2.魔王城
フロテア村。
私達がそれまでの人生を過ごしていた村であり、誰もが認める田舎と言われているらしい。
私自身はこの村から出た事があまり無かったので、都会がどんな場所か知らない為その差が良く分かっていない。
ファーレンハイト領に属しており、彼方に銀嶺を望む北方寄りの辺境に位置する寒冷地帯である。
農作物は主に備蓄が容易なジャガイモを中心として栽培しており、
積雪こそあまり無いものの、寒い地域の為育つ作物は限られていた。
総人口は30名にも満たない小規模集落……
――だった。
私達が魔王城に連行されたのは、ほんの一月程前だ。
その時私は、フロテア村で土を耕していた。
額に汗する初夏の日差しが眩しい時期だった。
鍬で田畑を掘り起こし、額の汗を拭う。
ふと空を見た時、遠方に黒い影が見えた。
雨雲か、今日は早めに切り上げないといけないな。
そう考えたりしたがどうも様子がおかしい。あの雨雲、やけに小さくないか?
結論から言えば、それは雨雲なんかでは無かった。
その黒い影の一滴が私の目の前に落ちてくる。
空から舞い降りたそれは、一滴などという生易しいものでは無かった。
その影はどんどん肥大化し、地震が起きたかと錯覚するしかねない程に大地を揺るがし地に立つ。
陽光すら闇に溶かす程にどす黒く染まった皮膜の翼、
私の背丈を優に3倍は上回るであろうその巨躯は、黒光りする鋼のような皮膚で覆われている。
肉食獣特有の骨まで噛み砕きそうな強靭な牙を口から覗かせ、
血を求める獣同然の瞳は、その心情を表すかのように真っ赤に染まっている。
筋肉質な巨椀が振り上げられ、一瞬で私の身体が握り締められる。
「かっ……はっ……!?」
苦しい。息が出来ない。
胴を締め上げられ、肺から漏れた空気が言葉にならない声となって出てくる。
骨が悲鳴を上げる。折れる、潰され――
「私は捕らえて連行しろと命じた筈です、殺してはいけませんよ」
命の危機を感じたその時、何処からか声が聞こえる。
若い青年の声のように思える。
「人間は我々と比べ遥かに身体が弱い、力加減を間違えればすぐに死んでしまいます」
その声を聞いた為か、握り締められていた手が少し緩む。
もっとも、逃げ出せる程ではないが。
声のした方向に目線を向ける。
声の主は、人間では無かった。
肩まで伸びた群青色の毛髪、不気味な程に澄み切った蒼い瞳。
褐色の肌をしており、目鼻立ちは整っている。間違い無く美形に分類される美男子だろう。
細長く、鋭く尖った耳には透き通った水晶のような石で作られたイヤリングを身に付けている。
ゆったりとした深緑色の衣服を適度に赤い紐で締め上げており、
腰には長刀を携えていた。
小さな頃、両親から聞いた事がある。
この世界には魔物だけではなく、数は少なめだが魔族という者が存在すると。
彼の容姿は、幼い頃聞いた言い伝えの中に存在する魔族そのものであった。
「この村の者を全て生け捕りにしろ! どうしても捕らえられなかった者は殺せ! 総員掛かれ!」
魔族の青年の掛け声と共に、暗雲から無数の黒が豪雨の如く村に降り注ぐ。
田畑が抉れ、家屋が打ち倒され、逃げ惑う村人が次々と拿捕される。
――この日、この世界からフロテア村の名は消滅した。
成す術も無く捕らえられた私達は、海を越えた先にある古レオパルド領へと連行された。
魔族の住まう力が支配する地、と聞いている。
遥か昔。この地にはレオパルド王国という世界で最も大きな国があったそうだが、
何百年も前に起こったと言われている魔神復活の影響で滅んだと聞いている。
連行される際に空を飛んできたのだが、その時眼下に城や城下町が見えた。
恐らく元々レオパルド王国として存在した城下町を修繕したりしてそのまま使用しているのだろう、
町並みは私達が住まう人々の、都会の町並みとなんら変わりは無かった。
――その街中を、得体の知れない魔物達が闊歩している所以外は。
魔王城へと連行された私達は、城の地下に築かれた巨大な地下牢に入れられた。
何百人と人が居たが、その牢の中で私の娘、アーニャの姿を確認出来た。
殺されなくて良かったという思いと、娘も捕まってしまったという絶望が複雑に絡み合いつつも、
駆け寄ってきた娘をしゃがみ込んで抱き止める。
再会した娘は、ボロボロと大粒の涙を流していた。
これだけ恐ろしい目に遭ったのだ、無理は無い。
囚われた人の話を纏めると、違う国に住んでいるという人々も多数居た。
どうやらあの魔族達は、都市ではなく防備の薄い辺境の村々を手当たり次第に襲撃したようである。
