58.冬の訪れ
もう12月か……
感想が無いのはもう慣れた。
ブクマが僅かに増えているのは少しでも気に掛けて貰えている事だと考える事にする。
紅葉はその鳴りを潜め、濡れ落ち葉が土を被り始める頃。
このレオパルドにも本格的な冬が訪れようとしていた。
「どうやらこの程度で根を上げる事は無くなったか、一先ず及第点だな」
私の娘、アーニャに宿った邪神の指示で城内の庭を走らされていた私は、
邪神に課せられた本日の特訓メニューを終えて一息付く。
その場に腰を下ろし、荒れた呼吸を整えつつ空を見上げる。
雲一つ無い澄んだ青空である。
吐き出す吐息が白く曇り、霧散していく。
底冷えする寒さになりつつあるが、長時間走らされたこの身体にはこの寒さが実に有り難かった。
「及第点、ですか」
「ああ、及第点だ。そこいらの適当な魔物程度相手なら、自分の身位はこれで守れるだろう」
自分の身は守れる。
自分の事は自分で出来ると言えば聞こえは良いが、
要は本格的な戦いとなれば足手纏いになると。
自分の身は守れるという事は、自分の身を守るので手一杯だという事。
それはつまり、今の自分に他人を守る余裕は無いという事。
「誰かを守るなんてのは到底無理だがな。今の貴様では娘は守れんよ」
邪神はまるでこちらの考えなどお見通しと言わんばかりに遠慮無しの物言いをする。
結局、アーニャの身体に宿った邪神の対処法は未だに見付かっていない。
魔法に関しては門外漢の私にはただ待つ事しか出来ないが、無為とも思える時間だけが過ぎていく。
季節が変わっても、何も変わらない。
――いや、一つだけ変わった事がある。
「人間の分際で良くもまぁ頑張りますね」
「貴様は確かクレイスとか言ったな、何しに来た」
「また貴女が城の備品を壊したりしないか見張ってるだけですよ、そうでなければわざわざ人間の側になんて居ませんよ」
あれ程人間嫌いであったクレイスが、今までと比べて私やアーニャに近付いてくる事が多くなったように思える。
言葉は相変わらず刺々しいが、以前より少しだが態度が柔和になった気がする。
クレイスが故郷であったという村跡を訪れた日。
あの時あの場所で何があったかは私には分からない。
私が次にクレイスを見たのは全てが終わった後だった。
血塗れのクレイスを抱えたドラグノフが城の医務室へと運び、
邪神が付きっ切りでクレイスを治療していた。
今まで散々魔王やクレイスに敵対していた邪神が瀕死のクレイスを治療したり、
こうして何かと理由を付けてクレイスが人間である私達の元を訪れたりと、
あの村跡での一件から私達を取り巻く環境が少し変化したようである。
季節ばかりが巡る一方だと思っていたが、
私とアーニャは少しずつだが前に進めているようだ、そう考える事にする。
魔王城から衝撃音が響く。
中庭から遠目に確認すると城壁の一部が壊れている。
その音を耳聡く拾い上げたクレイスは大きな溜息と共に「またですか……」の一言を呟きつつ中庭を後にする。
またドラグノフが何かしでかしたのだろうか?
そういえば彼女は「最近寒いから外は嫌だ」とか言っていたような。
思い起こしてみれば寒くなるにつれてドラグノフを城外で見掛ける事が少なくなっている気がする。
あんなに暖かそうな毛皮のコートを羽織っているがそれでも寒いのだろうか?
「……アルフ、この娘の親であるお前にだけは伝えておこう」
アーニャの中に宿った邪神が、改まった口調で語りかけてくる。
「伝えるって、何をですか?」
「恐らく『私』が直々にお前を鍛え上げてやれるのもそう長くはない」
邪神は目を閉じ、何かを思い起こすかのように言葉を続ける。
「貴様に戦う術を叩き込み始めた頃と比べて、『私』という存在がどんどん消えていっている感覚があるのだ」
邪神が――消える?
「消えるって……消えたら、アーニャはどうなるんですか?」
「そう不安そうな顔をするな、消えるのは『私』だけだ、『私達』は消えんよ」
不安そうな顔をしていたのだろうか?
今、邪神はアーニャの身体を乗っ取るような形でここに存在する。
その邪神が消滅したら、アーニャの意識はどうなるのだ?
私には魔法という概念が全く理解できないので、どうなるか想像も付かない。
もし不安そうな顔をしていたというのであれば、きっとそこについてなのだろう。
「……私は、ここレオパルドで生まれ育ち、レオパルドで死んだ。そしてお前の抱えているソレの使い方を知っている」
邪神に持たされたこの武器を指差し、邪神は続ける。
「もう、私が思い出せるのはそれ位だ。何故死んだのかも、家族が何人居たのかも、それ所か自分の名前すら思い出せない」
「……ん? 死んだ?」
「今日の特訓はこれ位でいいだろう。貴様はもう休め、身体を休めるのも訓練の一環だからな。それに、私も今日は疲れた」
邪神の正体はまるで分からなかったのだが、今さらりと重要な事を言わなかっただろうか?
――何で、死人がアーニャの中に存在するんだ?
そういう魔法なのだろうか?
私の頭で魔法の事を考えた所で答えは出ないだろう、誰か魔法に詳しい人に頼るべきだ。
魔王サミュエル……論外。邪神の力で抑え付けられているのにそれを楽にする手助けをする必要は無いだろう。
クレイスも同様だ、以前の一件で妙に大人しくなっているが何故私達の村を滅ぼした輩に相談せねばならないのだ。
ドラグノフは、うん。
カーミラさんは……魔王に仕える四天王だが、どうやらクレイスをあまり好いていない様子だし、私達人間に敵意を抱いているようにも見えない。
相談するなら彼女だろうか?
待てよ、そういえば今この城には勇者がいるんだった。
確かアレクサンドラという方だった筈。
相談するなら同じ人間である彼女にした方が良いのではなかろうか?
「……アレクサンドラさんは何処に居るんだろうか?」
「おとーさん、どこかいくの?」
「ちょっとこの城に居るっていう勇者様に会いに行ってくるよ、アーニャはどうする?」
「おとーさんといっしょにいく!」
「じゃ、一緒に行こうか」
邪神の影響を微塵も感じない、アーニャ本来の可愛らしい笑顔だ。
アーニャの手を取り、寒空の下から魔王城の中へと戻る事にした。




