42.平和と停滞の破壊者
「ああ、どうしてこんな世の中になっちまったんだろうなぁ」
秋半ばも過ぎ、冬の到来を予感させる冷たい風が肌を刺す。
あの女に気絶させられて、気付けば街の外に放り出されていた。
お陰ですっかり酔いが醒めちまった。
酒は良い。飲んでる間は嫌な事を忘れていられる。
昔は良かった。腕っ節さえ強けりゃ何でも許された。
俺も昔は金も女も欲しい物は何でも奪って身を立てたもんだ。
先々代の魔王も人間に対してなら寧ろ推奨してた位だ。
だってのに先代や今代の魔王と来たらやれ法の整備だやれ弱者の保護だと生温い事ばかりしやがって。
魔族の本懐はこの力だ。この力で弱き者を支配しろという天からの贈り物なんだ。
そもそも弱い奴が強い奴に従うのは当然の話じゃないか。
同意してくれる奴はあの魔王のせいで皆散り散りになっちまったし、
今の魔王の影響のせいで弱者を守ろうだとか腑抜けた事ばかり言う奴ばっかりだし。
「あんな軟弱野郎が魔王になんてなってなけりゃ、俺もこんな所でくすぶってねぇってのに――」
こんな台詞、街中で聞かれたらそれこそ魔王を慕う連中が散々言ってくるだろうが、
どうせここは街の郊外だ、誰も聞いてる訳無いだろ。
「――おや、奇遇ですねぇ。私も貴方と同意見ですよ」
「!? だ、誰だ!」
耳に纏わり付くようなねっとりとした声が背後から飛ぶ。
声のする方向へ警戒しつつ身を向けると、暗がりに紛れるように何者かがたたずんでいた。
顔は見えないが、声からして男性のように思える。
身体は細く、その低めの声と背がやや高い事を除けば女性と見間違える事もあったかもしれない。
身なりは軽装で、鎧を始めとした防具の類を一切身に着けていない。
それ所か、武器すら持っていないように見える。
まるで街中を軽装で過ごす一般市民のようである。
街の外でこんな格好をしているなんて、襲ってくれと言っているような物だ。
「私も今の世を気に入っていませんよ」
こちらの警戒を全く意に介さず、男は続ける。
「弱き者を守る? 全く今の魔王は大した偽善者だ、反吐が出ます。弱いから淘汰されるのはこの世界の理、それに逆らうのは愚の骨頂ですよ」
男は皮肉を込めた口調で、あざ笑うかのように口元を歪める。
優男にしか見えないというのに、何故こんなにも不気味な気配を放っているのだろうか。
「所詮今の魔王は耳障りの良い言葉で民衆を惑わしているに過ぎないのです、貴方もそう思いませんか?」
「お、おぉ……そうだ、な。俺達魔族にとってもし正義なんて物があるとしたら、それは力だ」
「全くその通りです! 貴方は話が分かる方だ、欲しい物は何であれ奪えば良い。また、そうするべきなのです」
「だけどよ兄ちゃん、その言葉からすれば俺がお前を襲っちまっても良いって事だぜ? そんなヒョロっちい身体でそんな事言って良いのかよ?」
「――おやおや、冗談のつもりですか? でしたらまるで笑えませんね。私を笑わせたいなら、もっと力を付けてから出直したらどうですか?」
男の語調は変わっていないが、相変わらず放ち続けている不気味な気配に殺気が混ざる。
俺もかつてはこの地でその身を立てた事のある武芸者だ、その俺のカンが告げている。
――この男はヤバい。逆らったらタダじゃ済まない。
一度だけ俺は魔王を見た事がある。
と言っても、魔王就任の祝辞の席を遠目から見ただけなのだが。
その時の魔王は伊達や酔狂で魔王を名乗っている訳ではない、
圧倒的強者の気迫ってのを放っていた。
だが今目の前に居るこの男は、その魔王と同じか……
いやもしかしたらそれ以上に、危険な気配を感じる。
「っ……一体、俺に何の用だよ?」
「あぁ、良かった。話が早くて助かります。私も暇ではないので、用件は手短に済ませたい物ですからね。単刀直入に言います。――私と手を組みませんか?」
「手を、組む……?」
一体どういう事だ? この男は何を考えている?
