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純粋な刃

 バルコニーに、風が木々を揺らす音が響き渡る。それはまるで、私の心のざわめきを表しているかのようであった。


 私が何も言えず硬直していると、ルナーティカは広間の壁際に控えていたメイドに声をかけた。そしてしばらくすると、メイドは赤ワインの入ったワイングラスを運んできたのだった。


「ふふ、お揃いね」


 そう言って、ルナーティカは私の隣へと歩いてきたのである。


 私はバルコニーから出ていこうとしたが、それよりも先に彼女は口を開いたのだった。


「ねえ。せっかくだから、少しお話しましょう?」


「私でよろしければ……喜んで」


「嬉しいわ。私、ルナーティカと申します。こうしてお話するのは初めてでしたわよね?」


「は、はい。私、ハリーストのウェリトン公爵家が娘、メイベルと申します」


「よろしくね、メイベル」


(全然、喜ばしくなんてないわ)


 顔が引きつりそうになるのを堪え、私は挨拶を終えてからワインを一口飲んだ。すると、それを真似するかのようにルナーティカもワインを飲み始めたのだった。


「……貴女がエドヴァルド様といらっしゃるところは何度かお見かけしたことがあるのですが、複数人での歓談にはまだ慣れてなくて。だからなかなか話しかけられず、ごめんなさいね」


「い、いえ……どうかお気になさらず」


 どうやら、私とエドヴァルドの歓談に割り込んできて彼ばかりに話しかけるのは、わざとではないようだった。考えれば、まだ夜会デビューしたてなのだから、不慣れな部分があってもおかしくはない。


「……それと。賠償請求の件も、貴女とエドヴァルド様の邪魔をしたかった訳ではないのよ。父上がとても怒っていたこともあって、厳しい条件になってしまったの」


「そう……だったのですね」


 教皇からすれば、可愛い娘を本人が望む相手に嫁がせてやりたい、しかし娘を泣かせたエドヴァルドを放ってはおけないというのが親心だろう。だから、二人の距離を縮められるような罰を与えたということは容易に想像ができた。


「もう成人したというのに人前で泣いてしまうだなんて、我ながら子供じみていたと反省しております。転ける前に誰かがすぐ助けてくれるような人生を送っていたので……動揺してしまって」


 エドヴァルドの興味関心を自分に向けたいがために、ルナーティカは行動しているのだと私はずっと考えていた。……かつて私が、ユリウスに対してそうしていたように。


 しかし話を聞いたことで、私の中にでき上がっていた彼女を我儘な悪女とみなす認識が揺らぎ始めていた。


 もしや彼女は、悪女などではなく悪気のない純粋な人間なのではないか、と。


 たしかに、私を無視し続けたこと、教皇の強引な取り決めを止めなかったことは良くないことだ。しかし密偵を使ってしつこく気に食わない相手を調べたり、衆人環視の中で告発したりしていた自分よりも、かなりマシであることは認めざるを得ない。


「でも、エドヴァルド様のことが素敵な方だと思うことには、変わりありません」


「……」


「私、ずっと男性が苦手だったのですが……エドヴァルド様とだけは楽しく、自分らしくお話しできますの。不思議ですわね」


 酒気もあってか、ルナーティカの頬は可愛らしい桃色に染まっている。その表情には、彼への恋心が滲んでいた。


 自覚しているかは分からないが、彼女は純粋に、エドヴァルドに恋をしているのだろう。私から彼を奪いたいのではない。ただただ彼に強く惹かれていると言うべきか。


 しかしそれが事実であるならば、悪意をぶつけられるよりも苦しいものに感じられた。なぜなら私は、それとはまるで正反対の立場だからである。エドヴァルドからルナーティカを遠ざけたくて、醜い嫉妬心を募らせているのだから。


 ‘‘純粋な刃’’は、私の心に深い切り傷を作っていったのだった。


「……それはそれとして。その赤い口紅、とってもお似合いですわね」


「あ、ありがとうございます」


「私、あまり濃い色だと顔が負けてしまって全然似合わないの」


 そう言ったルナーティカは、ベビーピンクの口紅を塗っていた。私ならば、決して似合わない色である。


 ハリーストでは、薄いピンクは白と並んで清純さを表す色とされている。悪い意味とは一切結びつかない色なのだ。


 私と彼女のどちらが善でどちらが悪か。その答えは、明白であった。


(ならば、エドヴァルドの傍にいて彼を幸せにできるのは……?)


 そう思った瞬間、耳飾りにヒビが入る音が聞こえてきたのだった。


「お話し中失礼します。ルナーティカ様、そろそろお時間が……」


「分かったわ。じゃあ、私はこれで失礼するわ。また今度ゆっくりお話ししましょうね、それではごきげんよう」


「……ごきげんよう」


 自分の中で眠っていた‘‘アルビナ’’という存在が目覚めていくのを、私は密かに感じていた。

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