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何彼談話。  作者: 永見拓也
第一章:観察者の歩み。【随筆】
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07.賢者の選択を覆す★言語錬金術師。

 有料駐輪場の回数券を思い出して購入した。一〇〇〇円を支払い、一〇〇円券を一一枚手に入れた訳で、一回分が約九一円也。通常より九円も安い。現金だと一〇〇〇円を一〇〇円で一〇枚に換金しなければ為らず、一〇回しか利用出来ない。恐らくコンビニのレジでも換金は拒否されるだろう。要らない製品を購入し、一〇〇〇円を崩せば一層に損をする。其れが回数券だと一回分も多くの駐輪が可能だ。正しく賢者の選択である! 此の様に目的に特化した証明書(?)を所持すると、現金よりも多いに価値を見出せる。証明書を提示しなければ、幾ら札束を積んだとしても、昨今では門を通れない事例が少なく無い。此れも亦許可制の問題であり、此の世界は或る手続きの末の許可制に基く証拠でもある。

 主張する者は、残念乍ら、其の権利を手中に収められない。何故だろうか――其の理由は愚か者は只単に五月蠅いからだ。騒がしいのならば口を塞がれ、其れ以上無駄口を叩かぬ様にこっ酷く釘を刺されて落ちるのだ。

 何時まで私を悩ませれば気が済むのだろうか。昨日の夜、寝て居る最中に両足が蚊に刺された。軽い気持ちの悪さに眼が覚めたので靴下を速攻で穿き再び眠りに落ちたのだが、蚊に刺されたと云ってもデング熱に罹る訳では無い。蚊は飽くまでも媒介するだけである。蚊に刺されると、意識の揺らぎを感じるのは私だけか(?)。其の揺らぎを気持ちが悪いとしか表現出来ない幅の無さが非常に悔しい。蚊に刺され過ぎた私の躯からは不快に冷静さを奪われる。勿論痒いのだが、異物混入の違和感を一番に察知する様に為って終った。防衛本能で蚊に殺意が湧く。視界に捉えたら即刻潰すべし! 白と黒のストライプ、奴等は常に私を狙っている。耳の裏側、肘や二の腕、足の甲を注意深く監視せよ。此れが最終通告である。

 通勤で漕ぐ自転車が遂に悲鳴を上げ始めた。新品での購入に渋り、中古で手に入れた代物である。私の手元に遣って来る迄に何年か使用され、私自身でも二年以上毎日漕いで来た。漕がない日は無かったと云って良い。其れ程に消耗も早かろう。不思議な事に学生時代にも、私の行く先々の通路は悪路だった。舗装がガタガタで質が悪い。特に歩道の切れ目に段差を設ける必要は無いのだが、滑らかに出来ない分、未熟な技術の表れではなかろうか。誰が設計しているのかは全く興味は無いが、其の人物は自転車も通路として通るのに、此の段差がタイヤを酷く消耗させる事が理解出来ないらしい。無知にも程がある。自分で一度自転車を漕いで視る事を強くお勧めする。更に車体全体にも負担が掛かると云うのに。建物の入り口などのブロックの両側にコンクリートの盛り上がっている箇所も目に余る。如何して均さないのか。全く以て杜撰なのだ! 憤りを抱いて居るのは私独りでは無いはずだ。如何か当たり前の事や些細な事に眼を向けて頂きたい。

 自然が減少した現代、周りに有る物は全て業者の製品のはずである。一つ、ボールペンや鉛筆を取ってみると良い。精巧に出来ているはずだ。其れなのに公共設備と為ると粗さが目立つ。競売で請負業者を選出するのだろうが、其れが仇と為り仕上がりは糞だ。何故に技術も無い癖に請け負うのだ。損害を被るのは第三者だと教えて遣れ。ボランティアじゃねえんだ、仕事ならきっちり仕上げるのが筋だろう。一目瞭然の欠点を放って置くなど、ポンコツ作業用ロボットに等しい。プロ意識の欠片も持って居ない。非常に残念で為らない。プロ意識を身に付けたく逸る私には彼等の仕事が粗悪品に映るのだ。

