第十三話
「姫様に、お話があります」
ラオヴァルトの小さな声はやはり透明感があり、聞いているとどこか気が安らぐものだった。
「話……?」
いつになく真剣な表情のラオヴァルトに、エティシラも真剣な表情で彼に尋ねる。
ラオヴァルトは一度頷いてから、話し始めた。
「おじいさまから、見合いの話を持ちかけられました」
……ラオヴァルトが、見合いをする。
先ほどブルーノが言っていたのを聞いたはずなのに、あらためて本人の口から聞くとまた胸が痛くなった。
やはり心のどこかでは信じきれていなかったのだ。
「……知ってるわよ、そんなこと」
自然と、エティシラの口調はややきついものになる。
「相手は伯爵家のご令嬢でした。……家柄もよく、俺の結婚相手にするには申し分ない相手だと。俺がそのご令嬢と婚姻を結べば、俺の家はしばらく栄え続けるでしょう」
「………」
「俺も……そのご令嬢と婚姻するのが一番だと思います」
ラオヴァルトが言葉を放つのと比例して、エティシラの胸はずきずきと痛んでいた。
その言葉ひとつひとつが、鋭いトゲを持っているみたいだ。
「そのお見合い、受けるつもりなのね」
精一杯の冷静さを保ち、エティシラは震える手を抑えた。
ラオヴァルトは何も答えなかった。
見合いを受けるか否か――悩んでいるのかもしれない。
「よかった……じゃない。あんたが結婚したら、ブルーノもきっと喜ぶわよ」
よかった、なんて。
これっぽっちも思っていないのに。
ブルーノは喜んでも、その代わりにひどく悲しむ人物だっているのに。
本当のことは何一つ口に出来ず、エティシラはラオヴァルトから顔をそらした。
まっすぐに自分を見つめるその青藍色の瞳と視線を合わせたら、今度こそ彼の前でも泣いてしまいそうだったから。
エティシラを逃すまいと本棚に添えられていたラオヴァルトの手がゆっくりと降ろされ、エティシラは黙って図書室のドアへと向かい歩き出す。
ラオヴァルトとは、依然視線を合わせないままで――。
「姫様は、どう思いますか?」
もう少しで図書室を出ると云うところで、彼女の動きを止めたのはラオヴァルトだった。
やはり震えてしまうエティシラの手をやや乱暴に掴み、そっと問いかける。
「……俺がご令嬢と婚姻するのが、一番いい選択だと云うことはわかっています。だけど……だけど、俺は……。……あなたさえ嫌だと仰ってくれるのなら、俺は――」
まるで、今から禁忌を犯そうと云うような悲しい響きの声だった。
ラオヴァルトのその声が、こんなにも切なく感じられるのは何故だろうか。
――嫌だ。
いつもの命令するときの口調で、そう言えたならどんなに良かっただろう。
誰とも結婚しないで。他の女のものにならないで。
わたしの元をずっと離れないでいて。
わたしは、ラオヴァルトのことが……。
「……」
けれど、駄目なのだ。
何も言えない。
本当のことは何も言うことのできない魔法にかけられたかのよう。
代わりに口をついて出たのは、
「好きに、したらいいじゃない」
本心とは、まるっきり逆のこと。
「あんたは、わたしの執事なのよ。……ラオヴァルトが誰を好きになって、誰と愛し合って、誰と結婚するのかなんて――わたしの知ったことじゃないわ。結婚、……したらいいじゃない」
ラオヴァルトに背を向けてつぶやく。
その言葉を受けたラオヴァルトは、何も言わずに手を離した。
そしてエティシラは、静かに歩き出して図書室を出てゆく。
ドアがゆっくりと音を立てて閉まった。
図書室を出て目の前に広がる廊下はおそろしく静かで、今は舞踏会の最中と云うこともうっかり忘れてしまいそうなほど。
昨夜ラオヴァルトが選んでくれたドレスが、そのことを何とか記憶に留めてくれるのだ。
ひとりになると、色々な思いが浮かび上がってくる。
要らない雑念まで、こみ上げるように心のなかを占めてしまう。
「……っ」
ゆっくりとドアにもたれたエティシラの瞳から、涙がこぼれ出した。
せっかく止んだはずの涙なのに、雨のようにまた流れだして。
準じて、胸の痛みはさらに強いものへとなっていく。
悲しくて、辛くて、やりきれなくて、幾つもの感情が混ざり合って深い悲しみの色を彩っている。
不思議だ。
どんなに強く思っても、決して口には出せなかったことが、今ならみんな言えてしまいそうだった。
見合いなんて――婚姻なんてしてほしくないと云うこと。
ずっとそばにいてほしいと云うこと。
何処へも行ってほしくないと云うこと。
「……ラオヴァルトのことが、好きなの」
彼に抱いている、本当の気持ちも。
いつか聞いた、王子と愛し合った召使いの少女の話。
禁断を犯し、そして決して許されはしなかった悲しい愛。
――その話の伝えたかったことは、やはり身分違いの恋は許されていないと云うことなのだろうか。
それでも――だとしても、エティシラは、もう自分の気持ちを分かってしまった。
"禁断”を心のなかに迎え入れてしまった。
――ラオヴァルトに、恋をしてしまった。




