32.妖美
陸へと上がり、その空気を肌身で感じる。
気温はファーレンハイト領内とは然程変わってないようだが、漂う緊張感が違う。
ここはレオパルド領内、魔物の蠢く魔性の地。人類に仇成す者の集う敵地である。
これからは手探りで魔王城を目指さねばならないが、一つだけ光明が見えている。
――先代勇者は、魔王の城へと乗り込む際にある城跡から内部へ転移したと話が伝わっている。
いくら何でも魔王城へ正面突破を掛けていたら命がいくつあっても足りない。
私はこの方法を使おうと思っている。
今も転移手段が残っている保証は無いが、駄目ならその時次策を考えれば良い。
残っていたなら勿論それ相応の警備が予想されるが、正門と比べ裏口の警備が薄くなるのは世の常である。
馬鹿正直に目の前から突撃するよりは勝機があるだろう。
ここから西に進めば、魔王城へと続いていたと伝わるカーンシュタイン城跡地だ。
古ぼけた地図を二度見しながら、私は再び魔王城へ向けて歩を進めるのであった。
一週間の道程を経て、私はカーンシュタイン城跡地へと辿り着いた。
枯れ草の混じった雑草の山を踏みしめ、かつては栄華を誇っていたであろう石畳跡を辿りつつ歩を進める。
長年の風雨に晒され至る所が崩れ落ち、苔に覆われた城跡の前に立つ。
入り口からは埃っぽいひんやりとした空気が流れ出ており、この暗闇の底から何処か別の場所へ繋がっている事を感じさせる。
閉塞している場所であれば空気など流れたりしない、どうやら伝わっている先代勇者が用いたという抜け道は健在のようだ。
雑草の海を掻き分けて荒れてしまった息を整え、鞘から剣を引き抜くと意を決し闇の中へと身を投じた。
城内は入り口こそ荒れ果てていたが、中へ入り少し進むと仄かな蝋燭による光が灯っていた。
最初は敵かと身構えたが、どうやら単なる照明として置かれているだけのようだ。
辛うじて周囲が認識出来る間隔で通路に並べられている。
入り口のあの荒れ果てようと比較して、この通路は綺麗過ぎる。
あの成れの果てであらば瓦礫の一つや二つ落ちていた方が自然にも関わらず、それらも見受けられない。
誰かが撤去したのか、それとも補修されたのか。どちらにしろここに何者かの往来がある事だけは確かなようだ。
手にした剣を握る手に思わず力が入る。
ここは敵地、何時何処から攻撃が飛んで来てもおかしくない。
警戒を怠らず、精神をすり減らしながらも奥へ奥へと着実に足を前へ進める。
一部屋一部屋、慎重に確認しながら周囲を散策する。
照明が一部灯っていない部屋もあるが、灯っている部屋をこれだけ探したにも関わらず魔物の影も形も見えない。
おかしい。ここは本当に敵地の真っ只中なのだろうか?
もしかしてかつて先代勇者が用いたと言われる抜け道はとっくに塞がれていて、ここはもぬけの殻なのでは?
いや、そう侵入者を油断させる為の罠なのでは?
様々な疑念が頭の中を過ぎるが、今開け放った小部屋内部を視界に入れた途端その考えは中断される。
空中に浮かぶ水泡のような玉は、その中に小さくここではない何処かの景色を歪ませながら写している。
紫色の縁からその景色へ向けて沢山の光の筋が延びており、中心に移りこんでいる景色目掛け吸い込まれていた。
これがもしかして、先代勇者が用いたと言われる抜け道か?
どう見ても魔法を用いて作られた物としか思えない代物にも関わらず、
魔力反応が微塵も感じられない球体を不思議がりながらも、ハッとしたように考える。
これが本当に抜け道だったとして、どうしてここには誰も居ないんだ?
魔王城へと襲撃を掛けるのに使った抜け道をこんなにも無造作に放置するなんていくらなんでも有り得ない。
これではどうぞお好きなように進入して下さいと言っているような物ではないか。
――罠か。
そう確信するが、私は覚悟を決める。
抜け道は生きていた、なら進もう。
罠は間違い無くあるだろうが、正面から突っ込むよりはまだマシだろう。
罠に突っ込むにしても、油断して直撃するのとあると覚悟して準備を整え突っ込むのでは訳が違う。
それに私が挑もうとしている相手は魔王だ。人類最大の敵、世界を恐怖に陥れた元凶であるあの魔王なのだ。
この程度の危険に臆して勝てる相手ではない。
手にした剣で床に傷を付け、魔法陣を刻む。
「我を守れ、せせらぎの抱擁。アクアシールド!」
呪文を唱え終わると、魔法陣からうねる様に伸びた水の柱が私の身体に伸び、纏わり付く。
この魔法は自身へと及ぶダメージを軽減する物だ、これで多少手痛いダメージを受けたとしても何とかなる。
全身に水色に光る皮膜が形成されたのを見て、魔法発動完了を確認する。
「父上、母上。私は必ず魔王を倒します、見守っていて下さい……」
目を閉じ、祈るように呟く。
覚悟を決め、私は目の前の抜け道へと身を投じた!
「いらっしゃい。遅かったから待ちくたびれちゃったじゃない」
抜け道をくぐり、木漏れ日の注ぐ城内の庭らしき場所へ出ると不意に横から声が飛んでくる。
声のした方角へ身体を向けると、そこには一人の女性が椅子に腰掛けていた。
黒皮のロングブーツを履いた足を組み、黒いマイクロミニのスカートから伸びた白い太ももを陽光が照らしている。
遠目からでも分かる豊かに実った胸をチューブトップで最小限に包み込んでおり、
肩から黒いマントを羽織ったその女性は、か細い腕でティーカップを掴んでおり、お茶会の真っ最中といった様子である。
「貴方が何者かは知らないんだけど……」
ティーカップをテーブルの上に静かに置き、腰まで伸びた波打つ金髪を揺らしながら彼女はこちらへ目線を向ける。
黄昏時の空を落とし込んだような黄金色の瞳が真っ直ぐに私を見据えている。
「ようこそ魔王城へ、良かったら一緒にお茶でも飲まない?」
魔王城へ突入した私を出迎えたのは、
女である私ですら目を奪われる程に美しい一人の女性であった。




