篠宮友梨奈のフィールドワーク 壱 〜徒来村奇譚〜
序章
1955年8月の東京は、例年になく湿度が高かった。空には灰色の雲が重たく垂れ込み、夕方の路地は蒸気を孕んだように霞んでいる。終戦から十年ほどがたち復興期に入った街は活気を取り戻しつつあったが、その熱気はどこか息苦しさを伴っていた。
篠宮友梨奈は、大学の研究室の片隅で机に向かいながら、教授から届いた手紙の封を開けた。彼女の肩まで伸びた黒髪が首筋に張り付いている。扇子でゆっくりと仰ぎながら、何度も手紙の文面に目を走らせた。
「篠宮君、君のような若い学生の感性が必要だ。青森県南部の徒来村で、現地の伝承と祭りについて調査をしてきてほしい。」
教授の稗畑小三郎は民俗学で彼女の指導教官だった。稗畑は、常に新しい視点を求めて研究を進める人物で、学会からは異端視されていたが友梨奈にとっては敬愛すべき恩師だった。彼女はその文面を読み返すたびに、胸の奥に微かな興奮が広がるのを感じていた。
徒来村…聞き慣れないその地名には、どこか不気味な響があった。手紙には続けてこう書かれている。
「村には"キリストの墓"と呼ばれる奇妙な遺跡があると言われており、また"ナニャドヤラ"という祭りが行われている。竹内文書との関連も示唆されており、古代ヘブライ文化の遺跡を残している可能性がある。」
友梨奈は知らず知らずのうちに唇を噛みしめていた。古代ヘブライ文化、日本の古代史、戦後の民俗学の潮流。どれも彼女の研究テーマに直結しているものばかりだった。そして、それ以上に、その土地の神秘的な響きが、彼女の心を強く惹きつけるのだった。
「教授の直感を信じるべきよね…。」
そう呟くと、友梨奈は手元の手紙を封筒に
戻し、窓の外を眺めた。遠くに見える東京の雑踏の中、復興に忙しなく動く人々の姿がぼんやりと映っている。だが彼女の心はすでにその光景から離れ、霧深い北国の寒村へと向かっていた。
壱
夜行列車の揺れは、心地よい眠気を誘うはずだった。しかし友梨奈は、窓の外を流れる暗い風景に目を奪われ、まったく眠ることが出来なかった。田畑を通り抜ける涼しい風が車窓のすき間から入り込み、彼女の頬をなでるたびに、次第に現実感が薄れていくような感覚がした。膝の上には、教授から借りた古い資料が広げられている。そこには竹内文書の断片が記されており、謎めいた言葉が並んでいた。
『徒来村の伝承は、ヘブライ文化との共通点があると言われている。特に、"ナニャドヤラ"の歌詞は古代ヘブライ語に似た構造を持つ。』
「どうしてそんなものが、青森の小さな村にあるのかしら?」
友梨奈は、ペンで父から譲り受けた手帳に考えを走り書きしながら呟いた。日本の辺境の地に残る失われた文化。その謎が、民俗学を学ぶ友梨奈の探求心を大いに刺激していた。列車が青森駅に到着すると、空はまだ夜の帷に包まれていた。降り立ったホームには霧が立ち込め、視界がぼんやりとぼやけている。友梨奈は手荷物を肩にかけ、開店したばかりの小さな食堂で早めの朝食をとると、始発のバスに乗り込んだ。バスの窓から見える風景は、徐々に都市部の喧騒から離れ、緑深い山間部へと移り変わった。道中の住人たちはどこか無口で、友梨奈が挨拶をすると、少し戸惑ったような笑みを返すだけだった。
「やっぱり外から来た人は珍しいのかな。それにしても、お年寄りばかりね……」
彼女はそう思いながら、資料を抱え直した。
そしてバスが最終目的地の徒来村に近づくにつれて、風景は次第に異様な雰囲気を帯びてきた。霧が一層濃くなり、木々の間から垣間見える家々は、どれも古びた茅葺き屋根をしていた。一体いつ頃、建てたのだろうか…?
村に着くと、バスの停留所で待っていたかなり高齢の宿の女将、三浦さち子が友梨奈に声をかけた。
「篠宮さんですか?遠いところをよく来てくださったねぇ。」
「いえ、こちらこそお世話になります。明日から村を少し歩きたいと思っています。ナニャドヤラのお祭りについてお話を伺えれば…ありがたいのですが。」
「ナニャドヤラかい?……ええ、今年も行われますよ。ただ、外から来た人にはちょっと難しい部分もあるかもしれませんねぇ。」
女将の顔と言葉には親しみやすさがあったが、その笑みの裏に、どこか影のようなものが見えた…。友梨奈は挨拶を返しながらも、その一瞬の違和感を忘れることが出来なかった。宿に到着した友梨奈は、女将の案内で2階の客間に通された。室内はこぢんまりとしていたが、掃除が行き届いており、窓からは村の中心にそびえる古い神社が見えた。時折、微かな鈴の音が風に乗って聞こえてくる。それはどこか穏やかでありながら、耳に残る奇妙な響きを伴っていた。荷を説いた友梨奈は教授から託された資料を再び広げた。その中には、『竹内文書』について簡潔にまとめられた説明があった。彼女はペンを取り、手帳にメモを書き写しながら、その内容を声に出してみた。
『竹内文書とは、戦前に竹内巨麿という人物が編纂したとされる一連の古文書で、日本の古代史や神話について詳細に記録されている。そこには驚くべきことに、キリストやモーゼなど、聖書の人物が日本に来たという説が記されている。学会では偽書とされているが、一部ではその信憑性を支持する声もある。』
「もしこれが本当なら、徒来村の伝承と繋がっているのかもしれない……。」
友梨奈は手帳に赤い丸で「キリストの墓」と記し、さらに資料に目を通した。竹内文書には、徒来村についての具体的な記述はなかったものの、そこに住む人々が古代ヘブライ語に似た言語を使い、異国の風習を残しているという噂が含まれていた。
「どうしてそんなものがここにあるの?」
その疑問は、やがて彼女の中に別の感情を呼び起こした。興味と、不安。徒来村がただの歴史的な遺物の場所ではなく、何かもっと大きな、そして危険な秘密を隠しているのではないかという思いだった。
弐
友梨奈は村を歩き始めた。霧がまだ晴れきらない村の道は、どこかひんやりとしており、彼女の頬を冷たい風がかすめる。山間の静寂の中、どこからともなく聞こえてくる鳥の声やざわめきが、不気味な合唱のように響いていた。最初に訪れたのは村の神社だった。そこには何百年も前から立っていると思われる巨木がそびえ、その根元には苔むした石碑が並んでいた。石碑の表面には、見たことのない文字が刻まれている。友梨奈は身をかがめて、それをじっと見つめた。
