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黒ずくめの彼女

 午後の間延びした陽射しが差し込む中で、所在無く座る僕の傍に寄って、まるで其処が所定の位置とでも云う様に体重を預けて来る彼女。服を通して伝わって来る温かで柔らかな感触に、じんわりと内から湧き上がって来る快さ。じっと目を閉じてただ黙って此方を信頼し切った仕草に、身体の中で凝り固まった物が少しずつ融けて行く様な、それと一緒に時の流れも次第にゆっくりになって行き、このまま何時までもこうしていたい、と、半ば微睡の中にいながら、そんな事を考えていた。



 初めて出会った事の事を思い出す。あれは深夜の公園での事。辺りを照らすには余りに頼りない街灯の光の中、うっすらと浮かぶ様に公園のベンチの上に座り込んで、か細い声で、誰も助けてくれない、誰も助けになってくれない、そんなまるで世界その物から見棄てられたかの様な、そんな胸の奥が締め付けられる様な、誰にも聞かれる事無く、そのまま夜の中に吸い込まれて消えてしまうだけの、そんな悲痛な声を辺りに響かせていた。全身黒ずくめの姿で、やせ細った身体付きの、其の中で一際印象に残る訴え掛ける様な目の記憶が、今でも思い出す度に胸を刺す。



「一緒に来るかい?」



 声を掛けずにいられなかった。放っておくには余りにもその訴え掛ける様な姿が痛々しくて。勿論始めは警戒された。何しろ此方は野暮ったいと云う言葉をそのまま絵に描いた様な冴えない男だ。無警戒に着いて行って何されるか分かった物じゃない、と思われるのも当たり前すぎる程に当たり前の話だった。けれども、それを拒絶する程の余裕などその時の彼女には残されていなかったのだろう。よたつく足取りで近付いて来て、そのまま気を失う様に此方に身を預けて来るのだった。



 部屋に入り、出された食事も余りの空腹からか、何度も嘔吐きながら漸く終えて、自力でシャワーを浴びる事だって出来ずに、僕の助けを借りながら、勿論嫌々ながらの事だっただろうが仕方なしに済ますと、与えられた毛布に包まって、まるで死んだかと見紛う様な深い眠りに就くのだった。



 どうして、こんな幼い子がこんな目に遭わなければならないのだろう。きっと親の愛情もそこそこに、誰からも顧みられる事無く、毎晩の様にあの時と同じく拠り所の無い空を見上げるしかなかったと云うのか。



 夜が明けてからも、彼女の態度が変わる事は無かった。僕から距離を取って、部屋の隅でじっと一言も発さず、ただ見詰めて来るだけ。ただただ悲しかった。あの目は自分の周囲全てが敵だと信じて止まない目だったのだから。それに対して僕に出来る事は余りに少なく、時折声を掛ける、その位しか出来る事はなかった。



 そうして、何日もただ無為に時が過ぎて、このまま何も変わらずにいるだけなのだろうかと半ば諦めの気持ちに傾き掛けていた、それは或る日の夜の事だった、何時もの様に一人で寝ている僕のベッドの中に彼女が滑る様に潜り込んで来たのは。背中越しに伝わって来る静かな寝息に、僕は嬉しさと哀しみの綯い交ぜになった感情に捉われて、一頻り涙を流していた。




 そんな紆余曲折の後に、今、こうして身を寄せ合って穏やかな時を共に過ごしている。その事が何故だか奇跡の様な、思いも掛けない天からの贈り物の様な、そんな気がしてならない。もう彼女無しの人生なんて考えられない。言葉を掛ければ返事の帰って来る、そんな当たり前の様で得難い二人きりの時間。最近は拙いながらも会話らしき物も成立する様にさえなった。一度聞いてみたくて、今の今まで聞けなかった言葉、返事は期待してなかったけれども、それでも聞かずにいられなかったこの言葉を、僕は投げ掛けていた。



「ねえ、今、幸せ?」って。







「ニャア。」



 そう言って、彼女はノタリと身を横たえると、フカフカの毛並みのお腹を上にして見上げて来る。その柔かそうなお腹に思わず手を伸ばす。と、



バシッ。



 思いの外強い力で手を叩かれる。シッポをブリブリ、耳ピンピン、目を真ん丸に見開いて、手はプラプラと次の一撃に備えて予断を許さぬその構え。



「まだそこまで許した覚えはない、と。こりゃキビシーねー。」



 仕方なしに今度はその丸い頭を包み込む様にして撫でまわす。すると今度は目を閉じ、さも満足そうにヴヴヴヴヴと声を洩らし頭を摺り寄せて来るのだった。多分これが答えなんだろう。



 嗚呼、日々是好日也。





                              オシマイ

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