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第9話 翡翠のアヘンパイプ

 ──俺は転生した。

 

 前世でクズだった俺だから最底辺の層へと転落すると思いきや、何と【王族】に転生した。


 しかも第一王子だという。いやはや信じられなかった。失敗した前世と違って今度は大当たりじゃないか。


 家族は王の父と王妃の母。俺が誕生して15年後に妹が生まれた。こいつは俺にぞっこんで、いつも憧れの眼差しを向けて来る。めっちゃ可愛いやつだ。


 前世で俺は治安の悪い地域の底辺高校に通っていた。ある日、シングルマザーの母親が出て行ったきり帰ってこなかった。


“家を出ます。これからはひとりで頑張りなさい”との書き置きを残して。


 どうやら捨てられたようだ。途方に暮れた俺を救ってくれたのは担任の女教師の月坂遥先生だった。


 生徒といえ赤の他人の世話をこれでもかってくらいしてくれた。区役所の福祉課に相談してくれたおかげで学校は退学にならずにすんだ。


 大家さんにも掛け合ってくれてそのままアパートにいられるようになった。


 感謝の言葉しかなかった。俺はいつしか10歳年上の先生に好意をいだくようになった。


 いや、素直に言えば初恋だったのだ。勉強についていけない俺のために家庭教師までしてくれた。


 小さなテーブルに向かい合って勉強した。ときおり先生が顔を近づけて来るといい匂いがした。


「おいおい、勉強させないつもりかよ。無垢な高校生を挑発するなよ」

 と俺が言ったら、


「へー、真島君は意識するんだ」


 シャーペンのグリップで額を小突かれた。


「いてっ……しないけど気になるから」


「あらら、照れちゃって」


 そんなたわいないやり取りが楽しかった。先生に彼氏がいるかと聞いたらはぐらかされた。


「真島君は?」


「いねーよ」


「へー、モテると思うけどなぁ」


 同世代の女には興味がなかった。俺が好きなのは目の前にいるひとだ。


 将来、プロポーズするつもりだ。


 だけど先生と生徒という立場を考えると、何も踏み出せなかった。俺は高校卒業を心待ちするようになった。


 高校を出たら働くつもりだ。社会人となって先生を迎えに行く。そんな妄想に取り憑かれていた。



 ある日の夕暮れ、先生が約束の時間が過ぎても家に来なかった。携帯で連絡しても返事がない。


 何となく胸騒ぎがして、アパートを出て先生のマンションに自転車で向かった。


 マンションの前にパトカーが止まっていて赤色灯が点滅していた。


 野次馬が群がっていた。黄色の規制線のテープをかいくぐって玄関に向かおうとしたら警官に押し戻された。


「何があったんですか?」

 俺は隣にいたおばさんに聞いた。


「女の人が刺されたみたいよ」


 まさか……


 玄関の扉が開いて、救命士と一緒に台車が出てきた。毛布で全身を覆っていたので誰かわからなかった。


 台車が玄関前の段差で、ガタンと揺れた。毛布がめくれて左腕がだらりと露出した。細い手首に“数珠”のブレスレットがあった。




「先生、何で水晶の数珠のブレスレットはめてんの?」


「かっこいいでしょ」


「ダサい。年寄りじみてるよ」


「ただの厄除けよ」

 そう言って月坂先生はケラケラ笑った。


 数珠を見せてもらったらHのイニシャルが彫られていた。


「このイニシャルは?」


「遥、私のイニシャルよ」


「ふーん」


「もし将来真島君がとても素敵な大人になったら、隣にKのイニシャルを彫ってもいいわよ」


 Kは真島薫の俺の名前だ。


「先生、教え子をからかわないでください! 本気にしますよ」


「ごめ〜ん、今の発言校長先生には言わないでね」



 この事件はテレビや新聞で報じられた。通勤の電車で月坂先生に好意を持った中年のサラリーマンがしつこくつきまとった。


ストーカーだった。怖がった先生は警察に相談していたという。



 俺は月坂家の葬式に出た。月坂先生の両親と初対面した。俺に声をかけてくれた。


 そして渡された形見が、水晶の数珠のブレスレットだった。


「遥はあなたのことがとても自慢だったのよ」


 母親がいなくなっても頑張ってる姿が健気だといつも言ってたらしい。俺には軽口しか叩かなかったのに……


 それまで涙を堪えていた俺は嗚咽した。





 高校卒業後、俺は学校の先輩の誘いでホストになった。何でも俺は顔がよくて女を惹きつける魅力があるらしい。くだらない。しかし、これといってやりたいことはなかった。


「なっ、アルバイトと思ってやってみなよ。楽な仕事だぜ」


 先輩の言葉とは裏腹に過酷なノルマに忙殺された。


 数年たった。ノルマの為なら何でもした。ツケが払えない女には売春をさせたりソープランドに沈めたりした。


 俺はあまり笑わなくなった。客の女からはイケメンでクールだと言われたが、心が壊れていくのがわかった。


 ……何かが俺を蝕んでいった。溶けたのは俺の良心だ。



 


