過去との邂逅
「ハリーストでは毎年、製菓の大会が行われますの。お菓子作りと言えば一番有名なのはルドラディア国ですけれども、我が国も実は昔から製菓が盛んで、王都周辺には腕利きのパティシエが店を構えてますわ」
「まあ、そうなんですの? 知りませんでしたわ」
「当日は試食もできますし、ケーキに限らず、飴細工やシュガーアートなど色んな部門があるので、きっと楽しんでいただけると思いますわ」
「素敵!! ぜひ行ってみたいわ!!」
舞踏会が始まる前、私は会場の広間で歓談を楽しんでいた。話しているのは奉仕活動の友達でも、読書愛好会の友達でもない。なんと、エドヴァルドの元取り巻きのご令嬢たちである。
「大会とは言ってもお祭りのようなもので気軽にお越しいただけますので、今年はぜひいらしてくださいな」
お泊まり会を終えたあと、私は参加したとある夜会で令嬢たちに声をかけられた。最初はエドヴァルドがいないのを良いことに嫌がらせでもされるのかと思ったが、それは違った。彼女たちは、私と仲良くしたいと言ってくれたのである。
『仲間はずれにしたり、意地悪してごめんなさい。悔しいけど……賢くて強い貴女は、殿下ととってもお似合いだと思うわ』
『ね、良かったらなんだけど……貴女と友達になりたいの』
アルビナと違って、令嬢たちは素直で良い子ばかりであった。そしてエドヴァルドが公務で忙しい間、私は彼女らと交流を深めていたという訳である。
ちなみに今日の舞踏会は、エドヴァルドも参加するので久しぶりに会える予定だ。半月ほど顔を合わせられないのは寂しくもあったが、手紙のやり取りが途切れることはなく、辛いとは感じていなかった。
「そう言えば。オルデランタのセドイ大聖堂のアフターヌーンティーが美味しいのはご存知ですか?」
「え、初耳だわ!!」
「予約が必要ではありますけどお勧めなので、予定を合わせて皆で行きませんか? たしかもうそろそろ、夏のメニューに切り替わってるはずですし」
「行きたいわ、それなら神父様のお話も頑張って聞ける気がするもの」
「……もう、本当に現金なんだから」
「ふふっ」
そんな会話を繰り広げていると、広間の扉が開いた。視線を向けると、エドヴァルドの姿が見えたのだった。
が、しかし。
「……え?」
「あれば一体、どういうことですの!?」
「どうして!?」
ぽかんとする私、どよめくご令嬢たち。他の招待客たちも、ざわざわとし始めたのだった。
エドヴァルドは、見知らぬご令嬢をエスコートして広間へとやってきたのである。
華奢な身体に薄ピンクのドレスを纏った彼女は、私と同い年くらいだろうか。色白ではあるものの、頬にはほんのり赤みが差しているので愛らしい雰囲気である。茅色の長い髪はシャンデリアの光でリング状に艶めいており、天使の輪っかのようだ。
可愛くてお人形さんみたいとは、彼女のような存在のためにある言葉なのだろう。
令嬢は舞踏会に慣れていないのか、ほんの少し不安げな表情である。数歩歩くたびに、エドヴァルドを見上げて何かを目で訴える。そんな彼女に、彼は品の良い笑みを浮かべて返事をしていた。
「あちらはレイリーフ聖教会の教皇猊下のご令嬢、ルナーティカ様でいらっしゃいますね」
「!?」
驚いて振り向くと、知らぬ間にグロウが傍に立っていたのだった。
「失敬、驚かせてしまいましたね。お久しぶりです、メイベル様」
「お、お久しぶりです……グロウ様」
「お元気そうで何よりでございます」
そう言って彼は笑った。その妖しい表情はやはり、猫を彷彿とさせるものであった。
「さて、殿下からご伝言をお預かりしておりまして、少しお時間よろしいですか?」
「? 何かしら」
