15.魔法
竜将ドラグノフとアーニャの戦いから数週間が過ぎた。
季節は完全に夏真っ盛りとなり、じっとしているだけでも額から汗がにじみ出る酷暑である。
私は夏の日差しから逃れるべく薄暗い魔王城の一室へと引きこもっている。
暑さに負け完全に気温と同じ温度となってしまったアイスティーを口に含み、身体から滴り失われてしまった水分を補給する。
最近は朝起きて、アーニャと共に食事を取り、この部屋に日没まで引きこもり、夕食を取った後就寝に付く生活リズムが形成されている。
(……この生活は、不味いよな……)
これは俗に言う、『穀潰し』の生活だ。
何もしない……正確には魔王達に囲われている結果何も出来ないが正しいのかもしれないが。
この生活はいけない、日々精神が解けるような感覚を覚える。
このままでは根が腐って自分が自分で無くなるような気がする。
(何かしないと……でも何をすれば良いんだ?)
私が日々やっていた事といえば、農作業だ。
田畑を耕し、苗を植え、雑草を抜き、収穫する。
そんな農民からすれば当たり前のような、普通の生活だ。
だが魔王城に畑なんて物は存在しない。
結果、娘と一緒に遊ぶ生活に傾倒してしまっている。
(勝手に何かするのは不味いよな)
仮にもここは魔王城なのだ。
そんな所でただの一般人である私が城内だけとはいえ、自由に動き回れる現状は奇跡的と思った方が良いだろう。
アーニャに宿った邪神の力の影に魔王達が怯えている結果、今の現状を維持しているのだが……
その現状にあぐらをかいて、私が調子付けば魔王達も考えを変えるかもしれない。
何度も自分に言い聞かせるが、私は何の戦う力も、知識も持たない一般人なのだ。
邪神の力によってアーニャ自身は何かあっても無事で済むかもしれないが、私はそうはいかないだろう。
運動するなり、蔵書庫のような場所で本を読むなり……何かするなら、この城の誰かに許可を取った方が良いだろう。
でも、誰に?
魔王であるサミュエルにか? 冗談じゃない。
大分魔王の気迫に慣れたとはいえ、あの威圧感はやはり一般人の私には荷が重過ぎる。
クレイスは? もっと有り得ない。
あのクレイスというダークエルフは、どういう訳かは知らぬが異常な程人間を毛嫌いしている。
積極的に人間を殺そうとしない分、魔王の方がまだマシに思える程だ。
「……で。何で私の所に来るのかしら?」
「いや、その……話しやすい相手を考えた結果……」
私の前には、机の上で頬杖を付きながら読書に耽るカーミラが居る。
「別に私以外にも居るじゃない。何かこの間から城に居付き始めたドラグノフとか」
「彼女も考えたのですが……その、言い方が悪いかもしれませんが、彼女は相談する相手として不適切な気がして……」
「……脳筋だから?」
「えっと……その、ぶっちゃけてしまうと……」
彼女、ドラグノフの言動を見ていると彼女は頭が良くないのではないのかと思ってしまう。
いや、もしかしたらそうでは無いのかもしれないが、それでもあの好戦的な性格はちょっと。何かの拍子に彼女の気に触るような事をしたら命の危機である。
彼女も魔族にしては人間に特別敵対感情は持っていないようだが、それでも相談相手としては不適切な点は変わらない。
「このままだと、何だか心が腐って自分で無くなってしまう気がして……」
「あー分かる、分かるわその気持ち」
腕を組み、うんうんと頷くカーミラ。
そこまで大げさに賛同されるとは思わなかった。
「要はアンタ、暇なんでしょ? 分かるわー、暇って身体に毒よね」
いや、アーニャと遊んだりとかアーニャの面倒を見たりとかしてるから暇という訳では……暇って言うのか、やっぱりこれは。
「だったら、折角だし魔法の知識でも身に付けてみれば? 良ければ私が教えるわよ、私も暇だし」
「魔法ですか……?」
「貴方の娘、アーニャを元に戻したいんでしょ? だったら、僅かなりとも魔法の知識を得て置けば何かの時に役立つかもしれないじゃない」
「私みたいな者でも、魔法を使う事が出来るのですか?」
「それは、貴方の頑張り次第ね。修練を積めば魔法の才覚が無い者でも僅かなりとも使えるみたいだし」
「……私に出来るかは分かりませんが、折角ですしお願い出来ますか?」
魔法。
私には縁の無い存在だと思っていたが、私にも使えるのだろうか?
「はい、それじゃあ第二回カーミラちゃん魔法講座開催でーす!」
何処からともなく黒板を取り出し、その黒板にチョークで文字を書き出すカーミラ。
その黒板は何処から出したのだろうか、近くにそんな物は無かったように見えたが。
それに第二回って第一回は何時やったのだろうか?
