129.全てを知る者
ただ見ている事しか、出来なかった。
ルードヴィッツが放った、青と赤の剣閃。
その一撃は余波という余剰エネルギーだというにも関わらず、山々を抉り貫き、木々を一瞬で破砕し焼き尽くし。
ナイアル諸共、その直線状にある何もかもを吹き飛ばした。
形容するならば、世界を断つ剣。
世界の全てが、業火と零度で構築された開闢の時。
それを顕現させたかのような一撃。
終わってみれば、余りにもあっけなかった。
終始ルードヴィッツはナイアルを圧倒し、文字通り一蹴した。
ルードヴィッツの放った魔法剣の魔力が霧散し、再び世界に静かなる闇の帳が戻る。
その静寂を切り裂く、甲高い笑い声。
声の聞こえた先。そこにあったのは、最早自らの身体を再構築する魔力が残っていないのか、左腕以外の四肢は切り落とされ焼け落ち、
残った左腕も完全に凍り付いたナイアルの姿。
生物として当然あるべきの出血は無く、切断された断面からは天へと立ち昇るかのように光の粒子が溢れ出しており、
それがナイアルという男は生き物ではないという事を物語っている。
「く、くくくくく! はあっはははあああああああァァァ!! そうか! そういう事だったのか! 成る程、私が勝てないのも道理だ! だがこれで勝ったと思うなよルードヴィッツ……! 私は滅ばない、何故なら滅ぼすのは私の役」
その言葉は、最後まで言い終える事は無かった。
二対の剣を鞘へと収め、ルードヴィッツはナイアルを見下ろすように、その場へと歩を進め。
聞く耳持たず。
それを体言するかのように、振るわれた大剣の一閃。
その刃が、全身を焼かれ凍らされ、満身創痍となったナイアルの言葉を待たずにその首を刎ねる。
頭部が宙を舞い、地面に転がると同時に砕け散り、光の粒子となって霧散する。
それと時を同じくして、残った身体も一片残らずその姿を消した。
「使い走り如きが、俺に勝てると思うな」
そう吐き捨て、大剣を背負うルードヴィッツ。
踵を返し、その場を後にしようとするルードヴィッツを引き止める声。
「待ちなさい!」
何とか立ち上がるだけの体力は回復出来たのか、怪しい足取りながらも立ち上がり、ルードヴィッツを引きとめるクレイス。
「貴方、この娘にさっき何と言いましたか?」
「さて、何を言ったかな」
「貴方は確かに、こう言いました。『死者に語る口など無い』と」
耳聡く、聞き逃さなかったその言葉。
他愛も無い会話のようにも思えるが、その言葉には非常に重要な要素が含まれていた。
「何故、ここに居るのが死者の魂である事を知っているのですか!?」
アーニャへと施された魔法。
それは、死者の魂をこの世界へと現出させる魔法。
だが、それを知っているのは魔王城にその時居た者のみ。
魔王へと忠誠を誓った近衛兵達から漏洩したというのも考えにくい。
にも関わらず、ルードヴィッツはさも当然と断言する。
「当然だ、『知っている』とも。その術は世界存在、貴様等の言葉で『神』と呼称される者の力を振るう術なのだからな」
ルードヴィッツからすれば、クレイスの質問には答える義理は無い。
ただの、ほんの気まぐれであった。
ルードヴィッツからすれば取るに足らない戯れ、されど世界を揺るがし得る重大な情報がその口から飛び出した。
―――――――――――――――――――――――
「術式名、在りし日の思い出。それがその小娘に刻まれていた術の名だ」
「在りし日の思い出?」
失われてしまった魔法の名、それをさも当然のように断言するルードヴィッツ。
クレイスの疑問を他所に、淡々とその効果にも言及は伸びる。
