Prolog 人を食らう獣
ある朝、獣に食い殺された村人が発見された。
森に囲まれている集落の周りには危険な生き物が多く棲んでいる。常に警戒していたはずなのに、被害が出てしまった。獣の往来なんてなかったはずだと見張りは言った。
きっと、集落の中に紛れ込んでいるに違いない。村人達はそう考えた。口を揃えて彼らは言う。
村人の中に、人間のふりをした狼がいる!
一人、皆と馴染めていない者がいた。怪しいので彼が狼だ。きっとそうだ。そうに違いない。無実を訴える若者を、村人達は処罰した。
次の朝、また獣に食われた者がいた。昨日の若者は人間だったのだ。他に狼がいるはずである。
そんな日がしばらく続いた。
村人達は疑心暗鬼に陥り、自分以外の全てを疑った。全員が自分は人間であると主張した。
そうして、結局、この集落から人間はいなくなった。
別の集落で被害が起きた。次は、あっちの村。今度は、そっちの町。毎日、毎日、毎日、狼探しの会合が各所で開かれた。見事に狼を見つけ出し以降の被害を逃れた地域もあったが、小さな集落などは数日で全滅してしまうところもあった。
いくつもの街で狼の被害が出ていることが報告され、国の上層部が動いたのは最初の集落が滅んでから三ヶ月後のことだった。対応が遅いのではないかという声もあったが、報告する生き残り自体が少なかったので致し方ないのだと政府は言った。
ありとあらゆる獣を打ち倒す猟師や、人間に化けた本性を暴くことができるとされる術者などが各地に派遣された。被害は減ったり増えたりした。
ある時、ある村で、赤毛の男が疑われて処罰された。俺は違うと主張した男がいなくなると、村には平和が訪れたということが報告された。
偶然にも赤毛の者が狼だったことが数回続いた。すると、不安に駆られる人々は赤毛の者を疑うようになった。付き合いの長い近所の人も、頼りになる役人も、自分の親戚さえも赤毛であれば信じられなくなった。
この村では、今日の昼の会合で一人の赤毛の女が狼だということになった。女は身重であった。
「子のいる女を処刑するところなど、見たくないだろう。俺が後でやっておくから、みんなは家に入っていなさい」
処刑人は言った。
夜になって、獣を入れるような檻から出された女はさめざめと泣いた。縄で繋いだ女を連れて、処刑人は雪の降り積もる森に入る。
「私は人間です。狼でも、熊でも、猪でもありません。どうして私が。私が、夫を手にかけたというのですか。これから子供が産まれるというのに」
つい先日、女の夫は獣に襲われてこの世を去った。この女がやったのだと村人達は口を揃える。今から産まれる赤ん坊もいずれ人を襲うぞ、と。
涙を零す女のことを、処刑人は森の中のあばら家の前で放した。
「俺の手は血に染まった醜い手だ。けれど、そんな俺でも身重の女を殺すことなどできない。貴方はここで処刑の前に体調を崩して死んだことにするから、どこかへ逃げなさい」
逃げる場所などない。しかし、この場で殺されるよりはいいと思った。女は処刑人に深く礼をした。遺品代わりのネックレスを女から受け取り、処刑人は村へ戻って行く。
そして、女はあばら家で一晩を過ごした。誰かが使っていたと思しき道具がいくつかあったので、準備を整えてからどこか遠くへ行こうと思った。自分の赤毛を受け入れてくれる場所があるかもしれないし、もしなければ、他の国へ行ってもいいかもしれない。
女が赤ん坊を産み落としたのは、出発の前夜だった。
壊れた屋根から雪が舞い降りて来る。赤ん坊を守ってくれるように願いを込めて、女は夫から贈られた指輪を小さな手に握らせた。
あばら家に、誰かが入って来た。何かを襲った後なのか、鋭い牙や爪からは血が滴っている。月明かりに照らされる獣の姿を見て女は悲鳴を上げた。
「あら、人間がいる。女と、赤ん坊」
獣は人間の女と同じような声を出した。興味深そうに、獣は近付いて来る。
「お願い、この子だけは助けて!」
産まれたばかりの赤ん坊を抱いて、女は叫んだ。すると、獣は相手を安心させるように微笑んだのだった。




