Wolf-4 雨の中の出会い 1
子供達の悲しみに呼応するように、雨の降る日が続いていた。数匹の狼を連れてベアトリクスは森の中を進む。
あの日以来、レミが使い物にならない。ずっと元気がないままで、昼はしょんぼりしているし夜は思い出したように泣いた。「レミ兄ちゃん大丈夫?」「元気出して」と小さな子達に慰められながら、俯いてばかりである。
「お姉様、雨が酷くなってきましたわ」
「そうだね。どこかで雨宿りしようか」
ベアトリクスは今回もまた少し遠出をしている。秘密基地を出発してから、三日経っていた。いつもはレミと戦闘要員の狼を連れているが、現在の一行の中にレミの姿はない。声をかけて来たのは狼の特徴を持つヒトケダモノの女の子だ。
レミと同い年の彼女は森で捕らえられ、見世物小屋に売られ、富豪に買い取られ、しばらく屋敷で働かされ、屋敷が人狼に襲われた際に逃げ出して散歩中のレミに拾われた。随分と酷い扱いをされたようだが、本人はここに来る前のことは思い出したくないと語るためベアトリクス達は詳細を知らない。躾けられた上品な口調が抜けず、これはもう個性の一つになってしまって仕方がないと笑う顔は悔しそうなものだった。
「ロザリーはここでみんなと待ってて、アタシ向こうを見て来るから」
「了解ですわ」
女の子――ロザリーは狼達と身を寄せて低木の影に隠れた。ヒトケダモノであるロザリーの狼の耳と尻尾はずっとそこにあるもので、姿が人間や狼に変化することもない。戦闘時のみ腕が獣のような鋭い爪を備えたものに変化するというが、ベアトリクスがその様を見たことはなかった。
深紅の頭巾を深く被り直し、ぬかるんだ地面を踏む。後方から「お姉様、気を付けてくださいね」というロザリーの声が聞こえた。
大きな洞のある木や、洞穴、小屋などがあると良いのだが。ベアトリクスは辺りを見回しながら、ロザリー達と離れすぎない程度にゆっくり歩を進める。
きゃあ、という悲鳴が聞こえたのは三十歩ほど進んだ時だった。女性の悲鳴である。それも、まだ年若い娘の声に聞こえた。
「あぁっ! あぁ、誰か!」
娘の悲鳴の後に、怒声と馬の嘶きが続く。
ベアトリクスは声のする方へ向かう。人間が人狼などに襲われているのであれば助けるべきで、人間が人間に襲われているのであれば物資を盗もう。
「荷物はこれだけか?」
「おいっ、こっちへ来い」
「こいつぁ上玉だぜ」
茂みの中から覗き込むと、ならず者が馬車を襲っている様子が見えた。馬は盗まれて連れて行かれてしまったのか、それとも逃げ出したのか、姿が見えない。御者と良家の使用人風の人間の男が血を流して倒れ伏している。そして、ドレス姿の娘がならず者に手を引っ張られていた。娘の歳の頃はベアトリクスと同じくらいだ。
雨が降り、血が流れ、泥が跳ね、その場のありとあらゆるものが汚れていた。ならず者は物騒な武器を持っているが、雨天の森の中であれば環境に慣れている獣の方が有利である。後ろを振り向き、ベアトリクスは手を振ってロザリーと狼達に指示を出す。
「お姉様、何事ですか」
「女の子が襲われている。助けないと。……荷物も手に入れられるかもしれないし」
「とても美しい馬車ですわね。豪商の令嬢でしょうか」
「ならず者は五人。武器を持ってる。危ないと思ったら自分の安全を優先。……よし、行って」
「皆様、お気を付けていってらっしゃいませ」
唸り声を上げて狼達が茂みから飛び出した。ならず者達の注目が娘から狼へと移る。狼の登場に娘が再び悲鳴を上げた。
まず、ならず者の一人が驚いて武器を振り上げた。ところが、ぬかるみに足を取られて転倒してしまった。もう一人は狼に飛び掛かられ、武器を取り落としてひっくり返る。後の三人も同様だ。その騒動に紛れて、ベアトリクスは娘の手を取った。
「貴女、大丈夫?」
娘は目を閉じてぐったりとしていた。ならず者に襲われ、さらに狼が突撃してきたことに恐れ戦いて気を失ってしまったのだろう。
「お姉様、こちらの使用人らしき方々はもう……」
「分かった。この子だけ連れて離脱する」
「撤収! 撤収ですわ!」
ベアトリクスは娘のことを抱き上げ、茂みに飛び込んだ。転がっていた荷物の中から適当なものをいくつか拾ってロザリーが後に続く。そして、ならず者達をひっくり返して踏み付けて噛み付いて突進して、泥だらけの狼達も茂みへ駆けた。
後に残されたのは倒されている豪奢な馬車と御者や使用人の亡骸、腰を抜かしているならず者達であった。
雨が降りしきる中、水を含んで重くなったドレスの娘を抱いてベアトリクスは走る。子供を助けることができて、何らかの荷物も手に入れられた。大きな収穫だが、この娘にとって大切な人々だったと思われる大人は救えなかった。もう少し早くあの場に辿り着いていれば、この娘は何も失わなかっただろうか。けれど、ただの通りすがりの人間を助ける義理などベアトリクス達にはない。決して令嬢のような娘がならず者に襲われていたから助けたわけではない。命を落とした大切な人の血に濡れて泣いている子供がいたから助けた、それだけである。
「ひとまず昨晩泊まった小屋に向かいましょう」
ロザリーの言葉に頷き、ベアトリクスは娘を抱き直した。
やがて、一行は壁に穴の開いている小屋に辿り着く。そして追手が迫っていないことを確認し、狼を一匹見張り役として外に残して小屋に入った。
娘が纏っているドレスは雨と泥に塗れてすっかり汚れてしまっているが、その状態でも元がとびきり上質なものであろうことは想像に難くなかった。ベアトリクスはスカート部分に付いている花の飾りにそっと触れた。濡れていても分かる、自分の知らない触り心地だった。
「綺麗なドレス……。……ロザリー、荷物の中は何か使えそうなものはあった?」
「食べられそうなものはこのお菓子の缶だけみたいですわ。中はたぶんクッキーか何かだと……。後は……食器? ですかね……? カトラリーとか、お皿がありますわね。割れてしまっているものもありますわ」
「流石にお皿は食べられそうにないね。ロザリーは怪我してない?」
「はい、何ともないです」
クッキーらしき箱を今ここで開けようかどうしようかと考えていると、別の荷物を漁っていた狼が小さく吠えてベアトリクスを呼んだ。
「食べ物あった?」
日用品も欲しいが、子供達が一番欲しているのは食料である。訊ねるベアトリクスに狼は小さく悲し気に鳴く。荷物の中身は食べ物ではないらしい。
狼が見下ろしている荷物は大きなトランクだった。二匹がかりで運んで来たそれは重厚な革張りで、何らかの紋章が刻印されていた。いかにも高価そうで、中にもさぞ素晴らしいものが入っているのだろうと感じさせた。ただし、匂いがしないので食べ物ではない。




