23.黒竜王
「チッ、ちょこまかと動き回りおって。ドラゴンの血が泣くぞ」
「ドラゴンとかどーとかあたいには関係無いね! あたいはただ強い相手と喧嘩出来りゃそれだけで良いのさ!」
未だその全容を闇に溶かしたままのその巨大な腕の持ちは、鋭敏な動きでドラグノフを追い詰めんと腕を振るうが、
洞窟内……とはいえ、人と然程変わらぬ体躯のドラグノフからすれば、それなりに広いこの空洞内を縦横無尽に飛び駆け回り、
攻撃を回避するついでにその腕に何度も槍による攻撃を加える。
しかし、一打一打が決定打になっていない為かその腕に付いた傷も煙と共に次々と塞がっていく。
「なぁオッサン。お前は後何回突っ突いてやれば死ぬんだ?」
「調子に乗るなよ小娘……同族の好で手心を加えていた事に気付かんとはな」
「ん?」
ドラグノフの背後――出入り口の方角から闇の奥底へ向けて、空気が流れ込む。
空気の流れの異変に気付くドラグノフ、その変化に気付いたが時既に遅し。
――洞窟内に収まり切らない程の、爆風のような大寒波が周囲を包み込む。
その凍て付く波動は、大気中の水分を根こそぎ凍り付かせ、身を裂く刃と化してドラグノフ目掛け襲い掛かる。
闇の底から放たれたその攻撃は、周囲の岩壁も、大地も分け隔てなく包み込み、周囲を凍土の世界へと変貌させた。
そして洞窟内を暴れるように吹き抜けた風が止んだ時、洞窟内には一本の氷の柱が残るのみであった。
「愚か者が。ドラゴンであるこの私が、同族の弱点を知らぬと――」
愚者の末路をあざ笑うかのように、見下した口調で呟く。
しかし氷柱に走り始める無数の亀裂を目の当たりにした途端、口をつぐむ。
「うひー、お前アイスドラゴンだったのかー。寒いの嫌いなんだからそういうのやめろよなー」
己が力で周囲を覆った氷柱を破砕、四散させた上で余裕の口調で呟くドラグノフ。
自ら粉砕した氷の欠片がドラグノフに降り注ぎ、その身に纏った緋色の衣に触れた途端水蒸気となって霧散する。
「何故私のブレス攻撃が――そうか、その布きれの仕業か!」
「へへーん、良いだろこれ。火焔獣の衣って言うんだぜ? 言っとくけどあげないぞ?」
「ふん! そんな小道具に頼る辺り、流石はあの小賢しい魔王の軍門に下った小娘といった所だな!」
「暖かいんだけど、ちょっと動き辛いんだよなこれ」
皮肉を投げ掛けているのだが、それにまるで気付いてないドラグノフ。
すげーだろこれ! と言いたげな笑みを浮かべ羽織った布を見せ付ける。
火焔獣の衣、それは溶岩が流れる程の灼熱の地に生息すると言われている魔物の毛皮から作られた衣服全般の事である。
その毛皮は剥ぎ取った後も常に熱を発し続け、これを羽織ってさえいれば例え極寒の地であろうと凍死する事は無いと言われている。
しかしその魔物自体があまり生息数が多くない事と、その生息地の過酷な環境故に仕留めるのも困難であり、
非常に希少性の高い一品である。
その耐寒性能は戦闘においても通用するレベルであり、氷や冷気の類で相手を攻撃する魔法によるダメージも無力化してしまう。
流石に強力な冷気になってくると表面自体は一時的に凍ってしまうが、放ち続けている熱の影響で直に溶け出す。
冷気に対する耐性を上げるだけで、他の魔術や攻撃に対しては何の防御にもならないのだが、
これをドラゴンが羽織る事でさながら鉄壁の鎧の如き防具と化してしまう。
ドラゴンは非常に高い生命力を誇り、致命傷でさえなければ多少斬られたり突かれたりした程度ではすぐに傷が癒えてしまう。
寒さには弱いのだが、この衣を着込む事で寒さに弱いという唯一の弱点が無くなってしまうのだ。
ドラゴンという種族は皆体躯が大きく、この毛皮で身体をすっぽり覆える程のコートもマントも作れない。
仮に作れたとしても邪魔になるだけであろう。
限り無く人に近い体型を持つドラゴニュート……竜人族であるからこそ実現出来た、弱点の無い最強のドラゴン。
その完成形こそが、今この場に立っているドラグノフなのである。
「魔王といい貴様といい……そんな玩具に頼っているようでは話にならん!」
魔力を宿した武具の類を持っていないが故の負け惜しみのようにも聞こえるが、その口調に焦りや敗北感は微塵も感じられない。
「いいか良く聞け! 魔王とは、絶対的な強者の象徴だ! 己が肉体一つで、世界に住む全ての命を屈服させ、望むがままに命を喰らい、歯向かう奴等は一族末代まで皆殺しにする! それを成し得る者こそが魔王の座に相応しいのだ! 小道具任せの限定的な力に頼る者が魔王を名乗るなど笑止千万!」
怒気を孕んだ語調で、持論を捲くし立て、貴様もだ! とドラグノフを一喝する。
「そんな魔王に迎合し、ドラゴンの誇りを忘れた貴様に最早同族の情など消え失せた! 早々に消え失せろ!」
