127.届かぬ想い、無慈悲な現実
日が沈み、太陽と代替わりするように月が昇り始める。
月夜に紛れ、闇に乗じ。
敵に位置を悟らせぬように野山をその健脚で駆け抜けながら、狙撃ポイントを点々と移動するアルフ。
そんな彼が、丁度次弾を薬室に送り込み、照準を再びヒュレル目掛け合わせようとしたその時であった。
突如、戦地の中心に巻き起きる暴風。
常にその中心を軸に一切動く気配を見せない所から、それが自然発生した物でない事はすぐにアルフは理解する。
自然発生した物で無いのならば、魔法によって生み出された代物だろう。
幸い、この嵐の中であってもカーミラとの通信までは妨害されていないようだ。
吹き付ける強風の中、飛んでくる土埃や雨等から目を守るように左手で覆いながらもカーミラと魔力による交信を行うアルフ。
『カーミラさん! 風の影響で撃てません!』
(どういう理屈か分からないけど、アンタのその銃って武器が一番ヒュレルとかいう相手にダメージ与えられるのよ! 無理矢理でも良いから撃てないの?)
『この状況じゃ無理です!』
強烈な横風向かい風だけでも辛いのに、その暴風に巻き上げられ周囲を舞っている土砂すらある。
銃というのはその仕組み、目的を原点まで遡っていけば投石と同じだ。
向かい風を受ければその影響で飛距離が落ちるし、横風が来ればその軌道をずらされる。
放たれた後に何かにぶつかれば横風以上に軌道がズレるし、その影響で跳弾なんてすればもう何処へ飛んで行くか見当も付かない。
外れるだけならばまだしも、最悪フレンドリーファイアなんて事態だって有り得る。
『その風が収まらないと同士討ちの危険だってあるんです! 撃った後の銃弾に関しては私に出来る事なんで無いんですから』
(……分かった。何とかしてみるから、もし行けそうだと思ったら援護お願いね)
交信を終え、アルフはその場に伏せ、静かにその時を待つ。
今、あの暴風雨の中で何が起きているのかは分からないが、出来る事はこの暴風雨が収まるのを待つだけである。
歯痒いが、この状況では距離が離れている現状不用意に撃つ事は出来ない。
決して万能ではないその力を握り締め、冷たくなる空気の中ただただ息を潜めるのであった。
―――――――――――――――――――――――
「これでもう、銃には頼れまい……!」
ヒュレルを中心に吹き荒ぶ、魔力の暴風。
先程から飛んでくる攻撃の正体を完全に銃器による物だと断定したヒュレル。
魔力による轟風、これは本来攻撃目的の術なのだが、銃火器に対する擬似的な防御壁として展開する。
かつてこのレオパルドの地が、魔族ではなく人間達の物であった遥か昔。
機械文明でこの地が栄えていた頃に、ヒュレルはその銃火器という武器の強さを身を持って味わっていた。
その脅威故に、しっかりとその存在を知る者を消し去ったはずなのに、何故今ここに存在するのか。
そんな疑問を浮かべるが、すぐにそんな事はどうでも良いとばかりに考えを振り切る。
――まだあるなら、また消し去れば良い。葬り去れば良い。それだけの力が自分にはあるのだから。
それは何よりも優先すべき事であり、ヒュレルが家畜と吐き捨てる輩を相手に遊ぶ事より重要な事項である。
浮上した問題を片付けるべく、ヒュレルは『お遊び』を止める事にした。
「さて、私には少々用事が出来てしまいました。もう少しゆっくり嬲り殺してあげたかったのですが、それはまたの機会とさせて貰いましょうか」
これだけ強力な術を発動して尚、全く疲弊した様子を見せないヒュレル。
対し、肉体的な疲れこそ無いものの、ここまで来る際にそれなりに魔力を消耗している一行。
数多の攻撃魔法を風に乗せ、無差別に周囲を攻撃し続けるこの中では防御行動に余力を割かれ、中々攻撃に転じる事が出来ない。
「ヒュレルウウウウウゥゥゥゥゥ!!」
そんな中、怒りではち切れそうな程の声量で、この風を切り裂きその身を躍らせる一つの影。
一体その小さな身体の何処から来るのか、渾身の魔力を乗せた跳び蹴りをヒュレル目掛け放つアーニャ。
声に気付いたヒュレルは必要最小限の動きで飛び退く。
直後、ヒュレルの立っていた地面が小さなクレーターのように陥没する。
それで終わらせないと体言するかのように、飛び退いたヒュレル目掛け殴打に蹴撃をいくつも織り交ぜた乱打を浴びせる!
