「君を愛することはない」とお決まりのセリフを言ったのは、最愛の推しでした。
「結婚は勢いよ、ユーミリア!」
そう言ってお母様に背中を押され、流れるように執り行われた結婚式。
教会の大扉が開いた瞬間、私…前世は日本の限界社畜OL、現世は公爵家の才女であるユーミリアは、危うく息の根が止まるかと思った。
目の前に立っていたのは、この国で飛ぶ鳥を落とす勢いの新興伯爵。
金に物を言わせて爵位を賜った成金だと噂されていたその当主、私の結婚相手は…なんと二人いた。
(ちょ、待って…アーサーさまと、アルフレッドさま…!?)
眩い金髪に不敵な笑みを浮かべる兄、アーサー。
その隣で、美しくもどこか冷徹な光を瞳に宿す弟、アルフレッド。
前世で寝る間も惜しんでグッズを買い漁り、祭壇を作っていた我が最推し『ラピスラズリ兄弟』が、現世の私の新郎として並んでいたのだ。
この国では昔の大恋愛の逸話から男女ともに「重婚」が認められているが、まさか自分がその当事者になるとは。
式の間中、私は限界オタク特有の「推しが尊すぎて直視できない」バリアを発動し、一言も発せぬまま、気づけば夜を迎えていた。
新興伯爵邸、豪華な天蓋付きベッドの上。
私は薄手のネグリジェを着て、緊張のあまりカチコチに固まっていた。
この世界の「美の基準」は、高身長、色白、大人びたクールな容姿。
対する私は、低身長、ふっくら体型、小麦色の肌に童顔、声まで無駄に高くて甘い。
「行き遅れ寸前の、美貌に恵まれない公爵令嬢」
それが私の評価だ。
だからこそ、二人がこの結婚に裏を隠していることくらい、神童と呼ばれた頭脳で察していた。
ガチャリ、と重厚なドアが開く。
入ってきたのは、やはり二人同時だった。
寝衣を軽く着崩した二人の破壊力に、私の心臓が「トゥンク…!」と激しく鐘を鳴らす。
「…おい」
低く、地響きのようなアーサーさまの声が寝室に響いた。
彼はベッドの端に腰掛け、獰猛な視線を私に向ける。
「形ばかりの挨拶をしておく。俺たちがこの縁談を呑んだのは、商売をさらに広げるため、お前の一族…公爵家の後ろ盾が必要だったからだ」
「兄さんの言う通りです」
アルフレッドさまが、冷ややかな、けれどどこか見惚れるほど綺麗な微笑を浮かべて言葉を繋ぐ。
「政略結婚ですから、貴女を本当の意味で愛することはありません。お互い、割り切った関係でいましょう」
…来た。
ネット小説で100万回見た「君を愛することはない」宣言!
しかし、相手はあのラピスラズリ兄弟だ。
生きて存在しているだけで神なのに、冷たい言葉を投げかけられるご褒美。
むしろ全細胞が歓喜に震える。
「はい、承知いたしました!お二人の目的のため、私にできることは何でもいたしますね」
満面の笑みで、高く甘い声で答えると、二人が一瞬だけ「え?」という顔をしてフリーズした。
そんな推しへの配慮として、私は布団をめくって二人を迎え入れる。
「さあ、どうぞ!お疲れでしょう。私、体力には自信がありますので!」
覚悟を決めて目を閉じると、始まった初夜は…予想に反して、もの凄く丁寧で優しかった。
もっと手荒に扱われるかと思いきや、アーサーさまの大きな手は私の体に触れるとき驚くほど慎重だったし、アルフレッドさまも「痛くありませんか?」と何度も甘い声で耳元で囁いてくれた。
(…はうあ!優しすぎる、無理、尊い…死んじゃう…っ!)
私の体型や肌の色をなじることもなく、むしろ慈しむように触れてくれる推し。
そのギャップに、私の心臓は朝までトゥンクと鳴り止まなかった。
翌朝。
私は幸せな気分のまま、ベッドの中で今後の人生設計を組み立てていた。
二人は仕事のために私と結婚した。ならば、私の役割はただ一つ。
「お二人のためにも、早く元気な子供を授かりたいなあ…」
ぽつりと呟いた声に、隣で既に目が覚めていたらしい二人の肩がビクッと跳ねる。
「…あ、起こしちゃいましたか?すみません。この国は重婚もありなわけですし、私がさっさと跡継ぎさえ産めば、お二人も義務を果たせて後は自由恋愛なり何なり、自由になれますもんね!がんばります!」
現代日本の社畜精神と合理主義がハイブリッドした結果の、超前向きな割り切り発言。
これでお二人も気が楽だろう、と私はにこにこと微笑んだ。
だが、当の二人は違った。
「…あ?」
アーサーさまが、見たこともないような複雑極まりない顔で絶句している。
「ユーミリア、さん…?自由、とは…?」
アルフレッドさまにいたっては、耳まで真っ赤にして動揺を隠せていない。
二人の脳裏には、昨夜の記憶が鮮明に焼き付いていた。
政略結婚だと割り切るはずだった。美の基準から外れた娘だと聞いていた。
しかし、いざ触れた彼女は…驚くほど柔らかく、吸い付くような小麦色の肌は健康的で、抱き心地が最高に良かった。
小さな体で一生懸命に自分たちを受け入れ、甘い声で鳴く姿は、控えめに言っても「めちゃくちゃに可愛かった」のだ。
(何が『自由になれる』だ、ふざけんな。あんな声で鳴いといて、俺たちを解放する気かよ…!)
(跡継ぎを産んだら、僕たちの前から身を引くつもりですか?そんなの、絶対に許さない…!)
