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Wolf-7 夜風のバルコニー

 秘密基地の集落跡から三日かけて歩いて行ったベアトリクス達は、五日かけて戻って来た。マルガレーテを自分達と同じ速さで歩かせるわけにはいかず、幾度も休憩を挟みながら帰路を進んだ。道中、家主が疾走したらしい空き家から使えそうなものをいくつか拝借した。


 夕暮れの秘密基地に辿り着いた一行を迎えたのは、幾分か調子を取り戻したらしいレミだった。茂みを掻き分けて姿を現したベアトリクスに笑顔で駆け寄る。年少の子達に地面に文字を書いて教えていたらしく、丁度いい長さの枝を手にしていた。


「姉ちゃん、おかえり」

「みんな元気にしてた?」

「うん。ロザリーごめんね、姉ちゃんに付いて行くのはぼくの仕事なのに」

「構いませんわ。その代わりにみなさんのことを見ていてくださったんですもの」


 レミは収穫物を満足そうに見て、そして、マルガレーテを見て飛び上がるほど驚いた。


「にっ、にに人間!?」

「ロザリー、マルガレーテを役場に連れて行ってあげて。レミはみんなを広場に集めて」

「分かりましたわ」

「わ、分かった」


 荷物をロザリーと狼達に託し、ベアトリクスも子供達に声をかけて回る。やがて皆が集まると、マルガレーテのことを簡単に説明した。


 秘密基地の仲間が増えることはしばしばあるが、お嬢様がやって来るのは初めてだった。子供達はざわざわとざわめき、顔を見合わせ、困り顔と笑顔が半分ずつ浮かんだ。


「姉ちゃん、もし、お嬢様のお迎えの人が来たらさ……。ぼく達が誘拐したって怒られない?」

「マルガレーテはならず者から助けてくれたのがアタシ達だってことは理解しているはずだから、大丈夫だと思うよ。もしもみんなのことを傷付けるようなやつが来たら、その時はアタシがみんなを守るよ。だから、レミ達が心配することはない。みんな、どうかマルガレーテと仲良くしてあげてね」


 子供達はしばらくどよめいて、それからお行儀よく返事をした。ベアトリクスに任せれば万事問題ないと子供達は思っている。ぼくらのお姉ちゃんが大丈夫だと言うのだから、大丈夫だ。


 そうして、秘密基地にお嬢様が仲間入りした。


 いつもより僅かに豪華な夕食で歓迎会をした夜。留守中に溜まっていた書類や手紙、子供達からの報告に目を通したベアトリクスは、伸びをしながら二階に上がった。レミの部屋の前を過ぎ、自分の部屋に入る。いずれも元々は会議室だったが、住み着いた子供達には関係のないことである。


 ドアを開けると、先に休んでいるはずのマルガレーテの姿がなかった。アタシのを使っていいよ! と言っておいたベッドは無人だ。


 何かが揺れ動いたのが見えてそちらを向くと、窓が開いていてカーテンが風に揺れていた。ベアトリクスの部屋には、会議に疲れた役人達がそのまま外に出て紫煙を昇らせていたバルコニーがある。煙草などどこで吸っても誰も気にしないものだが、書類に灰が落ちることを嫌がった者がいたのだろう。


「マルガレーテ」


 割れた灰皿のある柵に手を乗せて外の様子を見ていたマルガレーテが振り返る。


「まだ起きてたんだ」

「部屋の主が不在なのに先に眠ってしまうのは良くないと思って。寝巻も、貸してくださって」

「そんなの気にしなくていいのに。襲われて、変な子供に会って、たくさん歩いて、疲れてるでしょ」


 ベアトリクスは並んで立って集落跡を見下ろす。


「貴女達は本当に、子供だけでここで暮らしているのですね。とてもすごいことです。わたくしは、きっと、自分のことが分かっている時も自分では何もできなかったはずなのですから。きっと何もかも使用人に頼っていたに違いないわ」

「みんなここに来たくて来たわけじゃない。それでも、小さな体で今を必死に生きてる。だから、貴女に余裕ができてからでいいから、『よく頑張ってて偉い』って小さい子達を褒めてあげて」

「そうします。……わたくしに自分のことが分かっていれば、皆様を支援することもできたのでしょうか」

「……施しはいらないよ。気持ちだけでいい」

「そうですか。分かりました」


 月明かりの下、見張りの狼が交代する様子が見えた。基本的に、狼数匹と年長の人狼が二人一組を二組作って見張りに就いている。今の時間は狼しかいないようだった。


 どこか遠くの方で何かの獣の鳴き声が聞こえる。ベアトリクスの日常、マルガレーテの非日常。


 幼子達が寝静まった集落跡を並んで眺めていると、風がベアトリクスの頭巾を揺らした。秘密基地にいる間は頭に被ってはいないが、フードの部分だけを脱いで肩には掛けている。露わになっている赤毛が頭巾と一緒に揺れた。