「思念滞留域へ細いバイパスを通し、その道を通じて魂を呼び寄せる術式。擬似的な死者蘇生とも言えるな。元々存在した者の魂を直接呼び寄せるのだから、当然生前に持っていた記憶や魔力もそのままで現出する。尤も、死に際に幾許かの記憶欠損があるようだから、完全な死者蘇生には程遠いがな。この術式自体には特定の誰かを指定して引き寄せる事は出来ないが、呼び寄せたい者にとって深い縁のある代物を差し出してやれば、それに引き寄せられてやってくる。深い縁のある代物というのは、その者の魂、魔力が染み付いた代物だ。同じ魔力の波長に引き寄せられるのだろうな」
術式の理論を語るルードヴィッツ。
そのどれもが、今までのアーニャの内に宿った者の取る行動、不可解な点、その全てが理論立てて説明されている。
「だが、当然リスクもある。この術式により魂が入れ替わる都度、魂の磨耗が発生する」
「魂の磨耗?」
「肉体同様、魂にも寿命はある。肉体と比べて遥かに長いが、それでも磨耗していけば目に見えて耐久年数が減って行く」
「……一体、どれ位減る訳?」
「そうだな、早ければ――」
カーミラの問いに、ルードヴィッツは人差し指一本で「1」を示す。
それを見て、カーミラは視線を落とし、静かに溜息を付く。
これだけ強大な力を振るう術、そんな代物が、何のリスクを背負わず使えるとは当然カーミラは考えてはいない。
強力な力には何時も無視出来ないリスクが付き纏うものだ。
それが今回は、アーニャの寿命だったというだけだ。
「100年だ」
「100年――!?」
「……へ?」
アーニャとカーミラ以外の全員が息を呑み、絶句する。
当事者であるアーニャは何を話しているのか理解出来ないのか、小首を傾げている。
そして、余りにもあんまりな回答を受け、呆けたように口を開くカーミラ。
「ちょ、ちょっと待って。100年? 1年の間違いじゃないのよね?」
「言った筈だが? 肉体と比べ、魂はこと寿命という面では遥かに長い。この世界で長命なエルフやドラゴンでさえ、魂の寿命が来る前に肉体の限界が来るのだからな。人も魔族も魂は同質だ、多少の個人差はあれど、大人しくしている分にはそう易々と魂は磨耗などせんよ」
「……ん? 100年? え?」
カーミラの問い質しに淡々と答えるルードヴィッツ。
絶句していたクレイスだが、そんなカーミラの様子を見てようやく現状を認識し、その上で疑問符を浮かべる。
「100年って……そもそも、人間ってそんなに生きられないですよね!?」
「大半はな。この術式が封印され忘却されているのは、単に魔族達のみに脅威になるからだろう。人間からすれば、大半の人間にとってはノーリスクで過去存在した偉人英雄の類を呼び出せる訳だからな」
「……魔王様、戻ったらあの書物、焼き捨てましょう」
「そうだな」
ルードヴィッツの説明を受け、即断するクレイス。
それを受け、魔王も即断する。
「……嘘じゃないのよね?」
「嘘を付く理由があるのか?」
「……それもそうね」
しばし思いふけった後、その回答に至るカーミラ。
これだけの力を持ち、失われたはずの術式をいとも容易く解説してみせるルードヴィッツという男。
この男が本気になれば、魔王や勇者ですら敵いはしない。それは先程までの戦いから既に明らかである。
その気になれば世界に覇すら轟かせる事が出来るであろう者が、わざわざ嘘を付く必要性が思い付かない。
「そこまで教えてくれたついでに聞くけど……この魔法を受ける前に戻す事って可能なのかしら?」
「そんな方法、あると思うのか?」
あわよくば、とばかりに淡い希望を抱いて投げ掛けたカーミラの質問は、バッサリと切り捨てられた。
「この小娘は、魂に術式を刻まれた。いわば刺青と同じだ、それを消すならば、皮膚を剥ぐ以外に術は無い。無論、そんな事をすれば命は無いがな」
「……そうですか。無いのですね」
アーニャを見下ろしながら、諦念の滲む声を漏らすクレイス。
アーニャを見てはいるが、その視線はアーニャというより、自らの過去の愚行を見詰めているようにも見える。
「――尤も、その効力は既に消失しているようだがな」
またしてもあっさりと、一行にとって重大な爆弾を投下する。
