『Tout Genre Conquête projet』参加作品集
魅惑のアルバイト?
ジャンル指定『ホラー』
条件指定『起承転転』
その日、宮内茉莉は悩んでいた。
「どうしようかな……」
フローリングの上に敷いたカーペットには、決して少なくはない額のお金。親の手伝いなどをしながら茉莉がコツコツと貯めたものだ。にもかかわらず彼女のため息は深い。先ほどから、同じことのくり返し。
茉莉がお金を貯めていたことには理由があった。それは、新しい洋服を買うためだった。そこまでして貯めていたのだから当然、ただの洋服ではない。半ば田舎には入荷されることすら珍しいものだった。それならば手っ取り早くアルバイトでもすればいい、と思うだろうが、如何せん彼女の通う学校ではアルバイトの類はいっさい禁止されている。未だに古めかしい考え方のお嬢様学校なのだ。
「はあ……」
再び茉莉は大きなため息をついた。ここが流行から疎いことも幸いし、それがまだ売れ残っていることは知っている。このご時世、在庫を確かめるためにわざわざ店まで足を運ぶ愚直な者はほとんどおらず、メールなどで確かめるのが定石だった。彼女もご多分にもれず、スマートフォンから店のウェブサイトにアクセスして逐一、在庫の有無を確かめていた。
今はあるけれど、明日には誰かに買われてしまうかもしれない。そうなったら、今度はいつ入荷されるか分からない。だけど、どうしても一万円、足りない。募る焦りは茉莉の平常心を少しずつ奪い去っていく。
「やっぱり、利用するしかないか……」
手にとったチラシを、茉莉は陽にかざしてみる。それでなにかが変わるわけでもないが、気分の問題だ。
先ほど郵便受けを確かめたときに一緒に入っていたそれは、超が付くほど短期のアルバイト募集のチラシだった。募集主は町外れの屋敷に住んでいる人形師で、人形のポーズをより深く考えるために、モデルを募集しているという。一泊の拘束で報酬は四万円。さらには特別ボーナスが付くという破格の待遇ぶり。校則でアルバイトは禁じられているが、たった一日だけのこと。露見する可能性は、限りなく低い。今の茉莉にとってはまさに『渡りに船』といえた。
だが、茉莉の表情は渋い。この募集に関する良からぬ噂を、数名の友人から聞いていたからだ。曰く――
『このアルバイトをしにいった何人かがその後、行方不明になっている』
茉莉は、オカルトの類にはいっさいの興味もなかった。本来であれば一笑に付すところだが、友人の知人までもが行方不明になっていると聞けば、穏やかではいられない。しかし、心の片隅では「なにを馬鹿なことを」とも思っていたのだった。
片方の皿に“自制”、もう片方に“物欲”をのせた天秤が、茉莉の中で揺れ動く。普段の彼女であれば自制が勝っていただろう。だが、平常心は今も加速度的に奪い去られて――結果、“物欲”の皿がカツンと床に着いた。
「よし……」
善は急げ、とばかりに茉莉はチラシに記されている連絡先に電話を掛ける。果たして数回のコール音の後に応じたのは、若い男の声だった。あの屋敷に住んでいるのは老人か老婆と決めつけていた茉莉は一瞬、言葉を失ったが、すぐさまアルバイト希望の旨を伝えると話はトントン拍子に進み、「それでは、明日の午前九時にこちらまでお越しください。お待ちしております」と、男は通話を切った。
履歴書も必要なく、手ぶらで来て良いと言う。あまり気楽さに拍子抜けした茉莉だったが手間が省けた、と手放しで喜び、ベッドに寝転んだ。今日は祝日、明日は土曜日で学校はともに休み。一泊するので両親を説得しなければならないが、友人宅に泊まりに行くとでも言って後はその友人に口裏を合わせてもらえばいい。元々、自分の両親は放任主義なところがある。反対されることはないだろう、と茉莉は陽の光を受けながら、しばらくまどろむのだった。
翌日の午前九時前。鬱蒼と生い茂る森のような場所を抜け、茉莉は町外れの屋敷の玄関前に立っていた。壁の各所から蔦が伸び、まるでお伽話に出てくる屋敷でも見ているような気分にさせられる。
茉莉は以前からこの場所を知っていた。当時は鼻で笑っていたのだが、友人に案内されて否応なしに存在を認めさせられたのだ。だが、その時はここまでではなかった。ここ数年で急激に不気味さが増したような気がする。これが純日本家屋であれば侘び寂びといえるのだが、西洋式建築物では得体の知れない者が住んでいるとしか思えない。
「って、そうじゃないでしょ……」