 居場所が無い。私は世界に疎まれ者だ。早く此の世から出て行けと云う恨みが、一挙一動に突き刺さる。音を立てない様に、存在を消す様に行動しなければ、私を吊り上げる為に攻め立てて来る。言葉はどの様な刃物にも劣らない鋭利さを兼ね備えているのが、私の躯に刻み込まれた実感だ。此の問題は全て意思伝達の難しさに起因していると思われる。勘違いや思い込みが現状を異なる世界に変えてしまうのだ。近所付き合いが無くなり、お互いが率直な意見を交わさないからである。始めから歩み寄れるはずが無いのだ。其の場を作らない限り、世界中の何処へ逃げようとも現状を打破する事は叶わないのである。絶望よ!

 自転車のペダルが頗る重い。重た過ぎて漕ぐ足には酷く疲労が溜まる。此の状態に覚えはあった。ペダル内部のコイルだのベアリングだのが摩耗破損し、修理を要する兆しだと云ったか。車体は道路の小さな窪みや隆起部を通過しただけで悲鳴を上げる。其の音が余りにも五月蠅いので、私は音楽で掻き消す様にしているのだが、迷惑しているのは私が傍を通り過ぎる人達だろう。私の進行方向に居る彼等は現に驚いて背後を振り返るのが常なのだ。其の誰もが見せる一様の表情に苛立ち、其の向けられる視線が忌々しい。消極的に視線は集まるばかりで、自主性が皆無だ。

 常に私は愚かだ。自転車に元々良い想いが無かったのを思い出した。中学生の頃は購入したばかりの新品を、鍵を掛け忘れた愚かさの所為で四・五分の内に無くした! 高校生に成ると、自転車で通学したので一時間は掛かった。朝に弱く、遅刻にならないギリギリの時間迄は愚図愚図と寝て居たのだ。寝て居ては朝食が摂れないし、低血圧も相俟って、フラフラと意識は定まらない状態の儘、自転車を跨いだ。運転が乱暴なので、能くパンクさせたと云う訳だ。幸いな事にパンクするのは帰宅時であり、通学時のパンクで遅刻するよりは遥に増しだった。余りにもパンクが多いので、パンクしたら電話しろと親に云われたが、偏屈な私は電話しない事を只管に選び、パンクのタイヤをガタガタと回転させ乍ら、無理矢理に帰路を進んだものだった。今も自転車に頼る生活を送り、自転車に関わる問題は跡を絶たない訳だが、頼れば頼る程に厄介な事は起こり、私を悩ませるのだ! 頼らなければ良いのだろうが、そうも云って居られない。

 雨の日には外出を億劫に感じ、引き籠りは余計に引き籠る。私は引き籠りだ。物理的にも精神的にも籠りっぱなしで、周りに聳え立つ壁を見上げては溜息を吐いて居る。四方は囲まれ窓は有るには有るが、其処からの脱出は叶わない。出来て換気位だ。其れでも空気は薄く息苦しいけれども、独りで居られる此の空間には外に無い安寧を感じる。

