16.講義
「カーミラさん、すみません。もう勘弁して下さい」
「もう? だらしないわねぇ、もうちょっと持つと思ったのに、随分早いのね」
「いえ、カーミラさんが凄すぎるだけですよ」
「ねぇ、折角だからもうちょっとだけ頑張ってみない?」
「いえいえ無理ですって、やればやるだけ自分の無能が浮き彫りになって辛いから勘弁して下さい!」
魔王軍直属の四天王、カーミラから魔法のご指導を直接賜るようになってから一週間が過ぎた。
始めの二、三日は農民だった私でも理解出来るような、根本的な魔法の知識の勉強だった。
魔力とはどういう物か、魔法で出来る事出来ない事、魔法を発動させる為の基礎知識。
若干頭に疑問符を浮かべながらも、何とか飲み込んでいた。
しかし、五日目辺りで実際に魔術の発動の為の実習を行い始めてからもう訳が分からなくなった。
魔法陣を何度書いても失敗するし、体内の魔力を操作すると言われても何をどうすれば良いかまるで分からない。
カーミラが丁寧に教えてくれている事は理解しているが、教え方が上手かろうと出来ない物は出来ないのだ。
「貴方はもっと根性がある人だと思ったんだけどなぁ」
「カーミラさんの基準で考えられてもただの凡人の私には当て嵌まりませんよ」
こんな所でも痛感する、私との差。
見てくれはどう見ても人なのだが、魔王に仕える四天王の器を見せ付けられた気がする。
頭の出来からして凡人と違うのだ。なにせ相手は人類最大の敵、魔王直属の四天王なのだ。馬鹿では勤まるまい。
そんな事を考えていた矢先、背後から木が軋む乾いた音が耳に届く。
後ろを振り向くと、そこには目を爛々と輝かせながら下卑た笑みを浮かべたアーニャが立っていた。
あの表情からしてアーニャではなくアーニャに宿った邪神の方か。
何故か両手にキュウリとアワビを持っている。
「なんや。コソコソ隠れてちちくりあっとるんか思うたらお勉強会かい。急いで持って来て損したわ」
アーニャに宿った邪神が吐き捨てるように呟き、両手に持っていた農作物と海産物を自らの口に放り込み、飲み込んだ。
あの、今噛まないで飲み込んだよね?大丈夫なんだよね?
そんな心配を他所に、アーニャは私達が作業をしている机に手を掛ける。
どうやら机の上に重ねられている書物を見ようとしているのだろうが、背丈が足りないせいか目線も手も届かない。
本に手を必死に伸ばして頑張っている姿はまるで子供そのものだ。いや、私の子だから子供そのものなんだが。
一人問答している最中、手が届かないと観念したアーニャは机の上に飛び乗る。
机の上に、しかも土足で上がるなんて行儀が悪いと注意したくなるが今のアーニャは邪神スイッチが入っているアーニャなので言わない事にする。
「ふむ。何を読んでいるのかと思いきや初歩的な学術書ですか。懐かしいですね、この魔術書なんて子供の頃に良く読んでいましたよ」
「邪神に子供時代なんてあったんだ……って、え? その本を子供の頃に? え?」
アーニャが手にした本を目にしたカーミラは、その本を二度見した上で信じられない物を見たような表情を浮かべる。
その本が一体どういう書籍なのかは分からないが、とりあえず難しい文字の羅列が並んでいる事だけは私にも理解できた。
うん、私が読んだら3分で寝る自信がある。
「これを読破したのは大体8歳の頃でしょうか。当時は魔道具の研究に熱が入っていたせいで読み終えるのに時間が掛かってしまいましたが」
昔を思い出すような、遠い目を浮かべるアーニャ。
邪神の感覚で8歳と言われてもまるでピンと来ません。
「それにしても貴方が急に魔法の勉強を始めるとは、何か心境の変化でもあったのですか?」
「お前がそれを言うのか」
「暇潰しらしいわよ。私もクレイスも分からないような術式、この人に分かるなんて思ってないし」
「中々スッパリ言ってくれますね」
「じゃ、何十年掛けても良いからこの娘に掛かってる魔術の解除方法見付けられる?」
無理です。
