50.凍将クレイス
氷属性上級魔法、大いなる冬を発動した私は吹雪で包まれた白い闇の中に身を潜めていた。
己が身を怒りの炎に焼かれていても、頭の中には僅かばかりの冷静さが残っていた。
今まで私と魔王様はあの邪神相手に真っ向から立ち向かい、そして何度も敗れてきた。
あの邪神を宿した人間相手に正攻法で勝ち目など無い、それはクレイスも身をもって熟知していた。
邪神は得体が知れない強さを持っている、それは認めよう。
接近戦を挑めば叩き潰される、遠距離から魔法で戦えば数の暴力でやはり押される。
普通にやっていたら勝ち目など有り得ない、これも悔しいが認めよう。
だから邪神の見えない所から、防ぎようの無い術でじわじわと削り殺す。
大いなる冬は私が既存の魔法と組み合わせて独自に生み出した魔法であり、
参考にした魔法の中には炎獄の支配者、即ち現魔王が用いる結界魔法の技術も取り入れてある。
この魔法は一種の結界魔法なのである。
その為、この結界が破られない限り、あの邪神はこの空間から外に逃げ出す事は出来ない。
勿論こんな吹雪など、あの邪神の力をもってすれば魔力を用いて寒さを防ぐ事など容易いだろう。
――だが、果たしてそれは何時まで続くかな?
この白銀の風は人も魔族も分け隔てなく、平等にその体力を消耗させ、命を奪う。
それは邪神であるあの人間の小娘も例外ではない。
負けると分かっていて正面からの鍔迫り合いに持ち込む必要など無い、
遠距離からの魔法攻撃をしつつ、一撃離脱。
私の姿を見る事無く、凍え死ぬが良い。
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先ずはこの吹雪をどうにかしないと。
再び『私達』に問い掛け、解決策を導く。
「踊れ炎魔の精、フレイムトルネード!」
視界を覆う目障りな白を消し去るべく、炎の魔法を詠唱する。
私の足元から火の粉が弾ける。
大気中に舞い上がった火花が爆ぜ、吹き付ける風雪に真っ向から抗うように灼熱の熱風が発生する。
叩き付ける雪は一瞬で水を通り越し蒸気となって消え去り、私の周囲から全ての雪が消滅した。
しかし、吹雪が止む事は無かった。
私の発動した魔法効果が終了すると同時に、再び容赦無く冬の厳しさが押し寄せてくる。
この魔法じゃ駄目なの? まるで効果が無いように見える。
三度『私達』に問い掛ける。
それによるとどうやらこの魔法は通常の魔法に手を加えられた独自の魔法らしい。
この吹雪を焼き払った所で一時しのぎにすらならず、
発生元を叩かなければ意味が無いと分かった。
止めるには術者を叩きのめすしかないとの事。
とはいえこの寒さの中戦うのは辛い物がある、何か手は無いか?
そう考えるや否やすぐに次策が提示される。
「我を守れ、赤色の抱擁。フレアシールド!」
手元から火の玉が浮かび上がる。
その玉は私の身体を這うように燃え広がり、全身にくまなく行き届いた後に赤く発光する皮膜のように変化した。
どうやらこの魔法は防護術のようだ、この光に包まれてから吹雪による寒さを一切感じなくなった。
私が今ここに存在するのは、幾多の巡り合わせが生んだ奇跡としか例えようがない。
だがこの奇跡が何時まで続くかは分からない。
数ヶ月か、数年か。もしかしたらほんの次の瞬間にはこの奇跡は終わりを告げてしまうかもしれない。
私に残された時間が分からない以上、一分一秒すら無駄に出来ない。
待っててねクレイス、今貴方の所に行くから。
右手にある存在を確かめるように剣の柄を再び握り締め、私は白い闇の中へ身を投じた。
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「この程度で身を隠せる訳が無いとは思っていましたよ」
「クレイス……!」
クレイスの魔力反応を辿り、視界が閉ざされる吹雪の中だが真っ直ぐに邪神はクレイスの元へと辿り着く。