「これって……古代ヘブライ語なの?」
彼女は手帳を取り出し、文字を模写し始めた。だがその瞬間、背後で微かな気配を感じた。振り返ると、少し離れた場所に村人らしき老人が立っていた。ボロボロの布をまとい彼女をじっと見つめている。
「あの、すみません。ここで少し調べ物をしていただけなので……。」
友梨奈がそう言うと、老人は何も言わずに歩き去った。その姿は霧の中に溶け込むように消えていった。その日の午後、友梨奈は村の集会所で住人たちの話を聞くことができた。長老の一人、村長の斎藤重蔵はわずかに残る白髪交じりの後退した頭髪を撫でながら、低い声で語り始めた。
「この村には、昔から不思議なことがたくさんあるんじゃ。村を調べるのは勝手だが、お嬢さんも、余り、深入りしすぎないようにすることじゃな。」
その言葉には、明らかな警告の色が含まれていた。だが彼女は、それを聞き流すことが出来なかった。
「その"キリストの墓"というのは、本当にあるんでしょうか?」
彼女の質問に、重蔵はしばらく黙り込んだ。そして、意を決したように言った。
「もちろんじゃ。だが、それが本当にキリストのものかどうかは誰にも分からん。ただ、この村にはイエス様に対する信仰心が強い者が多い……わしも含めてな。」
その場にいた村人たちの顔色が変わり、友梨奈は息を呑んだ。彼女は村が抱える謎の重さを、改めて肌で感じていた。夕方になると、村は、徐々にざわつき始めた。霧は晴れないまま、空には薄く赤みが差している。宿の窓から外を眺めていた友梨奈は、どこからか太鼓の音が聞こえてくるのに気づいた。その音はゆっくりとしたリズムで、次第に近づいてくるようだった。
「これが、この村の祭り……ナニャドヤラの始まりなのかしら……。」
彼女は小声で呟き、手帳とペンを手に取った。村人たちが集まる祭りを直接見ることは、研究の貴重な機会だった。外に出ると、道端にはすでに松明が灯され、揺れる炎が古びた木造の家々を不気味に照らしていた。道の奥から現れたのは、白い装束をまとった年配の村人たちだった。彼らは低い念仏みたいな何かを唱えながら練り歩いている。その声は、どこか呪文のようでもあり、心の奥に響く不協和音のようでもあった。友梨奈はその奇妙なリズムに身を含ませた。近づく人々の顔は、どれも無表情で、目だけが妙に輝いている。彼女の心臓は鼓動を速め、足が地面に張り付いたように動けなくなった。白装束の村人たちが村の広場に到着すると、中央には巨大な焚き火が組まれていた。火の明かりに照らされ、周囲の村人たちは手を繋ぎながら円を描いて踊り始める。リズムはさらに加速し、「ナニャドヤラ、ナニャドヤラ……」という呪文めいた歌が繰り返される。友梨奈はその様子を観察しながら、手帳にメモを書き込んだ。だが、村人たちの動きにはどこか異常ともいえる規則性があった。彼らの足取りは不自然なほど正確で、まるで何かに操られているかのようだった。
「……これは、ただの民族舞踊じゃない。」
友梨奈は、思わず息を呑んだ。目の前で繰り広げられているのは、単なる伝統行事などではない。何かもっと深い意味を持つ儀式のように見えた。友梨奈が広場の隅で踊りを見ていると、不意に誰かが肩を叩いた。振り向くと、そこには村の神社で会った老人が立っていた。彼は無言のまま手招きをしている。
「……え?なんですか……」
老人は友梨奈が動揺しているのを意に介さず、ゆっくりと暗がりへと歩き出す。彼女は躊躇したものの、その背中を追うように歩き出した。村の外れにさしかかると、老人は振り返り、低い声で囁いた。
「お前さん、知りたいんだろう?この村の本当の姿。」
その言葉に、友梨奈の胸は強く高鳴った。だが同時に、彼女の背中には冷たい汗が流れた。その目の前には、村の外れにある小さな祠がぼんやりと霧の中に浮かび上がっていた。祠の前で老人は静かに佇み、友梨奈に向き直った。 「竹内文書に書かれていることは嘘でもあり、真実でもある。この村には、あれに書かれていないものが隠されているんじゃ。……だが、お嬢さん、アンタそれを知れば戻れなくなるぞ。」
「戻れない……?それってどういう意味ですか?私はただ……。」
老人の言葉に、友梨奈の声は震えていた。 だが、老人はそれ以上何も言わず、祠の扉をそっと開いた。その瞬間、友梨奈は鼻を刺すような異臭に思わず顔を背けた。祠の中には、何か黒ずんだ石板が祀られていた。その表面には、またしても古代ヘブライ語に似た文字が刻まれている。友梨奈は懐中電灯を取り出し、石板に光を当てた。
「……これは……」
彼女の手は震え、光が僅かに揺れた。その石板には、判読できない文言が記されていた。
参
祠の石板を前に、友梨奈は目の前の光景が現実とは思えない感覚に囚われていた。古代ヘブライ語のような文字列。竹内文書と繋がる可能性に、学生としての好奇心が騒ぎ立てる。だが、その背後で囁くように響く声が耳をつんざいた。
「……その石板に触れるんじゃない!」
振り返ると、先ほどの老人が険しい顔で友梨奈を睨みつけていた。その目には、ただ事ではない緊張が宿っている。
「どうしてですか…?ここまで案内して何か危険なことが起きるんですか?」
友梨奈は喉の渇きを覚えながら問いかけたが、老人は口を閉ざしたまま首を振った。それ以上の説明をしない態度に、彼女の中で、苛立ちと恐れが入り混じる。だが、再び石板に目を向けたとき、不意に自分が何かを侵そうとしている感覚に襲われた。祠を出ると、村の静けさが再び耳を覆った。友梨奈は重い足取りで宿へ戻る途中、道端で見知らぬ老婆と目が合った。老婆は深い皺の刻まれた顔をゆっくりと近づけ、白濁した瞳で友梨奈を見つめると、声を絞り出すようにして囁いた。
「知りたがるな……若い娘、村外の人間は見てはならんのじゃ。」
「見てはいけない?……何をですか?」
友梨奈は立ち止まったが、老婆はそれ以上答えず、霧の中に消えていった。その足取りは異様に軽く不自然だった。振り返った友梨奈の背筋に、ひやりとしたものが走った。その夜、宿の部屋で友梨奈は再び竹内文書の資料を読み返した。竹内文書に記された『天祖』の伝説には、こうあった。
『天祖は地上に降り立ち、人々に永遠の命を与えたが、その代償として彼らの自由を奪った。人々は彼を崇拝し続けることでしか生きられない存在となった。』
この『天祖』とは一体何を指すのだろうか?
