129.神の代行者 ナイアル
不可解だ。
何故、この男は私の名を知っている?
ヒュレルとはこの世界に置ける自らの役割を遂行する為の偽名であり、それは本名ではない。
その名は、人前で一度足りとも名乗った事は無い。
だから、知る者など我が主以外に存在する訳が無いのだ。
ここまで考え至り、ふと何かが引っ掛かる。
――待て、何か重大な事を見落としている気がする。
だが、それが何なのかを特定出来ない。
やれやれ、いくら『抹消』の使途を名乗っているとはいえ、
自分の記憶を抹消するなんて馬鹿はやってないんですがねぇ。
「……貴様、何故私の真名を知っている?」
しかし、このルードヴィッツという男。
昔と比べて随分饒舌になってますね。
この長い年月の間で人とやらに影響されたんですかね?
だとしたら、滑稽な話ですが。
「何故『知っている』かだと? 重要なのは貴様の名などではない。ナイアル、貴様の力をこれだけ防いでいるにも関わらず、一切損耗しないこの剣だ。見覚えが無いか?」
「剣だと……?」
未だ私へと切っ先が向けられているその剣を注視する。
決して防げぬはずの、先程の一撃を阻止したその剣。
別段、目立った宝飾の類や見惚れるような刃紋、名匠の業物といった付加価値を一切感じさせない、
悪く言えばただの数打ちの剣。
そんな剣を――
「まさか、その剣は――!?」
そんな剣を、使っていた男。
思い出した!
遥か昔、幾度となく刃を交え。
果てに一度は我が主たる破壊神を退けた。
初代勇者、レインが振るった愛剣。
「おのれェ! おのれおのれおのれエエエェェ!! 死して尚私の、私達の邪魔をするか! レイン!!」
「この剣ならば、貴様の防壁を斬るのに都合が良い! 早々に消えろ!」
この私と対等に戦っている以上、この男は間違いなく人間ではない。
だが未だ、この男の正体が掴めない。
しかし、直感が言っている。
この男は、ここで討たねばならない。
魔力残量がどうとか、そんな事を言っている場合ではない。
全力で、『抹消』する!
「来い、虚無の衣! 抹消装甲!」
両拳を打ち鳴らし、全身に『抹消』の力を展開する。
消耗が激しいのが難点だが、自身へと及ぶありとあらゆる魔法効力を消し飛ばし、
純粋な物理攻撃に対する抵抗力も上げる根源術が一つ。
神にのみ許された、究極の防壁。
「――ほう。先程よりかは余程歯ごたえがありそうだな」
そんな私の術を目の当たりにしておきながら、未だ余裕を崩さぬルードヴィッツ。
手にした大剣を降ろし、大地へと突き立てる。
「おやおや、私を傷付け得る唯一の武器を下ろすとはどういう了見ですか?」
「……今の貴様に易々と当たるとは思えんからな」
大剣から手を離すルードヴィッツ。
その柄から手が離れた瞬間、ルードヴィッツから抑え切れぬ魔力が間欠泉の如く噴出す!
奔流とでも言うべきその代物は、その余剰魔力だけで周囲に烈風を巻き起こす程である。
……成る程、大体理解出来ました。
良いでしょう、私の勘違いは認めてやりましょうか。
この男、以前より弱くなる所か強くなってますね。
その初代勇者の剣は、私が使う物と最低でも同レベル以上の『抹消』の力がどういう原理か分からないがその刀身に宿り、
持ち主であるルードヴィッツの魔力すらキャンセルし続けていた。
だから、一見魔力が乏しく弱々しく見えた。
だが、それは良く考えればおかしい事なのだ。
この『抹消』の力を受けたならば、魔法も魔力も全てキャンセルされなければいけないのだ。
にも関わらず、この男はこの剣を所持したまま魔法を行使している。そこから導き出される答え。
もしこれが正解ならば、呆れ果てた魔力量だ。開いた口が塞がらない。
この男、キャンセルが追い付かない魔力量で強引に初代勇者の剣を振り回していたな――!
「限定身体加速! コキュートス! プロメテウス!」
ルードヴィッツが、自らへの強化目的で『時』の根源術を使用。
両腰に携えた氷の剣と炎の剣を鞘から引き抜き、その真名を解放する。
その刀身に冷気だけで身を裂く程の零度と、陽炎すら起こす熱気を宿す。
全く、そんな易々と根源術を使用するなんて贅沢な話ですよ。
それ程にも魔力が余っているなら、こっちに分けて欲しいですね!
「限定時感加速! 反逆の雨矢!」
あっちが『時』の根源術を使用するなら、こちらも使って同じ土俵に立つまで!
引き伸ばされる時間間隔の中、再び『抹消』の力を乗せた矢の魔法を解き放つ。
ルードヴィッツ、貴様だけが時間加速状態ならば避けるも容易いだろう!
