表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
何彼談話。  作者: 永見拓也
第一章:観察者の歩み。【随筆】
4/22

04.大阪歴史博物館6階特別展示室『エヴァンゲリヲンと日本刀展~刀匠たちが挑んだエヴァンゲリヲンの世界~』にて。

2013年09月15日の出来事についての記事です。『エヴァンゲリヲンと日本刀展』に行って来ました。最終日の前日です。

勤め先が変わった件に関して今回は別件である。

否、別件であると触れている時点で既に案件となっていると云わざるを得ない。

抑々気にならない事柄ならば、態々念頭にさえ置きはしないはずだ。

――懸念している。

心配している――。

――憂えている。

気に病んでいる――。

詰まり私は病気なのだ。

表面化する病状である事など滅多に無かろう。

慢性化が定着している訳だ。

太陽が昇ると同時にベランダに出て全身を伸ばすも、

空は晴れるも気が晴れぬ。それが日常だ。

――嗚呼、躯も重い。

体調は何時も優れない。

頭痛も甚だしい。鈍痛とのお付き合いなら手慣れた者だ。

私の視界も脳内も如何すれば晴れるのだ。


午前7時過ぎの普通電車に乗り込んだ。

座席には着かない。

あくまでも座席の前に立ち、吊り手を握る。

(本音を云えば、座席の前にも立ちたくはない)