昨夜の余韻と、ユーミリアの予想外のドライさに、完全に悶々としてしまうラピスラズリ兄弟。
しかし、そんな二人の葛藤を知る由もない私は、「よし、まずは奥様としてこの家を支えよう!」とベッドから飛び起きたのだった。
それからの新婚生活は、私にとって天国、二人にとっては生殺しの毎日となった。
私の実家である公爵家は、大のシスコンであるお兄様が継ぐ予定なので、私は実家の権力を盾にする気は毛頭ない。
むしろ、前世の事務処理能力と経営知識をフル活用し、新興伯爵家の財政や書類仕事をサクサクと片付けていった。
「アーサーさま、こちらの流通経路ですが、魔術触媒の関税を考慮すると西のルートに変えた方が利益が出ますよ」
「アルフレッドさま。この契約書、裏に隠し条項があります。破棄してこちらから再提示しましょう」
有能すぎる新妻の姿に、使用人たちは「さすが公爵家の才女!」と大絶賛。
ラピスラズリ兄弟はといえば、仕事が減って嬉しい反面、ますますユーミリアから目が離せなくなっていた。
「おい、ユーミリア。お前また夜遅くまで書類見てただろ。…ほら、これ食え」
アーサーさまが差し出してきたのは、私が好きな甘いお菓子。
「ありがとうございます、アーサーさま!」
私が嬉しそうにそれを頬張ると、彼はふいっと顔を背けたが、耳の裏が赤い。
「ユーミリアさん、あまり無理をしないでください。僕の隣で、少し休んでお茶にしましょう?」
アルフレッドさまが極上の笑みで私の手を引き、ソファに座らせてくれる。
「アルフレッドさま、お優しいですね。大好きです!」
推しへの純粋な親愛を伝えると、アルフレッドさまは一瞬目を見開き、それから酷く妖艶に目を細めた。
「…『大好き』、ですか。なら、今夜も僕たちにたくさん甘えてくださいね?」
じわじわと外堀を埋めるように、距離を詰めてくる旦那様たち。
「愛することはない」と言った割には、なぜか毎晩のように二人にベッドへ拉致され、身も心もとろかされるように愛される日々。
(あれれ…?おかしいな、跡継ぎを産むための義務的な夜のはずなのに、お二人ともすごく情熱的というか…まるで私が愛されているみたい?)
前世の限界社畜OLの知識をもってしても、推しからの「重すぎる愛の視線」の理由は、まだしばらく解けそうにないのだった。
「愛することはない」と言われた初夜から数ヶ月。
新興伯爵家での私の生活は、快適そのものだった。
前世のOL知識を活かして書類仕事を片付け、夜は推し二人に挟まれて(義務のはずなのに)めちゃくちゃ丁寧に抱かれる日々。
そんなある日、シスコンで有名な公爵家の我が兄が、お茶会と称して邸に遊びにやってきた。
兄は優雅に紅茶を啜りながら、私を見て満足そうに目を細める。
「旦那様たちに愛されてるね、僕の可愛いユーミリア」
「…はい?愛されて、ですか?」
きょとんとする私に、兄はクスクスと楽しそうに笑った。
「彼ら、必死な顔で僕のところに聞きにきたんだよ。『ユーミリアの好物を教えろ』『どんな宝石や花が好きだ』『喜ぶ動物は何か』ってね。僕の可愛い妹を蔑ろにしたら即座に連れ戻すつもりだったけれど…あの必死さなら合格かな」
「え…?」
リサーチ?
最推しのラピスラズリ兄弟が、私の好みを…?
兄の言葉に、私の脳内で「あれぇ?」と疑問符が浮かび始めた。
だって彼らは政略結婚だと割り切っているはずで、私は美の基準からも外れた女なのだ。
けれど、その日を境に、伯爵邸の様子が明らかに変わり始めた。
まず、異変が起きたのは食卓だった。
ある日の夕食、目の前に運ばれてきたのは、高級なフレンチでも伝統的な宮廷料理でもなかった。
「…えっ、ハンバーグ!?ポテト!?チーズ、とろけてる…!?」
そこにあったのは、前世で私が三度の飯より愛し、現世でも兄にだけこっそりおねだりして作らせていた「日本の限界社畜が大好きなジャンクフード」そのものだった。
この世界では「はしたない」とされるB級グルメが、超一流シェフの手によって最高級のクオリティで再現されている。
「おい、ユーミリア。口に合うか?」
アーサーさまが、ふいっと視線を逸らしながらも、私の反応をじっと窺っている。
「お兄様に、貴女が一番笑顔になる食事だと聞いたんです。好きなだけ食べてくださいね」
アルフレッドさまが、私の皿に次々とポテトをサーブしてくれる。
(おいしい…おいしいけど、なぜこれをチョイスしたの推したち…!?)
さらに、自室に戻ると、花瓶には私の前世の一番好きな花である『白百合』が、これでもかと瑞々しく飾られていた。
極めつけは翌週の私の留守中。
お仕事から帰ってきた私の寝室のソファに、ちょこんと座っていたのは。
「にゃあ」
「ひゃあああ!?キジトラ猫さん!?」
前世の実家で飼っていた、大好きなキジトラ猫。
しかもこれ、よく見ると本物ではなく、この世界特有の『魔法動物(魔法で動くリアルなぬいぐるみ)』だ。
動物の毛アレルギーがある私の体質まで兄から聞き出したらしく、わざわざ腕の良い魔術師に特注で作らせたものらしい。
キジトラの魔法動物は、私の足元にトコトコと寄ってくると、甘えるようにすり寄ってきた。
「…気に入ったか?」
いつの間にか背後に立っていたアーサーさまが、腕を組んで私を見下ろしていた。
その隣には、きらきらとした笑みを浮かべたアルフレッドさま。
アルフレッドさまの手には、小さなベルベットの箱が握られている。
「これも、貴女に。一番美しい輝きが、貴女に似合うと思って」
パカリと開けられた箱の中には、大粒のダイヤモンドのネックレス。
この世界では「色白の肌に映るサファイアやルビー」が至高とされているのに、私の小麦色の肌を一番輝かせる、前世から憧れだった純白のダイヤ。
ジャンクフード、白百合、キジトラ、ダイヤモンド。
私の好みが、これでもかと完璧に包囲されている。
(…待って。いくら公爵家の後ろ盾が欲しいからって、ここまで私個人の好みを完璧に、必死に満たしてくる必要ある…!?)
