第十話
ベルリガ王国の宮廷で二ヶ月に一度行われる舞踏会は、毎回大いに盛り上がっている。
王宮内に備えられた大きなホールに、どこかの令嬢とか御曹司とか公爵とか――とにかく沢山の人が、招待されて来るのだ。
だからエティシラは、ただひとりの姫君として、他の娘たちに劣ること無く誰よりも目立っていなくてはならない。
誰よりも高く美しいドレスとアクセサリーで身を包み、招かれた者たち全員の視線を一気に集めるほどに煌びやかでいなくてはならない。
そのことがエティシラにとっては少なからずプレッシャーになっており、どのドレスを着るかと云うことさえも安易には決められなかった。
六時から始まる舞踏会を目前にした、午後五時過ぎ。
「姫様、お手をどうぞ」
白い手袋をはめた手が、煌びやかに着飾ったエティシラへまっすぐに差し出される。
エティシラが戸惑いがちにそれを取ると、ラオヴァルトは優しく微笑んだ。
「そのドレス、やっぱりよくお似合いです」
「……そうかしら」
結局どのドレスにするかを自分では決められなかったエティシラは、ラオヴァルトの判断に委ねることにした。
長時間をかけて、何十枚ものドレスを着てみせて――あるドレスを着用した時、今まで曖昧にしか反応しなかったラオヴァルトがようやく、手応えのある反応を示した。
「姫様にはこれが一番お似合いです」
それは、明るい紺色の単調なドレスだった。
ラオヴァルトの瞳とよく似た美しい色ではあるが、極めてシンプルなデザイン一枚。
けれどラオヴァルトは「シンプルなデザインのものこそ、姫様の高貴さが際立つものです。アクセサリーも埋もれずに目立ちますし」と推していたので、これにすることに決めたのだ。
「舞踏会には、あんたも参加するんでしょ。侍女たちが楽しみにしていたわ」
「俺はあくまでも姫様の付き人ですから、参加するつもりはなかったのですが……。一応ダンスは覚えているので、人数合わせに――と」
ラオヴァルトは遠慮がちに言ったが、舞踏会に彼の姿を見つけた侍女たちはきっと狂喜乱舞することだろう。
エティシラには、侍女たちの喜ぶ顔が目に見えてくるようだった。
今回の舞踏会には使用人たちも参加する。
だから侍女たちが、「ラオヴァルト様は御参加されるのかしら」と噂話に花を咲かせていたのをエティシラはよく知っている。
「ラオヴァルトも大変ね、色んな女の好意を一身に背負って」
「は? 何のお話ですか?」
「なんでもないわよ」
小さくつぶやき、エティシラはラオヴァルトと共に部屋を出てホールへと向かった。
◆
「あの方が、エティシラ姫様の執事ですの? たしか名前は――」
「ラオヴァルト=デリウス様よ。なんて凛とした佇まいなのかしら」
「端正な顔立ち……。ああ、目が眩むほどに素敵なお方。一度でいいからお話をしてみたいわ」
ホールに入るなり、話題の中心になったのはエティシラ――ではなく、その隣で彼女をエスコートしているラオヴァルトだった。
侍女たちはもちろん、彼を初めて見た令嬢たちもわずかに頬を染めてひそひそと言葉を紡いでいる。
これでは、他の男たちの立場がなくて可哀想な気もする。
「………」
エティシラは複雑な思いのまま、ゆっくりとラオヴァルトから手を離した。
「姫様?」
「好きなところへ行ってきていいわよ。あんたと踊りたいって女、ここに有り余るくらいにいるんだから」
じっとこちらを見つめている女たちに視線を投げ、エティシラは笑ってみせた。
「……ですが――」
「あ、あのっ、ラオヴァルト様!」
ラオヴァルトは反論しようとしていたようだが、その声を遮って、一人の女が彼の元に近づいてきた。
「わたしと、少しで良いのでお話してください!」
姫の前だと云うのにやたらと積極的な彼女は、ラオヴァルトをじっと見つめる。
「――いや、俺は……」
ラオヴァルトは困惑気味だったが、そんなことはお構いなしだ。
「マルガレータ嬢、ずるーい! 私もその方とお話ししたいわ」
「ラオヴァルト様、いつから姫様に仕え始めたんですか? ご出身はどちらで?」
次々とホール内の女たちがラオヴァルトへと駆けより、輪のように彼を囲む。
エティシラはどんどん数を増してゆくその輪を、少し離れた場所で見つめる。
「あーあ、ニヤニヤしちゃって。何よ、馬鹿執事のくせに、ちょっと騒がれたからって良い気になって」
誰も聞いていないのをいいことに、思い切り毒づいた。
ラオヴァルトの方をちらりと見たが――その姿は多数の女たちによって隠されており、その表情は伺えない。
たしかにラオヴァルトは整った風貌をしているし、身のこなしだってとても優雅だけれど。
騒いでいる女たちは何も知らない。
彼が実はとんでもない性格だってことも。
秘密主義らしい彼について知っていることはごくわずかだけれど、それでも――宮廷内で彼について一番よく知っているのはエティシラだ。
……あんたたちなんて、ラオヴァルトのことを何も知らないくせに。
ラオヴァルトはね、わたしの執事なのよ。
あいつのことを一番よく知っているのは、わたしなんだから。
このドレスだって、あいつが褒めてくれたんだから。
わたしは、あいつと二人で色んなところにだって行ったのよ。
なぜか悔しい気持ちになって、エティシラは心の中で彼女たちに罵声を浴びせる。
だがすぐに、無邪気に騒いでいる女たちに対抗意識を燃やすなど、姫としてどうなのだ――と自己嫌悪に陥った。
ここにブルーノがいたら、きっと叱られているだろう。
エティシラはこのときになって、突然思い出した。
――いつか侍女が話していた、王子と召使いの少女の“禁断の恋”の話を。
どんなに強く愛し合っていても、かなわなくて。
召使いは国王の命令によって殺され、王子はその後違う女と結婚してしまった……。
どうして今急に思い出したかなんて、自分でも分からないけれど――。
――その時。
「…………あ?」
扉の前に佇む見慣れた人影がふと視界に飛び込み、エティシラは怪しげに声を漏らした。
あまり高くない背丈に、白髪混じりの頭髪。
濃緑色の瞳。
それは、人生の大半を共に過ごしてきた者の姿だった。
「ブルーノ! ブルーノね!」
エティシラは大きく声を上げると、ドレスの裾を持ち上げて扉の方へと駆け出した。