 此の安寧に警鐘を乱れ打つ者が私の前に現れた。他人との間に壁を作らない類いの、少々変わった雰囲気を纏う男だ。彼は自分をテキトウ男だと云った。B型で物怖じをせず、常識に囚われず、人によって態度を変える事は無いらしい。頭に血が上ると自分でも制御出来ないとも云っていた。其れが原因で会社を辞めざるを得なくなったと、彼自身の口から語られた。私とは異なる気質の持ち主だ。驚いた事に彼は星を読み、其の他色々な知識を持っていた。私の生年月日を知るや否や、彼は呪文を唱え始めた!? 呪文とは訳の分からぬ単語の羅列である。然し乍ら確実に私は性格や適性をズバリと言い当てられ、ずっと頷き興味深く耳を傾け続けた。全てを記憶に留めては居ないのだが、如何やら私は個人経営に向いて居るらしく、職人肌でもあるらしい。他には鬼門や鬼が如何の斯うのと指摘されたが、能く分からなかった。そして十二支判定から、私は男性の躯を持ち女性の心を宿していると云われた。繊細であり、世界の対を為す事に理解が深い。其の両方から一つを選ぶ際には立ち止まって終い、其の躊躇いが私の可能性を閉ざしているらしいのだ! 石橋を叩いては渡らない様に、誰かが無事に渡り切れば安心して其の道を進むのだが、実例が無ければ実行出来ない臆病者でもある。百聞は一見に如かず、眼に視える実例を常に求める一方、指導者に強い憧れを抱きつつ、私には自らも指導者としての資質があるらしい。其処で彼は他人の遣らない事をやれと私に喝を入れ、自分の殻を破るのだと力説した。うむ、私はそんな事を口走る輩が最も信じられない。

 私の中に鬼が棲んで居ると云った。鬼とは牛の角を生やし、虎の毛皮を羽織ったモノらしい……能く分からないが上等だ。鬼の力を利用し、思う存分に暴れてやろうではないか。

 矢張り私には彼が奇妙に映ったのだった。彼は北海道を旅している際に有名な書道家と仲良くなった。異論は有るだろうが、大阪では引っ掛け橋が象徴とされている様に、北海道には或る有名な交差点があるらしい。其の書道家は其処で活動をし、人々に感動を与えていると云う。彼(此の段落に限り、以後「彼」とは書道家の事を指す)は片仮名の「バカ」を「心力」と読み替える事が出来るのだと、馬鹿に為るには心の力が必要だと語る。路上で詩を書き生計を立て、日には一〇万円を稼ぐと云う!? 一〇万と云う数字にではなく、稼ぐ手立ては会社に勤めるだけでは無いのだと証明された事が驚いた理由だ。其れ程にも他人を感動させる力を彼は持って居るのだ――羨ましい。私は他人に納得し感動させられるだけで、自発的に他人を感動させるなど亦遠い行動に過ぎない。

 人間のあらゆる面で困難な事は何かと問われ、私は動揺した。他人の質問に答えなければならない此の状況こそが、私にとっては困難な事だからだ。時間を掛けても一向に答えられない様子に、彼(テキトウ男)は「状況判断能力」だと云った。人間は行動している最中には思考出来ず、思い立ったが末に行動するのである。渦中に呑み込まれると、心がざわ付き冷静な判断を下せない! 抜け出して漸く反省する。而して後悔する者も在り。

 正確に状況判断を下すのに地図を思い浮かべる。地図を視る際には必ず現在地と目的地を判明させなければならないからだ。TPOを弁えると云っても良い。「T」とは現在時刻の事であり、過去や未来は何処にも無く、在るのは常に今と云う現在だけである。「P」とは、繰り返しに為るが、現在地と目的地であり、点と点を結べばどの様な道則になるのかが視えて来る。「O」とは現在時刻に於ける状況であり、最新の情報を取り入れる必要がある。一〇〇年前の地図を片手に、正確に状況判断を下すのは愚かだ。主観が一〇〇年前に生きていれば全く問題は無いのだが、二〇一四年に生きる私にとっては二〇一四年の最新情報を要すると云う訳だ。情報は更新されなければ、流れる現在に追い付けない。現在は確かに眼の前に広がっては居るものの、其の物事を情報として取り込み書き換え把握する作業に骨が折れる。

 生きて居れば欲望ばかりを抱く。夢を追い掛けると云う表現の下、目的地に眼を向け、現在地の把握が疎かに為る。立ち位置が分からないばかりに、何時に為っても辿り着く事は夢の亦夢である。到着出来ない目的地が幻に変わる瞬間だ! 毒は躯を蝕み、心を病ませる。其の様な夢を視ない方が賢明な事は誰にでも分かる。誰にでも分かるのならば……私の云いたい事も云わずもがな。

