第七話
「エティシラ様、朝ですよ。起きてください」
その日の朝、眠りに付いていたエティシラはラオヴァルトではなく馴染みの侍女に起こされた。
午前八時――。
いつもと全く同じ時刻に目が覚めたと云うのに、なんだかあまり良い目覚めではなかった。
ラオヴァルトは今日、宮廷内にいない。
父からの申し付けで、エティシラの生活品や衣類の買い出しへ行ってしまったのだ。
昨日の晩に出発した彼は、今日の深夜に帰ってくるらしい。
「暇だわ……」
寝癖で絡まった髪を梳かしながら、エティシラは声を漏らす。
普段はラオヴァルトにハーブティーでも淹れてもらって、退屈を凌いでいた。
別にハーブティーくらいそこら中にいる侍女だって淹れることはできるが、なぜか頼もうと云う気にはならなかった。何なら自分で淹れてもいいのだが、やはりその気にもならない。
「ねぇ、何か面白い話とかないかしら。暇で仕方が無いわ」
ようやく髪の絡みが解けたエティシラは、せっせと室内を掃除している一人の侍女に声をかけた。
「面白い話、ですか。うーん、姫様のお話相手は、いつもブルーノ様やラオヴァルト様が任されてきましたからねぇ……」
長身のその侍女は、モップを動かしていた手を止めて悩み始める。
そしてしばらくしてから、何かを閃いたらしく瞳を輝かせてみせた。
「これ、友人から聞いた話なんです。むかーしむかし、ある国に、一人の少女がいました」
お伽話を語るような口調で、侍女は話しだす。
「少女は十六歳になったとき、国の王子様の召使いとして働き始めます。王子様はとても美しく、様々な国の姫から求愛された素敵な方でした。いつしか少女も、美しい王子様に恋心を抱くようになりました」
エティシラが小さく頷いたのを確認し、侍女は続けた。
「やがて王子様も、その少女に恋をします。王子様が選んだのは、どこかのご令嬢や姫君でもなく――召使いの少女だったんです」
「へえぇ、なんだか素敵な話じゃない」
エティシラはそう言ってはにかんだ。
そんな彼女に、侍女は「お話はまだ終わっていないんですよ」と言って続ける。
「相思相愛になった二人ですが、二人にはあまりにも大きな身分の違いがありました。国を背負うべき王子と、あまり暮らしも豊かではない召使い。当然、周囲の者は二人の恋に反対します」
「まあ、そうよね」
「それでも二人は、周りの者など関係なく、強く惹かれあっていきました。ですがあるとき、二人を見かねた国王様が……」
ここで侍女は一度話を止める。
「何よ、早く話の続きを聞かせてちょうだい」
「ここで姫様に質問です。この後、国王様はどんな行動に出たと思いますか?」
話の続きをせがむエティシラに、侍女は質問を投げかけた。まるで、どこかの先生のような物言いだ。
「そ、そんなのわからないわよ。ふ……二人をこっぴどく叱ったとか?」
「いいえ。――国王様は、家来の者に召使いの少女を殺させてしまったんです」
侍女によって放たれた衝撃的な答えに、エティシラの表情がこわばる。
「王子と召使いの恋は、何が何でも許されなかったんです。少女の死は、表向きは病死と云うことにされました。王子も少女は病死したのだと思い込み、彼女の死をひどく嘆き悲しみました。ですが、その後他国の姫と結婚してしまいました」
「……終わり?」
エティシラは、縋るように侍女に問うた。
「はい。これで物語は終わりです」
「……」
……面白い話ではあったが、とても悲しい話だった。
禁断の恋をした二人に待っていたのは、悲しい結末。
エティシラは自分まで落ち込んでしまい、浮かない表情で俯いた。
「ハッピーエンドじゃないのね。……そのお話、結局何が言いたいのかしら」
「――身分が違う者同士による“禁断の恋”に、ハッピーエンドは待っていないと云うことではないでしょうか」
悲しげもなく、侍女は淡々と述べる。
「どんなに願っても、身分が違う者どうしの恋は決して許されない、と……。……エティシラ様も――」
「え?」
「エティシラ様も、気をつけてください。ラオヴァルト様とのこと、人にバレたら大変なことになるかもしれません」
口では心配そうに言っていたが、侍女はにっこり笑っていた。
「き……気をつけるも何も、私とラオヴァルトはその物語の二人みたいな関係じゃないわよ。ただの主人と執事だもの」
エティシラは腕を組んで、侍女の視線から逃げるようにふいっとそっぽを向く。
きっと自分は、いずれどこかの王子と結婚させられるのだろう。
そしてそれは、あまり遠くはない未来の話で――。
ラオヴァルトも、いつかはどこかの娘と恋に堕ちるのだ。
今だって侍女たちに「格好良い」などと騒がれているのだから、相手ならたくさんいるはずだ。
「……私とラオヴァルトは、恋仲になったりなんてしないわ」
確かめるように呟きながら、エティシラは嵐の夜のラオヴァルトの言葉を思い出す。
『俺は執事として、あなたにこれ以上のことはしません。――絶対に』
彼も言っているように、自分たちはこれ以上にもこれ以下にもならない。
――“主人と執事”以上の関係になることなど、ありえないのだ。
そう自分に言い聞かせつつも、エティシラの頭からは侍女の話が一向に離れなかった。