この程度は予想していたといった具合であり、クレイスの表情には動揺は見られない。
邪神は積雪諸共、土が舞い上げられる程強く地面を蹴り、クレイス目掛け飛び込む。
地面を掠めるように振り抜く邪神の切っ先が雪を舞い上げる。
クレイスは構えた剣で邪神の剣閃を阻むが、邪神の一撃は子供の見た目に反し、重い。
もう片方の手を峰に添え、両手で何とか邪神の一撃を防ぐ。
「生憎貴方と直接切り結ぶ気は毛頭無いんですよ」
クレイスは小さく舌打ちし、邪神に背を向け再び風雪の幕の中に逃げ込もうとする。
逃がしてなるものかとここぞとばかりに邪神はクレイスに肉薄しようとするが、
クレイスは振り向きざまに虚空を凪ぐように剣を振り抜く。
振り抜いた剣閃をなぞるように三日月状の氷の刃が現れ、邪神の胴を両断せんと飛来する。
邪神は咄嗟に体勢を立て直し、真っ向から両断するように剣を振り下ろし、氷の刃を叩き壊す。
しかしその隙にクレイスは白雪の中に紛れてしまう。
再び邪神はクレイスの居場所を魔力の痕跡を辿り特定しようとするが。
「汝は氷壁、名は棺。氷柱を以って我が敵を封滅せよ!」
この一瞬で大きく邪神と距離を取ったクレイスは、今が好機と呪文の詠唱を開始する。
声が聞こえた以上、場所は明白。魔力探知を中断し、邪神は声の元に向けて降り積もる雪上を駆け抜ける。
「遅い! アイシクルコフィン!」
対応に遅れた邪神はクレイスの詠唱阻止に届かず。
邪神を中心に四方を囲うように魔力が集う。
邪神はクレイスの元に駆け寄る為に大きく体勢を崩しており、このままでは回避は間に合わない。
クレイスの頭上目掛け飛び上がるが、そんな事では到底避けられない。
空中へ飛び退きつつも勢いを殺さないように、邪神は身を翻し一瞬だけクレイスに背を向ける。
剣を握っていない片手を虚空へ向け、詠唱を破棄した無詠唱魔法を瞬時に発動。
邪神の手元から緋色の光球が現れ、邪神の目の前で即座に爆発する。
目の前での爆発は流石に防御が間に合わなかったようで、一部の頭髪を焼け焦がしつつも邪神は大きく吹き飛ばされる。
再び体勢を立て直す邪神。吹き飛んだ先には、クレイスが居る。
直後、背後にドラゴンすら丸ごと氷漬けにできる程の巨大な氷塊が生成される。
回避が間に合わないと悟った邪神は、己自身を攻撃。
自らの身を焼きつつも爆風に乗り更に加速、クレイスの魔法攻撃の射程外へと逃れたのだ。
邪神は渾身の力を込め、クレイスの頭上から両断する程の勢いで剣を振り下ろす。
回避が間に合わないと瞬時に悟ったクレイスは表情を歪める。
剣を頭上で構え、防御の姿勢を取る。
二人の刃が交差し、火花を散らす。
両者共に剣へ魔力を集中させ、このまま押し切ろうと、何とか凌ごうと鍔迫り合いを繰り広げる。
しかしその拮抗は長くは続かなかった。
クレイスの手にしていた剣は邪神の一撃に耐え切れず、破断。
勢いを削がれたものの、邪神の一太刀はクレイスの胸元を深々と切り裂いた。
空気が漏れたような言葉にならない声を漏らし、クレイスはその場に倒れ込む。
邪神の切り裂いた胸元からはおびただしい量の血が流れ出しており、
その一撃が致命傷に値する傷である事は一目瞭然であった。
荒れた呼吸を整え、邪神は地に伏したクレイスに目線を送る。
黙して動かなくなったクレイスを見て、邪神は手にした剣を滑らせるように地面へ落とす。
邪神が手にしていた剣は、既に剣の体を成していなかった。
剣は中程で折れており、役目は終わったとばかりに剣は地面へと転がった。
邪神は黙して語らない。
話し合いで伝わらなかった以上、語る言葉は無いという事だろう。
邪神の心境を汲み取る事は叶わない。
「これ以上、貴方の手を血で汚させたくなかった……ごめんなさい、クレイス」
謝罪の言葉がクレイスの耳に届いたかは分からない。
邪神の頬を伝った一筋の雫が、勢いが消えつつある風雪に乗って、消えていった。