まぁ面倒だから細かい事は気にしないでおこう。
黒板に手早く文字を書いている最中、ふと何かを思い出したかのようにカーミラの手が止まり、顔をこちらに向ける。
「そういえば、アンタって文字読めるの?」
「えぇ、読めますが」
「そっかそっか、良かった。書き出しておいて読めませんとか言われたら無駄骨になる所だったわー」
私の回答に安堵し、再び黒板に視線を向け、チョークを走らせるカーミラ。
深緑色の黒板に無数の白い文字が書き込まれ、一息付きながらカーミラはその腕を降ろし、再び椅子に腰掛ける。
「ま、最初は基礎の基礎からね。この辺りは魔法に詳しくない一般人でも聞いたような事あるのもあるんじゃないかしら?」
カーミラが書き記した黒板の内容に目を落とす。
・魔法とは、魔力を現象・物質へと変換する行為である。
・魔力とは、大気中を漂う粒子の一つである。
・人の命とも言える魂は、魔力と非常に良く似た性質を有している。
・魔力は世界中を循環しており、この世界の何処かにあると言われている世界樹『イグドラシル』へと返り、またそこから世界へ再び流れていく。
「……とまぁ、これがこの世界で言われている魔法っていう力の大雑把な概要ね」
「世界樹、ですか……御伽噺で何度か耳にしていますね。何でも世界中の魔力をこの一本の木が支え、また全ての命もこの木によって生み出されると」
「そうそう。人々の間で伝承されてるそのお話は伝説でも何でもない、ただそのままの事実を語ってるに過ぎないわ」
「イグドラシル、ですか……一体どのような木なんでしょうか。魔法というものは未だに良く分かりませんが、世界中の魔力を全て支えるなんて途方も無いような話に思えるのですが」
「木そのものは誰も見た事は無いって話だからね。魔王も、勇者も。そしてこの世界に存在したっていう過去の英雄でさえも……だから正直な話、木である保障も無いのよね」
「では何故、世界樹なんていう名前になったのですか?」
「そんなの私に聞かれても知らないわよ。提唱者か誰かが勝手に木だって決めたのか、それとも実は見た者が居たのか……まぁ、そこまでは私も知らないけど。さて、ここまでで他に質問あるかしら?」
他に、と言われれば。一つだけ気になる箇所がある。
「そこの魂は魔力と良く似た、という記述は……」
「これね。魔法ってのは魔力を消費して発動する物だけど、状況によっては周囲に魔力が少なかったり存在しない時もあるわ。そんな時に気付いたんでしょうね、人の魂が魔力の代用になるって事に」
人の魂を用いて魔法を発動する。
忘れはしない、その光景を私は以前確かに見た事がある。
アーニャの身体に邪神を宿す際、私の住んでいたフロテア村の皆……それだけではない、他の村落に住んでいたであろう人々の多くが魔法の発動の為の犠牲となった。
忘れられる訳が無い。
「……ま、人の魂が魔力の代用になるなんて事実、知られない方が世の為だった気がするけどね。過去を見ても、ロクな使い方されてないわ」
「……同感です」
「――こんな手段が無ければ、私も……」
何かを思い出したかのように、虚空を見詰めるカーミラ。
黄金色の透き通った瞳に、陰りが見えたような気がした。
「おっといけない……諦めが肝心、だったかしら?後ろばかり見てても仕方ないものね」
思い浮かべていた物を振り払うように頭を振る仕草を見せ、講釈を続けるカーミラ。
「貴方にも良い思い出が無いと思うけど、この人の魂を魔力として運用する方法は外道な点に目をつぶれば最も高効率な魔力運用方法なのよ。一般的に高位の魔法使いと呼ばれる人が一日掛けて収集出来る魔力が1とすると、一人の命を犠牲にして捻出出来る魔力は千から万にも及ぶわ」
「それ程……と、思うべきなのか……人一人が死んでいるのも関わらず、たったそれだけしかなのか……」
あの時集められた人の数は、確実に百人を超える大所帯だった。
その内私とアーニャを除く全ての人が、魔王達の言う大邪神降臨の為の術によって亡くなった。
一体、あの魔法の発動にどれだけ途方も無い魔力が用いられたか、少し分かった気がする。
……分かった所で、失われた人は戻ってこないが。
「因みに、自らの命を削って魔力を捻出なんて芸当も出来たりするわよ。ただ文字通り『命削り』だからやるヤツなんて命知らずの馬鹿位だけどね」
「で、しょうね。自分の命を削って魔法を発動する場面なんて、私には想像も付かないですよ」
「想像付かなくて良いと思うわよ、一生使わない方が良いに決まってるし」
長年生きているカーミラから放たれたその言葉には、妙に重い説得力が篭っている気がした。
結局、今日一日はカーミラからちょっとした魔法の講義を受けた事で終わりを告げた。
一方、アーニャはドラグノフと一緒に一日中模擬戦をしていたらしい。
空中戦とか変な単語が聞こえたりしたが、もう気にしない事にしている私はアーニャの報告を笑顔でスルーした。
予約投稿実験。
読んでる人が居ようが居まいが最後まで書き続けよう、継続は力なり。