軽く首を横に振って自分にツッコミを入れる。今日、ここに来た目的は屋敷の外観を評価することではない。自分はアルバイトをしに来たのだ、と茉莉は気を取り直しておとないを入れた。ピンポーンではなく、リンゴーンと重厚な音が辺りに響くと、内側から鎖を鳴らすような音がし、やがて扉は開かれる。中から顔を覗かせたのは、整った顔の好青年だった。
「やあ、いらっしゃい。君が、宮内茉莉さん?」
「は、はい。そうです」
繊細な顔の割にしっかりとしたテノール・ボイスに、茉莉はやや面食らってしまう。町外れの屋敷にこんな青年が暮らしているなど誰が想像できようか。普通の者であれば間違いなく、想定の範囲外だろう。
ともあれ、青年の案内で屋敷の一室へと案内され、品の良い椅子に腰掛けた茉莉が興味津々に辺りを見回すと突如、複数の目と視線が合った。
「わあっ!」
椅子を鳴らせるほどに驚いてしまう。複数の子どもがこちらを見ていると思ったのだ。だが、それにしては様子がおかしい。全く動きがない上に、肌が異様に白い。思い当たるフシがあったのか、青や赤、緑といった人間のものとは思えない瞳を見た茉莉は理解した。子どもたちは陶磁で作られた人形だったのだ。
「ビスクを見るのは初めて?」
いつの間にか背後に立っていた青年が紅茶の準備をしながら、茉莉に問いかける。
「テレビの中でなら。でも、実物を見たのはこれが初めてです……」
「そう。まぁ、普通に生活している限りは見ることはないと思うからね。はい、どうぞ」
切れ味の良いそれでいて柔らかい笑顔をして、青年はソーサーごとカップを茉莉の前に置く。ダージリン、いやディンブラだろうか、紅茶を嗜む習慣のない彼女には分からないが部屋に良い香りが充満する。
「さて、一応聞いておくけど、どうしてこのアルバイトをしようと思ったのかな?」
真正面に座った青年はテーブルの上で両手を組み、茉莉を見る。奥で揺らめくような瞳に気圧されないように、はっきりと彼女は伝える。
「どうしても欲しい服があって。でも一万円足りなくて、そんなときにここでアルバイト募集してるってチラシが入ってきたんです」
「なるほど、ね……」
話を聞いた青年は急に気難しい表情になり、腕を組んだまま天井を見上げる。もしかしたら機嫌を損ねてしまったんだろうか、受けてもらえなかったらどうしようと、うろたえる茉莉は身を乗り出し、
「あ、あのっ! お金が欲しいのは本当ですけど、好奇心だけで応募したんじゃないんです。ちゃんとお仕事もしますからっ!」
すると、そんな茉莉の様子がおかしかったのか、青年は薄荷のような笑い声を上げる。
「え、あたしそんなに面白いこと言いました?」
「いえいえ、こちらのことです。お気になさらずに。理由がどうあれ、貴女ほどの方であれば拒みはしませんよ。ご安心ください」
貴族めいた青年の微笑みに茉莉は思わず赤面する。照れ隠しに紅茶を一口飲むが鼓動が一向に収まらない。平常に戻るまではしばらく掛かりそうだ。
最後に青年は何故か、茉莉が欲しがっている服の名前を聞いてきたが、彼女にはその真意が最後まで分からなかった。
「はあ、疲れた……」
屋敷の内装に負けず劣らずの夕食とワインを堪能した茉莉は充てがわれた一室に戻ると、即座に天蓋付ベッドにポフッと倒れ込んだ。食べてすぐ寝ると牛になる、とは子どもの頃から言われてきたことだが、この際は仕方がない。
まるで中世の姫が暮らしていたような部屋だ。茉莉の部屋の数倍は広い。調度品も年代物の限りなのだが、それを見て楽しむだけの余裕は、今の彼女にはない。
視界がゆらゆらと揺れている。勧められるままにワインを飲みすぎたのがいけなかったのかもしれない。あれは確か『シャトー・マルゴー』という名前だったか。お酒をほとんど飲んだことがない茉莉でさえ、ある種の感銘を覚えるほどの味だった。
「と、いけないいけない」
そのまま寝てしまうところだった茉莉はすんでのところで立ち上がる。服を脱いでこれまた豪奢なネグリジェに着替える。もちろん、脱いだ服をきちんと畳むことも忘れない。
「これでよし、と。おやすみなさい……」
ベッドに入って薄毛布を被ると、慣れないことに疲れた体はすぐさま睡眠を欲し始める。長時間、同じポーズを取らされて写真を何枚も撮られたが、普段は決して着れないようなドレスをたくさん着られてそれなりに充実した一日だった、と思った茉莉の意識は瞬く間に、深い海の底へと沈んでいった。
翌朝。生い茂る森に遮られた柔らかい日差しに茉莉は目を覚ます。んー、と伸びをしようと思ったが、腕が上がらない。それどころか、妙に視線が高い気がする。
部屋の様子もうってかわって違う。妙にホコリが舞っている。まるでどこかの物置のようだ。
――あれ、あたしなんで……立って寝ちゃってたの?