神童と呼ばれた私の頭脳が、ついに一つの結論を導き出す。
「あの…お二人とも。まさか…私のこと、愛してくださっている…んですか?」
恐る恐る、甘い声を震わせて尋ねると。
ラピスラズリ兄弟は一瞬だけ目を見開き、それから、同時に深いため息をついた。
「ハァ…!やっと気づいたか、この鈍感」
アーサーさまが呆れたように笑い、私の頭をごしごしと手荒に、だけど愛おしそうに撫でる。
「本当に。毎晩あれだけ抱きしめて、こんなに尽くしているのに、いつ『政略結婚』の縛りが解けるのかと、僕たち焦っていたんですよ?」
アルフレッドさまが私の腰を後ろから抱きすくめ、耳元でふふっと嬉しそうに笑った。
「ようやく伝わった!」と言わんばかりに、二人の瞳には隠しきれない独占欲と溺愛がぎらぎらと輝いている。
「これからは、勘違いお断りだからな。お前は俺たちの妻だ。跡継ぎ産んで自由になるとか、二度と言わせねぇから」
「一生、僕たちの腕の中で甘やかされてくださいね、ユーミリアさん」
「ひゃぅっ…」
前世の最推し二人に挟まれ、全力の熱視線を浴びせられた私は、嬉しさと尊さで完全にキャパオーバー。
真っ赤になって、キジトラのぬいぐるみをぎゅっと抱きしめることしかできないのだった。
「ユーミリア、痛くねぇか?…辛かったらすぐ言えよ」
「ユーミリアさん、力を抜いて僕に身を委ねてくださいね。本当に、貴女はどこもかしこも愛らしい…」
夜の天蓋付きベッドの上。
愛を自覚してからのアーサーさまとアルフレッドさまは、それまで以上に私をガラス細工のように、とびきり優しく、甘やかすように抱いてくれる。
(ひゃぅあぁ…!優しい、優しすぎて頭がとろけちゃう…っ!)
前世の最推し二人に挟まれ、甘い言葉を絶え間なく囁かれながら、熱い体温に包まれる夜。
幸せすぎて心臓が爆発しそうになり、私はいつもタジタジになってしまう。
一方で、アーサーさまとアルフレッドさまも、この上ない幸福感に満たされていた。
政略結婚だ、割り切った関係だと冷たく突き放した最初の夜から、なぜかユーミリアは自分たちを恐れるどころか、最初から好感度マックスのキラキラした瞳で見てくれていた。
心を通わせた今、二人は「ユーミリアが可愛くて仕方がない」という風に、毎日惜しみなく愛情を注いでくれている。
「…にゃーお!」
だが、そんな甘い夜の雰囲気を切り裂くように、どこからともなく『彼』が飛んでくる。
「ぶふっ!?おまっ、大福、邪魔すんな!」
「大福…!今、良いところなんです。退いてください」
ベッドの真ん中に立ちはだかり、鋭い鳴き声をあげて二人を威嚇しているのは、キジトラ猫の魔法動物…『大福』。
私が少しでも「ふぇ…っ」と限界を迎えた声を出すと、大福は「これ以上、ユーミリアをいじめるな!」と言わんばかりに毛を逆立て、小さな肉球でアーサーさまの鼻頭をペシペシと叩き始める。
この世界で成り上がりを果たしたアーサーさまと、その弟で右腕であるアルフレッドさま。
最強のラピスラズリ兄弟が、手のひらサイズの猫のぬいぐるみに「おい、待て、悪かったから!」とタジタジになっているのだ。
「ふふ、大福、私は大丈夫だよ…?」
私が苦笑しながら大福を抱き上げると、大福はゴロゴロと喉を鳴らし、私の胸元に陣取って二人をジロリと睨みつける。
強いて言うなら、夜の営みを大福に監視されるのが、最近の夫婦の贅沢な悩みだった。
翌朝、リビングの食卓には、またしても私の大好物であるとろけるチーズのトーストと、カリカリのポテトが並んでいた。
「ユーミリア、お前昨日大福のせいで寝不足だろ。しっかり食え」
「お口、汚れていますよ。…はい、綺麗になりました」
アーサーさまがポテトを私の口元に運んでくれ、アルフレッドさまが甘い手つきで私の頬についたチーズを指で拭って、そのまま自分の口に運ぶ。
あまりの過保護っぷりに私が顔を真っ赤にしていると、お給仕をしていたメイド長をはじめ、使用人たちが一斉に胸の中で深く深く、私に向かって手を合わせていた。
(ああ、ユーミリア奥様…!ありがとうございます、ありがとうございます…!)
かつて、この新興伯爵邸は常にピリピリとした緊張感に包まれていた。
主たちであるラピスラズリ兄弟は、仕事に関しては冷徹そのもの。
失敗すれば容赦なく切り捨てられるような、底冷えする恐怖が屋敷を支配していたのだ。
それがどうだろう。
ユーミリアが嫁いできてからというもの、あの狂犬のようだったアーサーさまが穏やかに目を細めてクッキーを焼き、冷徹の塊だったアルフレッドさまが優しく微笑みながら花の植え替えを指示している。
『我が屋敷、過去一穏やかだ…!』
使用人たちにとって、ユーミリアは新興伯爵家を救った、文字通りの『生ける女神』だった。
「あの、お二人とも。今日はお仕事、お忙しいのですか?」
私が高く甘い声で尋ねると、ラピスラズリ兄弟は同時にふっと表情を和らげる。
「お前がサクサク書類片付けてくれたおかげで、今日は昼過ぎには終わる。…午後から、街に美味いもんでも食いに行くか?」
「いいですね、兄さん。ユーミリアさん、新しいリボンも買いに行きましょう。貴女の小麦色の肌に似合う、とびきり綺麗なものを」
「わあ…っ、行きたいです!」
嬉しくてパタパタと小刻みに足を揺らす私を見て、二人は本当に幸せそうに、愛おしそうに笑う。
その足元では、大福が「僕も行くにゃ」とばかりに、私の靴にすり寄っていた。
政略結婚から始まった、美の基準から外れた元社畜OLの奥様生活。
けれど今の私は、世界一優しくてかっこいい旦那様たちと、優秀な猫のボディーガードに囲まれて、間違いなく世界一幸せな妻なのだった。
「ユーミリア、はぐれんじゃねぇぞ。…ほら、手ぇ出せ」
「僕の隣からも離れないでくださいね、ユーミリアさん。…うん、可愛い」
快晴の休日。
私は前世の最推し、そして今や世界一愛してくれる旦那様であるラピスラズリ兄弟に左右を挟まれ、賑やかな中央街を歩いていた。
私の小さな手は右からアーサーさまの大きな熱い手に握られ、左からはアルフレッドさまが私の腰を優しく、けれど他人が近寄れないようにしっかりと抱き寄せている。