バッグは上段に上げて置く。

表情は只管顰め面で申し訳無いのだけれど、

此れが私が確保する他人との距離である。

身構えていると云っても良い。

声を掛けられるとヘラヘラする癖に、

外見は如何しても頑なに緊張の糸を緩めようとしないのだ。

応、それで良いではないか。

其れが私だ。而して私なのだから、

そうだとしか云いようが無いであろう。

顰め面な事は置いておくとして――、

座席に着かない事には勿論其れなりの理由が有る。

隙間が無いなどの物理的な理由では無い。

其れは一時的な理由にはなり得るが、根本的な物にはなり得ない。

果たして公共機関は綺麗なのかと云う疑問に尽きる訳だ。

訳だと云えば何処から来た理由だと指摘されてしまうだろうが、

答えは既にこの手の中に有る。

其れは綺麗であるはずが無い。

――と云う物だ。では見解を明らかにして行こう。


私の意見などは一方的な物でしかなく、偏見である。

自己の世界に於いては偏見でなく真実であるのだが、

視野は自棄に主観を捨て切れないで居るのだ。

而して何時までも殻に閉じ籠って居ては如何にも為らない。



――抑々殻は破る為に被る物だ。



と云うのも、私は独りであろうが、1人では生きて行けぬ。

否が応にも他人との接触を持つ事に為る。

外界との邂逅は精神世界の変化に繋がるのだろう。

其れがどの様な形であれ反応の跡は残り、

此れまでに無かった者を知覚するはずである。

対応の模様は幾多にも渡る。完全なる型に嵌めようなどとは考えぬ事だ。

分析に依り複数の形式を見い出しは出来るだろうけれど、

計算で感情が割り出せる者か――。

共有し得る科学的事実を必要以上に抽出する事には反対だ。

私は眉を顰める。要らぬお節介であり、有難迷惑である。



※※※

必死に他人と比べ――、

平均値を示し――、

――共有しようとする。

此れは他者同一視を求めているのだ。

自己の存在を確かめようとする意思の現れだ。

然し乍ら、インターネットの存在が物理的接触を排除してしまった。

個と個が物理的其れならば、電波の海では不特定多数と個である。

物理的其れは主観が外界を視る事に美徳を感じるが、

電波の其れは主観が不特定多数から其の存在を認めて欲しい事に重きを置く。

即ち、インターネットへの依存は果てしなく自己の存在を不安定にさせる。

主観から視ると云う行為を行わなければいけないのに対して、

主観を視られる事を欲してしまっている。

外向きのベクトルが内向きに変化しているのだ。

その方向性を摩り替えてしまうのがインターネットの作用と云う訳だ。

――対象無き欲求である。

不満を抱く理由が能く分かる。

外に放出すべきエネルギーを内に溜め込んで居れば、

当然の如く淀み腐って行くだろう。

捌け口が無ければ破裂するのを待つばかりで、途方に暮れる。

その精神が病むのも止むを得ない。

※※※



客観的な視野を取り入れなければ、他人との価値観で摩擦が生じる。

理解に及ばなければ異質と見做されてしまう。

故にお互いが寄り掛かろうとする。

否、斯くの如き考察自体が異質なのであろうか。

それとも、言葉にするから理解の壁に衝突するのであろうか。

しかし、同じ言葉でも音に乗せて届ければ受け入れられる事も有る。

それが音楽の歌詞だ。

流れ込んで来る歌詞を理解しようと思って耳を傾けている訳では無い。

正に体感すると云って良かろう。自然に受け入れる事が出来る。

勿論其処に壁などは無い。簡単に国境でさえ乗り越えてしまう。

音楽は一方的な受信であるのだが、受け手が勝手に理解して呉れるから助かる。

詰まり、理解して貰おうと此方が努める必要も無くなる。

その理解の壁が無き状態を“他者同一視”と私は捉えている。

そして其れは“愛”でも在るのだ。

(無論、西田幾多郎氏が著者の『善の研究』を読んで得た知識の手助けは大きい。

誠に感謝する所存に御座います――。この様な場所ではあるが、

この機会に感謝の気持ちを記して置きたい)

言葉で伝えようとすると壁を乗り越える必要があるから、

私は眉を顰め口を噤む。

愛を見い出す事は美徳だと考えつつも、如何しても其れを体現出来ない。

思考と行動とが真逆なのだ。其れは専ら矛盾に他ならない。

理解しようと努める程に増々私の価値観が拒絶して行く。

頑なに受け入れようとしない。断固たる意志を示されたら最早致し方が無い。

然し乍ら愛を諦めようと云う体も更々持たぬのだ。

愛は素晴らしい者だから――、

受け入れようとする姿勢を貫く事を免罪符に愛を感じさせて欲しい。


随分話が逸れて仕舞って申し訳無い。

公共機関の1つである電車は清潔であるのだろうかの件に戻ろう。

果たして掃除が行き届いて居るのかに疑問を抱いている。

某モノレールは大体週1の間隔で清掃されると云うではないか。

更に夏でさえその間隔は縮まらないと云うのだから、

私の開いた口は一向に閉まる気配を見せない。

不幸な事にも不特定多数の人々が利用する公共機関なのだから、

当然の如く答えはNeverと云えよう。

抑々穢れていると見做している箇所は座席のシートと吊り手である。

尻と手が其々に接触する訳だが、

どちらも汚い部位だと理解して頂けるであろうか。

臀部からは排泄物が出て来るし、掌は矢鱈と垢を溜めている。

汚れは物質的に捉える事も出来る。

即ち握手をすれば汚れは伝染し、

物に触れればその物が本来持っていた汚れを貰ってしまうのだ。

而して触る事で直接的に汚れを受け入れている。

諄い様だが其処に汚れを拒む壁は無い。

思考して理解しようとする態度こそが壁である事を把握して頂きたい。

無意識に理解している。故に意識には上がらないのである。

「触れる」と云う言葉を使用したが、

この動詞の意味には感情が揺さ振られると云う反応を表わす側面がある。

触れる事は具体性に富んだ正しく体験なのだ。

故に、汚れを無意識に受け入れ躯に取り込んで居る。

意識に上がらないからこそ、嫌悪感で警告を発する。

接触と無意識が私の眉を顰める見えぬ対象だったのだ。

染めるのは手だけで十分である。


興味が尽きない事は歓迎すべき事だ。

可能で在るのならば、何もかも悉く知って置きたい。

興味の引かれた物(≠者)を知り尽くさなければ、満足が出来ぬ質なのだ。

(然し乍ら「者」はその範疇に含まれないのが人間嫌いを所以とする理由付けに他ならない、

――と云う訳ではないので誤解無き様に願う)