「実はルナーティカ様は今宵が舞踏会への初参加でございまして……殿下は当日になって突然、猊下からルナーティカ様のエスコートを頼まれてしまったのです」
「ああ、なるほど」
「何でも、嬢が殿下を一目見て気に入ってしまったとか。猊下はルナーティカ様を溺愛しておられるので、無理くり約束を取りつけたという訳です」
レイリーフ聖教とは、カルダニアやその周辺国で広く信仰されている宗教であり、そのトップに君臨するのが、教皇猊下だ。数多の国で国教とされているがゆえに聖教会の力は強大なものであり、大国の国王ですら、猊下には頭が上がらない程である。
そんな彼から頼まれたとなれば、エドヴァルドに拒否権などある訳もない。当日に言われたのは、恐らく断らせないためだったのだろう。
よく見ると、エドヴァルドはいつもの愛想笑いをしてはいるものの、やや口元が引きつっているのが分かった。どうやら彼としても、乗り気ではないのだろう。
不意に距離は離れているが、エドヴァルドと目が合った。すると彼はとても申し訳なさげに、そして少し困ったように笑ったのだった。
私は閉じた扇子の先で自分の口角をつつき、エドヴァルドに「口元が引きつっている」とジェスチャーで伝えた。すると彼は、すぐに口元に柔らかな笑みを浮かべたのだった。
彼がエスコートしているのはルナーティカだけれども、想いが通じ合っているのは自分だ。それが分かり、私は内心安堵したのだった。
「そこで、メイベル様。殿下の代わりに、今宵は私がエスコート役をさせて頂いてもよろしいですか?」
「え、ええっ!? そんな、申し訳ないですわ」
「変な虫が付かないように、と殿下もご心配されておりますので」
グロウはやや困ったように眉を寄せていた。彼もまた、エドヴァルドの命令は断れない立場なのだ。それを思い出し、私は慌てて首を縦に振った。
「じゃあ……お願いいたします」
私はおずおずと、彼の手を取ったのだった。
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令嬢たちと別れたあと、私はグロウと共にダンスホールへと向かった。するとちょうど、一曲目の演奏が始まったのである。
ゆったりとした曲のテンポに合わせて、私たちはダンスを始めた。
グロウとダンスを踊るのは、実はこれが初めてであった。エドヴァルドと同じく彼も男友達ではあるものの、彼と踊りたい令嬢は山のようにいる。だからいつも、挨拶はするがダンスするまでには至らないのだ。
「ダンスはお好きでいらっしゃいますか?」
「……ええ、たしなむ程度には」
彼を狙っている令嬢たちからの視線が背中に刺さるのを感じながら、私は応えを返した。きっとこの曲が終わると、彼女らの熾烈な争奪戦が始まるのだろう。
「今日は貴女以外とは踊りませんので、どうぞご安心ください」
「っ、あとが怖いので、二曲目以降は他の方と踊って下さって結構よ?」
「そういう訳には行きませんよ。貴女を一人立たせて私だけが踊ろうものならば、それこそあとが怖い。それに……」
「?」
「恐らく最後まで、殿下はルナーティカ様に付きっきりだと思いますので」
グロウは、ダンスを踊るエドヴァルドと彼女に視線を向けて言った。
ルナーティカは覚束ない足取りではあるものの、懸命にダンスを踊っている。そして時折エドヴァルドを見つめる表情は、完全に恋する乙女であった。あの様子だと、二曲目もエドヴァルドと踊るに違いない。
「じゃあ……お言葉に甘えて」
エドヴァルドを疑う気持ちは全くない。しかし、ルナーティカの姿を見ると、胸の奥がざわつくのを感じた。それを押しとどめるように、私は二人から目を逸らしたのだった。
なぜルナーティカの存在が引っかかるのか。その理由はもう分かっている。
可憐な彼女の姿は……オフェリアとよく似ているのだ。