 そして、ついに女に出刃包丁で腹を刺された。


 俺は逃げた。逃げたけど俺は自業自得だと思った。


 もしかして俺はすでに死んでいたかも知れない。ただの抜け殻がこの世にいたのだ。



     ◇



 王族に転生するという『幸運な人生』に俺は戸惑った。


 高みの頂点から転落するかもしれない。そんな恐怖にとらわれた。


 でも国は安定して隣国とのいざこざもなかった。アウグスト王国の王と外交使節団は有能だ。


 20歳になったとき、ある決意をした。この国の隅々まで探索したいと。


 もしかして俺が転生したように月坂先生もこの国に転生してるかも知れない。そんな思いをずっと持っていたのだ。


 最初は第一王子の婚約者探しとしての行脚を考えていたが、それでは大儀すぎる。


 それで【最新貴族目録】を編纂するのが目的で旅に出た。


 俺の行脚が始まった。


 国中の地域を回ったが、月阪先生に関する情報はどこにもなかった。


 他国も回り、いつしか10年の歳月がたって、俺は30歳になった。



【最新貴族目録】の本は完成してしまった。



もう諦めかけたとき、辺境伯マスケローニ伯爵の三姉妹の肖像画の写しを見たのだ。



 よく考えれば月坂先生が貴族に転生してるとは限らない。商人や農民、一般市民との繋がりは俺にはない。


 だから【最新貴族目録】の作者デロッシ・ヴァスコのペンネームを使うことにした。


 偽名を使って妹の従者になれば行動範囲が格段に広くなる。あちこち見てまわれる。色んな人々と出会えるだろう。


 ──そして準備万端でマスケローニ伯爵領に入った。



 ************



 ──三姉妹の末っ子エレナ穣の部屋で絵のモデルになったとき、俺は部屋の壁に掛けられた絵に目をやった。


 その時、ある肖像画に目が釘付けになった。


 どこかの貴婦人だ。青いドレスを着て椅子に座っていた。そのにこやかな表情は前世の月坂遥先生と似ていた。


 この世界で月坂先生と似ていると思ったのは、エレナと合わせて3人目だ。自殺した人妻のアンナも月坂先生と似ていた……



「この女の人は?」


「叔母のパメラです」


 俺は椅子から立ち上がって壁の肖像画に近づいた。手首に水晶の数珠のブレスレットがあった。まさか!


「珍しいブレスレットですね」


「叔母が職人に特別に作らせたものです。何でも東方の国のお守りを再現したものだと聞きました。興味がおありですか?」


「はい」


「……ちょっと待ってください」


 そう言ってエレナは部屋の奥に向かった。寝室に入るとしばらくして戻って来た。小箱を両手で抱えていた。


 ヴァスコの前で蓋を開けた。中からあの肖像画の婦人が身につけていた水晶の数珠のブレスレットを取り出した。


 ──似ている。この水晶の数珠は大きさといい質感といい前世で俺が譲り受けた物とそっくりだ。


 俺は数珠を触らせてもらった。


 数珠の珠を1個づつ丁寧に見た。


 “H”の文字が刻まれていた。そしてその隣の珠には“K”の文字が……



 間違いない。月坂先生はこの異世界に転生していたんだ!



 そして俺が来るのをずっと待っていたのか……


 俺は身震いした。


「パメラさんは今どこに?」


 俺の言葉にエレナは顔を曇らせた。


「叔母は3年前に亡くなりました……」


「そうでしたか……」


 ちょっとした時間差で俺は転生した月坂先生に会えなかったのだ。前世も今世も、俺が本当に愛した人はどこかに行ってしまう。そういう運命さだめなんだろうか。


 俺の心にポッカリ穴が空いた。すきま風が吹いて胸の穴を通りすぎたように感じた。



 辺境のマスケローニ伯爵領から帰った俺は、もうどうでもよかった。どうにでもなれだ。ヤケになった。


 そしてその考えに同調するがごとく運命は転落へといざなった。



     ◇



 薄暗くタバコの煙が充満した酒場で酔った俺は、路地裏で吐いた。


 黄色い胃液まで吐いて口を拭ったら、背後に見知らぬ女が立っていた。フードを被っていた。


 顔がよく見えない。どうせ売春婦のたぐいかと無視して脇を通ろうとしたら耳元で囁かれた。


「天国に行きませんか? 連れて行ってあげますよ」


「天国なんか興味ない。俺は地獄に堕ちるんだ」


「なら、なおさら来てください。天国と地獄、両方が味わえますよ」



 天国と地獄。



 その言葉になぜか惹かれた。そういえば前世でも失敗したし、転生したこの世界も俺の居場所がない気がする。


 もしかして、極端な場所、天国や地獄にこそ俺の居場所があるのかも知れない。





「ほら、ここが天国です」



 ある商会の建物の地下室に入った。ドアを開けると眩い光が溢れた。俺は一瞬瞼を閉じて再び開けた。



 ウオオオオオッ──!! 



 まるで大海の嵐の大波のように空気の層が揺れた。


 密集した人々の歓声が地響きになった。



 うわあああ────!



 おめでとうございます!



 新王様、バンザーイ!!

 


 誰かが両手を上げると、周りの人全員が手を上げた。人々の輝く眼差し。熱気がすごかった。



 王宮のバルコニーに現れた王冠を被った男。その男の姿をひと目見ようと数千人の群衆が王宮前の広場に詰めかけたのだ。


 バルコニーの男は右手を上げた。さらに歓声がわき起こった。


 

 俺は人々の最後尾からその男の姿を見た。



 間違いない。



 ──俺だ。



 あのバルコニーにいるのは、未来の俺の姿だ。


 俺は後ろに立ったフードを被った女に言った。 


「これが天国だと……冗談じゃないぜ。俺にとっては地獄だ」


「地獄が嫌なら、これで天国に行きましょう」

 

 女はコートの内側に手を入れて何かを取り出した。


 ──翡翠(ひすい)アヘンパイプ(・・・・・・)だ。


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