追究心ならば聞こえは良いが、

その正体は只の空虚なる穴を埋めんが為に因る衝動だ。

常に虚ろであり、何かを取り込まなければ直ぐに不安定に陥ってしまう。



――私は穢れた存在だ。



その様な存在は自らが視る事でその存在を確定出来るのだが、

逆に視られる事に関しては専ら脆弱だ。


今、私は無数の視線に晒されて居る。


思い過しや錯覚では無い。

無論被害妄想の類いでも無い。

私の背中から、



――踵、踝、脛、膝、腿、臀、腹――

――肩、腕、肘、掌、甲、指、爪――

――頚、喉、顎、耳、鼻、眉、髪――



視線が、

――突き刺さる。

抜けぬ視線で私は動けない。

視られて居る――。

押さえ付けられる。

この空間の圧力が最大に為る。

私を捻じ曲げる。呼吸が浅くなる。

――息苦しい。

何故にこの様な仕打ちを受けねばならぬのだ。

大阪歴史博物館に――、

日本刀に関して勉強する為に来ただけなのに。


事の発端は電車内の広告であった。

以前の私ならば見過ごして居たであろう。

然し乍ら今や事情は異なる。

現状、興味の対象は民間伝承や郷土資料に向き、果てには日本刀に及んだ。

独学での歩みな分、突拍子も無い方向に行き着いてしまう不安はあるのだが、

其ればかりは致し方が無いと云う物だろう。

しかし其れこそが導いた答えであり、真実ではなくとも事実に他ならない。

私は事実を求めたい。手繰り寄せたい。追求したいのだ。

真実でなくて良い。確かなる物さえ在れば、安寧を取り戻す事が出来る。

而して安定に至れるのだが。


大阪歴史博物館――別名をなにわ歴博と云う――は10階から成って居る。

其れは地表から見える階層であり、

実際には地下1・2階を含む合計で12階層の構造である。

10階から降って、

――難波宮の時代、天下の台所の時代、

――大阪本願寺の時代、大大阪の時代。

6階が特別展示室に当てられる。

今回の『エヴァンゲリヲンと日本刀展』の開催場所が其処だ。

開催期間は7/3(水)~9/16(月)の約2ヶ月少々。

今回訪ねたのが9/15(日)。最終日の前日だ。

私はこの日午前11時から這入り、閉館ギリギリまでずっと居た。

入場料を支払い、10階へ上がる。

受付けの際にそう勧められ誘われた次第である。


10階には難波宮の時代の代物が展示されて居る。

初見の為どの様に回れば良いのかと案内の人に訊ねてみた所、

右手には――宮廷内の服装や朱塗りの円柱。

左手には――高廻り1号・2号墳船形埴輪や呪符木簡、重圏門鬼瓦。

その様な品々が展示されれて居た。

中でも興味を惹かれた物が[呪符木簡]である。

桑津遺跡で発見された物らしい。

星のシンボル「日」が7つ使われ、北斗七星を鏡に映した並びが呪符の紋様となる。

中国の道教に由来するらしいが、詳しい事は分かり兼ねる。

案内人に訊ねた際にスタンプラリーの用紙も頂いた。

“こども”と明記されているのが何処と無く心地良い。

景品に可愛いイラスト入りのメモ帳が貰えると云われれば、やる気も高まる者だ。

其れに宛ても無く観覧するのは時間の無駄になり兼ねないと思った。

私は其れだけは避けたかった。

そして其の用紙に依ると10階の問題は――、



【Q1.「日本最古の万葉仮名文木簡」には何と書かれているでしょうか?】

『A1.はるくさのはじめのとし』

【Q2.細工谷遺跡からは、ある貨幣(お金)の製作途中の失敗品が見つかりました。なんという貨幣を作ろうとしていたのでしょうか?】

『A2.和同開珎』



――と、出土品を見て回りさえすれば答えは見付かる仕組みだ。


では、9階へと参ろう――。

9階には天下の台所の時代の代物が展示されて居る。

一部には大阪本願寺の時代の物も在る。


鍬と尉面(延命冠者面)で祭事を行う御田植神事は杭全神社に由来する物だ。

田植え作業を能楽形式で演じる。

正月13日深夜(現在は4月13日午後)の小正月の予祝儀礼である。

面を着けたシテは鍬を入れ、田の神(市松人形)に食事や小便などをさせる所作を行う。


(以下は箇条書きの羅列で申し訳無く思う)



【新清水寺】

・有名料亭「浮瀬うかむせ

・名水が湧く

・寺も多い


【米切手】

・米の量、蔵屋敷の名前、入札日、落札者など記載されて居た

・そのまま米と交換出来た


【両替商】

・信用が重んじられた

・金、銀、銭を取り扱う(三貨を両替)

