第九話
――ラオヴァルトには謎が多かった。
彼の名前はラオヴァルト=デリウス。
前執事、ブルーノ=デリウスの孫息子。
漆黒の髪に、サファイアのような青藍色の瞳が印象的な、役者のように整った麗しい風貌を持つ。
思えば、エティシラの知る彼のデータはそれだけしかなかったのだ。
「あんたって、秘密主義なの?」
「は?」
午後八時過ぎ。
部屋へ豪華な朝食を運んできたラオヴァルトに、エティシラがふと言葉を投げかけると、思い切り怪訝そうな表情で返された。
「だから、あんたは秘密主義なのかって聞いているのよ? ていうか、そうなのよね? 私、ラオヴァルトについて知ってることなんて全然ないもの」
「秘密主義と言うか……俺について、姫様にいちいちお教えする必要もないかなと思いまして」
「教える必要あるわよ。私、もっとラオヴァルトのことを知りたいもの」
エティシラは腕を組み、背の高い執事を見上げる。
ブルーノのことはもっとよく知っていた。
十月一日生まれで、今年で六十七歳。趣味はゴルフで、好きな食べ物は干しブドウで――。
「俺の……」
漏らすようにぽつりと呟くと、ラオヴァルトは言い聞かせるようにエティシラへ顔を近づける。
「――俺のことについて知っても、あまり良いことはありません。ですから、今は姫様は何も知らなくて良いんです」
拒絶するその表情は穏やかで、まるで駄々をこねる子供を宥めているよう。
けれど同時に、どこか苦痛の色が滲んでいる。
悔やんでいるような、悲しんでいるような……。
「……そう」
あまりにラオヴァルトが真剣な様子だったので、エティシラは彼の瞳から目を逸らす。
今は、何も知らなくて良い。
と云うことは、いずれ知ることができる日が来るのだろうか。
「とりあえず、俺は姫様よりは年上ですよ」
「そんなの言われなくたって分かってるわよ。じゃあ……、好きな食べ物は? これくらいはいいでしょう」
「好きな食べ物ですか? そんなことを聞いてどうするんです、まるでどこかの子供みたいですよ」
馬鹿にしたようにラオヴァルトが嘲笑するので、エティシラはムキになって拳を作った手を上下に振る。
「なっ……、うるさいわね! いいじゃないっ、それくらい教えてくれたって!」
「……そうですね……」
少しの間考えこむような仕草をして、ラオヴァルトは言った。
「――ミルククッキーです」
「ミルククッキー?」
らしくないと云うか、庶民的と云うか、親しみがあると云うか、可愛らしいと云うか――
何はともあれ予想外の答えに、エティシラは目を見張る。
「ミルククッキーって……甘ったるくて小さいアレのことよね?」
「それ以外にありませんが――って、何笑ってるんですか」
こらえきれないと云った様子で、肩を震わせるエティシラを指摘するラオヴァルト。
「ふふふっ、ラオヴァルトにも可愛いところがあるのね」
「姫様。せっかくのお言葉ですが、あまり嬉しくないです」
ラオヴァルトは微妙な表情だったが、エティシラはまだ笑い続けていた。
けれどその最中にも、先刻の彼の言葉が頭に浮かぶ。
穏やかであると同時に、苦痛を示すあの表情とワンセットで。
『――俺のことについて知っても、あまり良いことはありません。ですから、今は姫様は何も知らなくて良いんです』
あの時ばかりは、いつもと違い余裕がなさそうに見えた。
朝食をテーブルに並べ終え、部屋を出ようとしたラオヴァルトは途中でぴたりと足を止めた。
「そういえば――姫様、今夜の支度はもうお済みでしょうか」
今夜の支度。
今夜と云えば、二ヶ月に一度の恒例のイベントがある。
忘れていた訳ではなかったが、きまりの悪いエティシラはラオヴァルトとは目線を合わせずに言い放った。
「……まだよ。どのドレスを着ていくか迷いに迷ったけれど、結局決められなかったの」
今夜、ベルリガ王国の宮廷では舞踏会が行われるのだ――。