29.結界は破れてナンボ
「な、何だこの魔法は!? 小僧! まだこんな隠し玉を持っていたとは!」
「虚勢の仮面が剥がれてるぞノワール。まぁ所詮小物の貴様ではこの魔法相手では抗うのが精一杯といった所か」
私が展開した結界魔法は、ノワールの身体をすっぽりと包み込んで尚少し余る程の広さだ。
確かに広大な封鎖範囲ではあるが、巨体のノワールにとっては先程の洞窟より幾分マシといった程度の手狭さである。
最早自由に翼で飛び回るような真似は出来ないだろう。
――ドラゴンは一部を除き基本的には熱に強い体質である。
この為炎系統の魔法は効果が薄いのだが、私の放つ上級魔法にもなると話は変わってくる。
溶岩地帯にすらその気になれば生息出来るドラゴンという種族にすら通用する超高温、
結界内は鉄すら容易に溶解し、全ての生物が死に絶える地獄の釜と化す。
「き、貴様アアアァァァ!」
横薙ぎしてきたノワールの巨腕を後ろへ飛び退きかわす。
この高熱をもってしても、これだけではノワールを焼き尽くすには足りないだろう。
事実、ノワールの全身を覆う竜鱗はこの灼熱の空気に晒され焼け落ちてはいるが、
ドラゴンの持つ驚異的な生命力で次々にその体皮を再生し続けている。
後は削るだけ、だ。
その腕を大振りした際に出来る隙を見逃す程私は優しく無いのでな。
足元に魔力を集中させ、爆風の如き速度で自らを撃ち出す。
大振りで無防備になったノワールの片腕目掛け、力任せにティルフィングの一太刀を浴びせ付ける。
その傷はすぐにドラゴンの治癒力で完治……は、しない。
表皮を瞬時に焼き焦がすこの結界魔法内では、ドラゴンの再生力を持ってしても、現状維持が限界のようだ。
今与えた傷も回復力を集中させれば一瞬で治癒してしまうだろうが、それでは他の部位が灼熱の大気に焼き焦がされるだけだ。
故に新たに出来た傷を治す余裕など無いし、そんな余裕は与えない。
小山程あろうかという図体の持ち主だ、一度や二度切り付けた程度で倒れるなど有り得ないだろう。
だがこれから、何十回でも、何百回でも貴様を切り刻む。
貴様が死ぬまで、切り付けるのを止めたりはしない。
貴様の考え方は、決して私と相容れる事は無いだろう。
「私の邪魔はさせん、ここで灰燼となれ!」
「馬鹿な……ッ! この私が、炎の魔法などに押されているだと……!?」
「これ程の熱気の中ではドラゴンお得意の吐息による攻撃も出来まい、さぁどうする? 次の手は何だ?」
「舐めるなよ小僧!」
頭上から岩塊程度であれば撃ち砕いてしまいそうな、紫電の閃光が降り注ぐ。
それをティルフィングの一薙ぎで打ち払い、話を続ける。
「それはこちらの台詞だ。私は自らの身を削り、この上級魔法を展開した。そんな魔法陣も詠唱も省略した魔法なんぞでこの私を倒せると本当に思っているのか?」
「ならば、こうするまでだ!」
先程の魔法攻撃は目くらまし目的だったのだろう、ノワールは鋭敏な動きで後ろに退く。一体その図体の何処にそれ程動き回る力があるのか。
飛び退いた先、ノワールの立っているその足元から魔力反応によって生まれた紫色の光が溢れ出す。
魔法陣……そうか、あの位置は先程まで洞窟だった場所か!
詠唱破棄されてはいるが、魔法陣を伴う魔法の発動。
通常、正規の魔法発動には『魔法陣の構築』、『呪文の詠唱』、『魔力操作』の三工程を辿っている。
ある程度熟練した魔法使いは、魔法陣構築か呪文詠唱のどちらかを破棄しても魔法を行使出来るのだが、
魔力操作の精度が荒くなるのでどうしても正規手順の物と比べて魔法の威力は落ちてしまう。
それでもそれなりの破壊力が出るので、戦闘に用いられる魔法はもっぱらこの片方を破棄した物となる。
妨害するべく一気に距離を詰めるが、時遅くノワールの魔法発動準備が完了してしまう。
紫電の閃光とは比べ物にならない、紫電の槌とでも例えるべき雷雨の嵐が襲い掛かる!
私の立っている足場ごと崩壊させる光の衝撃が、一面を包み込む。
「直撃か。他愛も無い」
「直撃して何故倒せると思っている……?」
生憎まだ倒れる訳には行かんのでな。
不意を突かれ、体に痺れがしばらく残りそうではあるがまだ戦える。
「あの一撃を受けて無傷だと……!?」
「無傷とはいかんがな……だがこの程度で歩みを止める訳には行かないのだ。貴様は己の為に戦っている、だが私は私と私を慕ってくれている仲間の意思も背負い戦っているのだ! 貴様とは背負った覚悟の重みが違う!」
「覚悟だと? 笑わせてくれる!」
ノワールが鼻で笑うと、不意に身体を清涼な風が吹き抜けた。
世界を染め上げた緋色は、気付けば影も形も無くなってた。
「どうやら貴様のあの結界魔法も時間切れのようだな」
「――!? ノワール、貴様一体何をした!?」
「何を……? お前は何を言っているのだ?」
地獄の檻が勝手に消滅するだと!? そんな馬鹿な!
この魔法は私が発動を解かぬ限り延々と灼熱地獄を生み出す上級魔法、
時間切れなど無いし、勝手に解けるなど有り得ない!
しかし現に全てを焼き払う熱気は完全に霧散している。
一体、何が……
思慮を巡らせている余裕も与えないと言わんばかりに、私とノワールの間に隕石でも降ってきたかのような衝撃が振り下ろされる。
爆風が止み、自らを庇うように目を覆っていた左腕を下ろすと、そこには一つの影が映り込んでいた。
みすぼらしいボロ切れを羽織り、亜麻色の毛髪を風に靡かせ。
私の前に悠然と仁王立ちする一人の人間の子供――
「貴様等ァ! こんな所で長々と何をしている?」
その小さな身体の一体何処からそんな野太い声が出るのか不思議でならないが、声など今は関係無い。
目の前に立つその小さな姿を目の当たりにした瞬間、背筋に冷たい物が走る感覚を覚えた。
何で今ここに居るのか分からないが、既にあの小娘が立っているのは変えられない事実である。
「ネズミのように逃げ遂せるか、この場で死ぬかァ! どちらか選べいいぃ!!」
うわああああああああぁぁぁぁぁぁぁ嫌だああああああぁぁぁぁ!!?