 死にたいと云う欲を気取って語るテレビ番組を視た。九月一三日にNHKで放送された『ハートネットTV+「生きるためのテレビ」』と云う番組だ。何かを肯定する事は何かと前向きなのだろうが、私は悪を感じたのである。番組に登場した人々は死を望み乍らも死んでは居ない――結局は戯言では無いか。仮に真剣に向き合って居れば、自ら結論に達するはずであり、答えを見出せない事などは有り得ない。感情に留まり、思考にまで昇華の出来なさの表れである。

 感情は思考を曇らせる。断言しても良いが、死にたいと思う事は普通では無く、死ぬ事が普通なのだ。生きたいと云う欲は現に生きて居る現状に沿わない。人間には寿命があり必ず死ぬ存在だからだ。死が定めの為に最早望む必要すら無い事を分かって居るのだろうか!? 此の世に生まれたのだから、此の先には死が待つ。避けられない。決して先が視えない訳では無い。どの様に生きるのかと云う問いに対する回答が得られない其の正体を知る。此処で上記の地図の話に戻るとすれば、目的地は死である。但し自分の現在地が分からず、進むべき方角が定まらない。死への線も直線に引けない。其れが苦しみであり、人生と云うモノだ! 詰まり人生とは苦しみである。苦しみを味わう事が人生であり、苦しみを味わう為に生まれて来たのだ!! 何度でも伝えたい。其れが人生の意義だと私は答えよう。

 悪い事ばかりが起こり死にたくなると云うが、人生が楽しい物だと何時に誰に錯覚させられた!? 其の様な強迫観念こそを脱却すべきである。疑いの心を向けるべき対象だ。ならば懐疑心を養え。其れが人生の心の武器と為る。此の気付きが、幸か不幸か、私の世界の視え方をガラリと変えて終ったのだ! 誰にも云えない、私の心底に淀む苦しみである。

 食が偏っている。野菜は疎か肉も食べない。栄養も十分であるとは云い難い。悩みは食生活だ。お菓子ばかり食べている。後に記述しているのだが、芋かりんとうとか芋けんぴとか呼ばれる物を特に好んでいる。材料は甘藷なので、躯に悪い訳では無いはずだ。歯応えもある。腹持ちも良い。芋のお菓子では安価に購入出来るだろう。ポテトチップスに為ると如何してか高価だ。価格を判断するのに内容量を確認し、内容量が価格の数値よりも低ければ高価であり、数値よりも高ければ安価と決めて掛かる。内容量を個数で表示される場合もあるが、其れに騙されてはいけない。例えばクッキーが税抜九八円で店頭に並んだとする。表示には内容量が二四枚と明記してあるが、個数的には不二家が製造する二〇枚入りのカントリーマアムと比べればまあ……安いと思うだろう。其処で栄養成分表示を視る。一枚が四gと表記され、内容量が九六gだと分かる。価格が税抜九八円に対して内容量は九六gでは魅力に欠ける。では価格が税抜一五九円に対して二二枚のクッキーは如何だろう。同様に栄養成分表示には一枚九g、内容量が一九八gだと変換出来る訳だが、此の数値を出して初めて購入の選択肢に入るのだ。更に一三五gで一八枚のクッキーがある。価格は税抜六九円だ。

 安かろう不味かろう。不安は過ったが、空腹を満たすには丁度良い。味はまあ……保障出来兼ねるのだが。お察しの通り私の舌は当然に肥えて居ない。原因は安価を求めるからであろう。此の様に私は精神的貧乏だ。絶望的にあらゆる面で邪魔をする。私が戦うべき敵である。四面楚歌、敵は何時でも多い。