・為替、預金業務

・出入り商人として、年貢米や特産物の販売、大名貸しをしていた


【住吉信仰―住吉大社―】

・臨海部に多い

・御払いの神、和歌の神

・海上平安・航海安全の神


【人形浄瑠璃】

・お染と云う文楽人形

・赤と水色の着物を纏う

・頚は人形遣い、初代吉田玉造の旧蔵品



【Q3.淀川を通って京都―大阪を結ぶ三十石船が着く、大阪の着船場はどこでしょうか?】

『A3.八軒家着船場』

【Q4.道頓堀の芝居小屋を復元した模型がありますが、なんという芝居小屋を復元したものでしょうか?】

『A4.角の芝居』



そうして、7階へと下った――。

7階は大大阪の時代である。

大大阪と云われても、ピンと来る物が何1つ無い。

早速問題の解答に参ろう。



【Q5.公設市場を復元した展示は、どこの市場を復元したものでしょうか?】

『A5.本庄公設市場』

(筆跡上「本庄」なのか「本左」なのか判別付かず……かと思いきや、google先生に検索して頂いた所「本庄」と判明)

【Q6.戎橋近くの「日の本タビ」の広告塔には、どのように売れると書かれているでしょうか?】

『A6.矢の飛ぶ如く賣れる』



この階で学芸員を志望している大学院生と出会った。

Q6の解答を探し回っているのを見掛けて、気にはなっていた。

と云うのも、私も探し回っていた口である。

Q6の解答は看板に記され、柱の裏に隠れていて能く見えない。

覗き込まねばならぬのだ。

居た堪れなくなり、私は彼女に声を掛けた。

「若しかして、Q6の解答をお探しですか?」

「あっ、はい――」

「実は此方に在るんです。とても見づらい所でして、僕もずっと探して居たんですよ」

道を先導する。

ちらりと肩越しに彼女の様子を窺った。

「私もずっと探してました。見付からなくて」

彼女の片手にスタンプラリーの用紙が2枚、握られているのを確認する。

「此方に」

「嗚呼、有りますね。ありがとうございます」

「如何致しまして」

「矢の飛ぶ如く賣れる、ですか」

「ですね。如何ですか?もう貰われました?景品の」

「――シール、ですよね?」

「僕は上で案内の人に可愛いメモ帳が貰えると聞いたから、こうしてスタンプラリーをして回って居たんですよ。それがこの様です、是非とも訴えましょう」

「訴えるのはやり過ぎです。でも、ちょっと残念でしたね。夏休み限定だったみたいです」

「でしたね。まあ、夏休みと云われても何時だったかって話ですけど」

「――えっ?学生じゃないんですか?」

「そうですね、学生じゃないです――しがない会社員です」

頬を掻いて自嘲して見せる。

何時までも若くは見られなし居られない。

――そんな事は承知の上だ。

それでも若く在りたいと云う願望は少なからず有る者だろう。

其れで居て、流行に疎く時事に昏い。

如何しようも無かろう。情けない限りである。

理想ばかりを並べ、実に申し訳無く思う、

――自分自身に対して、そして両親に対して。

「若しかして、今日は例の“エヴァンゲリヲン”がお目当てですか?」

「ええ、まあ。先程観て来ました」

「もう?早いですね、如何でしたか?」

「解説を声優の三石琴乃さんが担当されていたので、面白かったですよ」

「解説を――三石琴乃さん、が?」

「ご、ご存じありませんか?」

「――あ、ありません、ね」

「では、今日は何の為に?」

「嗚呼、勉強ですよ。ほら」

私は掌で握って居たメモ帳をパラパラと捲った。

つらつらと蚯蚓が這った様な文字とも判別の付かぬ線がのた打ち回っている。

――我乍ら余りの酷さに呆れて仕舞う。

時間が空けば記した本人の私でも判読不可能となる。それ程酷いのだ。

それを晒してしまった私は今更に悔いて恥じている。

「何故、そんなにも――?」

「嗚呼、只の興味本位ですよ。知りたい事が一杯有るんです。貴女は何か、歴史に興味があったりだとかは」

「私は学芸員になりたいんです。今回は丁度此方に足を運ぶ機会がありましたから、序でにと云う事で見に来ました」

「大学生?」

「院生です」

「陰性――?嗚呼、院生か。成る程、地元ですか?」

「違います、東京です。貴方は?」

