Wolf-1 絶好の狩り場
向こうの集落に盗賊団が現れた。そんな報せを聞き、ベアトリクスは現場に駆け付けた。集落を見下ろすことのできる丘の上に陣取り、様子を窺う。風に揺れる頭巾を抑える指には素朴な指輪が光っていた。
「派手にやってるなぁ」
盗賊団は村人に武器を振り上げ、金品や食料を盗み、見目の良さそうな男女を連れ出している。小さな花壇は荒らされ、子供の泣き叫ぶ声や家畜の吠え声が聞こえていた。
ベアトリクスは肩にかけていた銃を降ろす。中に入っているのは弾丸ではなく、コルク。見た目はいかついが、実態はおもちゃである。しかし、この銃が彼女にとって最良の武器であった。
怒声と悲鳴と共に流れて来る春の花の香りを鼻いっぱいに吸い込み、ベアトリクスは口角を少し上げた。
ルージュ公国西部。国土の大半を森林に覆われたこの国の中でも、最も木々がひしめく地域。草と木と花ばかりで、ほんの僅かな人間が暮らす集落がちらほら。他に住んでいるのは獣達だけ。若い娘が一人で歩き回るには危険な場所である。
集落を眺めるベアトリクスの元へ、足音が近付いて来た。
「姉ちゃん、みんな準備できたよ」
駆けて来たのは男の子である。冬に被るようなもこもことした毛で覆われた帽子を頭に載せている。ベアトリクスが振り向くと、男の子は嬉しそうに体を揺らした。
「分かった。じゃあ行こうか」
そう言って、ベアトリクスは頭巾を深く被り直して頭を覆い、ストールをぐっと上まで上げて口を覆った。男の子を連れ、銃を手に丘を下る。
そして、二人は集落に飛び込んだ。泣き喚き逃げ惑う村人と、罵声を飛ばし略奪を続ける盗賊の間に割って入る。まるで、ただの市場の喧騒に分け入るように。
くたびれたぬいぐるみを抱いて泣いていた幼児がベアトリクス達を目で追って泣き止む。農具を手に盗賊と戦おうとしていた村人が堂々と歩く少女と男の子を見て目を見開く。盗賊の一人がベアトリクスに目を留めた。
「お。娘っ子がいるじゃねえか。おい、もっとよく顔を見せろ」
汚らしい笑みを浮かべる盗賊に向かって、ベアトリクスは目元だけで笑う。
「……かかれ!」
相手への攻撃を支持する声。それを放ったのは盗賊団の頭などではなく、ベアトリクスだった。その瞬間、集落に獰猛な獣の声が響き渡る。
「狼だぁ!」
村人の誰かが叫んだ。
数匹の狼が集落に飛び込んで来た。村人と盗賊の間を縫って、食料を奪い取って行く。家々に残っていたものも、盗賊が手にしていたものも分け隔てなく。互いの立場や状況を忘れて逃げ出す人々の中で、ベアトリクスと男の子だけが黙って立ったまま狼の様子を見ていた。
森に棲む獣達は人を襲って食らう猛獣ばかりであるとされている。狼も、熊も、猪も、鹿も、他も全て危険な生き物だ。家畜や愛玩用以外は人間の手に負えない恐ろしいものであり、武器を持たないものが鉢合わせすれば命を落とすに違いない。まして、人間に紛れて社会に潜り込み村を滅ぼすらしいと言われている狼が複数現れれば、大混乱は必至である。
阿鼻叫喚の中心で、ベアトリクスは気持ちのいい春風に頭巾を揺らしていた。
「レミ、そろそろ」
もこもこの帽子を被った男の子――レミは呼ばれて元気よく返事をした。
「うん! みんなー! 撤収!」
「それじゃあ、後はいつも通りで」
「うん!」
小さく頷き合って、二人は互いに背を向けた。ベアトリクスは盗賊の頭の元へ、レミは食料を搔き集める狼達の元へ。
狼を追い払って村人に武器を振り上げていた盗賊の頭は、ベアトリクスを見て手を止めた。若い娘が弾む足取りでこちらへやって来るなんて。高く売れそうな娘の登場に、盗賊の頭はもじゃもじゃの髭で覆われた口をにやりと歪めた。
「ねえおじさん、その袋の中も食べ物?」
「へへ、俺らと一緒に来るか? そうしたら分けてやるぜ。嬢ちゃん、もっとよく顔を見せてみろ」
「いいよ」
ベアトリクスは頭巾に手をかける。頭をすっぽりと覆う深紅の頭巾。するりと脱がされた下から現れたのは燃えるようなオレンジ色の赤毛だった。揺れる前髪の下に光る琥珀色の瞳が、途端に怯えだした盗賊の頭のことをじっと見る。
赤毛は人狼の証。決して、必ずそうということはない。しかし人々にこびりついた偏見は簡単に消えるものではなかった。人狼と呼ばれる、人間の姿を取るとされる狼。その化けた先が赤毛の者だったことは確かに数度続いたが、赤毛を理由に消された者のほとんどは普通の人間だった。それでも、赤毛に対する意識はなかなか変わらないものだ。