ちなみに私の斜め掛けバッグの中からは、キジトラの魔法動物『大福』が、お留守番を拒否して「にゃあ」と顔を覗かせていた。
今日の私は、アルフレッドさまが選んでくれた、私の小麦色の肌にとてもよく映える鮮やかなミントグリーンのドレスを着ている。
この世界の「美の基準(高身長・色白・クール)」からは外れているはずの私だけれど、二人の熱い視線のおかげで、少しだけ自分に自信が持てるようになっていた。
「わあ…!アーサーさま、アルフレッドさま、あそこに行ってもいいですか?すっごく美味しそうな焼き菓子の匂いがします!」
前世の子供時代を思い出すような、甘く香ばしい匂いに釣られ、私がトコトコと小走りで屋台へ向かう。
「おい、走るなっつーのに」と呆れつつも顔を綻ばせるアーサーさまと、「本当に食いしん坊さんですね」と目を細めるアルフレッドさま。
しかし、事件はその屋台の前で起きた。
「いらっしゃい!…おや、可愛いお嬢さんだね」
屋台の若い店員さんが、私を見るなりパッと顔を輝かせたのだ。
いつも高く甘い声で「これ三つください!」とお願いすると、店員さんは赤面しながら、私のふっくらした手元や、健康的で瑞々しい小麦色の肌を、吸い寄せられるように見つめた。
「は、はい!おまけで四つ入れちゃうよ!良かったら、この後近くのカフェで…」
店員さんがナンパまがいの言葉を口にしようとした、その瞬間。
屋台の周りの気温が、一瞬で氷点下まで下がったかと思うほどの凄まじい殺気が放たれた。
「…あぁ?誰を誘ってんだ、てめぇ」
「僕たちの可愛い妻に、気安く触れようとしないでいただけますか?」
店員さんの前に立ちはだかったのは、背後にドス黒いオーラを背負ったラピスラズリ兄弟。
アーサーさまは獰猛な獣のように目を細めて店員を睨みつけ、アルフレッドさまは一滴の体温も感じられないほどの冷徹な極上スマイルで、店員の手からひょいと焼き菓子の袋を奪い取った。
「ひっ、ひぃ…っ!す、すみませんでしたぁ!」
成り上がり貴族とその右腕による本気の威圧に、若い店員さんはガタガタと震えて泡を吹きそうになっている。
「ちょ、ちょっと二人とも!大丈夫ですから!ほら、大福も怒ってる!」
「シャーッ!」
バッグの中から大福まで飛び出して店員を威嚇し始める始末。
私は大慌てで二人(と一匹)を引っ張って、その場を離れた。
近くの静かな公園のベンチ。
焼き菓子を食べようとしたけれど、左右からの視線がとにかく痛い。
アーサーさまは腕を組んで不機嫌そうに明後日の方を向いているし、アルフレッドさまは私のドレスの裾をぎゅっと握ったまま、酷く執着に満ちた瞳で私を見つめていた。
「…ユーミリア」
アーサーさまが、低く拗ねたような声で私の名前を呼ぶ。
「お前、自分がどれだけ無防備か分かってねぇだろ。あの美の基準だか何だか知らねぇが、街の男どもはみんな、お前のその柔らかそうなところとか、美味そうな肌とか、可愛い声を凝視してんだよ」
「えっ…?私、そんな、ふっくらだし…」
「いいえ、ユーミリアさん」
アルフレッドさまが私の膝に頭を乗せ、下から覗き込んできた。
「貴女は、僕たちだけのものなんです。他の男が貴女を可愛いと気づくのすら耐えられない。…さっきの男、本当に指を詰めてやろうかと思いました」
「ひゃぅっ…!?」
ヤンデレ一歩手前の強烈な嫉妬と独占欲!
「愛することはない」と言っていたはずの推したちが、今や私の一挙手一投足に狂わされている。
その事実が、私のオタク心と乙女心を同時にトゥンクと激しく震えさせた。
「…ごめんなさい。でも、私が大好きなのは、アーサーさまとアルフレッドさまだけです。他の誰かに優しくされても、何とも思いません。…本当ですよ?」
私が二人の顔を交互に見つめ、甘い声で精一杯の愛を伝えると、二人は一瞬だけ息を呑んだ。
そして。
「…ハァ、ほんと調子狂う。お前がそういうこと言うなら、もう今日は帰るぞ。屋敷に閉じ込めて、朝まで俺たち以外見られねぇようにしてやる」
アーサーさまが私の顎をクイッと持ち上げ、人目を気にせず唇に深いキスを落とす。
「賛成です、兄さん。ユーミリアさん、お仕置きですからね?覚悟してください」
アルフレッドさまも私の手を引き、手の甲に熱いキスを刻みながら、とろけるような独占欲に満ちた目で微笑んだ。
(ひえええ…幸せだけど、今夜腰が保たないかもしれない…!)
危機感を察知した大福が、二人の足元で「にゃー!(これ以上はダメにゃ!)」と早くも臨戦態勢で鳴いている。
街デートから一転、ますます甘くて濃厚な「お仕置き」が確定してしまい、タジタジになりながらも、私はこれ以上ない幸福に包まれて伯爵邸への帰路につくのだった。
ある日の午後。書類仕事をサクサクと終わらせた私は、ふと思い立った。
前世、限界社畜OLだった頃の私の数少ない癒やし…それは、週末に通っていたガラス細工の体験教室だった。
幸い、今の私は魔法が秘匿されていない世界の公爵令嬢。素材となるガラスの棒を買い揃え、手元で「火の魔術」を少しだけコントロールすれば、あの懐かしいガラスのミニチュアが作れるはずだ。
「よし、久しぶりにガラス細工でもしてみようかな」
自室の机にガラスを並べ、指先に小さな火の魔術を灯した、その瞬間だった。
「にゃー!!!にゃー!!!」
どこからともなく、もの凄い勢いでキジトラ猫の魔法動物『大福』が飛んできた。
大福は私のドレスの裾をグイグイと引っ張り、前脚で「ダメ!ダメ!」と激しくバタバタさせている。
「どうしたの大福、何焦って…」
「ユーミリア、何してんだ!!!」
バンッ!!!と、鼓膜が破れるかと思うほどの勢いで部屋のドアが開いた。
現れたのは、息を荒くしたアーサーさまだ。
その後ろから、普段の冷静さを完全に失って顔を青ざめさせたアルフレッドさまが飛び込んでくる。
大福が緊急事態を知らせる魔力を飛ばしたらしく、二人は仕事中だったにもかかわらず、文字通り飛んできたのだ。
「ユーミリアさん!?なにしてるんですか!危ないでしょう!?」
アルフレッドさまが、見たこともないような必死の形相で私の手元へ突進してきた。
「ひゃぅっ…!?」