フロテア村が襲われた理由も恐らくそこなのだろう。
何も出来ない牢屋の中で何日かを過ごしていると、一人の男が入って来た。
「……この娘ですね、おい。この娘を儀式の舞台に連れて来い。他は言った通りだ」
牢越しに私達を見ているが、間違い無い。
薄暗くて姿は見えずともこの声はハッキリ耳に残っている。
あの時、村を襲ったあの魔族だ。
私の娘、アーニャが牢から連れて行かれる。
アーニャは今まで見た事無いような形相で泣き叫び、私を呼んだ。
私も娘を取られまいと、必死に抵抗したが。
何の力も持たない人間である私が魔族に勝てる道理は無かった。
殴り飛ばされ、気を失い。
気付けばアーニャの居ない牢の中、冷たい石畳の上で私は転がっていた。
更に数日後、私達は牢から出された。
唯一私だけ、別の場所に連れて行かれた。
地下の階段を上り。薄暗い中、豪華絢爛の文字が相応しい通路を歩いていく。
巨大な木製の扉が開け放たれる。強烈な陽光が視界を覆う。
一週間以上も薄闇の中に幽閉されていた為、その眩い日差しは私の目に毒になっていた。
太陽光に慣れてきて、外を見渡す。
そこは城の中庭を望むテラスであった。
眼下に望む中庭には巨大な魔法陣が描かれており、
その魔法陣の上に規則正しく連れて来られた人々が並べられている。
抵抗を許さない脅しと言わんばかりに無数の魔物達が周囲を取り囲んでおり、
その魔法陣の中央に居たのは、アーニャであった。
間違い無い。人々が豆粒のように小さく見える距離であろうと、我が娘を見間違う筈が無い。
凄く嫌な予感がする。
この魔族達がやろうとしている事、絶対に許してはいけない。
だけど、それを止める力を私は持っていなかった。
この世界に、救世主も神も存在しないのか。
何故私達がこのような理不尽な仕打ちを受けるのか。
中庭に描かれた魔法陣に、紫色のおぞましい光が灯る。
ろくに魔術の知識が無い私でも、何らかの魔術が発動したという事だけは目に見えて分かった。
「美しい光じゃあないですか。あれが人の命の光ですよ」
三度、その男は私の前に現れた。
私の村を襲い、牢に入れられた私とアーニャを引き離したその原因。
「貴方の娘は、邪神の器となるのですよ。どうです?光栄でしょう?」
その顔に下卑た笑みを浮かべ、紫光を放つ魔法陣を見る。
魔法陣の上に居た人々が苦しみ、断末魔を上げ、その場に倒れ臥していく。
「邪神だって……!?」
「えぇそうです。貴方の娘の魂は、邪神への貢物として喰われるのです」
「ふざけるなああぁぁぁ!!!」
怒りに任せ男に殴り掛かろうとするが、数歩進んだ時点で脇に居た衛兵に取り押さえられ、地面に叩き付けられる。
「あの小娘も抵抗してましたが、抵抗すれば父親を殺すぞと言ったら随分と従順になりましたよ。いやぁー家族愛って素晴らしいですねぇ……人間の分際で」
これ以上無い程に白々しい台詞を吐きながら、ほくそ笑む男。
「……どうやら無事、儀式は終了したようですね」
男の視線が中庭に向き、それに釣られて私も中庭に視線を向ける。
押さえ付けられていても首は動く。
中庭に満ちていた邪な紫光は止み、魔法陣の上は無数に倒れた人々の山が築かれていた。
あの男は命の光と言った、という事は……
(あの上に居た人達の命は……)
死んだ。
間違いないだろう、あの人々の山は、正に死屍累々。
この魔族達は、何か巨大な魔法の発動の為に大量の人間を拉致したのだ。
――そして、その命を奪った。
俺達を虫けら同然に殺し、魔法の燃料としてまるで薪のように扱ったのだ。
「こんな特等席で邪神降臨を望めた。貴方は実に幸運ですよ」
乾いた足音と共に男が私に近付く。
無理に頭を上げると、男は手にした長刀を振り上げていた。
「あの世で土産話にすると良いですよ。ハッハッハ!」
馬鹿にするような高笑いを上げる男。
こいつ等のせいで、沢山の人々が……それだけじゃない。
「あの娘には従えば父親だけは助けてやると言っておきましたが……」
私の娘が、こんな奴等の為に……!!
「私が人間風情の約束を守る訳ながっふあああああああぁぁぁ!!?」
「――!? ごふぇっ!?」
「ぺふっ!?」
私の娘が、こんな奴等の……
「な、何故……いや何でくっ早おべっ!」
私の……娘が……
何時の間にか目の前に立っていた。
男と衛兵が、情け無い声と共に宙を舞い、
そのまま地べたに、壁に、叩き付けられる。
男や衛兵を瞬き一瞬の間で打ち倒し、
悠然とその場に、アーニャはたたずんでいた。