その攻撃の一つ一つを、それと同等の速度で全身を使って防御するヒュレル。
ヒュレルからすれば本来居るはずが無い異端分子。
不可解なこの状況を見極めるべく、冷静に防御に徹して分析していたが、やがてその答えに辿り付く。
「成る程、魂へ術式を刻む禁呪ですか。魂を思念滞留域から引きずり出すとは随分面倒な事をしてくれますねぇ」
面倒だと口には出すが、別段焦りが浮かんだ表情ではない。
先程銃火器の砲火に晒された時の方が、まだヒュレルに対しプレッシャーを与えられていたように思える。
この程度、脅威にはなり得ない。
口には出さずとも、その態度が物語る。
「大気よ、我が前に具現し防壁と化せ! ウォールウィンド!」
カーミラが放った魔法が、ヒュレルの魔法に対し干渉しその風力を弱める。
しかし勢いを下火にさせるだけであり、完全には消しきれていない。
また、その風に乗って飛んでくる一発一発が中級魔法に匹敵するであろう無数の魔法攻撃に至っては止める事叶わない。
「白銀よ荒れ狂え。汝は檻、永劫封滅する終焉の地。世界を白銀で染め上げろ! 大いなる冬!」
その勢いの落ちた他の攻撃魔法を纏めて消し飛ばす、白き帳。
ヒュレルやアーニャの立っていた場所は一気にヒュレルではなくクレイスの制御下による吹雪で支配された。
そこへ雪崩れ込む、二つの影。
「聖浄なる意思宿し、舞い踊れ剣閃! 天舞聖連斬!」
一つは勇者、アレクサンドラ。
身体を鞭のようにしならせ、見切る事叶わぬ圧倒的速度で無数の斬撃を見舞う!
対しヒュレルはその細腕で何故防げると言いたくなりそうな、しかも素手であるにも関わらず易々とその攻撃を受け止め続ける。
「盛れ焔、我が信念をその刃に乗せ、狂者を葬り去れ!」
さらにもう一つは魔王、サミュエル。
アレクサンドラと対照的に、ただただ一撃に魔力を乗せる。
その刃は金色に輝き、魔剣ティルフィングの真の力に、サミュエルの持つ力が更に上乗せされる。
サミュエルは、ティルフィングの力をもう解放する事は出来ない。
何故なら、その時はティルフィングの呪いにより、自らの命が潰える時なのだから。
だが、先代魔王が文字通りの意味でその命を散らしてティルフィングの真の力を解き放ったのだ。
いわばこの一撃は、二人の魔王の想いを乗せた限界を超えた一太刀。
「魔王恢焔刃ッッッ!」
魔王という魔族最強の名を体言する、無慈悲なる一撃。
アレクサンドラの攻撃に手を煩わされているヒュレルに、それを避ける術は無い。
その刃が、しかとヒュレルの肩口を捕らえ、そこから袈裟懸けに胴を両断する――はずだった。
「で、それがどうかしましたか?」
ヒュレルは涼しい顔で、その攻撃を受け止める。
ヒュレルも無傷とはいかなかったようで、受け止めた際に少々肩を切ってしまう。
切ったと言っても、それは薄皮一枚といった程度。
纏わり付いて来る羽虫を追い払うかのような手振りで、ティルフィングの刃を払うヒュレル。
その直後、受けた傷口を光が覆い、即座にその傷を完治させる。
「言いませんでしたか? 私には用事があるんです。貴方達と遊んでる暇は無くなったんですよ、そこで寝てて下さい」
語調に僅かだが苛立ちが混ざるヒュレル。
面倒臭いがやるしかないか、とでも言いたげな態度で大地を蹴り上げる。
アーニャも含めた一行を眼下に捕らえるべく、地上高く飛び上がるヒュレル。
そのまま流れるような動作でヒュレルは、空手でまるで見えない弓を引き絞るかのような動作を取る。
満月の空に、魔力を感じさせないが明らかに異質な、不可視の何物かが無数に形成される。
直感的に危機を感じ取ったドラグノフが、手にした槍を振りかぶりながら放たれた石弓の如くヒュレル目掛け飛び出す!
「我が力の欠片、飛礫となりて降り注げ! アローレインリベリオン!」
不可視の弓、その引き絞った弦を解き放つかのようにその指を離すヒュレル。
それが引き金となり、散弾の如く不可視不感知の魔力が一行の立つ地を無慈悲に包み込む!