一瞬の隙に、指先の火の魔術はアルフレッドさまの水魔術できれいに消され、机の上のガラスの棒はアーサーさまの大きな手によって全て没収されてしまった。
「お前、何考えてんだ!火の魔術でガラスを溶かすなんて、一歩間違えたら大火傷だろ!手ぇ見せろ、怪我はねぇか!?」
アーサーさまが私の両手を掴み、裏表を何度もひっくり返して穴が開くほど凝視する。
「ユーミリアさん、お願いですから僕たちを怖がらせないでください…もし貴女の綺麗な小麦色の肌に傷でもついたら、僕は…っ」
アルフレッドさまは私の腰をぎゅっと抱きしめ、心臓のバクバクという激しい鼓動を私の背中に伝えてくる。
「あ、あの…!すみません!前世でちょっとやっていて、火の魔術のコントロールにも自信があったので、つい…」
高く甘い声で消え入りそうに弁解すると、二人は同時に盛大なため息をついた。
「前世だか何だか知らねぇが、ダメなもんはダメだ。ガラスは没収!今後、俺たちの目が届かねぇところでの火の魔術も一切禁止だ!」
「兄さんの言う通りです。ガラス細工が欲しいなら、僕たちが世界中の職人から最高の一品を買い集めてきますから、貴女はただ、安全な場所で笑っていてください」
「にゃあ!」(そうだそうだ!と言わんばかりの顔)
「うぅ…過保護が過ぎる…!」
前世の社畜時代なら「過干渉のブラック上司」とキレていたかもしれない。
けれど、目の前で本気で私の身を案じ、心臓を縮めているのは、あの世界一かっこいい最推しのラピスラズリ兄弟なのだ。
二人の重すぎるほどの愛が全身に伝わってきて、呆れつつも、胸の奥がトゥンク…と甘く、激しく震えてしまう。
「…分かりました。お二人を心配させてごめんなさい。もう勝手に危ないことはしません」
私がしゅんとして二人の服の裾をきゅっと握ると、その健気な姿に二人の独占欲と愛おしさが再び大爆発した。
「ハァ…ほんとお前は…。そんな顔されたら、怒れなくなるだろ」
アーサーさまが私の頭をごしごしと抱き寄せ、おでこに痛いほどのキスを落とす。
「悪い子には、お仕置きが必要ですね。…兄さん、今夜はユーミリアさんを片時もベッドから離さないようにしましょう」
アルフレッドさまが妖艶に目を細め、私の耳元で甘く囁いた。
「ひゃぅあ…っ」
結局、没収されたガラスの代わりに、その日の夜は二人の旦那様から、とろけるような極上の甘やかし(とお仕置き)をたっぷりと注がれることになった。
過保護すぎる推しに囲まれた私の新婚生活は、今日もタジタジで、けれどこれ以上ないほど幸せなのだった。
新興伯爵邸の朝は、驚くほど穏やかな空気で始まる。
かつて他の商人たちを震え上がらせたラピスラズリ兄弟が主だった頃の、あのピリピリとした、一歩間違えれば首が飛ぶような緊張感はもうどこにもない。
すべては、公爵家から嫁いできた『ユーミリア奥様』のおかげだった。
「ねぇ、聞いた?昨日の午後、奥様がガラス細工をしようとした時のこと」
廊下の物陰で、メイド長と若い使用人たちが声を潜めて熱弁を振るっていた。
「聞いたわよ!大福ちゃんが緊急招集をかけたんですってね。主様たち、大事な商談中だったのに『ユーミリアが危ない!』って、窓から魔術で飛び出して部屋へ向かわれたとか…」
「奥様が『火の魔術を使おうとしただけ』って分かった後の、旦那様方のあの狼狽ぶり…!『ガラスは没収だ!』って怒りながらも、奥様の手を何度も握りしめて、泣きそうな顔をされていたそうよ」
使用人たちは一斉に胸の前で手を組み、天を仰いだ。
(ああ…尊い。尊すぎて、今日も仕事が手につかない…!)
彼らにとって、美の基準から外れているユーミリア奥様は、しかし太陽そのものだった。
前世の知識を活かして書類仕事をサクサク片付ける有能さがありながら、高く甘い声で「いつもありがとうございます」と微笑んでくれる。
その愛らしさに、狂犬だったアーサー様はクッキーを焼き、冷徹だったアルフレッド様は毎朝バラの剪定をして奥様の部屋に飾るようになったのだ。
「にゃあ」
そこへ廊下をトコトコと歩いてきたのは、キジトラ猫の魔法動物『大福』。
昨日の大金星もあり、今や大福は屋敷の小さな英雄だった。
「あら、大福ちゃん!今日もとっても可愛いわね」
メイド長がそっと目線を合わせ、大福のふかふかの頭を優しく撫でる。
「昨日も主様たちのストッパー、お見事でした。おやつに、最高級の魔力キャットフードを差し上げますね」
「今日もご主人様たち、仲良しだねぇ。本当に大福ちゃんがいてくれて良かったわ」
使用人たちに囲まれ、ちやほやされた大福は、フンスと誇らしげに胸を張り、「にゃおん」と喉を鳴らした。
まるで「僕がユーミリアを守ってやってるんだにゃ」と言わんばかりのドヤ顔である。
その時、食堂の重厚な扉が開き、朝食を終えた夫婦が出てきた。
「ユーミリア、お前昨日寝不足なんだから、今日はもう仕事すんな。大人しく部屋で寝てろ」
アーサー様が不機嫌そうな顔(心配で仕方がないだけ)で、ユーミリア奥様の小さな肩を抱き寄せている。
「そうですよ、ユーミリアさん。僕たちが抱きつぶしてしまったせいですから…。今日はベッドの中で、僕たちにたくさん甘やかされてくださいね」
アルフレッド様がとろけるような極上スマイルで、奥様のふっくらとした手元に何度も愛おしそうにキスを落としていた。
対するユーミリア奥様は、前世の最推し二人の過保護な包囲網に、顔を真っ赤にしてタジタジになっている。
「ふぇっ…!大丈夫ですから!今日も書類、頑張りますから…っ!」
そんな甘いやり取りの足元へ、大福が「これ以上ユーミリアを疲れさせるな!」とばかりに突撃し、アーサー様のブーツにペシペシと肉球パンチを食らわせ始めた。
「てめっ、大福!朝から邪魔すんじゃねぇ!」
「大福、ユーミリアさんを寝室へ運ぶのを手伝ってくれるなら、後で遊んであげますから退いてください」
わちゃわちゃと騒がしく、けれどこれ以上ないほど幸福に満ちた主たちの姿。
それを見送る使用人たちは、一列に並んで深く、深く、心の印を組んで拝み倒していた。
(主様たちが奥様を甘やかし、大福ちゃんが主様たちを牽制する…。この世の楽園がここにある…!ユーミリア奥様、どうか末永く、主様たちを骨抜きにしてください…!)
