第八話
「わあっ! あのブローチ、とってもかわいいわ!」
「姫様」
「それから、あの水色のワンピースも欲しいわね。色が私の理想通りなの」
「姫様」
「このスカーフも、ひらひらのレースがついてて素敵ね」
「――エティシラ姫様」
笑顔ではしゃぎ回っていたエティシラは、ラオヴァルトの何度目かの呼びかけに漸く足を止めた。
「何よ、ラオヴァルト」
「……何よじゃありません。すみませんが、そろそろお買い物は終わりにしていただけませんか。重すぎてそろそろ限界です」
ラオヴァルトは長い溜息を吐き、力を込めて両腕を持ち上げる。
その腕には三十個近くの紙袋が提げられていた。
宮廷から、少し離れた場所にある歓楽街――。
可愛い服やアクセサリーの店をたくさん備えたこの街は、エティシラにとってお気に入りの場所だった。
けれど――ガラの悪い人間もいないし、危険な物だって売っていないのに、心配性の父はこの街へ出かけることを「危険だ」と頑なに反対した。
それでも、エティシラだって姫とは云え年頃の娘。
前々からブルーノを荷物持ちとして連れては、内緒で宮廷を抜けだして街へ遊びに行ったものだ。
そして今日、街へ繰り出した際の「荷物持ち」の役割がラオヴァルトにも回ってきた。
「えー? あとニ時間はお買い物したいわ。ブローチもワンピースもスカーフも欲しいし」
「却下です。そろそろ腕の感覚が失くなってきました」
「何よ、男のくせに情けないわね」
そう言って、エティシラは肩をすくめる。
ラオヴァルトはにこりと笑って、紙袋を三つほどエティシラの前に差し出した。
「それでは姫様、試しに持ってみますか?」
「う……いいわよ、それは遠慮しておく」
その気になればあと一週間この街に居続けることだってできたが、そんなことをしたらラオヴァルトはついに疲労で倒れてしまうだろう。
まだ名残惜しさはあったが、エティシラは宮廷へ戻ることにした。
「それにしても姫様、こんなにたくさん……一体何を買ったんですか」
「えっとねえ、ドレスとかブラウスとかスカートとかリボンとか――」
「それ、本当に全部使うんですか?」
「ちょっと、ラオヴァルトまでお母様やブルーノみたいなことを言わないでよね」
ラオヴァルトの言葉に少し焦りつつも、エティシラは堂々と言い放った。
自分で買っておいたくせに、結局使わないと云うのはエティシラがよくやってしまう悪い癖だった。
何度、母やブルーノに叱られたことか。
「……買う前はすごく欲しいって思うのよ。だけど、いざ手に入ると、もうそれで満足しちゃうの」
ぽつりと呟くと、ラオヴァルトはなぜかふっと笑った。
「姫様は、独占欲が強いんですかね」
「独占欲と買い物の話に、何の関係があるのよ……」
「いいえ、別に」
ラオヴァルトは妙に意味深な発言をしたと思ったら、また、先刻のように紙袋を何個かエティシラの前に差し出した。
「なに?」
「姫様、一度でいいから持ってみてください」
「だ、だからさっき嫌だって言ったでしょ。いやよ、そんな重そうなもの」
「その“重そう”なものを、俺はずっと持ってたんですよ。ぜひ俺の苦労を体感してください」
ラオヴァルトは、妙に楽しげな笑顔を浮かべる。
「そんなの体感したくないわ!」
見るからに相当重そうな荷物を押し付けてくるラオヴァルトに、エティシラは走って逃げ出した。
しかし、大荷物を抱えているとはいえさすがは男の足。
ラオヴァルトはあっさりと彼女に追いつき、「さぁ、どうぞ」と無理に紙袋を彼女の手に持たせた。
「……はあ、はあ……全くもう、あんたって本当サディスティックよね!」
息を切らしながら、エティシラはその紙袋を持ち上げる。
まるで何かの罰を受けているようだ。
――直後、
「え? ちょっ……何、これ…………、っきゃあああ!」
もごもごと声を上げ、エティシラはその場につまずいて膝を擦りむいた。
「いたたたたた………」
「大丈夫ですか、姫様。どうして何もないトコロで転んだんでしょうね」
まったく心配していない顔のラオヴァルトに、エティシラは涙目になって訴えかける。
「あんたがこんな重いモノを持たせるから、バランス感覚を失ったのよ!」
最も、ラオヴァルトはこれを長時間――いや、これよりずっと多くの紙袋を持たされていたのだが。
「まあ……姫様はずっと運動なんてして来なかった訳だし、無理もないですね。ご無理をさせてしまって申し訳ございまんでした、姫様」
「分かればいいのよ、分かれば……うぅっ、痛い」
周りの目も憚らず、エティシラはその場にしゃがみこむ。
「……」
ラオヴァルトは何かを考え込んでいるようで、彼女の前に屈み込むと尋ねた。
「怪我をしたのは膝ですか?」
「そうだけど……」
「そうですか。では失礼します」
「?……!!!??」
そのとき、エティシラは声にならない叫び声を上げた。
ラオヴァルトは、ごく自然な動きで、エティシラのドレスのスカート部分をめくったのだ。
「な、な、ラオヴァルト、あ、な、なにを」
「何動揺しているんですか、姫様。俺はあなたの傷口を見たかっただけです。血が出る前にこうしておかないと、せっかくのドレスに血が染みてしまいますし」
真っ赤になるエティシラに、ラオヴァルトは無表情で告げる。
「だ……だから、って!! それはレディーに対する態度なの!?」
「……レディー?」
ラオヴァルトは、血が出ている膝から彼女の顔へと視線を移す。
「なんでちょっと笑うのよ!!」
本当に本当に本当に失礼な執事だ。
エティシラは心の中で、無配慮な執事へと悪態をつきまくる。
――しかしここで、ラオヴァルトは更にとんでもない行動に出た。
「……始めに言っておきますが、怒らないでください」
まるで敬意を込めて手にするそれみたいに、ためらいもなくエティシラの膝へと口づけたのだ。
「ななななななななっな……!!!!!」
エティシラのうろたえっぷりは先程より更にヒートアップし、その顔もますます赤くなる。
「もう一度言いますが、怒らないでください。消毒をしているんです」
ラオヴァルトの舌が膝を抉り、ぴりっとした痛みをエティシラは感じる。
それからラオヴァルトはすぐに口を離し、どこからか取り出したガーゼで膝元を抑えた。
そして手馴れた手つきで手当てを始める。
「……」
なんだかもう平常な気持ちでいられないのだが、とりあえずお礼を言うべきだと思った。
「あ、りがとう」
「いえ」
エティシラが小さくつぶやくと、ラオヴァルトは小さく笑って首を横に振った。
……とんでもない執事だ。
エティシラはすっかり気疲れしてしまい、ふらふらと立ち上がってラオヴァルトと共に歩き出した。