わざわざ言わなくてもカーミラは私の答えを理解しているのだろう、意地悪な笑みを噛み殺した表情でこちらに目線を送ってくる。
それにしても私の娘に寄生されてる邪神に言われると腹が立つな、その心境の変化の原因はお前にもあるのに。
もっとも、邪神はクレイスによって行われた魔術によって呼び出されただけなのだから一番この恨みを向けるべき相手はクレイスなのだが。
「まー、焦った所で何とかなる訳じゃないし。のんびりやれば良いんじゃない? あ、でも私の基準で考えたら寿命で死んじゃうか」
自分で自分にツッコミを入れるカーミラ。
何百年生きてるのか分からない貴女の基準で考えられたら駄目でしょうね確かに。
心境の変化、か。
自分でこのアーニャの状態を治すなどと思い上がってはいないが、誰かが何とかしてくれるという受け身な態勢もそれで良いのかとは思っていた。
何の力も無い、ただの人である私にも僅かながら何か出来る事があるのではないか。
私は守らなければならない。
私の愛した妻の忘れ形見を、そして何より父親として自分の娘を。
「……ここに不本意ながらも連れて来られて、ここで暮らして。力の無さを痛感しましてね」
力が無いからアーニャを守る事が出来なかった、私に力があれば伝説の勇者のように魔王と対峙し――などとは言わないが、魔王から逃げる位は出来たかもしれない。
「私も少し位は、力を付けた方が良いのかと思いまして。娘を守る為にも……」
少なからず心の内に湧き出した感情を吐露する。
娘を守ると考えていても、結局力が無ければアーニャを守る事は出来ない。
むしろ私自身が娘に守られている有様だ。中身は違うが、少なくとも外面的には。
「って言ってもねぇ。独学って訳には行かないでしょ? 流石に魔王やクレイスがアンタとアーニャを城から出す事なんて許してくれないだろうし、流石に私も許す訳にも行かないわよ。魔王に糾弾されちゃうからね」
それに私が教えられるのは魔術関連だけよ、武術方面は無理。と付け加えるようにカーミラは言う。
カーミラから魔法に関する事を教えて貰った結果、私に魔法は無理だと判断した。
そもそも田舎の農家育ちの私にこんな高度な座学を受けようなどという事が土台無理な話なのだ。
生まれ育った時点でのスタート地点が遠すぎる。
「ふむ」
そんな事を考えている最中、アーニャに宿った邪神が息を漏らすように呟きながら私の身体を触ってくる。
足や腹、手が届かないのか机の上にあがり腕と全体的に触ってくる。
「ガタイは良いな。まだ残っているか? しかしあれから一体何年経ったか……」
急に明後日の方向に視線を飛ばしながら独り言を呟きはじめるアーニャ。
今度は一体何を企んでいるのか、邪神の考えはまるで理解出来ない。
「……おい、お前。名は何と言う」
「え? アルフと言いますが?」
「アルフか。お前の娘を守りたいというその言葉に偽りは無いな?」
「当然です。父が娘を守りたいと考えるのは当然でしょう」
邪神の問いに私は強く断言する。
しかし何で邪神は私の名を聞いてくるんだ?
既に私の名なんて知っているだろうに。
「私はお前の力になれるかも知れない。おいそこの女、ここは何処だ? 詳しい現状を教えろ」
「何処って、ここはカーンシュタイン城よ。元が付くけどね」
「カーンシュタイン城跡か、まだ残っていたとはな。しかしそれなら近くて好都合か」
とうとう自分が何処に居るかまで分からなくなったのか邪神は?
邪神にもボケが存在するのだろうか?
「レオパルドに行くぞ。あの後どうなったかは知らないが、まさか全部が全部無くなった訳はあるまい。おい女、お前も一緒に来い」
有無を言わさず私の腕を引っ張り歩き出すアーニャin邪神。
体勢を崩さないよう慌てて立ち上がり、つっかえながらも歩き出す。
「女って、私にはカーミラって名前が……いややっぱり何でもないです」
文句を言おうとしたが、邪神の影に怯えて意見を引っ込めたカーミラも観念してアーニャに付き従う。
邪神が何を考えているか分からないが、兎も角。古レオパルド城に向かう事になった。