 初っ端に有料駐輪場の回数券の事に触れたが、勤務形態が変わった。通勤に時間を掛けて居ると睡眠時間が少なく為る。流石に寝ないのは辛い……回数券が幾ら安かろうとも、金銭的に融通が利かないとなれば話は別である。賢者の選択などと豪語し発言を覆す其の態度は全く以て支離滅裂だ。お笑い者である。

 私は斯うだと確信したとしても、時間が経てば其処に疑問を投げ掛け、否定し零に戻す。先が視えないのではなく、常に先が無いのだ! 膨れ上がった懐疑心は外部ばかりか内なる私自身をも懐疑の眼差しで囲い込み、結論に至ると同時に其の結論を疑わねば気が済まず、厄介極まりない。気が済まないと云うのは的確に表現出来ていないだろう。如何云ったら良いのか、其の様にする事で存在意義を示して居るとでも云うべきか。酸素を肺に送らなければ躯は死ぬが如く、此奴は疑わなければ死ぬのだ。

 遂にデング熱の発症者が一〇〇人を超えた様だ。諄く気に掛けるのだが、九月一一日にクローズアップ現代は『デング熱 感染拡大を防げ』と云う題名で此の話題を取り上げた。国内では七〇年振りの発症だと云う。ヒトスジシマカが媒介蚊であるが、病原菌はヒトの移動で各地に散らばり、其の土地のヒトスジシマカが感染している血を吸う事で媒介蚊に為るのだそうな。ヒトスジシマカは定住する為に、感染したヒトの移動が拡大を促している。発熱、発疹、頭痛、全身の強い痛みが症状とされ、重症化も危惧されるが一週間程度で回復に向かう様だ。感染場所は代々木公園の周辺のみならず、一五の都道府県に及ぶ。大阪府でも確認されていると云うので驚きだ。私の発症ももう直ぐに違いない。破!

 番組内で感染者第一号が登場し蚊に刺された脚を披露するのだが、其の脚には多数の蚊に刺された跡が残っていた(此れが症状である発疹の名残なのだろうか)。私も随分と刺されて来たが、其の跡が残った試しが無いので何だか疑わしく映った。然も彼女はダンスの練習で頻繁に代々木公園に通っていたと云うではないか!? 其れならばデング熱が発症する以前も当然の如く蚊に刺された経験があり、其の痒さがダンスの練習に支障を来す事など周知の事実だと思われる。半ズボンでなければならぬ理由は何処にも無いのだ。此の様に考えると、如何も疑わしい……発症したNHKの女性職員も登場するが、自局の職員が患者になっている事実も都合良過ぎる。番組を構成する実に素晴らしい素材だ。

 其れにしてもヒトスジシマカの繁殖力には度肝を抜かれた。私も図太く生きたいものであるが、希望通りに叶わない事を経験上理解している心算だ。然し乍ら真に為りたければ既に為っているであろうから、私は結局の処は其の様に望んでいないのだ。矢張り自分の事は誰よりも能く分かって居る……心算か、何もかも。

 時間を上手く使い熟せない。私は何時に為っても未熟なのだ。一日は二四時間も有ると云うのに、此の時間が無駄に塵箱に捨てられて行くのが如何しても我慢為らない。今と云う現在しか無い。其れでも動かないのならば、成長など幻想だ。可能性が摘まれて行く。動け……動け……動け、今直ぐに! 然し自分が立って居る現在地(現状)を把握出来て居ないから、何から始めたら良いのか分からない。常に手探りだ。心許ない。不安が私を嬲るのである! 嗚呼、眼を瞑っても消えない現実に打ち拉がれる。逃げたい訳では無い。口に出す事で世界を認識しているのだ。其れが発言だと誰が知っている。眼の前に拡がる景色を内に取り込み、吐き出し方には様々な発露が見出せるが、私は文字に頼らざるを得ない。駆使する領域に辿り着くにはどれ程の訓練が必要なのだろうか。其の手立てを知らないで彷徨う――迷子だ。