古代の神話宗教が混ざり合い、曖昧に伝えられたものに違いない。それが何らかの形でこの村に関係しているのかもしれない。
「でも、そんな話はフィクションの域をでない……はずよね。」
友梨奈は自分に言い聞かせるように呟いたが、内心では否定しきれない恐れが渦巻いていた。翌朝、友梨奈は再び村を歩き始めた。
村の中心にある共同墓地を訪れたとき、墓石の古さと少なさに驚かされた。それらの多くは400年以上前のもので、村人たちが古い時代からここで生活していたことを示していた。だが、、不思議なことに、近年の墓が見当たらない。
「最近は埋葬をしていないのかしら?」
彼女が独り言を呟くと、背後から声がした。
「村では、葬式はしないのだよ。」
振り向くと、村長の重蔵がいつの間にか立っていた。その表情は険しく、声には何かを隠すような響きがあった。
「斎藤さん……どういう意味ですか?」
「篠宮さん、ここは神の眠る地じゃ……。それを知りたいというのなら、覚悟を決めるんじゃな。」
彼の一言が友梨奈の中に新たな謎を刻む。
四
夜明け前、友梨奈は村の外れ、村長の重蔵から聞いた『神の眠る地』という言葉が離れなかった。宿の床の間に広げた地図を眺めながら、村のどこにその場所があるのか手がかりを探っていた。
「神の眠る地……それがキリストの墓を指すのだとしたら、一体どこなのかしら?」
村の伝承を整理していると、不意にドアを叩く音がした。
「おはようございます。篠宮友梨奈さん……ですよね?」
ドアを開けると、そこに立っていたのは変わった風貌の青年だった。広めの額に長髪を後ろで結んだ丸眼鏡、そしてどこか古めかしく動きやすい和装をしている。その姿は、戦前の時代から抜け出してきた明治の文豪のようであった。
「え、あの、あなたは。」
「和嶋研一と申します。〇〇大学で民俗学を学んでいる院生です。この村の研究をしているのですが……実はあなたの噂を聞いて会いに来たと言うわけです。あなたが、ここにいる理由、だいたい察しがつきますよ。」
和嶋は友梨奈より少し歳上だが、落ち着いた物腰に加えて独特の存在感があった。彼の発する言葉からは、鋭い洞察力が垣間見える。和嶋研一は懐から分厚いノートを取り出した。その中には、村での調査記録がびっしりと書き込まれていた。
「ここに書かれている情報が、あなたの求める手がかりになるかもしれません。」
友梨奈はノートを受け取り、ページをめくる。そこには、村に伝わる「キリストの墓」の伝説や、竹内文書の記述との関連性が詳細に記されていた。
「すごい……ここまで調べていたなんて。どうして私にこれを?」
「正直に言うと、僕一人では限界があります。でも、篠宮さんが来たことで、ようやく前に進める気がしたんですよ。」
和嶋の真摯な態度に友梨奈は頼もしさを感じた。
日が昇り始める頃、友梨奈と和嶋は地図を手に「神の眠る地」へ向かった。村の外れにある険しい山道を進むにつれ、空気が次第に重くなる。周囲の木々は鬱蒼としており、霧が視界を奪っていく。
「この先に古い祠があるはず。村人たちは近づこうとしませんが、そこが我々の探す「神の眠る地」の手がかりになるはずです。」
和嶋の声が緊張で僅かに震えていた。やがて二人は、崩れかけた石段に辿り着いた。その先には苔むした祠がひっそりと佇んでいる。中に入ると古びた祭壇の上に奇妙な形の石碑が置かれていた。その表面には、またしても見慣れない文字が刻まれていた。和嶋が懐中電灯で照らしながら呟いた。
「これは……古代ヘブライ語に似ていますね。どれどれ……『ここに眠る神、永遠の命を授けし者』とあります。」
その瞬間、祠の奥から冷たい風が吹き抜けた。友梨奈は背中を刺すような悪寒を感じ、急いで振り向いたが、そこには何もいなかった。ただ、どこからともなく囁くような声が聞こえる気がした。
「……聞こえますか?篠宮さん。」
和嶋が低い声で問いかける。
「……何かが私たちを見ている……」
祠の中、和嶋が読み上げた「永遠の命を授けし者」という言葉が友梨奈の心に深く刻まれていた。目の前の石碑は何百年もの間、祠の中で静かにその存在を保ち続けてきたのだろう。しかし、その表面に触れると、異様な冷たさが彼女の指先染み渡る。
「この冷たさ……普通じゃない。」
友梨奈は手を引っ込め、周囲を見渡した。
薄暗い祠の内部には、古びた木材の匂いと湿気に満ちている。何かが隠されているような感覚が、彼女の胸を締め付けた。
「篠宮さん。これを見てください。」
和嶋が彼女の注意を引く。彼は石碑の台座部分に何かを見つけたらしく、しゃがみ込んで古い埃を払い落としていた。台座には、さらに細かい文字が刻まれていた。しかし、それは他の文字とは異なり、崩れた形状で読むのが難しい。
「なんて書いてあるんですか?」
友梨奈が尋ねると、和嶋は眉をひそめながら言った。
「『汝、禁忌を破るべからず』……そして、その下に書かれているのは、おそらく警告文のような内容ですね。」
その言葉に友梨奈の心臓がひときわ大きく脈打つ。
「警告?それってどんな?」
「これに触れた者は呪われる……というような内容です。」
和嶋の声は低く抑えられていたが、その響きには不安が含まれていた。二人が祠を出ると、外の景色は不気味なまでに静まり返っていた。霧はさらに濃くなり、周囲の木々は幽霊のように黒い影を伸ばしている。
