18.魔王
我が名はサミュエル。魔族と魔物を統べる魔王である。
第54代魔王に就任し、『炎獄の支配者』の名を戴いた。
先代魔王が勇者の手によって討たれ、空席となったその座に私が付いて早数十年になる。
未だ先代魔王の立っていた高みに到達出来ていないが、彼の遺志を継ぐべく日夜奮闘を重ねている。
……のだが。
以前行った邪神を降臨させる魔術を行使して以降、魔王として行うべき仕事の数々が滞りがちになっている。
それもこれも全部あの邪神のせいだ、私には果たさねばならない責務があるというのに。
一度あの邪神が我等に牙を剥き、気が済むまで暴れる都度私の魔力がごっそりと奪われていく。
邪神には私を殺す気は無いようだが、毎度毎度痛め付けられる度に回復に魔力を割かれていては人間の住まう地への侵攻に支障が出る。
どうしたものか。
思慮に耽りながらも机上の羊皮紙に走らせるペン先を止めない。
今手にしている業務報告書に最後の一筆を入れ、一息付く。
意図せず漏れる溜息と共に背もたれがギシリと軋む。
「お疲れのようですね、魔王様」
「あの邪神との応対であらかた魔力を使い尽くしてしまえばな、流石に疲れもする」
私に忠誠を誓ってくれた副官にして四天王の一人、クレイスが私に労いの言葉を送ってくれる。
褐色の肌の上からでも分かる程に黒ずんだ目のクマが、クレイスに圧し掛かっている現状の苦労を物語っている。
「そういうお前こそ少しは休んだらどうだ? 私の業務を代行して貰うのはとても有りがたいのだが、それでお前に倒れられてはもっと困る」
「いえ、元はと言えばあの邪神による魔王様への気苦労の原因は私にあります。私があのような提案をしていなければこの惨状を招く事も無かったのです」
「その提案を許可したのは私だ。私が計画にミスが無いか気を配っていれば良かったのだ、部下の不始末は上司である私の責任だろう」
「私が倒れたなら代わりを見繕えば良いだけですが、魔王様が倒れれば代わりはいないのです。どちらの身体が大事かは一目瞭然です」
「お前程の手練の代わりなど、まず居ないだろう。お前に倒れられては私の計画に大きな支障が出る、失う訳には行かないのだ」
クレイスは静止を掛けないと我が身を振り返らず猛進していってしまう点が見受けられる。
冷静に現状を分析してはいるが、この自分がどうなろうと構わないという考え方だけは治して欲しい物だが。
無理にでも休ませたいが、自分の現状を鑑みるとそう強くも言えないのが辛い所だ。
「事務業務を任せられる信頼できる部下がもう少し居てくれれば楽になるのだが」
「魔王様が魔王の座に着いてからそれなりに経ちましたが、未だに魔王の座を狙う不届き者は多いです。信頼出来る少数精鋭で魔王軍の中心を組み上げたのですが、今回はそれが仇となってしまいましたね」
少数精鋭とは無駄が無いという事だ。無駄が無いという事は有事の際に欠員が出ると致命的な影響が出るという事でもある。
私やクレイスはあの邪神に襲われても本気を出していないせいか精々一週間も寝込めば大体の傷は完治する。
しかし他の部下はそうもいかない、これは私やクレイスが強いからであって他者にそれを求めるのは理不尽というものである。
事実、最初に邪神がこの城で大暴れしてくれた際に被害を受けた親衛隊の内、やっと半数程度が復帰したばかりだ。
残りの半数は未だに治療中である。
「我等がこんなに苦労しているのに、あの二人は暢気に邪神と戯れおってからに……ッ!」
「カーミラさんはこういう地味な業務は決してやろうとしませんからね。ドラグノフさんは……彼女に事務仕事なんてさせたら余計な仕事が増えるだけですから」
最上階に近いこの執務室は城の敷地内だけではなく城下町まで見下ろせる場所に位置している。
眼下には中庭が広がり、その中庭と城を規則正しく切り揃えられた、石を積み上げた壁が外敵を阻むように周囲を覆っている。
その外壁を抜けた先は城下町となっており、魔王の名の庇護の元平穏な生活を魔族達は送っている。
中庭では邪神を宿した小娘とカーミラが、どうやら走り込みをしているらしい人間の男に向けて劇を飛ばしており、
その横では黙々とドラグノフが槍を振り回している。
姿が点になりそうな程に距離が離れているというのに、勢い良く空を裂く槍捌きから放たれる風切り音がここまで届いてくる。
黙ってても騒々しいのかと心の内で愚痴をこぼしていると、振り回した槍の切っ先が庭の大木の幹を横断し、両断する。
木が張り巡らせた枝の数々が悲鳴を上げつつ、成す術無く大木は地面に伏した。また余計な仕事を増やしおってからに!
ただでさえ今は邪神の小娘が暴れ回って被害甚大なのにお前まで破壊活動に貢献するんじゃない!
というかお前は何時までこの城に居る気だ、人間の住む土地への侵略と防衛の任はどうした!
「あぁ……また経費に追記しないと、あの書類は何処に置いたのでしょうか……」
よろめきながらもうず高く積み上げられた書類の山に突撃していくクレイス。
止めてやりたいが、気力と体力が持たない私を許してくれ。
崩れる書類の雪崩に押し潰されるクレイスを見届けた私は、今見た事実を無かった事にしつつ机に再び目を落とすのであった。
あぁ疲れた