新興伯爵邸の平和と、使用人たちの高いモチベーションは、今日も今日とて、ユーミリア奥様への溢れんばかりの溺愛によって守られているのだった。
ダァンッ…!
静かな午後の屋敷に、無情な銃声が響き渡った。
それは、ユーミリアの私室がある方角からだった。
「ユーミリア…っ!」
心臓が跳ね上がるような衝撃とともに、アーサーとアルフレッドはすべての仕事を投げ出し、廊下を狂ったように駆け抜けた。
荒々しくドアを蹴破った先。
部屋の窓ガラスが派手に割れ、床に破片が散らばっている。
その中央で、ユーミリアは床にへたり込み、ぽろぽろと大粒の涙を流していた。
「大福…大福、嘘でしょう…?起きて、にゃあって鳴いてよ…っ!」
彼女の小さな腕の中には、胸を撃ち抜かれ、魔法の光を失ってピクリとも動かなくなったキジトラ猫のぬいぐるみが抱えられていた。
犯人の次なる狙撃がいつ来るかも分からない。
それなのに、ユーミリアはショックのあまり、壊れた大福を抱きしめたまま逃げようともしなかった。
「ユーミリアさん…っ!ここは危険です、来てください!」
アルフレッドが割れたガラスの隙間からユーミリアを無理矢理抱き寄せ、その小さな体を庇うようにして安全な隠し部屋へと連れ出す。
「アルフレッド、ここは任せた」
「ええ、兄さん」
アーサーは獰猛な獣の目をぎらつかせると、躊躇なく割れた窓から外へと飛び降り、引き金を引いた暗殺者の気配を追って弾丸のように地を駆けた。
安全な部屋のベッドの上、ユーミリアはまだガタガタと震えていた。
抱きしめられた大福の傷口からは、綿と、魔法の回路だったらしい千切れた銀の糸が虚しく覗いている。
「アルフレッド様…大福が、私を突き飛ばして…っ。この子、動かなくなっちゃった…!」
高く甘い声が、今は涙でボロボロに擦り切れている。
アルフレッドは胸が締め付けられるような痛みを覚えながら、ユーミリアの頭を優しく抱き寄せ、そして、ユーミリアの腕の中で物言わぬ抜け殻となったぬいぐるみの頭を、そっと撫でてやった。
「…よくやりました、大福。貴女が僕たちの代わりに、ユーミリアさんを守ってくれたんですね」
いつもは「僕たちの邪魔をするな」と邪険にしていた、小さな恋敵。
けれど、大福は最期までユーミリアを守り抜いたのだ。
アルフレッドは固く奥歯を噛み締め、静かに決意した。
(このまま終わらせるものか。絶対に、お前を元の姿に戻してみせる…!)
数日後。新興伯爵邸は重苦しい空気に包まれていた。
アーサーは寝る間も惜しんで裏社会のルートを叩き潰し、銃弾の出所から黒幕を執拗に追い詰めていた。
屋敷に戻れば、ユーミリアの部屋の前で「ユーミリア、飯食え」と不器用に見守るが、ユーミリアは前世の最愛のペットの姿を重ねていた大福を失ったショックで、ずーんと暗く沈んだままだ。
アルフレッドもまた、あらゆる魔導書をひっくり返し、大福の「記憶や擬似人格」を損なわずに“そのまま”修復する術を探していたが、魔法動物の核の修復は一筋縄ではいかなかった。
そこへ、冷え切った夫婦の元へ、ユーミリアの兄である公爵家次期当主が、優雅に、そして底知れない覇気を纏ってやってきた。
「なるほどね。二人がかりでそんなに苦戦しているんだ」
兄は、ベッドの上で大福を抱きしめて伏せるユーミリアの頭を愛おしそうに撫で、それからアーサーとアルフレッドを交互に見つめた。
いつものシスコンの軽いノリではない、冷徹な公爵家の血の顔だ。
「大福の件は、開発者に聞けば早いんじゃない?そもそもあれは、僕が腕の良い偏屈な魔術師に特注で作らせたものだからね。僕としても、大切な妹のヒーローに一度くらいは挨拶したいし…。アルフレッドくん、僕が紹介状を書いてあげるから、早く直してあげなよ」
「…っ、ありがとうございます、お義兄さん!」
アルフレッドの目に、初めて希望の光が宿る。
すると、お兄様はふっと完璧な貴族の笑みを浮かべ、今度はアーサーの方へと向き直った。
その笑顔の裏には、背筋が凍るような、凄まじい「圧」の魔力が渦巻いている。
「それから…僕の可愛いユーミリアを傷つけようとした不届き者、君も探してるんだろ?」
お兄様は綺麗な指先で、トン、とテーブルを叩いた。
「僕にも一枚噛ませてよ。公爵家の情報網と財力、それに僕個人の『怒り』を叩きつけてあげるから。…ラピスラズリ兄弟、君たちの本気の喧嘩、僕の特等席で見せてもらうよ?」
「…フン、上等だ。派手にやろうじゃねぇか、お義兄さん」
アーサーが狂気的な笑みを浮かべて拳を鳴らす。
最推し兄弟の怒りと、公爵家最恐のシスコン兄の執念。
大福を傷つけ、ユーミリアを泣かせた黒幕への、容赦なき絶対的な「報復の包囲網」が、いま静かに完成しようとしていた。
「大福が…大福が治った…!」
新興伯爵邸の寝室に、ユーミリアの歓喜の叫びが響き渡った。
開発者である偏屈魔術師の工房から戻ってきたキジトラ猫の魔法動物。
その胸の傷は跡形もなく消え、再びその瞳に温かな魔力の光が灯っていた。
「にゃあ…ぐるるる…」
ユーミリアが恐る恐る抱き上げると、大福はすぐに彼女の手のひらに頭をすりつけ、嬉しそうに喉を鳴らした。
その仕草だけで、間違いなく「記憶」も「ユーミリアが大好き」という感情もそのままだと分かる。
「お前、心配させやがって。…帰ってくるのが遅かったじゃねぇか」
アーサーがベッドの端に腰掛け、ぶっきらぼうに大福の頭を軽く小突く。
すると大福は、ピクッと耳を動かした次の瞬間。
パシッ、ペシペシペシ!