「ベアトリクスは、何故昼間はそれを被っているのですか? 綺麗な色の髪なのに、勿体ないと思います」

「綺麗だって思うんだ」

「え? 綺麗でしょう? ポピーのようでかわいらしいと思いますよ」


 ベアトリクスは毛先が痛んでいる髪にそっと指を這わせる。


「アタシの髪を見ても気にしている様子がないなとは思っていたけれど、そっか、綺麗だと思うんだ。マルガレーテは知らないの? それとも、忘れてしまったの? それとも……貴女は、異国からやって来たの?」


 ベアトリクスの言っている意味が分からない。マルガレーテは小首を傾げる。


 木々が風に揺れる音に混じって、梟の鳴き声が聞こえていた。夜の暗闇に溶けてしまいそうなマルガレーテの黒髪が月明かりに照らされている。


 この麗しい令嬢は、森で暮らす子供達の知らない世界を知っている。そして、森で暮らす子供達の知っている世界を知らない。


「この国では赤毛は嫌われ……いや、怖がられるんだよ。恐ろしいから」

「……どうして?」

「かつて正体を暴かれた人狼が、赤毛だったから」


 暗がりでベアトリクスの琥珀色の瞳が光る。実際には光っていないのだが、降り注いでいる月明かりがそう見せた。


「じん……ろう……?」

「ここの子達のほとんどがそう。アタシと一緒にいたレミっていう男の子がそうだよ。分かるかな、ふわふわの帽子を被っていた子」

「彼は人間ではないのですか? ロザリーのような耳や尻尾はありませんでしたが」

「この国には人を食らう獣がいる」


 外に向けていた体を、マルガレーテに向ける。マルガレーテも応え、ベアトリクスと向かい合った。どんな話を聞かされるのだろうかと、美しい顔に緊張が走っていた。


 ルージュ公国の人間達に牙を剥く人狼という存在。恐ろしい獣について、ベアトリクスは要点を掻い摘んでマルガレーテに説明をする。人狼は人間を食らうこと、ある村で赤毛の男が人狼だったこと、自分は追放された女から生まれて人狼に育てられたこと、人を食う群れと食わない群れが争っていること。


 マルガレーテは青くなったり白くなったりしながら、聞き慣れない恐ろしい単語にも耳を傾けた。


「そう……。そう、なのですね……」

「貴女は余程安全なお屋敷に居たか、他のことと一緒に忘れてしまったか、異国から来たんだろうね。この国の人間は誰も彼も人狼に怯えて暮らし、赤毛の人間のことを恐れているんだよ」


 ベアトリクスは視線を外に向ける。見張りの狼達が何かを話している鳴き声が小さく聞こえていた。


「だから、髪を綺麗だって褒められたのは初めて。それも、貴女みたいなお嬢様にね。お世辞でもちょっと嬉しいかも」

「本当のことですよ。わたくし、とっても綺麗だと思ったのですから」

「て、照れるなぁ……。あー。もう、さっさと寝よ寝よ。ベッド使っていいからね。おやすみー」


 恥ずかしそうに笑ったベアトリクスはバルコニーを後にして部屋に入る。そしてすぐに床に放り投げられている毛布を被った。何かがあった時にすぐ動けるように、ベアトリクスは服のまま寝ることが多い。寝巻に着替えてぐっすり眠る夜は、代わりにレミが半分起きていた。


 眠ってしまったのか、まだ起きているのか、毛布を被って動かないベアトリクスをちらりと見て、マルガレーテはもう一度外を見た。


「本物のわたくしは、どのような子なのでしょう。わたくしがわたくしを取り戻した時、彼女達は……」


 集落跡までの道中、マルガレーテは「貴女はわたくしを知っているの?」と、所持していたらしい手鏡に声をかけてみたが反応はなかった。自分はあの時偶然着飾っていただけで、本当は仮装好きの庶民なのかもしれないと何回か考えた。もしかしたらお嬢様なんて飛び越して、お姫様かもしれないとも考えた。


 明日の朝、目が覚めた時に全て思い出せていたらいいのに。毎晩、そう思いながら眠りについた。それと同時に、ベアトリクス達にどんな反応をされるのかと考えて怖くなった。


「本物のわたくしが、どうか優しい子でありますように」


 夜風に祈りを溶かして、マルガレーテは窓を閉めた。

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