令嬢、愛を誓う
窓から差し込む月明かりに照らされ、波打ったシーツは蒼白く染まっていた。
白色の壁に、コバルトブルーのベッドの天蓋。夫婦の寝室を彩るのは、寒々しい色ばかりである。真夜中の室内はまるで、深海に迷い込んだような景色となっていた。
しかし、もう風の冷たい季節だというのに、私は寒いとは全く感じていなかった。それはきっと、愛する男と愛し合い、幸せな熱を与えられたからだろう。
「……っ、んっ、エドヴァルド様、っ、くすぐったいですわ」
「ふ、愛しい人を抱きしめたいのが男の性ですので、諦めてください」
エドヴァルドに抱きしめられ、素肌が触れ合う。そのくすぐったさに身をよじるものの、彼が私を解放することはなかった。
「ん……ところでエドヴァルド様、今日はどこになさいますか?」
身体の熱が落ち着き始めたところで、私はエドヴァルドに問うた。すると彼は、少し考えてから私のうなじに吸い付いたのだった。髪を下ろしていれば気づかれない、隠された場所である。
「ん……っ」
肌を吸われる感覚の後にでき上がったのは、一つの鬱血痕。それは彼が私を所有するという印であった。
毎夜お互いに愛痕を刻むというのが、私たち夫婦の習慣となっていた。
別に、相手の不貞を疑っている訳ではない。近寄って来る異性への威嚇でもない。離れている時でも、身体のどこかで相手を感じていたい。ただそれだけのことである。
「メイベル様は、いかがなさいますか?」
「……そうね」
エドヴァルドの身体を上から下まで見回してから、私は彼の骨盤の上あたりに口付けた。
「……っ、ん」
そこは、私と彼しか絶対に見ない、衣服に隠された場所だ。しかし、着替える時や脱衣する時は必ず彼が目にする場所でもある。我ながら、性格が悪いにも程がある。
「……ん、ちょっと意地悪がすぎたかしら?」
痕をつけてから、私は少しだけ後悔した。彼の頭の中を自分のことでいっぱいにしたいが、公務に支障が出るのは流石にまずいからだ。
「ふふ、何をいまさら。……でも、明日の夜は覚悟していてください」
「あら、怖い」
私の髪に手櫛を通しながら、エドヴァルドは楽しげに言った。
きっと意地悪を働いた分、明日の夜になったら彼に甘い‘‘お仕置き’’をされるに違いない。しかし、愛しい男が雄になった姿を想像して、私は密かに期待に胸を躍らせていたのだった。
私が意地悪を仕掛けて、彼がお仕置きを与える。それは喧嘩ではなく、夫婦だからできる遊びであった。
そして再び二人してベッドに寝そべってから、エドヴァルドはポツリと呟いた。
「貴女を幸せにできて、私も幸せです。……昔試した、おまじないのお陰でしょうか」
「おまじない……?」
「ええ。飲み物を入れたグラスに指を入れて、グラス側面に人の名前を書いてから飲み干すと、名前を書いた相手が幸せになれる……それを昔、貴女の名前でやってました」
「そのおまじないは覚えてますけど……少し意味が違いますわよ?」
「え……?」
「名前を書いた人が幸せになるんじゃなくて、名前を書いた人を‘‘自分が’’幸せにできる。だからみんな、自分の名前でやってたんですもの」
自分自身を幸せにする努力はできるにしても、他人の幸せを願うことができるのは稀有なことだ。子供ながらに、そんなことを思っていたのはよく覚えている。
「そうだったんですね、覚え間違いをしていたようでお恥ずかしい」
「でも、外れてはいませんわ。だって私が幸せなことには変わりありませんもの。それに……」
不意に、頭の中で点と点が繋がった。私は考えるより先に、口を開いていたのだった。
「私の幸せには貴方が必要だった。だから人生をやり直すため、二人で生まれ変われた……とか?」
結局、私たちが前世の記憶を持って生まれてきた理由は分からないままだ。しかし、私を幸せにするという彼の願いを叶えるために起きたことだと考えたならば、ある程度は納得ができるものであった。
「なんて、考えすぎ……」
「……いいえ。きっとそれに違いありません」
流石に突拍子もないことを言い過ぎたかと思ったが、意外にもエドヴァルドはその理屈が腑に落ちたようだった。
「生まれ変わってからメイベル様を初めてお見かけしてから私はずっと、貴女の幸せの一端を担いたいと思っていたのですから」
「……エドヴァルド様」
惹かれ合うように、私たちは深く唇をかさねた。すると頭を動かしたことで、ダイヤ型の飾りが三つ連なったイヤリングがしゃらりと音を立てたのだった。
そしてエドヴァルドの片耳にも、私と同じ耳飾りが光っている。
婚約したあと、彼は私の魔力の半分を譲り受けたいと提案してきたのだ。力を手放すとなれば、自分の負担は格段に減る。だが彼に迷惑をかけたくないため、私は最初、その申し出を断ったのだった。
しかし、エドヴァルドが引き下がることはなかった。苦しみを分かち合い、共に歩んでいきたいと。彼はそう言ってくれたのである。そして魔力が半減したことにより、私は自らの力を制御できるようになったのである。
「とはいえ、童話のように‘‘幸せに暮らしました’’と言って終わるには、まだ早すぎるでしょう」
私の頬を撫でながら、彼は耳元で囁いた。
「私はまだ、貴女のことを愛し足らないのですから。メイベル様」
「そうですの?」
「この人生で、貴女としたいことは沢山ありますので」
「ふふ、嬉しい。でも私だって、貴方をもっと愛したいですわ、エドヴァルド様」
私たちのハッピーエンドは、まだ始まったばかり。
変わらぬ愛を誓うように、私はエドヴァルドともう一度キスをした。
終わり。