少々眠くなってきたのか、目元を擦るアーニャを見下ろしながら断言するルードヴィッツ。
「消失って……え? だってアンタ、さっき元に戻すのは不可能だって――」
「殺すのであらば俺でも出来るが、その術式を『抹消』するのは俺では無理だ」
「……つまり、どういう事だ?」
ルードヴィッツが何を言っているのか理解が追い付かず、
どうしてそんな事になったのかを問い掛ける魔王。
その問いに再び淡々と答える。
「『抹消』の魔消波の効力だ。あれは、周囲に存在する魔法効力を無差別で全て打ち消す力がある。効力が多少薄まっていた所で、元々は根源術の代物。禁呪程度までなら容易く掻き消す。俺の使っていた『時』の力を掻き消し、その手にしたティルフィングの効力も、その小娘に刻まれていた術式も、ナイアルの仕業で全部纏めて消え失せたという訳だ」
魔王は、手にした剣に視線を落とす。
何時の間にか黄金色の輝きは剥がれ落ち、元の黒ずんだ剣へと回帰している。
言われてみれば、この剣の輝きが消え失せたのもナイアルの放った術を受けた直後だったような気もしなくはない。
あのナイアルという者は、確かにあらゆる魔法攻撃を苦も無く容易く無力化していた。
このアーニャへと施した術を消したと言われれば、確かにそれが可能であろう力を持っていたようにも思える。
ルードヴィッツの説明を受け、納得する一同の中。
ただ一人だけ違う反応を見せる者がいた。
目を見開き、半ば動揺が混じった動きで、自らの身体を隅々まで確認し始める。
そんなカーミラの様子を見て、何を考えているかを察して先回りして釘を刺すルードヴィッツ。
「生憎だが、貴様自身は特に魔法効力を受けている訳ではないから『抹消』の魔消波の対象範囲外だ」
ルードヴィッツの言葉を受け、動きを止めるカーミラ。
「……そう。残念ね、ようやくこの因果な身体とオサラバ出来ると思ったんだけどね」
溜息を一つ付くカーミラ。
決して死なぬ身体を持つカーミラ。
この世でいわゆる不死と呼ばれる者が存在するが、彼等とてその本質は決して不死身ではない。
頭や心臓を潰されれば死ぬ、多少他より頑強な身体を持つ者にしか過ぎない。
以前アレクサンドラに首を落とされても平然としていたカーミラは、不死すら超えた何者かである。
「輪廻を外れた者よ、今のお前は死ぬ事は出来ない。だが、この剣ならば貴様を『抹消』する事は出来るぞ、どうする? 引導が欲しいか?」
ルードヴィッツは、背負った大剣の柄へと自らの腕を伸ばす。
終わらぬ生。
それを背負わされたカーミラからすれば、それは救いの手なのか。
しばしの逡巡の後、決断する。
「――やめて置くわ。死なないからって、自殺する気は無いもの」
「そうか」
その回答を受け、伸ばした手を下ろすルードヴィッツ。
カーミラの回答が彼の何かの琴線に触れたか、ほんの僅かに口元が緩んだ。
「ヒント位はくれてやる。『命』を司る存在を見付け、改竄された情報をあるべき状態へと戻せ。尤も、場所自体は俺も知らんがな」
「『命』を司る存在……?」
「長話が過ぎたな。精々足掻け、小娘」
頭上へと上った月を眺め、時間の流れを読んだルードヴィッツは、
カーミラへと捨て台詞を残し、その場を一跳躍で後にする。
月夜を背景に空へと溶け、ルードヴィッツのその黒い姿は、完全に闇夜へと消えていった。
「小娘、ね。私を小娘呼ばわりするなら、アンタは一体いくつだってのよ」
カーミラの皮肉は、ルードヴィッツに届く事は無かった。
激戦は終幕を迎え、この地に新たな爪痕を残した。
振り回されるだけだった一同の戦いは、
乱入者ルードヴィッツの活躍により、本当の意味で終わりを迎えるのであった。
こうして、戦いは終わった。
クレイスの過去の因縁への引導も、
アーニャへと施された術の解決も。
終わってみれば彼等は常に傍観者であった。




