や二度では済まないのかもしれない。
だがそれで済むなら仕方ないと割り切るしかないだろう。
兎も角既に起きてしまった事は仕方ない、現状を見据えて打開策を考えねばならない。
魔王様の居られる玉座の間を後にした私は、あの邪神の力に対する方策を考える事にした。
しかし、居城の蔵書庫や宝物庫をいくら漁ってもあの術式の解除方法を記した文献は見付からなかった。
これだけ探しても無いのだ、この城には無いのだろう。
ではこの城に無いとすれば何処にあるのだろうか?
魔王城は、魔王様が統治する地。
魔族の有している力、財産、知識は全てこの地に集う。
この魔王城に置いて、手に入らない物など無い筈なのだ。
手に入らないとすれば、それは人間の住む地の物か、歴史の海に埋没し失われてしまった物程度である。
だがこの術を記した古文書は魔族に伝わる秘術。そんな物が人間の住まう地にある可能性はほぼ0だろう。
となれば、埋没してしまった物を掘り起こすしかないだろう。
この古レオパルド王国が滅び、人間がこの地から絶滅した時代より我等はこの地を安住の地と定めた。
だが、我々がこの地に住まうようになってからまだ数百年しか経っていない。
なら、この古レオパルド王国が存続していた時代よりも更に昔からある地ならば。
まだ我等が知り得ない埋没した魔法知識が残されているかもしれない。
そして、それだけの古い歴史を有した地を私は一つだけ知っている。
(カーンシュタイン城跡……あそこは確か蔵書庫もあった筈。となれば、カーミラに連絡を入れる必要が有りますね)
善は急げ、私は早速行動に移る為の準備に取り掛かった。