茉莉は確かに声を出したはずだった。だが、その声は口腔内で反射し、再び喉の奥へと戻ってくる。
ここで彼女は自分の身の異変に気付いた。腕、足どころか首さえ動かせないのだ。唯一、動かせるのは目線だけ。
――え、これって……どういうこと!?
「やっと起きましたか。気分は如何です?」
茉莉の視界に青年の姿が映る。昨日までの笑顔とは比べるべくもなく、薄氷を貼り付けたほどに無表情だった。両手で誰かを抱えているようだが、ぼやけて見えない。
――あたしになにをしたんですか! 元に戻してくださいっ!!
怒りをあらわにする茉莉の言葉が聞こえているのか聞こえていないのか、それを無視して青年は淡々と言葉を紡ぐ。
「貴女は大変に愚かではあるが、美しさは変わらない。報酬は約束通り四万を、加えて特別ボーナスとして四百万、支払いましょう。それだけの価値が、貴女にはある」
その額を聞いて茉莉は卒倒しそうになる。たった一日で四百四万円――だが、今の状態ではそれを受け取ることすらできない。彼女は目を剥いて強い口調で言った。
――あたしを、元に戻してっ!!
「やれやれ、なにかを言っているのでしょうが、表情が変わらないのでは分かりませんね。まぁ、貴女のような愚か者は、人形となって上辺だけの美しさを誇っていたほうが良いというものだ」
「いずれ帰してあげますよ」と、青年はくるりと踵を返す。直後、茉莉の視界が急に晴れてきた。背中を向けられては抱えている者の姿は見えないが、着ている服の裾が辛うじて見えた。あんな特徴的な裾は他にない。あれは、あれは彼女が欲していた――
――ま、待って! どうして、こんなことを……!!
必死の呼びかけに青年は足を止める。続けて掛けられた言葉は、厳冬の冷水よりも冷たいものだった。
「……“自制”と“物欲”の天秤が貴女のなかで揺れ動き、結果的に“物欲”が勝った。それだけのことです」
ドアが閉められると同時に全てのカーテンが緞帳のように降り、部屋は暗闇に包まれる。
青年のいうところの愚かな茉莉はようやく全てを理解する。陶磁人形の製作を生業としている時点で気付くべきだったのだ、と。
やがて、複数の女のすすり泣くような声が聞こえ、それが自分と同じ末路をたどった女たちだと分かると、茉莉もまた自責と後悔の念にすすり泣くのだった。
強烈な喉の渇きを覚え、茉莉は瞼を開いた。見知った天井、窓から見えるお馴染みの景色。間違いなく、自分の部屋だ。
どうやらあれは夢だったようだ、と茉莉は身を起こそうとしてそのまま固まった。視界に映ったのは、どこの家にでもあるカレンダーだった。
2017年 4月21日
それを疑問に思う間もなく部屋のドアが開き、鼻歌を歌いながら誰かが入ってくる。
「おはよう。今日もいい天気だね」
その誰かは自分に声をかけているようだ、と茉莉が目線だけを動かして確認すると――
そこにいたのは、在りし日の――