「てめっ、ぶふっ!?おまっ、直って早々またそれかよ!」
「にゃーっ!」
アーサーの鼻頭を、小さな肉球で見事な高速連打!
相変わらず旦那様たちをライバル視するツンツンした気質も1ミリも変わっていなかった。
「ふふ…本当に、いつもの大福ですね」
その光景を見て、張り詰めていた肩の力がようやく抜けたアルフレッドが、ベッドの横に膝をつく。
大福はアルフレッドを見つめると、今度は「にゃん!」と、どこか労うように優しく鳴いた。
アルフレッドはその小さな前脚をそっと包み込み、愛おしそうに目を細める。
「もう二度と、僕たちを置いて壊れたりしないでくださいよ、小さな騎士様」
「やあ、小さなヒーローさん。僕の可愛い妹を守ってくれて、どうもありがとう」
そこへ、優雅に拍手をしながらお兄様が歩み寄ってきた。
大福はお兄様を見上げると、フンスと小さな胸を張り、「にゃおん!」とこれ以上なく誇らしげに鳴いてみせる。
その様子に、お兄様も「ふふ、本当にユーミリアに相応しい、聡明で生意気なペットだね」と満足そうににっこりと微笑んだ。
ユーミリアは涙を拭い、大福をぎゅっと抱きしめる。
最推しのラピスラズリ兄弟、そして大好きな兄と大福。
自分の大切な世界が、今、完璧に元に戻ったのだ。
しかし、物語はここで終わらない。
お兄様が懐から、一枚の暗い色の封筒を取り出した。
その瞬間、部屋の空気が一気に冷徹なものへと切り替わる。
「さて…大福の件が片付いたところで、本題に移ろうか」
お兄様は冷酷な、けれど完璧な貴族の笑みを浮かべて、封筒をアーサーへと手渡した。
「ユーミリアを銃撃した黒幕だけどね。僕が放った一族特有の諜報員たちが、さっき身を拠点を完全に割り出したよ。新興の君たちの勢いを妬んだ、古いだけの落ち目な侯爵家が裏で糸を引いていたみたいだ」
お兄様の言葉に、アーサーの瞳が獰猛な獣そのものの狂気でギラリと光る。
アルフレッドもまた、いつもの極上スマイルのまま、その瞳の奥には底なしの殺意を湛えていた。
「誰が黒幕か、わかったってさ。…これからどうする、アーサーくん、アルフレッドくん?」
お兄様が楽しそうに、首を傾げて圧をかける。
アーサーは封筒をクシャリと握りつぶすと、不敵な笑みを浮かべて立ち上がった。
「決まってんだろ。俺たちの宝に手ぇ出した馬鹿どもだ。…根こそぎ、跡形も残さねぇように叩き潰してやる」
「ええ、兄さん。公爵家の情報網があるなら、逃げ道はすべて塞がれましたね。地獄の底まで追い詰めましょう」
最強のラピスラズリ兄弟の怒りと、最恐のシスコン次期公爵の力。
ユーミリアを泣かせ、大福を傷つけた哀れな黒幕へ贈る、容赦なき「報復の宴」が、いま静かに幕を開けようとしていた。
新興伯爵家の台頭を妬み、あろうことか公爵家の才女・ユーミリアの命を狙った、落ち目の貴族「バルト侯爵」。
彼らが身を潜める古びた屋敷は、今宵、この世の地獄と化していた。
バルト侯爵が自室でガタガタと震えていると、重厚な扉がドガァン!と、爆風と共に吹き飛んだ。
「ひっ、ひぃぃ…っ!?」
向こうから現れたのは、黒髪を荒々しく揺らし、巨大な鉈を肩に担いだ男、アーサー・ラピスラズリ。
その瞳は、獲物を引き裂く瞬間の飢えた獣そのものだった。
「よぉ、てめぇがバルトのクソジジイか。俺のユーミリアに、随分と面白い玩具を向けてくれたじゃねぇか」
「な、警備の兵はどうした!?」
「あぁ、外の雑魚どもなら全員、俺の弟と助っ人が『片付け』たよ。一歩も動けねぇようにな」
アーサーが凶悪な笑みを浮かべて一歩進み出ると、その背後から、コツ、コツ、と優雅な足音が響く。
現れたのは、完璧な貴族の夜会服を纏った、ユーミリアの実の兄。
彼はこの凄惨な現場にいるとは思えないほど、美しく、そして底冷えする笑顔を浮かべていた。
「バルト侯爵。君のところの私兵は、我が公爵家の精鋭と義弟がすべて無力化させてもらったよ。君が頼りにしていた裏の暗殺ギルドもね、今頃は僕の配下に根こそぎ潰されている頃さ」
「こ、公爵家…!?なぜ貴方ほどの御方が、あんな成金の嫁に行った、『美の基準』すら満たさない醜女のために…っ!」
侯爵が恐怖のあまり口走ったその言葉は、完全に地雷を踏み抜いた。
室内の気温が、一瞬で絶対零度まで凍りつく。
「…あぁ?誰が醜女だって?」
アーサーの纏う殺気が、圧力となって侯爵の体を床に縫い付ける。
「おっと、聞き捨てがたいね。僕の可愛いユーミリアはね、健康的で瑞々しい小麦色の肌も、ふっくらした抱き心地の良さそうな体型も、鈴を転がすような甘い声も、すべてが世界の至宝なんだよ。君のような節穴の老いぼれには、その美しさが理解できなかったようだね」
お兄様は笑顔のまま、懐から一通の書類を取り出し、侯爵の前に放り投げた。
「これは…我が家の、隠し資産の流用記録!?なぜこれを…っ!」
「僕のところの情報網を舐めないでほしいな。君が裏でやっていた脱税、魔術触媒の不法密売、すべて本日付で国王陛下に提出させてもらったよ。君の爵位は剥奪、財産はすべて没収。バルト侯爵家は、名実ともに『本日で絶滅』だ」
表社会の権力と財力をもって、完璧に逃げ道を塞いだお兄様。
そして、その横からアーサーが、バキバキと拳を鳴らしながら凶暴な笑みで歩み寄る。
「お義兄さんが表を片付けてくれたんだ。…じゃあ、ここからは俺の『裏』の仕事だ。おいジジイ、五体満足で牢に入れると思うなよ?」
「ひ、ひぎぃっ…!助け…っ!」
屋敷に響き渡る侯爵の悲鳴。
アーサーよる容赦なき「物理的なお仕置き」と、公爵家次期当主による「社会的な抹殺」。
二人の『兄』が手を組んだ報復は、黒幕に後悔する暇すら与えないほど、徹底的で、苛烈極まるものだった。