「気味が悪いですね………」
和嶋が呟く。友梨奈もその感覚に同調するかのように頷いたが、彼女は足を止めて、霧の向こうに目を凝らした。微かに動く影のようなものが見えた気がする。しかし、そこに人影はなかった。ただ木々の間を抜ける風が、微妙な音を立てているだけだ。
「篠宮さん……戻りましょう。」
二人は無言のまま歩き出したが、その背後に無機質な見えない気配がついてきているようだった。宿に戻った友梨奈は、和嶋が持参した調査記録を再び読み始めた。その中には村で古くから語られる『神の契約』の伝説が記述されていた。
「あるとき、天から来た神がこの地に降り立ち、村人たちに永遠の命を与えた。しかし、それと引き換えに、彼らは決して村を離れることは出来なくなり、神を敬い続けることを強制された。」
「永遠の命……まさか……」
友梨奈は頭を振った。伝説の内容はあまりに突飛で、信じるには荒唐無稽だった。しかし、村人たちの異様な雰囲気や、祠の不気味な石碑を思い返すと、どこか現実離れした恐怖が彼女の中に巣食い始めたていた。
「和嶋さん、この伝説、本当だと思いますか?」
彼は眼鏡を押し上げながら慎重に言葉を選ぶように答えた。
「……正直なところ、分かりません。たた、この村には普通では説明のつかないことが多すぎます。僕たちが見た祠の石碑も、村人たちが見せないものも、すべて何かに繋がっているはずです。」
和嶋の言葉に、友梨奈は静かに頷いた。この村の真実に迫るには、さらに奥深くまで探らなければならない。
五
その夜、空は雲一つなく澄みわたり、徒来村の山間に鋭い月光が差し込んでいた。畳の上に横たわっていた友梨奈はうつらうつらとした眠気の底に沈みかけていた。外からの虫の音がかすかに響くばかりで、室内は静まりかえっていた。……その時だった。不意に、障子の向こう、窓の方から、人の気配がした。
「誰?……誰かいるの?」
声にならないほどの低い声を喉の奥で転がしながら、友梨奈はそっと身を起こす。手のひらで畳を押さえ、静かに立ち上がった。
キィ……と、おそるおそる障子を開ける。月明かりが、縁側の向こうに広がる宿の庭を白く照らしていた。その陰影の角に、それはいた。蒼白く、ぼんやりとした人影。人間の形をしていながら、半透明で下半身がなく輪郭が曖昧だ。だがそれよりも驚いたのは、その表情だった。深く刻まれた皺、高い鼻梁、日本人とは異なる骨格。彫りが深く、瞳は虚ろに空を見つめている。彼は口を動かしていた。言葉になっていないように思えた。
……いや、それは違った。
「Stop!Dont Do It! (やめろ!探るな)」
英語だった。言葉が、直接脳に響いてくる。耳では聞こえていないのに、確かに意味を理解していた。友梨奈の心臓が大きく跳ねる。目の前の異国の亡霊が何者かもわからない。ただ、確かなのは……警告だということ。
だがその声は、夢の中で聞く誰かの叫び声のように、現実味に欠けていた。輪郭がぼやけ始め、その影は不意にかき消された……。
まるで、最初から存在していなかったように。そこには、ただ夜風に揺れるススキと、月光に照らされた石畳があるだけだった。
しばらく立ち尽くしたまま、友梨奈は唇を震わせた。
「……ヘブライ人?いや、まさか……」
小さな呟きが夜の帷に落ちていく。胸の奥には、開け放たれた穴のような感覚が残っていた。そこから、今まで知っていた歴史とは違う"何か"が、静かに、確かに流れ込んで来ていた。
翌朝、友梨奈と、和嶋は村を散策しながら「キリストの墓」に関する情報を探していた。友梨奈は昨夜の事は話さなかった。しかも、村人たちは二人を避けるようにして、ほとんど口を開こうとしなかった。
「何かを隠しているのは明らかですね」
「ええ……でも、それが一体何なのか。」
そんな時、一人の老婆が小さな声で二人に話しかけて来た。
「アンタたち、あの場所に行かないほうがいい。神の呪いを受けるだけだから。」
老婆の声は震えており、その瞳には恐怖が宿っていた。
「神の呪いとはどういう意味ですか?」
友梨奈が尋ねると、やはりこの老婆も首を横に振り、何も答えず後ずさるように去ってしまった。村人たちの頑な態度に行き詰まりを感じる二人だったが、和嶋は分厚いノートを広げ、以前の調査記録を確認し始めた。
「ここにある通り、村の北東にある山の麓に、小さな洞窟があるはずです。それが「キリストの墓」へ繋がる入り口かもしれない。」
友梨奈と和嶋は地図を片手に北東へ向かった。道は険しく次第に狭くなり、足元も土は湿り気を帯びて滑りやすくなっている。鬱蒼とした森を抜けた先に、薄暗い洞窟の入り口がぽっかりと口を開けていた。
「ここですね……行きましょう。」
和嶋の言葉に友梨奈は頷いたが、胸の鼓動は早まっていた。洞窟の中から漂う冷たい空気には、何か得体のしれないものが含まれているように感じた。洞窟の中は湿気に満ち、天井から滴る水がぽつりぽつりと音を立てている。友梨奈は足元に気をつけながら進むが次第に道は急勾配や急斜面が続き視界も暗くなり、手元の懐中電灯の明かりだけが頼りになっていく。
「この奥に何があるんでしょう?」
「それは……行ってみなければ分かりません」
和嶋の表情は硬い。やがて二人は、洞窟の奥にある広間のような場所にたどり着いた。そこで彼らが目にしたのは、奇妙な祭壇だった。祭壇の中央には石でできた大きな棺のようなものが置かれている。その表面には祠の石碑と同じ文字が刻まれていた。
