31.忍び寄る影
乾いた空気が、頬を撫でるように吹き抜けて行く。
ここはかつて、フロテア村だった地である。
卑劣な魔物達の手によって襲われ、ここで栄えるべき筈の命は全て摘み取られ、踏み躙られた。
襲撃から数ヶ月は経ったと聞くが、時間がその爪痕を癒すにはまだまだ時間が掛かるようだ。
整備する者が居なくなった田畑は雑草が生い茂り、見るに耐えない荒れ果てた状態となってしまった。
倒壊し吹き飛ばされた外壁が地面に突き刺さり、炭化した小屋だった物がこの村に訪れた災いの悲惨さを物語っている。
「野蛮な相手とは聞いていたけど、これ程とはね……」
口から零れたその言葉を理解出来る者はもうこの跡地には誰も居ない。
風と共にその声は霧散していった。
手にしている日焼けし色褪せた古い地図に目線を落とす。
フロテア村は、古レオパルド領……現魔族領と最も近い位置に存在した。
かつてはレオパルド王国がこの世界に現存した際、聖王都ファーレンハイトへの交易路として、道中の補給と休憩の地として栄えていたという。
しかし先の破壊神との戦いでレオパルド王国が亡国となり、フロテア村の交易路としての役割は消滅。
徐々に衰退していき、今では小規模な村となったという経路がある。
規模が小さくなり失われた人の命が少なかったのは不幸中の幸い、とは言ってられないだろう。
人間の命に、多いも少ないも関係無い。
魔物達によって理不尽に命を摘み取られたという事実、これだけだ。
視線を移すと、眼前には小規模な山脈が見える。
この山を迂回するように伝っていけば、古レオパルド領と最も隣接している大陸の端に辿り付く筈だ。
地図の確認が済んだ私は、人類の敵である魔族が住まう地へ再び舵を切るのであった。
潮風の匂いが強くなってきた頃には、目的の場所は既に見えていた。
やや霞掛かった水平線に薄っすらと浮かぶ陸地の陰影。
あれが、魔物達が跋扈するという呪われた地……レオパルド。
これから私はあの地へ向かう。
人々の安寧の日々の為という大義を掲げ、私は海を渡る準備を始めた。
砂浜に魔法陣を描き終わる。ここから先は、魔物の領域。
当然大陸へ渡る為の橋など無いし、船に乗って行けば海中から襲撃された際に手も足も出ないだろう。
それ故にあの地へ渡るのは骨が折れるのだが、私は違う。
「我を守れ、水泡の隔壁。バブルウォール」
魔法陣に手を添えて、呪文を唱えると青みを帯びた魔術の光が魔法陣から溢れ出す。
溢れた光は空中で円を描き、丁度人一人が入れそうな大きさの泡の塊となった。
その泡に飛び込み、泡が私の身体をしっかりと包み込んだ事を確認する。
多少遅くなったとしても、十分向こう岸に辿り着くまでこの水泡は持つだろう。
強度を確認した私は意を決し、海中向けて歩き出すのであった。
私は剣術にも魔法にも自信がある。
剣技を披露する大会があれば参加し、数多の屈強な腕自慢を捻じ伏せてきた。
人々の住まう里を襲ってきた魔物の群れを撃退した事もある、それも一度や二度ではない。
荒れ狂う水害を魔法によって未然に防いだ事もあるし、
一度だが自らを魔族と自称する魔物と戦った事もある。
あの敵は強敵だった、私も死を覚悟するに値する強敵であった。
あれが恐らく魔王に仕える四天王と呼ばれる者の一体なのだろう。
四天王さえ倒した今の私なら、それこそ『魔王』と呼ばれる魔物の王だって倒せる筈。
お父さん、私は必ず吉報を持って故郷に戻ります。
だから見守っていて下さい。
――私が、魔王を討つ『勇者』としての使命を果たす所を。
海底は深く、暗い。
これから先に訪れる恐怖を溶かしたような闇を振り払うように一歩、また一歩と力強く歩を進めた。