だが土俵は同じ! 回避不能の速度、密度の弾幕、これをどう捌く!
「――驟雨乱月斬!」
その声と共に、青と赤の彩りを見せる、三日月の如き軌跡がルードヴィッツの目の前に描かれる。
自らを傷付ける弾道の雨矢のみに狙いを絞り、一振り、また一振り、その一閃一閃が『抹消』の力を乗せた矢を切り伏せ叩き落す。
軌跡と軌跡が交じり合い、その色が紫へと変貌する程の瞬速の閃き。
ただの一撃で魔王や勇者を壊滅させたその一撃を、ルードヴィッツは見事捌き切る。
「ええそうでしょう、そうでしょうねえ! 限定絶命射撃!!」
反逆の雨矢への対処の為、その両手に携えた剣を振り抜いたルードヴィッツ。
だがそれだけ大きく立ち回れば隙の一つや二つ出来るでしょう。
さぁ、その状態で間に合いますかねぇ!?
これは『命』の根源術、防御も許さず、射抜いた相手がどれ程の相手であろうと一撃で絶命させる即死矢!
貴様がどれ程の者かは知らぬが、これを喰らってタダでは済むまい!
その矢がルードヴィッツへ届く直前、僅かに見えた光景。
月明かりに照らされたそれは、一見ルードヴィッツから抜け落ちた毛髪の一本のようにも思えた。
だが、それは異様に長く、その先端はある物へと繋がっていた。
「安直だなナイアル」
ルードヴィッツは、風に靡く程に軽く、見落とす程に細いミスリル銀糸を手繰り寄せる!
先端が括りつけられていたのは、初代勇者の剣。
その剣は勢い良くルードヴィッツの元へ飛来。
ルードヴィッツの盾になるように重なり、その刀身に即死矢が接触。『抹消』の力によりその効力を打ち消される!
一瞬、炎の剣を手放し、剣の柄片手で掴み、再び足元へ突き立てる。
炎の剣を構え直し、ルードヴィッツが一瞬で距離を詰め肉薄する!
「反抗の刃!」
「炎舞氷烈華!」
直撃などしてたまるか!
ルードヴィッツの放つ、炎と氷の乱舞系斬撃術を渾身の力をもって迎撃する!
乱舞という一撃一撃が軽くなりがちな攻撃にも関わらず、その全ての攻撃が重く鋭く、私でさえも直撃すれば無事では済まない破壊力と殺意が宿る。
この男は、初代勇者の剣を力技で振り回す暴挙をしてみせた。
それはつまり、視点を変えればこの男は持ち前の呆れ返る魔力量に物を言わせ、
強引に魔法の破壊力を上げる事で私の『抹消』の力を貫通しダメージを届かせる事が可能であろうという事。
無論、届かない可能性もあるが、それを試すにはあの男の攻撃に対して直撃せねばならない。
そんなの、余りにもナンセンス!
「どうやら昔と比べて近接戦も多少は心得るようになったか――だが!」
ルードヴィッツの姿が、視界から消える。
その直後、足元に走る衝撃。
視界が意図せぬ方向へと飛び、一瞬何が起きたのかが分からなくなる。
身を屈めたルードヴィッツに足元を回し蹴りで薙がれ、体勢を崩された。
それに気付いた時には、既にその凶刃が目の前へと迫っていた。
回し蹴りの勢いを利用し、再びルードヴィッツはその銀糸で初代勇者の剣を手元に引き寄せる。
曲芸のように一度氷の剣と炎の剣を宙に放り投げ、大剣を構える。
「足元がお留守だ。小間使い風情がのさばるな、さっさと消えろ」
消えろ?
この私に消えろだと?
「ふざけるな! 消すのは私の役――」
地面を叩き付け抉るかのような一閃。
その一撃で抹消装甲が容易く切り裂かれ、剥ぎ取られる。
そのまま大剣を地面へ突き立て、宙から舞い戻った魔剣がルードヴィッツの両手へと再び収まる。
二対の魔剣から、相反する魔力の暴風が逆巻く。
天すら穿つ、青と赤の魔力の一振り。
その場で身を回転させ、袈裟懸けに放たれる本命の一撃。
「凍牙裂焼断界剣!!」
我が主より与えられた、『抹消』の力。
その力を上回る理不尽な、暴力的な一撃。
業火と絶対零度の狭間にて、私の身は凍て付き砕かれ、裂かれ焼き尽くされる。
現界の為に必要な魔力、その悉くをその一振りで打ち砕かれ。
存在の消滅の間際、この時に至りようやく思い出す。
そうか、そういう事か。
ルードヴィッツ、貴様は――
今年中に終わるんかなぁ?
無理かなー? でも詰め込めば行けるのかなぁ?
わかんねーや