「これが……キリストの墓?」
友梨奈が手を伸ばしかけた瞬間、突然洞窟の中に響くような声が聞こえた。
「侵すな……ここは神聖なる地……」
友梨奈と和嶋は凍りついたように動けなくなった。その声はどこからともなく響き渡り、洞窟全体が生き物のように揺れる気がした。
「撤退しましょう!篠宮さん。」
和嶋が叫び、二人はその場から走り出した。後ろから何かが追ってくる気配がするが、振り返ることはできなかった。ただただ必死に洞窟を抜け、外の光の中に飛び出すまで走り続けた。。口から心臓が飛び出すほど、息を切らして洞窟を離れた二人だったが、その目には明らかな動揺が浮かんでいた。
「今の声、何だったんでしょう。」
友梨奈の問いに、和嶋は答えられなかった。ただ、「何か」があることは確かだった。「これ以上の探索には、さらに準備が必要かもしれません。」
友梨奈は洞窟で見た祭壇と棺の映像が脳裏を離れず、そこに眠る「神」なる存在とは何なのかという疑念に苛まれていた。そして、村の人々がそれを必死に隠そうとする理由も、少しずつ見えてきた気がした。
六
洞窟から逃れた翌日、友梨奈と和嶋は村を歩き回り、情報を集めようと試みた。村人たちは変わらず口を閉ざしていたが、その視線には明らかな警戒心が漂ってきた。
突然、一人の老いた男性が二人の前に立ちはだかった。その男性の顔にも深い皺が刻まれ、目は不気味なほど白濁していた。
「お前たちは禁忌に触れた。」
男性は低い声でそう言い放ち、口をモゴモゴさせながら二人を睨みつけた。
「禁忌……それはどういうことですか?」
友梨奈が諦め半分で問いかけると、男性は深い溜息をつき、周囲を見回してから静かに口を開いた。
「この村は遥か昔、天から来た者と契約を交わした。その者は神とも悪魔とも呼ばれていたが、本当の姿は誰も知らない。ただ、その者は『永遠の命』を与える代わりに村が外界との関わりを絶つ事を条件とした。」
「永遠の命……」
友梨奈が呟くと、男はさらに続けた。
「その契約は祝福であると同時に呪いでもあった。我々は寿命で死ぬことはないが、終わることもない。老化は止まらず、永遠に朽ちることのない存在となる。そして村を離れようとすれば、その命消えるのじゃ。」
和嶋は驚愕の表情を浮かべながら必死にペンを走らせていた。
「その『神』なる存在は今どこに?」
メモを取っていた和嶋が尋ねると、男性は小さな声で答えた。
「墓の中じゃ。じゃがな、若いの、それに触れることは許されない。触れれば村は滅ぶ。」
その夜、和嶋は村の古文書や竹内文書の一部を広げて、そこに記された情報を友梨奈と共有した。
「竹内文書には、こう書かれています。『天より来たりし者、この地を守り、人々を導かん。されどその力を恐れよ』と。これが村の契約に繋がる記述だとすれば、『神』は人類の文明に干渉してきた存在だった可能性があります。」
「文明に干渉する……それって、地球外生命体ってことですか?」
友梨奈は思わず口にした。和嶋は彼女をまっすぐに見据え、真剣な表情で頷く。
「あり得ます。竹内文書の記述が真実であると仮定すれば、この村の不死の秘密も何らかの技術的な要因で説明できるかもしれない。」
友梨奈はその言葉に、村で見た祠の石碑や洞窟の棺を思い出した。その存在はどれも、人智を超えた力を感じさせるものだった。
翌朝、二人は再び村を歩き、村人たちの様子を観察していた。すると、一人の老婆が祠に向かう姿を見かける。彼女は一心不乱に祠を拭き清めていたが、その目はどこか虚ろだった。友梨奈が近づくと、老婆は驚いたように振り返ったが、足早に去っていった。
「村人たちは『神』を恐れる一方で、その存在を敬い続けているようですね。」
和嶋が呟く。そして、二人は村の中央にある集会所に足を運んだ。そこでは、何人かの村人が何やら議論しているようだったが、二人の姿を見つけるとすぐに話をやめた。
「アンタたちには関係のないことだ。」
一人の男性が短く言い放つ。その態度には明らかに敵意が含まれていた。その夜、宿に戻った友梨奈は部屋のドアに挟まった封筒を見つけた。さっそく開くとそこにはこう記されていた。
「あの契約が村を縛り続ける限り、我々は決して自由になれない。真実を知りたければ、再び洞窟を訪れ、棺を開けよ。そこに全てがある。」
友梨奈の心は揺れ動いていた。「棺を開ける」という行為がどれほど危険で死者を冒涜する行為かは明白だったが、彼女の探求心がその恐怖に打ち勝ち始めていた。和嶋もまた、その内容を読んで決意を固めたようだった。
「行きましょう!篠宮さん。今度こそ、村の真実を明らかにする時です。」
七
翌朝、友梨奈と和嶋は決意を固め、再び洞窟を目指した。先日の出来事が頭をよぎるものの、彼らの足取りは揺るぎなかった。村の秘密を解き明かすこと、それが二人の使命となっていた。洞窟に到着すると、和嶋が懐中電灯のスイッチを入れた。二人は前回よりも慎重に足を進め、祭壇のある広間へたどり着いた。石棺は前回と変わらず、そこに静かに
鎮座していたが、二人はその存在感に再び圧倒された。和嶋が棺の表面を指でなぞる。その手が触れた触れた部分に、微弱な光が走るのを友梨奈は見逃さなかった。
「光った……!」
