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Wolf-2 待ち合わせは廃教会で 1

 ベアトリクス達が秘密基地にしている集落跡から一時間ほど歩いた先に、小さな古い教会がある。近隣の集落が共同で使っていたものだそうだが、今はもう誰も訪れることはない。


 ある朝、この教会で日々懸命に神に仕え人々に教えを説いていた聖職者が命を落とした。朝の礼拝に訪れた者が発見した聖職者は血だまりの中で倒れていたそうだ。日記には客人が来たことが記されており、一晩泊めてほしいと現れた旅の者が人狼だったのだろうと言われている。


 教会を訪れていた人々が暮らしていた集落からは、その後幾ばくもしないうちに誰もいなくなった。ある集落はどこか遠いところへ総出で逃げ出し、ある集落は全員食われた。子供達の秘密基地もそのうちの一つである。


 盗賊団から食料を巻き上げた数日後。


 ベアトリクスは一人で教会を訪れていた。深紅の頭巾を脱ぎ、しんとした構内に佇む。視線は壁のフレスコ画へ向けられている。


 露店の横にテーブルを用意して遊ぶ人々が描かれていた。彼らは道路のようなものが記された盤面を囲んで立方体を転がし、目印の駒を動かしている。双六である。その様子を慈しみ深き眼差しで見守っている女性が女神の現身たる存在だ。


 祭壇の方へ目を向けると、サイコロを手にした女神の像が剥げかけの塗装に包まれて虚空を見つめていた。サイコロの出目で人の運命を占い左右するとされるダイスの女神を信仰する、ダイス教。世界に目を向ければ宗教は数多くあるが、ルージュ周辺の地域ではダイス教を信仰する人間が多い。この教会にも熱心に通っていた人が多かったはずである。


 ベアトリクスの背後でドアが軋む音がした。誰かが教会に入って来たのだ。


 現れたのは一人の少年である。細かな装飾が光る服を纏った、裕福そうな身形の少年。廃墟ばかりの土地とは不釣り合いな外見だが、静かすぎる場所に震えることはなく、埃の舞う床を踏むことに何の抵抗もない。


「ベアトリクス」


 ぼんやりと女神像を見上げていたベアトリクスが、名前を呼ばれたことでハッとして振り返った。


「珍しいな、君が俺に背後を取らせるなんて」

「オリヴィエ」

「考え事?」

「うん……。次の狩りはどこに行こうかなって」

「君らしい悩みだね」


 少年――オリヴィエは適当な椅子にハンカチを広げてその上に座る。


 オリヴィエ・ド・クレ。ベアトリクスの幼馴染である彼は、国家元首たるルージュ公の令息である。とはいっても、妾の子であるオリヴィエは母と僅かな使用人と共に本邸からは離れた森の別邸に置かれ、表舞台に顔を出すことはない。放任されて堅苦しい家に縛られることのないオリヴィエは自由に屋敷の近所を歩き回り、荷物を狙って襲撃して来たベアトリクスと出会った。


 他には誰もいない古い教会。ここは、二人の秘密の待ち合わせ場所だった。ベアトリクスは森の獣や人狼の動きを、オリヴィエは森の外や村々の状態に関する情報を、それぞれ持って来て交換している。そのおかげでオリヴィエの屋敷は人狼に襲われる前に対策を取れるし、ベアトリクス達は大人の目を掻い潜って移動することができた。


「狙い目の村や町はない? 物がたくさんあるとか、村人が出払っているとか」


 ベアトリクスはオリヴィエの座っている椅子の背もたれに手を添え、彼の顔を覗き込むようにして言う。


「いつも言っているけれど、盗みを肯定することはできないからそういう情報は知っていても教えられないよ」

「ケチ」

「俺に力があれば、父上に君達のような子を助けてやってほしいと進言できるのに」

「力があったとしても、今はルージュ公それどころじゃないんじゃないの」


 オリヴィエは渋い顔になる。


 ルージュ公国は大国に囲まれたいくつかの小国の内の一つである。東隣のヴァルフォレト王家から分かれたルージュ公クレ家が統治しており、そこそこ歴史がある。人狼に翻弄されながらも、それなりに安定した国政を行ってきた。ところが、先代の頃から徐々に国は傾きつつあった。人狼の被害は未だに抑えられず、疑心暗鬼な善良なる市民は善良なる市民を殺し、孤児が増え、財政は悪化し、盗賊が溢れ、政府への不信感は膨れ上がって止まらない。