 私は言語錬金術師に成りたい。然し乍ら如何すれば成れるのか、何時成れるのか……。

 自転車のペダルが物凄く重くなり、漕ぐ事自体が辛くなった。此れは相当足に負担が掛かって居るだろうから、体力も奪われるばかりか、何時此の自転車が壊れるのか心配で堪らない。精神的にも疲れた。

 仕事に勤しむ際に心掛ける事がある。昨日と同じ仕事をしていては、其れは昨日の延長でしか無く、明日と云う今日では無い。改善してこそ一人前、現状維持では未だプロフェッショナルに程遠い。そう考える事で自分を奮い立たせているのだ。何か少しでも目標を持たないと、怠けてしまうからだ。

 真っ当に会社など勤められない――そう、私が口にする事は大概が大人の同意を得られないのだ。抑々大人の同意が必要なのだろうか。子供は大人に成るが、大人は子供に戻れない。其の隔たりは余りにも大きく、私は大人達を既に諦めている。彼等が既に人生を諦めている様に。何時しか友達だったピーターと再会出来る日はもう来ない。閉ざされた彼の世界を思い出すには手掛かりが圧倒的に足りないのだ。忘却は塵袋を担ぎ、駈足で去って行った。

 得能正太郎氏の四コマ漫画『NEW GAME!』一巻が如何やら人気らしい。重版6刷もされたそうだ。良い事である。まんがタイムきららキャラットは二〇一四年五月号までは購読し、愛読していた雑誌の一つだった。故に連載の現状は能く分からない。絵柄は可愛らしく、主人公の青葉の頑張りが微笑ましく読者を惹き付けると云った処か。私は其の一人だった。当時――と云っても五ヶ月位前の話だけれど――の連載作品では上記の『NEW GAME!』や『フレラジ☆』『ブレンド・S』、『はるみねーしょん』が毎月の楽しみであった訳だが。一旦読まなく為って終えば其れまでの事であり、精神的苦痛は特段感じない。離れて視て感じるが、私にとって漫画とは結局の処其の様な物なのだと、残念な気持ちが溢れ出した。

 食欲が徐々に湧いて来た。色々な料理を食べてはみたいものの、残念乍ら金銭的な問題が私の頚を絞め付ける。食欲を満たす事と特定の料理を欲する事は全く別問題である。勘違いはしたくないものだ。食欲を満たすと云う事は食べ物ならば腹に入れば一緒だと云って居る様なもので、食に拘りが全く無いのと同義――空腹時に実際に料理の名称が先ず頭を過る位ならば、食への関心は無論高いのだと分かる。悲しいかな、私は前者である。食には拘れない。出来得る限り食費は抑えたいし、金を掛けずに食欲を満たせないものだろうかと常に思考を巡らせ忙しない。究極的な方法があるのであれば、其の方法を手繰り寄せたく思う。お菓子ばかり食べては居られないのだ。

 私はお菓子ばかり食べている……否定出来ない事実だ。今一度、食欲を満たす為の最小限の出費を検討したい。只単に価格だけを参考に安価なお菓子を求めず、飽くまでも内容量と価格を比較し、其の安さを見極める習慣を身に付ける事が最終目的である。幾ら税抜表示が横行しているにしても、財布から実際に出る金額を思えば、八%の増税分を加えた価格が本来の其れだと考えるのが無難だろう。故に私の持論である「価格よりも内容量が多ければ安価である」とは一概にも云えない。税金分を除く方が納得し易い場合もあるからだ。

 仮に私が好きなお菓子を問われれば、間違いなくカントリーマアムと芋けんぴ(若しくは芋かりんとう)と答える。即答だ。前者は不二家が製造している特定のお菓子だが、後者は製造出来る区分の名称と考えたい。