「この棺ただの石細工ではないですね。何らかの技術的なもの……。」
和嶋がさらに詳しく調べ始めると、棺の側面に小さな穴のようなものを見つけた。それは自然のものではなく、明らかに人工的に作られたもので、触れると以外にも温かい感覚が伝わってくる。
「これが開けるための鍵なのかもしれません。」
和嶋はメモを取りながら、棺の構造を観察していた。蓋は思った以上に軽かった……。
二人が棺を開けるとその中には人間の形をした何かが横たわっていた。それは石の彫像のようにも見えたが、肌は奇妙に滑らかで、僅かに光を放っている。
「これは……人間なの?それとも……?」
友梨奈が見つめる、その「何か」は人間のように見えるが、どこか異質だった。その顔は眠っているかのように穏やかで、周囲には無数の細い管が絡みついていた。
「まさか……これが……『神』なのか?」
和嶋が呟く。友梨奈は近づいてその管の一部に触れると、ほんのりと温かいことに気づいた。
「これは生命維持装置のようなものかもしれません。この中の存在は休眠状態にあると考えるべきでしょう」
和嶋が冷静に分析するが、その言葉が返って不気味さを増幅させた。
「いつ目覚めるのか……あるいは目覚めることを待っているのか……。」
友梨奈は思わず後ずさりした。洞窟を後にした二人は、村に戻る途中で数人の村人に囲まれた。やはり全員、老人たちで、彼らの目は怒りと恐怖に燃えていた。
「アンタら、一体、何をしたんじゃ!」
村人たちの一人が叫ぶ。
「私たちは、ただこの村の真実を知りたいだけなんです!」
友梨奈が必死に訴えると、村人の一人が震える声で言った。
「真実を知ったところで、アンタたちには何もできない。この村は、あの「神」によって護られている。アレの秘密を暴けば、我々は滅びる。アレは、遥か昔、天から降りてきた。我々に永遠の命を与える代わりに、アレ自身の命を保つための場所を要求した。もしアレが目覚めるときが来れば……我々は全てを失うじゃろう。」
村人たちの言葉には狂気と崇拝の入り交じった感情が滲んでいた。その夜、村の空に不自然な光が現れた。それは青白く揺らめきながら、空を漂い、村人たちを怯えさせた。
「……来るのかもしれない……。」
村の村長・斎藤重蔵が静かに呟く。その言葉に友梨奈の胸は高鳴った。洞窟で見た生命体とこの光は繋がっているのだろうか?
「まさか……迎えが来るのか?」
和嶋が呟いたその時、村の遠くから轟音が響き渡った。
八
轟音は徐々に村全体を包み込み、夜空を赤い光が切り裂いた。友梨奈と和嶋は村の外れにある高台へと急いだ。そこから見えたのは、巨大な物体がゆっくりと村に向かって降下する姿だった。その姿はまるで金属のように光を反射しながら、回転していた。形状は円盤に近く、端から青白い光が滲み出ている。その異様な光景に、友梨奈の体は硬直した。村の中央に集まった村人たちは一様に恐怖と驚愕の表情を浮かべていた。彼らの中には小声で祈りを捧げるように呟く者や、恍惚の表情で地面にひれ伏す者もいる。
「これが、迎えなの?」
友梨奈が問いかけると、和嶋は静かに首を横に振った。
「わかりません。ただ、あの棺の中の存在と関係があるのは間違いないないでしょう……」円盤が村の中心部上空で静かに静止すると、周囲の空気が一変した。まるで何かが空間を支配しているかのような、重苦しい雰囲気が漂う。突然、棺を安置していた洞窟の方角から地響きが響き渡った。それはまるで、洞窟自体が動き出したかのようだった。
「何が起きているの?」
友梨奈が声を上げると和嶋が答える。
「棺の中の存在が反応しているみたいですね。……目覚めつつあるのかもしれない。」
二人は急いで洞窟へ向かったが、その途中で村人たちが彼らの行く手を阻んだ。
「もうこれ以上、アレには近づくな!アンタたちは何も知るまい。アレが目覚めれば……」
村の長老が杖をつきながら叫ぶ。その表情には憤怒と恐怖が混じっていた。長老はさらに声を震わせて続ける。
「アレは、我々を守るために存在しているが、同時に外界の脅威でもある。もしアレが呼び覚まされれば、この地に訪れるのは滅びなのだ!」
二人が洞窟に到着した時、棺の周囲には光の紋様が浮かび上がっていた。それは、見たこともない幾何学模様で、まるで棺が外部からの指示に応答しているかのようだった。
「これは……生命維持装置の機能が再稼働しているのか?……目覚めるのかもしれない!」
和嶋が興奮気味に呟くと、その時、棺の表面に小さな裂け目が現れ、中から白い煙が立ち昇る。友梨奈は恐怖に震えながらも、目を逸らすことが出来ない。棺の中から低い音が響き渡り、中に眠る存在が僅かに動いた。その姿はまるで人間のようでありながら、やはり異質だった。肌は白く滑らかで光沢があり、頭髪はない。鼻と耳はなく鼻腔と耳道のような二つの穴がそれぞれあるだけで、瞳は深い金色に輝いていた。その目が友梨奈をじっと見つめた瞬間、彼女の中に奇妙な感覚が広がった。それは言葉にならない圧倒的な存在感であり、同時に哀しみや孤独のような感情を伴っていた。洞窟の外から再び轟音が轟き、円盤が再び動き出した。それと同時に棺の光は一層強くなり、その存在はゆっくりと立ち上がった。
「あなたは……一体、何者なの?」
友梨奈が震える声で問いかけると、その存在は小さく首を傾げるような仕草を見せた。