ドラグノフは手にした槍、ガジャルグでその攻撃を防ぐが、その一撃一撃が信じられぬ程に重い。
踏ん張りの効かない空中では、自らの翼を用いても踏み込みが足りない。
その重い一撃を受け、ドラグノフは地面目掛け叩き付けられる。
だが放った矢は一撃では終わらない、数百、数千と降り注ぐ。
矢の先端が当たった箇所からクレイスの大いなる冬を穿ち、無数の矢が吹雪を散らし、蜂の巣へと姿を変える。
数十程度の矢はそれで威力を失い消滅するも、それはまだ序の口。
まるで囲いを破った獰猛な兵が雪崩れ込むが如く、更なる雨矢が襲い掛かる!
回避は、間に合わない。避ける隙間も無い。
瞬時にそう判断した一行は、防御するべく魔法壁を形成する。
一発。
渾身の魔力を込めた魔法壁に無数の亀裂が走る。
二発。
魔法壁が破砕し、防御ががら空きとなる。
三発、四発、五発……
止まる事無き集中豪雨が一行を包み、苦痛に満ちた悲鳴が周囲を走る!
防御がまるで意味を成さない、回避する余裕も無い。
反則的なその一撃一撃が、周囲を砕き、無へと返して行く。
執拗に何度も浴びせられたその攻撃が終わった後には、ヒュレルの宣言通り、地に伏した一行の姿がそこにあった。
一行に当たらなかった地形はまるでそこだけ抉られたかのような不自然な形に変貌し、
当たった矢は一行の魔力を消し去り、魔力だけでは足らずその生命力にまで及び、戦闘能力を一挙に奪い尽くした。
血を流さない特殊なその攻撃は、肉体ではなく魔力へとダメージを与える特殊な代物。
散弾の雨に倒れた一行は、その魔力を根こそぎ破壊され、皆一様に虫の息となった。
「まぁ、これは効力より範囲を優先させてるので当てても『抹消』はさせられないんですが……貴様等如きを葬るには十分でしょう。さて、ようやく本題ですねぇ」
魔王に、勇者に、四天王。
自らが振り下ろしたただ一度の攻撃でその全てを戦闘不能に追い遣る。
この世の者とは思えぬ、その有り得ぬ現実。
魔族の、人間の、世界の頂点に立つであろう実力者が束になっても、まるで赤子の手を捻るかのようにあっさりと勝負は決してしまう。
それは即ち、この世界に生きる人々その全てが力を合わせようともヒュレルには敵わないという理不尽な現実を証明してしまったのだ。
一行が完全に倒れ伏したのを一瞥し確認する。
その後自らが展開していた魔法、ライズディザスターを停止させるヒュレル。
再び空間には静寂が戻る。
そしてヒュレルはその全神経を防御へと回し、周囲へと意識を巡らせる。
「……ッ!」
誘われている事にアルフは気付いていないのか。
東の山間、その中腹から放たれた強烈な閃光。
それがマズルフラッシュによる物だと瞬時に断定したヒュレルは、その方角目掛け全力で防御に魔力を注ぎ込む!
表情に苦悶が見えるが、今回は今までのように吹き飛ばされたりはしなかった。
今回のヒュレルは今までのように不意を突かれてはおらず、万全に身構えた状態でならば例え相手が対物狙撃銃でも流石に遅れは取らない。
その光により、アルフの今いる場所がヒュレルにバレてしまう。
「今度は位置を掴みましたよ! 狙撃点はそこですね!」
今まで味わわされた屈辱を何倍にもして返してやる。
そう言わんばかりに、勇者や魔王達にすら使わなかった、ヒュレルの究極の一撃が紡がれる。
「神の名の下、『抹消』の力! 今こそ我が元へ! 『抹消』の片――」
その術式が完成しようとしたその時であった。
鋭く重い、まるで巨人の足踏みかと疑いたくなるような重低音に気付き、その方向へ目を向ける。
その音はそもそも生物の出す音とは思えぬ程の速度で急接近し、唐突に途切れる。
夜空へと跳躍したその存在は、月明かりを背負い、そのシルエットを映し出す。
大剣を振りかぶり、肩に掛かる程度のセミロングの銀髪を宙に踊らせ。
黒衣に身を包んだ一人の男が、ヒュレルへと迫る!
咄嗟に術を中断し、回避へと意識を向けるヒュレル。
一体何者だ。
もうこれ以上の戦力などこの世界に存在するとは考えられない。
間近へと迫り、その大剣がヒュレルのいた大地を勢いに任せて叩き砕くまでの僅かな時間。
その僅かな間に見えた、その顔その姿。
それはヒュレルにとっては予想外の、信じられぬ者であった。
未だ見ている人がどれだけいるかは知らないけれど
終わりは近いのデス