 カントリーマアムはブランド商品である為に、安価で手に入る事などは滅多に無い。特に二〇枚入りの大袋が価格にして二〇〇円以下で売り出された機会には、過去数回程度しか立ち合った試しが無い。其れ程貴重なのだ。其の事情は各店舗に因り様々だろう。私の周辺で現状の価格は税抜二二七円であるが、内容量が二一〇gなのだ。詰まりは高価だ。カントリーマアムには価格では積極的に購入する理由が乏しく、何かの際に自分へのご褒美として宛がう事で妥協したい。然し乍ら私はカントリーマアム狂だと自称している! 衝動的に欲する節が何度もあり、其の度に自制するのに苦労して来た。矢張り答えは我慢しない事である。抗えないと諦める事だ。斯うと来れば好機と見做し、食して満足すれば良い。至福に身を委ねよ。

 同じ不二家が製造しているホームパイの方が少しだけ得した気分が味わえたりする。同価格にして、内容量が一九包の三八枚入りで二二〇・四gだ。一〇・四g多いばかりか、三八枚も入っているので、咬む回数が圧倒的に増え、満腹中枢が格段に刺激される。

 一方で芋けんぴは専ら内容量重視である。最近だと四〇〇gに対し税抜二五九円や、二〇〇gに対し税抜一〇九円の製品を購入した。前者が最強だと思うのは私だけでは無いはずだ。此の二つを発見したのは同じ店舗なので、今後も若しかしたら四〇〇gの分が入荷されるのかも知れない。是非とも期待したい製品である。

 お菓子の自己ブームならば、ポテトチップスだ。贔屓にしている店舗が湖池屋の製造する二四〇gのパーティーサイズを取り扱っているからだ。価格は税抜二五七円であり、残念乍ら安価では無いのだが、価格は店舗に因り異なるので、此の点は是非とも複数の店舗を梯子して頂きたいものである。先月の事だが違う店舗で、二四〇gが税抜二三八円で店頭に並んでいたのである! 今月には更に、別の店舗で税抜一九九円だった!! 信じられない発見をした衝撃で、私の眼は引ん剝いた。

 では、カルビーのポテトチップスは如何だろうか。一七〇gのBIGBAGがある。周辺では税抜一八九円で購入可能だが、湖池屋に比べて若干押しが弱い。

 此の様にポテトチップスには選択肢が無い。寡占と云うよりも複占なのだろう。山芳製菓のわさビーフやハウス食品のオー・ザックの存在も忘れては為らないが――嗚呼、プリングルズを忘れていた――、同じ舞台に檀上する事は有り得ない。何故か。

 先ず内容量の薄さだ。BIGにも拘らずわさビーフは一一三g、最近全く視られないオー・ザックが六八g。此の程度で肩は並べられず、話にも為らないのだ。仮に面白くなるのは、わさビーフが二二六gの大袋を発売した時である(そんな時は来ない!)。

 敢えて云うが、大袋に限り味の種類は少なく味気が無い。主要な味はうすしお味、(リッチ)コンソメ(パンチ)、のりしお(塩)の三種類。あと二種類は欲しい位だと云う要望に応える為、山芳製菓のわさび&ビーフ味が参入するのならば、黙って見過ごせる事が出来ようか。否、出来ないのだ! 私は堪らずに飛び付くはずである。カルビーや湖池屋ではなく、他社の山芳製菓だからこそ発揮する威力は絶大に値する。今こそマンネリを打破するのだ! 此れは一消費者の願いである。

 さて、此処までお菓子を否――カントリーマアムや芋けんぴ、ポテトチップスを好む私の躯は健康なのか。断じて健康であるはずが無い! 何が主食なのかと云えば勿論※なのだが、私は蕎麦を愛している。次に焼きそばだ。饂飩でも素麺でもラーメンでもスパゲッティ(パスタとは絶対に云わん!)でも無いのだ。

 自慢では無いのだが、三六五日毎日同じ食事を摂っても平気な質なので、私は愛を語る事が出来るし、好きの度合いを測る事も出来る。好みを語る際には注意しなければ為らない。相手に勘違いをさせてしまう危険が伴うからだ。私の様な人間ならば尚更だろうが。

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