「地元は鳥取県です。大学から大阪に来て、就職もこっち」

「何年ですか?」

「もう7年目ですね。かと言って、この土地には昏いのですが」

「見えませんよ」

「そうですか?ありがとうございます。此れからどう為さるんです?」

「東京へ帰ります。特別展は見に行かれるんですよね?」

「ええ、此れから。楽しみで仕様がありません」

「とても楽しめると思います」

「はい、是非とも!では――お気を付けてお帰り下さい」

私は彼女と別れた。

後腐れも無く颯爽と立ち去った。

1階下の6階を目指す。


エスカレーターで下りる最中――、

掌で握られたスタンプラリーの用紙に視線を落とした。

子供用にも拘わらず、私は向きになって居たのだ。

抑々の理由としては可愛いメモ帳が貰えると云われたからだ。

その他には何も言い訳など有りはしなかった。

しかし、可愛いとはどの様な物を指しているのだろうか。

価値観によって、その意見は異なるだろう。

一般的に云われている“可愛い”物でさえ個人的な意見にまで落とし込んで仕舞えば、何ら可愛くなどないのだ。

思うに、その“可愛い”と発した人物は老女であった。

詰まりは、その価値観と私の者とでは可成りの差異があって然るべきである。

その様に思うのが普通だ。

偏見だと云われようものなら、実際に検証してみれば良い。

仮に老婆の価値観が私の者と近い様なら、

――異様にその老婆が精神的に若いのか、

――私が精神的に老い耄れているのか、などと考えられる。

しかし精神的に若かろうが、相容れない事など有り得ない話ではない。

その為、実物を手にした瞬間に如何思うのかに焦点が当たる。

老婆の価値観など如何でも良いのだ。私には全く関係が無い。

その点を含め、如何しても許せない事がある。

それは景品がシールだった事だ。メモ張など何処に在る物か――。

使う宛ても無いシールは大事に財布に仕舞ってあるのだが。

こそこそと、この他愛も無いシールを何かと取って置く。

要らぬのに持って置く。どうせ捨てるのに貰って置くと云うのだ。

此処で明かして置こう、


――私は捨てる事の出来ぬ者だ。


決して自慢にはならないが、つくづくと捨てられないと感じる。

溜め込む癖が在る。片付けられないから片が付かぬのだと、以前ドラマで主人公が云って居た。

確かに――、その通りだと思う。思うと云うのも、矢張りそう云う物なのかと改めて考えている次第である。

何時までも片を付けぬのだから、何も上手く行かないのであろう。

そして玄関先に鏡が在るのも、運を悪くしていると云う。

――何処で聞いた話だったのか。

彼是と指摘されては聞くだけで疲弊してしまう。

悪い事ばかりで其れ自体を口にする事が抑々負の連鎖を生んでいるのだとすれば、全く以て本末顛倒である。

順序が逆なのだ。しかし、果たして如何して溜め込む事になったのかと云う疑問に尽きる。

其の答えは得てして単純な物だ。


私は只の器だと云うだけの事――。


常に空の状態であり、満たそうとする意志に突き動かされて居る。

その衝動に身を任せるも、小さな容量では全てを抱え込む事が出来ずに零してしまう。

その上、精神が不安定なら貯まる物も永遠に貯まらない。

私の安寧は何時しか求める度に擦り抜けて行った。

この虚ろなる躯に荒んだ精神では満たされる事など程遠い。

精神的に満ちる事が無いのなら、物理的に満たすまでの事だ。

――淋しい部屋は塵で埋め尽くされ、

――愚鈍な脳は如何にかして思考を巡らせ満たそうとする。

満たす事が出来ないからこそ、意固地に為る。渇望して已まない。



――私は穢れた存在だ。



この負の循環こそが私の精神を摩耗させる原因なのだ。

虚無から抜け出せない淵で、頭上から糸が垂れるのを只管に待っている。

他力本願を悪事としない。希望は何時もこの胸の中に宿り、

夢で終わらせる事は人生を無駄にする事と同義だ。



私は、私のこの命を、無駄にしたくは無い。



時として直向きさは異様に映る物である。

傍から見れば感じる事が出来るのだろうが、

主観では如何にも其れが分からない。

私は悉くメモを取って居る。

文字を書き、文字を連ね、文字を輪廻させる。

