55.朱の冠
クロノキア鉱山地帯から東へ進んだ先にある山岳地帯。
レオパルドの地は決して温暖な気候とは言えないが、それでも冬が訪れるまでは積雪する事はまず無い。
しかしこの山岳地帯は人間達の土地であるロンバルディア地方と似ており、
標高の高い地では永年雪が残り続ける零下の地である。
この山岳地帯には遺跡があり、かつてこの地を調べようと魔族達が何度もここを訪れた事がある。
しかし特に珍しい品や遺構がある訳でもなく、また気候が厳しい為、ある程度調査を行った後にここの調査は打ち切られた。
打ち切られてから何十年と過ぎ、やがて魔族達の記憶からこの遺跡の存在は忘れ去られていった。
「皆の者! 良く聞くがいい!」
しかしそんな歴史的価値も無く、風化していくだけのこの遺跡に幾千幾万にも及ぶ魔族達が集結している。
彼等はレオパルド全土から密かに集められた、魔王に対する反抗勢力である。
「魔族とは、魔王とは何だ!? 魔族とは下等な人間より遥かに強靭な肉体と、圧倒的な寿命を持ち、魔物には無い知性を兼ね備えた究極の生物である! そして魔王とは、その魔族の中でも最も力強く、優秀な者のみがなる全ての生き物の頂点に立つ者だ!」
比較的痛みの少ない遺跡内部に、男の怒声にも近い声が張り上げられ、響き渡る。
「所が今の魔王はどうだ? 下等な生物たる人間の領土への侵攻を行いもせず、ひたすら城内に引き篭もり続ける始末。こんな者が絶対的強者の象徴たる魔王であってはならない!」
男は亜人族とオークと呼ばれる種族のハーフの魔族である。
オークに見られる豚のような鼻や耳は彼に見られないものの、
分厚い脂肪の鎧とも言えるその巨体にオーク特有の体躯の特徴を見る事が出来る。
彼が以前身に付けていた年季の入った鎧は今は脱いであり、
代わりにその薄い頭髪の頭に黒ずんだ冠を被っている。
「今はこの穴ぐら生活だが、皆には今しばらく耐えて欲しい。季節が巡り、次の春が訪れた時。その時が怠惰なる魔王の最期の時だ!」
遺跡内を照らしている蝋燭の炎が揺らぐ。
男の赤銅色の肌を蝋燭の明かりが舐め、さながら全身が怒りに燃えているかのような錯覚を覚える。
「我が手で魔王を討ち、人間を一掃し、この世界全土を魔族の地にするとここに宣言する! 私こそが魔族の真の王! 皆の者、我を称えよ!」
男の声に続き、この地に集結した魔族が一斉に男の名を称える。
「次代魔王陛下! サクリフ陛下万歳!!」
一糸乱れる事無く、良く統率された兵のように声高々に続く。
彼の名はサクリフ。
彼は以前、レオパルドの城下町にて酔い潰れ、たまたま店に入ってきた美女に言い寄るも体術で投げ飛ばされ。
挙句道端にゴミのように放り投げられ、考え得る最底辺の生活を送っていた。
そんな彼が、この大軍を従えるに至ったのは決して彼の独力では無かった。
―――――――――――――――――――――――
遺跡内に集結した魔族に演説を終えたサクリフは、
遺跡の奥の一室へと身を潜めた。
部屋の石壁にはいくつも亀裂が走り、足元にも瓦礫が点在しているが、
ここが遺跡であり、このまま朽ちていくだけの存在だという事を考えれば崩れ落ちずに原型を保っているだけマシであろう。
雨風を凌げ、身を隠せるだけ上出来である。
「いやいや見事な演説でしたよ。大分王としての風格が出てきたように思えますねぇ」
パチパチとあまり力の篭っていないイマイチやる気の感じられない拍手でサクリフを一人の男が迎える。
声こそハッキリと男の物であると分かる低さであるものの、