ベアトリクスの背後でレミの姿が人間から人狼へと変化したことが追い打ちとなり、盗賊の頭も村人も居合わせた人間ほぼ全てが大混乱に陥った。三角形の耳が頭頂部に生え、ふわふわの尻尾が大きく振られている。無邪気に笑いながら、レミは狼達に撤収の指示をして回った。
「おじさん、その袋もアタシにちょうだい」
「ば、ば、化け物! お、オマエも、人狼っ、なのか……!」
「どうだと思う?」
がお、と手の爪を見せて言う。すると盗賊の頭は腰を抜かして食料の入った袋を取り落としてしまった。ベアトリクスはすかさず袋を拾い、レミと狼達を連れて集落から撤収する。
後に残されたのは仲良く混乱して狼狽えている村人と盗賊団だった。勇敢な村人が、ひっくり返っている盗賊から食料以外の盗品を取り返している姿もあった。
近頃、白昼堂々村々に現れる狼の集団がいるという噂があった。彼らは人間を食らうことはないが、食料を山ほど盗んで行くのだという。それも、盗人が入るとやって来る確率が高いという話もあった。狼達を率いるのは、真っ赤な頭巾を被った赤毛の少女。
「ただいまー」
食べ物がたっぷり詰まった籠や袋を咥えた狼達を連れてベアトリクスとレミは秘密基地へ帰って来た。集落で盗賊から盗品を盗んでから四日後のことである。森の奥、かつて人が暮らしていた集落の跡。人の手が入らなくなって草木に覆われ、壊れかけの家々が並ぶ。
ベアトリクス達の帰りを待っていた小さな子供達が元気よく出迎える。
「今回は盗賊がいたから食べ物を探す手間が省けたよ」
集落跡の秘密基地。人間もいたが、獣の耳や尻尾を持つ者や獣そのものの方が多い。いるのは、子供ばかり。
小さな子達に食料を配り終えると、ベアトリクスは自分の根城にしている役場の中に入った。すぐ後ろにレミが続く。
この集落跡で暮らすのは、行き場のない子供達だった。最初はほんの数人の集まりだったが、次第に増えたり減ったりしながら人数が膨れ上がって行った。
今回も使うことのなかった愛銃をカウンターに置き、ベアトリクスは座面の布が剝がれかけたソファに横になった。
「姉ちゃんはご飯食べないの?」
「後で食べるよ。レミはみんなと食べておいで」
「でも、姉ちゃん人間だし、途中で生肉食べられなかったでしょ。早くしないと持って帰って来た野菜とかなくなっちゃうよ」
レミはふわふわの帽子を被った人間の男の子の姿をしている。本性は、人狼。だが、彼が人間を食らうことはない。
「そう、人間なんだよね……。アタシも狼ならよかったのに。その方がきっと苦しくないんだ。まあ、気にしないけどね。しても仕方ないから」
度々、ベアトリクスはこんなことを言う。
森で育ったベアトリクスにとっての両親はレミの両親だった。母や父、その仲間は人狼であった。しばしば遭遇する旅人などに赤毛の人狼だと指を指されることがあったため、自身も人狼なのだと思って育った。だが、違った。レミが産まれた十年前、両親に自分は人間なのだと告げられた。確かにいつもの姿から変わることができないなとは思っていた。思っていたよりもすんなりと受け入れられて、当時のベアトリクスは自分に対して拍子抜けした。
人狼と疑われて追放され、逃げ延びた森のあばら家で人間の女が産み落とした赤ん坊がベアトリクスである。敵対する群れの人狼を手にかけた帰り道でレミの母親が偶然見付け、女から託された。雪の中で弱り切った体は相手に敵意がないことを認めると、安心したように動かなくなったという。
「レミ、パン一個残しておいて。ちょっと休憩」
「んー。分かった。まだ残ってるかな」
レミは首を捻りながら役場を後にする。
今回の狩りは長くかかった。人間の体は脆く疲れやすいため、レミ達よりも休息が必要であった。
ベアトリクス達年長の者はしばしば遠出をし、盗賊から取り上げたり旅の者から盗んだり市場に飛び込んだりして食料を集めていた。時には往復に何日もかかることもあった。罪に問われることなのかもしれない。しかし、寄せ集めの子供達が生きて行くには必要なことだった。他の手段を選ぶことなど彼らにはできない。
「おやすみなさい、お父さん、お母さん」
母の遺品である、父から貰ったらしい指輪。いつものようにそっと声をかけて、ベアトリクスは目を閉じた。