此処は6階の特別展示室であり、此れまでで最も狭い空間であった。



『エヴァンゲリヲンと日本刀展

~刀匠たちが挑んだエヴァンゲリヲンの世界~』



私は専ら日本刀の勉強をしたいが為に来ている。

しかし、強がりだと勘違いしないで頂きたい。

詰られるかもしれないが、

私はエヴァンゲリヲンを観た事も読んだ事さえも無いのだ。

文字通り何も知らぬ。無知である。

恥晒しに違いない。私は前向きな阿呆で在りたい――。


入場券を手渡し、展示室に這入った。

ぞろぞろと人の波が蛇行し壁沿いを行く。

人口密度だとこの空間が最大であろう。

挙って遣って来て居るのだ。枚挙に暇が無かった。

私はこの圧力に耐える事が出来ない。

他人の存在が私の其れを磨り潰して仕舞う。

――掻き消される。

仁王立ちにも限界は有る。

命が漏れ出さぬ様にと、私は必死に手繰り寄せた。

離れぬ様、無くさぬ様。


導入部は日本刀の製造方法や工程のお勉強だ。

次は時代別に刀の仕様が異なる事を解説していた。

刃を付ける前段階の日本刀が展示され、実際に握る事も出来た。

思いの外、重みが有った事は覚えている。

そして、職人達とエヴァンゲリヲンとのコラボ作品に相見える――。



【刃文の種類】

――中直刃ちゅうすぐは、丁子乱れちょうじみだれは

――小丁子刃こちょうじは、湾れのたれは

――互の目刃ぐのめは、小湾れ互の目刃、尖り互の目刃、

――皆焼刃ひたつらは



日本刀について学び、少なくとも言葉は覚えた。

特に刃文の模様に興味を惹かれてならない。

上記の通り刃文には種類があり、1つ取っても識別が難しい。

会場に居た詳しい方に訊いてみたが、矢張りそうであった。



【コラボ作品】

――ロンギヌスの槍、

――プログレッシブナイフ剣型<角/丸/ナイフ>、

――カウンターソード、マゴロクソード、ビゼンオサフネ、

――初号機型兜、弐号機仕様短刀<式波・プラグスーツ>、

――零号機仕様脇指<龍と槍>、初号機使用脇指<序・破・急>、

――真希波マリプラグスーツ仕様短刀、セカンドインパクト短刀、

――プログレッシブナイフ手鉾……



受けた印象でしか物を云えぬ質で申し訳無い。

至高の一品が当たり前の様に其処に在る。

実際にはガラスを挟んで鑑賞しているのだが、

仮にガラスを挟まなければ私などその存在感だけで

容易く消滅させられていただろう。


結局、閉館まで居た事になる。

閉館時刻になると学芸員(職員だろうか)は早速閉館の準備を始めた。

私は刃文について質問をしていたのだが、

閉館時刻を理由に中断させられてしまった。

時代ごとに展示された日本刀の刃文の種類だけにでも、

明確な返答を頂きたかったのだけれど。

非常に残念であった。

しかし、今になって後悔しても仕方の無い事だ。

後戻りは出来ないし、変わらぬ事である。


特別展を追い出されて思い出したが、

この日は台風の影響で天候が荒れて居たのだ。

屋外は最悪の土砂降り、

屋内は雨宿りで溢れ返る始末――。

煩わしい、

忌々しい、

呪わしい。

――嗚呼、私の安寧が。

――嗚呼、私の泰安が。

――嗚呼、私の平静が。



何時しか世界に復讐する時が訪れる。

ドロドロ神は全てを喰らい尽くす者、即ち破壊者だ。

無に帰す神ではなく、喰い散らかす不浄なる神だ。

吹き溜まりから生まれた激情が発する圧の胎動に地鳴る。

私こそ穢れた存在であり、その体内は蛆虫で溢れて居る。

ドロドロ神とは正に私の事だ。

顔を持たないその存在は常に不安定であり、

己すら簡単に無くしてしまう程の脆弱さが付き纏う。

頚を絞める重々しい羽衣は息を細くさせる。

生命が無理矢理に引き伸ばされ、薄っぺらく潰される。

浮上する事は叶わず、這い蹲り地を舐める屈辱に震え上がる。

ドロドロ神は蛆虫であり私の中に宿る者だ。

この命が尽きる時、この躯から抜け出す者こそが

その真なる正体である。

【参考文献】

・『善の研究(西田幾多郎著/岩波書店)』

・『ケガレ(波平恵美子著/講談社)』

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