翌朝、新興伯爵邸。
「ただいま、ユーミリア。…ほら、土産だ」
帰ってきたアーサーは、少しだけ服に埃をつけていたけれど、どこかすっきりした顔で、ユーミリアが大好きな「街で一番人気のドーナツ」の箱を差し出してきた。
「おかえりなさい、アーサーさま!お怪我はありませんか!?」
ユーミリアが高く甘い声で駆け寄ると、アーサーはフッと表情を和らげ、ユーミリアの小さな体をぎゅっと抱きしめる。
その腕には、二度と離さないというような強い独占欲が籠もっていた。
「あぁ、怪我なんかするかよ。バカな虫をお義兄さんと一緒に完璧に駆除してきただけだ」
アルフレッドも、その横で満足そうに微笑む。
ユーミリアの足元では、完全復活した大福が「にゃおん」と誇らしげに鳴き、アーサーのブーツに(今回はお礼として)優しくスリスリと頬を擦りつけていた。
こうして、ユーミリアを脅かす脅威は、表からも裏からも跡形もなく消え去った。
大切な推したちと、最強の兄、そして優秀な猫のボディーガードに守られて、ユーミリアの甘くて過保護な奥様生活は、これからさらに加速していくのだった。
黒幕が社会の表裏から完璧に消滅し、新興伯爵邸に再び穏やかな日常が戻ってきてから数ヶ月。
ある日の朝食の席で、それは突然訪れた。
「…っ、う……」
大好物であるはずのとろけるチーズのトーストを前に、私は突如として強烈な吐き気に襲われた。
前世の限界社畜OL時代、ストレスで胃を壊した時とも違う、体の奥底から突き上げてくるような不快感。
たまらず口元を押さえて、中身をリバースしてしまった。
「ユーミリア!?おい、どうした!しっかりしろ!」
「ユーミリアさん、顔色が…っ!誰か、今すぐ医師を呼んできてください!」
背中をさするアーサーさまの手は見たことがないほど震えていたし、アルフレッドさまの美貌は恐怖で完全に引き攣っていた。
足元では大福が「にゃー!?」とパニックを起こして鳴き喚いている。
数十分後、屋敷に駆けつけたベテランの医師が、私の手首に触れて魔力診断を行った。
張り詰めた沈黙が流れる寝室。
生きた心地のしない表情で医師を見つめるラピスラズリ兄弟に対し、老医師はふっと表情を和らげ、深々と頭を下げた。
「おめでとうございます、伯爵閣下。奥様のお腹に、新しい命が宿っております。御懐妊です」
「…え?」
私の高く甘い声が、ぽかんと部屋に響く。
その瞬間、屋敷の時が止まった。
最初に動いたのは、部屋の外で聞き耳を立てていた使用人たちだった。
(キ、キター!!!)
「おいっ、大声出すな、奥様に響くだろ!」
「すぐに栄養のあるスープの準備を!ああ、ユーミリア奥様、ありがとうございます…!」
小躍りしそうなほど喜びを爆発させ、互いにガシッと抱き合って涙を流す使用人たち。
元狂犬の主たちがパパになるのだ、嬉しくないはずがない。
我が家の「過去一穏やか」なギネス記録は、さらに更新されることが確定した。
さらに、この知らせが実家の公爵家に届いたわずか数時間後。
「ユーミリア奥様!実家のお兄様から…その、お荷物が!」
メイドが悲鳴のような声をあげるほど、伯爵邸の庭に山積みにされたのは、最高級のシルクで作られた産着、純金のがらがら、魔力を帯びた安全なベビーベッドなど、気が早すぎる大量のベビー用品だった。
添えられた手紙には、綺麗な文字で『僕の可愛いユーミリアへ。世界一可愛い僕の甥か姪のために、まずは第一弾だよ。すぐに第二弾も用意するからね。追伸、ラピスラズリ兄弟、ユーミリアを少しでも不安にさせたら君たちの命はないからね』と、相変わらずのシスコンと圧が綴られていた。
「…ユーミリアさん。本当、ですか…?僕たちの、子供…」
嵐のような周囲の騒ぎを余所に、寝室のベッドの横で、アルフレッドさまが私の手をそっと握りしめていた。
その美しい瞳からは、大粒の涙がぽろぽろと零れ落ちている。
かつて「本当の意味で愛することはない」と言い放った冷徹な右腕は、今や愛おしさと感動でボロボロに泣いていた。
「はい、アルフレッドさま。お二人との子供です。…嬉しい、ですね」
私が微笑んで涙を拭ってあげると、アルフレッドさまは私の手の甲に、何度も何度も宝物を慈しむように口づけを落とした。
「あぁ。よくやった、ユーミリア」
反対側から、アーサーさまの大きな手が私の頭を包み込む。
見上げると、アーサーさまはいつもの獰猛な笑みではなく、これ以上ないほど優しく、誇らしげに、にんまりと笑っていた。
「政略結婚だ、だの、最初にバカなこと言ったのは俺たちだ。…だけどよ、もう絶対に離さねぇ。お前も、生まれてくるガキも、俺が命に代えても一生甘やかして守り抜いてやる」
「兄さんの言う通りです。貴女を愛さないなんて、あの時の僕たちは世界一の愚か者でした。一生をかけて、愛を注がせてくださいね」
二人の旦那様から注がれる、限界突破した濃厚な独占欲と溺愛。
お腹の赤ちゃんを慈しむように、二人の温かい手が私の小さな体に重ねられる。
その瞬間、大福がトコトコとベッドに飛び乗ってきて、私の胸元に陣取ると、兄弟に向かって「にゃおん(僕も一緒に守るにゃ)」と誇らしげに鳴いた。
「ふふ、ありがとう。アーサーさま、アルフレッドさま…大福も。私、世界一幸せです!」
前世は限界社畜OL、現世では美の基準から外れた行き遅れ令嬢。
けれど今、私の目の前には、世界一優しくてかっこいい最推しの旦那様が二人。
そして、これから生まれてくる愛しい宝物。
「愛することはない」という冷酷なセリフから始まった結婚生活は、前世の推しへの愛と、現世の二人の甘すぎる過保護な溺愛によって、これ以上ない最高の幸せを迎えたのだった。