そして、口を動かさずに彼女の頭の中に直接声が響いてきた。
「我は、待ち続けた者……。」
その声は意外にも優しさに満ちていた。
九
棺の中から立ち上がった存在は、まるで光そのもののように静かに輝いていた。その輪郭は人間と酷似しているが、何かが違う異様なオーラをまとっている。友梨奈も和嶋も、その姿に言葉を失っていた。「……待ち続けた者」と名乗ったそれは、友梨奈の心に直接語りかけてきた。
「我が目覚めた時、時は満ちる。そして、お前たちの選択が未来を左右するのだ。」
友梨奈はその言葉に緊張しながらも心の中で問いかけた。
「選択……?何を選べばいいの?」
「お前たちの命と、この地に宿る力。そのどちらを望むのか。」
その言葉の意味を理解する前に、洞窟全体が揺れはじめた。光の紋様が激しく輝き、空気が歪むような感覚が襲いかかる。
「ここを出ましょう!」
和嶋が友梨奈の腕を掴み、洞窟の外へと引っ張った。後ろを振り返ると、「待ち続けた者」は静かに棺の中へ戻っていったように見えたが、この場で起こった全てが非現実的で、記憶すら曖昧に感じられるほどだった。
村に戻った二人は、重蔵や村人たちに事の次第を説明した。村人たちは動揺しつつも、「神」の目覚める兆候に怯えはじめていた。
「選択……命とこの地の力どちらかを望むだと?」
和嶋が珍しく語気を強めてその言葉を反芻し、考え込んだ。
「この地の力……それはこの村の自然や大地の事を指しているんじゃないですか?。」
友梨奈の言葉に、村人たちはざわつく。
「我々が永遠の命を失えば、ただの老いた人間に戻るだけだ。」
「だが、それは呪いでもあるのではないのか?」
村人たちの意見が割れる中、村長の斎藤重蔵が静かに口を開いた。
「もしこの村が滅びるとすれば、我々の選択が原因となるのだろう。だが永遠の命が本当に幸福なのか……それは誰も答えを持たない」
友梨奈は村人たちの様々な葛藤を目の当たりにしながら、自らの心にも問いかけた。
「永遠に生き続けることが幸せなのだろうか?それとも…普通の命を選ぶべきなのか?」
次の日、再び村の空に未確認の飛行物体が舞い降りた。それは、前夜よりも遥かに巨大で、さらに低い位置に留まり、村全体を青白い光で照らした。その光は不気味な静寂を伴いながら、村を包み込むように広がっていった。重蔵が何事か呟き、村人たちは一斉に広場に集まった。友梨奈と和嶋もその中心に立ち、空を見上げていた。飛行物体から何かが降下してくる。それは人型をしていたが、まるで金属でできた彫像のように光を反射している。それは村の中心に降り立つと、無言で驚愕の表情を浮かべる村人たちを金色の瞳で見渡した。
「私は迎えに来た。」
その言葉が響くと村人たちは村人たちはどよめき、ゆっくりと跪いた。
「迎え……?それって、やはりあの棺の中の存在ことなの?」
友梨奈がおそるおそる問いかけると、その生命体は静かに、そして優しく答えた。
「そうだ。私は仲間を迎えにこの星に来た。 探し出すのに随分時間がかかってしまったがな……。そして、お前たちの選択を見届けるためにここにいる。」
村人たちが見守る中、重蔵が立ち上がり、声を張り上げた。
「皆の衆!ワシらはこの村の命運をかけて選択しなければならない時がきたようじゃ。我々がこれまでどおり、永遠の命を望むのか、それとも自然の摂理に戻るのか……?」
友梨奈は村人たちを見渡しながら、自分の役割を思い出していた。彼女がこの村に来たのは、ただの調査のためではなく、この決断の時を見届けるためだったのかもしれない。
「僕は……村の真実を知りたい。そしてその上で、あなたたちが本当に望む未来を選ぶべきだと思う。」
突然、和嶋の言葉が静寂を切り裂き、村人たちに届いた。
十
広場には不気味な静けさが漂っていた。空から降り立った生命体は、友梨奈たちを含めた全ての者を見つめ、その視線だけで圧倒的な威圧感を放っていた。
「お前たちに与えられた選択は二つだ。不死を保ち、この地での孤独を受け入れ続けるか、それとも不死を手放し、自然の摂理に帰るのか。」
その声はやはり直接、頭の中に語りかけてくるようだった。村人たちは一様に動揺を隠せなかった。不死を手放すという事は、これまで彼らが守ってきた秘密が消滅し、彼ら自身もやがて命を終える事を意味していた。
「限りある命、でも……それが普通のことなんじゃないの?このままじゃ村が……」
友梨奈は小さな声で呟いた。その時、不意に彼女の頭の中にビジョンが流れてきた。
それは、鮮明な映像だった。
……遥か昔。この村にも、かつては旅人たちが行き交い、賑わいを見せていた時代があった。夏草が匂い立ち、女性たちが小川で洗濯をし、男たちは狩りに出る。そんな平穏な日々の中、突如、天を引き裂くような轟音が大地を震わせた。人々が驚いて見上げると、蒼穹を裂いて、炎に包まれた円盤状の飛行物体が降下してきた。燃えながら、ゆっくりとけれど抗いようもなく、十和田湖の方向へと墜ちていった。混乱と恐怖に駆られた村人たちは、互いに顔を見合わせながら、好奇心と本能に突き動かされるように、湖へと急ぐ。
そして誰かが叫ぶ。
「見ろ……湖が……!」