暗闇にほんのりとだが光が灯る。
その光が身体の一部である黒い鱗を僅かにライトアップさせるが、その光はとても全体像を映し出す物ではなかった。
普段は頭が悪そうな言動ばかりのドラグノフだが、こと戦闘に関しては口調こそ変わらないものの真面目である。
光の正体が魔術による物だと気付き、地を蹴りその場から飛翔する。
直後、ドラグノフの立っていた場所の背後の岩壁に、見えない刃で切り裂かれたような亀裂が走る。
「おいおい、お前魔法なんか使えるのかよ。勤勉なヤツなんだなーお前」
「貴様のような愚か者視点で、いずれ魔王となるこの私の器を量ろうなど笑わせる!」
「どーでも良いけどさぁ、お前さっきから片腕だけで戦ってるよな? 好い加減本気で来てくんねーとあたいも本気出す気になんねーんだけどなー」
「ふん、貴様如き片腕で十分だ。私の全力を出させる程お前が強いと思っているのか? 自惚れるなよ小娘」
ドラグノフ目掛け伸ばされている腕は一本だけであり、誰がどう見ても手を抜いて戦っているようにしか見えない。
何時まで経っても本気を出そうとしないその腕の持ち主に対し不服そうに漏らすドラグノフ。
互いに力の底を見せたくないのか、出し惜しみと相手の力量の探り合いが続く。
再び暗がりから攻撃魔術が飛び、ドラグノフがそれを回避する。
それなりに広い洞窟とはいえ、それでも翼で空を飛び回るには手狭な空間。
にも関わらずドラグノフは器用に敵の攻撃を避けていく。
「チョコマカ動きおって……まるで虫けらだな」
「その虫けらにもまともに攻撃当てられないなんてだせーぜオッサン!」
「なら、その虫けらの羽を毟ってやるとしよう」
再び洞窟内に魔術の光が広がる。
勿論ただ相手が魔術を発動させるのを黙って見ている理由は無い、
暗くて敵の姿を確認し辛いが、あの魔術の光が灯っている場所には間違いなく本体がある。
そこ目掛けドラグノフは両腕で槍をしかと構え急降下しながら槍を突くが、
途中で再び猛吹雪の如き氷のブレス攻撃を放たれ、迎撃される。
火焔獣の衣で防御したのでダメージにはなっていないが、ドラグノフの攻撃は中断される。
その防御の際に一瞬止まったドラグノフに対し、解き放たれた魔術が足を絡め取る。
ドラグノフの意に反し、空中から引き摺り下ろされその身体を地面に縫い付けられる。
足に絡みついていたのは、鎖であった。
黒曜石のような色合いと質感を持ったその鎖はぼんやりと紫光を放っており、
囚人を縛る足枷のようにドラグノフの自由を奪い去った。
「どうだご自慢の翼を奪われた気分は? これで最早逃げる事は出来まい、貴様が誰に歯向かったか存分に思い知らせた上で殺してやろう」
「よっと」
ドラグノフの足を地に縫い付けた黒い鎖が、ガラスのように砕けて霧散する。
ご大層な口上を長々と述べている最中、こんなの問題にならねーぜ!
と、言わんばかりにあっさりと槍の一振りで拘束魔法を打ち破るドラグノフ。
「なっ、何!?」
余りにも想定外の出来事に、流石に驚きを隠せない模様。思わず驚愕の声が漏れる。
「馬鹿な! 私の拘束魔法がたかが槍の一振りで……!」
「大見得切っといてこのザマかよー、正直ダサいぜオッサン」
大見得を切るという言葉をドラグノフが知ってるのは意外である。
そんなどうでも良い事はさて置き、こんな程度でドラグノフの動きを封じたとは言えない。
彼女が持つ槍は魔を破る槍。破魔の槍ガジャルグなのだ。
あらゆる魔を退けると言われるこの槍の前では、どんな拘束魔法も結界も無意味。
紙を裂くが如くあっさりとその魔法は引き裂かれてしまう。
「また……その小道具の仕業か……!」
ガジャルグだという事までは分からずとも、大まかな槍の特性を推測し、激昂する。
その腕ではこんな槍小さくて持てないでしょうから。
怒ってはいるが焦ってはいない、そして負け惜しみでもない。
「魔術を打ち消す槍など、姑息な代物を使いおって……!」
「こういう面倒くせーヤツ簡単にぶっ壊せるから、便利だろこの槍? 欲しくてもやんねーからな」
見せびらかして自慢はするけどやらないからな。まるで子供の自慢話である。
そこから見せびらかした物を壊したり無くしたりして泣くまでがお約束だが、ドラグノフは流石にそこまで子供じゃないだろう。
「ならば、その下らん槍で防ぎ切れぬ程の攻撃を見舞ってやるまでよ!」
戦況は、終始ドラグノフが圧倒しているように見える。
現魔王が認めるその強さは、伊達ではない証拠である。
しかし彼女はまだ知らない。
この闇の奥底に身を隠す者の正体……
――それがかつて魔王サミュエルとその座を最後まで争った、黒竜王ノワールだという事を。