俺を何かに利用する気か?
「行き成りこんな事を言われても不審に思うでしょうから、私の事情を少し聞いて頂きたい」
こちらの混乱を察したのか、男は身の上を語り始める。
「私は訳あって、表舞台に顔を出せない身なのです。ですから、表舞台に立てる協力者が欲しかったのですよ」
「表舞台?」
俺達みたいな日陰者か。まぁその位は察しが付く。
どうみても日の当たる世界の住人って感じがしないからな。
「私の望みは、貴方の望む弱肉強食の世界。弱きは全てを失い、強きが全てを得る世界」
「だが、今の魔王がそれを真っ向から否定してやがるぜ?」
「それは貴方が魔王より弱いから従わざるを得ないだけでしょう?」
「くっ……ハッキリ言ってくれるな手前」
あぁそうだ、確かに俺は魔王には勝てない。それこそ逆立ちしたってな。
だからこそこうして酒に逃げて現実から目をそらし続けて来た。
自分の限界にイラ付きながらな。
「だったら、貴方が魔王より強くなれば良いだけの話です」
「魔王より? おいおい冗談はよせ、どうやって俺が魔王より強くなるんだよ?」
「もし協力してくれるなら、それこそ貴方を『魔王』にだってしてみせましょう」
そんな簡単に強くなれるなら苦労しねぇよ。
何を馬鹿な事を言ってるんだこの男、頭おかしいんじゃねえか?
「その為に必要な力、富、名声、権力、その全てを私は用意する算段があります」
随分と大層な事を自信満々にご高説する。
どうも嘘っぱちで言っているようには思えない。
「貴方が私へ支払う報酬は、貴方の理想を決して曲げない事、矢面に立つ事。この二つだけで結構です。もし受けて頂けるなら、前報酬をお渡しする用意がありますが」
男は静かにこちらに手を差し出す。
傷一つ見当たらない白い手だ、女ですらそう無いような綺麗な手。
本当にコイツ、男なのかと言いたくなる。
「如何ですか? 私の手を取りますか?」
「前報酬って一体何なんだ? それを聞いてから考えようじゃねえか」
「何、大した物ではありませんよ。魔王と戦うならそれ相応の獲物が必要ですからね。実は私は神話に伝わる伝説の武器の一つを所有していましてね。それを貴方に前報酬としてお渡ししようかな、と」
「伝説の武器……だと?」
「真っ向から魔王に向かってしまえばただ死ぬだけです、そんな事になったら困りますからね。私の意見に賛同してくれる人は貴重なのですから」
「俺みたいな考え方をしてて、立ち上がっていったヤツは皆魔王に討たれちまったからなぁ。そりゃ貴重だろうよ」
俺は結局立ち上がる気力が無かったが故に、こうしてこの温い世の中をだらだら無駄に延命している訳だが。
「貴方は今の世を気に入っていないのでしょう? それを変える好機だと思いませんか?」
確かに俺はこの今の状況を気に入っていない。
どうせこのままなら酒に溺れて何処かの道端でのたれ死ぬのが関の山だ。
この男が一体何を考えてるのかは分からないが、どうせ遅かれ早かれ死ぬんだ。
だったら一つ大きな事をしてみようじゃないか。
「そしてその好機とは私の事です。さぁ、チャンスを掴むのか否か。選ぶのは貴方です」
「――良いだろう。だが、気に入らなければ俺はその時点で帰らせて貰うぜ?」
男の手を取る。
こんな枯れ木の枝みたいに簡単に折れてしまいそうな腕なのに、
この男の手を取った瞬間、尚の事男の気迫を強く感じてしまう。
「きっと気に入って頂けると思いますよ?」
男の顔が薄闇から浮かび上がる。
糸目だが細いその目でしっかりとこちらを見ているようで、
腕同様全く傷や日焼け跡すら無い白い肌に、薄っすらと笑顔を貼り付けていた。
その笑顔に何処となく不気味さを感じつつも、
自らの運命を変えるべく、その男の後を共にする事にした。