普段は穏やかな湖面が、音もなく左右に割れていく。まるで透明な手が水を押し分けるように。その割れた水面の奥、暗い湖面から黄金色の瞳を持つ異形の存在が現れた。細く長い四肢、滑らかな肌、神か悪魔か、あるいはこの世のものとは思えない……神聖さと恐怖を一身にまとった存在だった。それは、棺の中で眠っていた、あの生命体だった。……彼は言葉を持たなかった。ただ、思念のようなものが、直接村人たちの脳内に流れ込んできた。
「この星の者たちよ。こころして聞くのだ。我について、いかなることも口外してはならない。」
無言の声が、鋭く、冷たく、だがどこか哀しげに響いた。代わりに彼は、村人たちに「力」を授けた。それが、永遠に尽きることのない命。だが、同時に村外との断絶を意味していた。
「お前たちが我の秘密を守り、いつの日か来る迎えを待ち続けるならば、この地は護られる。それが我との契約だ。」
おそらく、彼自身も理解していたのだろう。この墜落事故がもし村外に知れ渡れば、この国の権力者たちが押し寄せ、彼の秘密を暴こうとするだろう。争いが起きるかもしれない。湖底から円盤を引き上げ、彼を捕らえようとするはず。だからこそ彼は「村」という閉ざされた共同体に希望を託したのだ。誰にも知られず、誰にも侵されず、静かに、いつの日か来る仲間を待ち続けるために。ビジョンはそこでぷっつりと途切れた。……友梨奈の意識が今に戻る。心臓が、まだ胸の内で暴れるように脈打っている。汗ばむ額を拭いながら、彼女は無意識に視線を動かした。そして、自分の目は棺があったあの洞窟の方角を見つめていた。友梨奈はキッと唇を噛みしめた。
「神……いや、あの地球外生命体は本当に村を護りたかったのかしら……?」
「わかりません。ただ、一つ言えることは村人たちはその力に縛られてますね。」
彼女の問いに和嶋が静かに頷く。二人は広場で村人たちの間で熱い議論が交わされているのを目の当たりにした。
「不死を失うなんて考えられない!」
「ワシらは十分長生きしてきたじゃろ!このままでは村は滅んでしまうぞ。」
村長の重蔵が静かに両手を広げ、熱くなった村人をたちを制した。
「静まれ。選択のときは訪れた。我々がこの地で何を守り、何を失うべきかをみんなで考えるのだ。」
その時、友梨奈が一歩前に進み出た。
「私は外から来たものです。だからこそ、この村が持つ不思議さや美しさを知ることができました。でも、永遠に続く命が幸せをもたらすとは限らない。寿命があるからこそ毎日を懸命に生きる。皆さんは明日に希望が、夢がありますか?……選択するのは村の皆さんだけど、私はこの村が未来へ続く道を選んでほしいと願っています。」
彼女の言葉に、村人たちは再び沈黙した。
暫くして、再び重蔵が口を開いた。
「ならば、ワシらは運命を受け入れよう。
不死を捨て、寿命を全うし、天命に従う道を選ぶ。これを総意とする。この地の自然に帰るのじゃ!」
その瞬間空から降り立った存在が大きく手を広げると、上空の円盤から眩い光が放たれた。その光は村全体を包み込み、友梨奈たちの体が中に浮かぶような感覚に襲われた。光が収まると、広場には静けさが戻り、飛行物体も生命体も姿を消していた。
「終わったのか?」
和嶋が辺りを見回す。村人たちは静かに立ち上がり、お互いを見つめ合った。彼らの顔には何処か安堵の表情が浮かんでいた。
「我々はもう不死ではない。」
重蔵の言葉に村人たちは静かに頷き、天を見上げた。その空には、どこまでも続く雲一つない青空が広がっていた。
終章
それから数日後、友梨奈と和嶋は村を後にする準備をしていた。
「結局、あの存在が本当に何者だったのかはわからないままだったわね。」
友梨奈が微笑みながら呟くと、和嶋も眼鏡を押し上げながら笑顔で答えた。
「でも、篠宮さん、それでいいんじゃないでしょうか?謎が解けない事こそ、この世界の魅力ですから。」
友梨奈は笑みを返しながら、村を振り返った。そこには新たな生活を始めようとする村人たちの姿があった。
「この村はきっと、これからも不思議な物語を紡ぎ続けるんでしょうね。」
そう呟くと二人は静かに村を後にした。背後に広がる青森の山々が、彼らの旅立ちを見守っていた。友梨奈と和嶋が村を去った後、村には静かで穏やかな日々が戻ってきた。
しかし、その穏やかさにはどこか新しい息吹が宿っているようにも感じられた。村の中心に広がる田畑では、村人たちが忙しく動き回っている。その姿には、かつての呪縛から解放された新しい覚悟があった。友梨奈は村を離れる車窓から、再びあの広場を見つめた。そこには、今も変わらず静かに佇む祠がある。あの棺も飛行物体も消えたが、あの場所に宿る力だけは残り続けるように感じた。
「この村は変わらずに、この地で生き続けるのね。」
彼女の隣で地図を眺めていた和嶋が、眼鏡の奥からチラリと微笑む。
「そうですね……私も自分の選択を信じたい。探求心を忘れずにね。」
友梨奈は青森の山々を見上げながら、小さな笑みを浮かべる。その胸には、まだ解けない謎や未完の問いが渦巻いている。それでも彼女は、それらを抱えながら新しい未来に向かって歩き出す。そして、ふと空を見上げた彼女の目に青空の向こうから一瞬だけ何かが輝くのが見えた。飛行物体のような、光の残像のような、何か不確かなものが。それはほんの刹那の出来事だったが友梨奈の心には深い余韻を残した。 完
本編は書き下ろし短編小説です。本作はフィクションであり、登場する地名、人物名、団体名など、現実のものとは関係ありません