 戻らないか? 数ヶ月前、ヴァルフォレト国王がルージュ公にそんな提案をしたらしい。公にはされていないが、そうらしいという話をベアトリクスはオリヴィエから聞いた。本当かどうかは分からないとオリヴィエは言うが、久方振りに顔を合わせた父は思い詰めた表情をしていたという。


 このままでは人狼がいなくなったとしても国は崩壊するかもしれない。前回の待ち合わせの時、オリヴィエは不安そうに言っていた。崩壊してしまう前に、差し伸べられた手に縋り付いた方がいいのではないか。けれど、そうするとクレ家は今の力を失うだろう。


「俺は父上に何も教えられていないから政治のことなんてよく分からないけど、なんか、たぶんあまり良くないんだよな。良くないから、助けを求めた方がいいんだけど、そしたら、自分自身は弱くなっちゃうんだろうな」

「難しい話。こっちに手が回らないのは分かるけど、回してほしいな。孤児の支援に力を入れないとアタシがオリヴィエを食べちゃうぞって脅しちゃおうか」

「ベアトリクスは人間でしょ。それとも、まさか、やっぱり、本当は赤毛の人狼なの」


 オリヴィエが椅子の上で体を動かしてベアトリクスからほんの少し距離を取る。


 初めて会った時、ベアトリクスは自身を人狼だと言ってオリヴィエを威嚇した。ひっくり返ったオリヴィエから荷物を取り上げようとしたが、予想以上に大泣きされてなくなく諦めることにしたのだった。八年前のベアトリクスは今よりもお転婆だったし、八年前のオリヴィエは今よりも泣き虫だった。


 昔も今も、二人の立っている位置はずっと離れていて変わらない。片や落胤とはいえ公爵令息であり、片や獣と共に森で暮らす孤児である。しかし関係は少しずつ変化していた。最初は互いを何者なのだと警戒していたというのに、今ではすっかり親友である。二人で話している時、ベアトリクスはいつもより穏やかでいられたし、オリヴィエはいつもより笑顔でいられた。


「アタシは人間だよ」

「そうだよな」


 ベアトリクスはオリヴィエの隣に腰を下ろす。しばらくの間、二人は黙ったまま並んで女神像を見ていた。少ししてから、両手を組んだオリヴィエが目を閉じて祈りを捧げる。


 サイコロを転がすダイスの女神。ベアトリクスは神のことを信じていない。もしもいるのならば、自分の周りの子供達は悪い出目を出して悪いマスに止まってばかりである。それを是とする神なんて、信じていない。けれど、こうしてオリヴィエが子供達の幸せを願ってくれることは嬉しかった。


「ここ数日はこの辺りに人狼はいないみたい」


 ベアトリクスの声に、オリヴィエは目を開けて手を解いた。


「そっか。俺からは……。俺からは、父上達が忙しそうだなって話……。今のルージュは確かに大変な状況だから助けは欲しい……けど。……ヴァルフォレト、最近国王とか上層部が国民から不平不満を言われているらしい。そこに頼んで大丈夫なのかな……。俺が気にしてもどうにもならないけどな」

「不満……どうして? 今までそんな話はあまり聞いたことがないけれど」

「いや、今になって突然ってわけじゃない。ずっと陰で燻ぶっていたのが表に見えるようになってきているみたい。詳しいことは分からないんだけど」

「そうなんだ」

「他の国に戦争を仕掛けるかもしれないとか、他の国同士の戦争に巻き込まれそうだとか、変な噂がどんどん広がっているらしい。真偽は全く不明で、国境の柵を越えた人狼がヴァルフォレトに潜り込んでいるとかいう話もある」

「人狼は相手が人狼かどうか分かるけれど、ヴァルフォレトの人はきっと為す術ないね。専門の占い師や味方の人狼がいるわけじゃあないから。逆に今までルージュ国内だけに抑えられていたことが奇跡だよ」


 人狼達がいつ、どこからやって来たのか。それは人間には分からないし、人狼にも分からない。人間がおかしくなった存在だとか、狼が人の姿を会得した存在だとか、ヒトケダモノの一種だとか、色々と言われている。

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