身体の線は細く、肉付きも良くない華奢な体躯であり、
巨漢のサクリフであらば簡単に手折る事が出来てしまいそうな程の頼りなさである。
目が俗に言う糸目であり、瞼が開いているのか閉じているのか判断が付き難い。
肌は傷一つ無く、不気味な程に白い肌で、日の光を浴びていない女性どころか最早病人や死人の類の方が近いように思える。
明るい緑のきめ細かい髪を肩に掛かる長さで切り揃えてあり、
その風貌も男というより女が遥かに近いように見える。
「ヒュレルか。ふん、心にも無いお世辞だな」
ヒュレルと呼んだその男を、サクリフは面白くないように鼻で笑う。
「おや、そう見えましたか? これは失礼致しました、次代魔王陛下殿」
ヒュレルは貼り付けたような笑顔を崩さずに謝罪する。
サクリフはこの男を好いてはいない、寧ろ嫌いであった。
何故なら、ヒュレルがサクリフに見せる表情は常にこの笑顔であった。
何時如何なる時も、まるでこの笑顔を刻んだ仮面を被っているかのように表情が変わらないからだ。
それでもサクリフがヒュレルを側に付けているのは、半ば恐怖心、半ば利用してやろうという心積もり故である。
「しかし、この魔法道具は凄まじい効力だな……あれ程の大多数を従える魔法など聞いた事も無いぞ」
サクリフの視線が上を向く。
その視線はサクリフの頭に載せられた冠へと向く。
「その『朱の冠』は強力な精神系魔法が宿った特別な代物ですからねぇ。そこいらの適当な魔族程度であらば十万でも百万でも容易く傀儡に出来ますよ」
先程サクリフが演説を行った多数の魔族達は、決して彼らの意に沿って集結した者ではない。
彼等はレオパルド全土の町や村から少しずつ、魔王に悟られぬようにこの朱の冠で洗脳して集めた魔族である。
失踪や行方不明ではなく、書置きや近所への挨拶をした後にその地から立ち去らせている為、
その痕跡を怪しませる事無くここまでの大人数を集める事に成功したのだ。
「いっそこの冠の力で貴様も傀儡に出来れば良かったものを」
「それはやめて頂きたいですね。その朱の冠は使う魔力的限度が存在しますから、私に使うだけ魔力の無駄ですよ」
サクリフのささやかな脅しを、一切表情を崩す事無くあしらうヒュレル。
恐怖や焦りがヒュレルには見られず、余裕たっぷりな所を見るとヒュレルに朱の冠の精神系魔法が通用しないというのはハッタリでも何でもない、ただの事実のようである。
「魔力の無駄遣いは私としては許容し難いですからねぇ。魔力は貴重な資源なのですから、大切にしないといけませんよ?」
「ふん、魔力なんぞ俺の知った事か。俺は魔法使いじゃないんだ」
「おやおやいけませんねぇ。魔力とは全ての命の源なのですから、生きとし生ける者全てが敬い大切にしなければ――」
「下らん説教を聞く耳は持ち合わせて無いんでな。貴様は貴様の仕事をさっさと果たせ、俺はもう寝るぞ」
ヒュレルの言葉を途中で遮り、サクリフは奥の自室へと立ち去ってしまう。
やれやれといった心境だろうか、ヒュレルは相変わらずその笑顔を貼り付けたまま溜息を一つ付く。
「えぇ、分かっていますとも。貴方の望む世界の為に準備はしっかりと整えて置きますよ」
サクリフの自室から背を向け、ヒュレルは静かに遺跡の外へ向けて歩き出す。
蝋燭で申し訳程度に照らす照明だった為に、ヒュレルの姿が闇に溶け込むのにそう時間は掛からなかった。
――駒として活躍を期待していますよ。
ヒュレルが漏らしたその声を聞く者は、誰もいなかった。
まーた土壇場で咄嗟に書き出す始末である。
最近は推敲もあったもんじゃないね。




