令嬢、誘いに乗る
「凄い……星空シリーズが最新巻まで揃ってるのなんて、初めて見ましたわ」
エドヴァルドの書斎の本棚を見上げて、私はつい感嘆の声をあげた。背の高い本棚には辞書から図鑑に至るまでありとあらゆる本が並べられているのである。
夕食後、私とエドヴァルドは彼の書斎へと訪れていた。お茶会に続き夕食も和気あいあいとした雰囲気で終わり、食後の休憩がてら本を読みにやって来たのである。
「ここにあるのはほんの一部でして、書庫にはたくさんの本がございます。また明日にでも行ってみますか? 気になる本があれば何冊でもお貸ししますので」
「ありがとうございます、ぜひ行きたいですわ!!」
アルビナだった時、私は勉強の邪魔になる娯楽はすべて禁じられていた。そんな中での唯一の楽しみは本を読むことであった。本の世界の中には、広い世界が広がっている。それに触れることが、束の間の癒しとなっていたのだ。
そして読書が好きなことは、メイベルとなった今でも同じであった。
「メイベル様。よろしければ久しぶりに、この本を読みませんか? 少し前に買ったばかりで、まだ読めていなくて」
エドヴァルドが本棚から取り出したのは、天体観測に関する本であった。古びてはいるものの、その表紙は見覚えのあるものだった。
「そんなに長くもありませんので、読むにはちょうど良いかと思います」
「そうしましょうか。……それにしても、だいぶ昔の本ですのに、よく手に入りましたわね」
一度目の人生の時に出版されていた本なので、今となってはかなり昔の本である。だから私は、驚いて目を丸くしたのだった。
「ええ。どうしても欲しかったので、知り合いの古美術商に頼んで探してもらいました」
私たちはソファに隣同士で座り、その本を読むことにした。向かい合わせに座っても良かったのだが、昔の癖か自然とそうしていたのである。
上質な革張りのソファは、とても座り心地のよいものであった。そして座るや否や、エドヴァルドは私の肩にストールを掛けたのだった。
「初夏とはいえ、カルダニアの夜は肌寒くなりますので」
「……ありがとう、ございます」
私たちの立場も取り巻く環境も、今と昔とで変わったことばかりだ。けれども、彼の優しさは何一つ変わっていない。そう思うと、胸の奥が温かくなるのを感じた。
そしてエドヴァルドは、本の表紙を捲った。大判サイズで絵の多い本のため、二人で分け合って読むのも苦にならなかったのだった。
ちらりと、彼の横顔を盗み見る。今私の隣にいるのは、当然ながらラティスラ国王の庶子であるイヴァンではない。カルダニア王太子のエドヴァルドだ。
透明感のある薄い色の金髪も、意志の強さを奥に秘めた深緑色の瞳も、イヴァンとは全く違う。けれども、今の彼も一度目の人生での彼と同じだけ愛おしい。姿は変われど、彼は彼なのだ。
「いかがなさいましたか? メイベル様」
「な、な、何でもありませんわ !! そんなことより、つ、続きを読みましょう?」
横顔に見蕩れていたなど言えるはずもなく、私は慌てて首を振った。エドヴァルドは一瞬きょとんとしたものの、それ以上追及してくることはなかった。
そして本を読み終えた後。背表紙をパタンと閉じてから、エドヴァルドは口を開いた。
「ところで。数多ある本の中で、私はどうしてもこの本だけは欲しかったと言いましたが、なぜだと思いますか?」
「?」
「昔、貴女が私に初めて読んでくれた本だからですよ」
そう言って、エドヴァルドは愛おしそうに厚い本の表紙を撫でた。それはイヴァンとしてすごした幼き日の思い出を、彼が大切に胸にしまっていたことを表していた。
「ごめんなさい、すっかり忘れてましたわ」
「いえ、もうだいぶ昔のことですので。私は、こうして貴女と再会できただけで十分です」
「……殿下」
彼の一言で、アルビナとしてイヴァンと過ごした日々が思い出されていく。前世の記憶が蘇る時は今まで苦しいばかりだったのに、不思議と辛い気分にはならなかった。
それはきっと、アルビナに安らぎを与えてくれた存在が彼だったからだろう。
「さて、いいお時間になりましたね」
壁掛け時計を見て、エドヴァルドは言った。時刻は十時少し前を指しており、‘‘友人’’としてすごせる時間の終わり間際となっていた。
夜会や舞踏会を除いて、友人である男女二人が会える時間は夜十時までとなっている。十時以降から夜明けまでは夫婦や婚約者同士でなければすごすことが許されない、別名‘‘蜜の時間’’とも呼ばれていた。
まだ私たちは友人なのだから、ここで別れて入浴して寝て終わりにしなければならない。けれども、私は彼とまだ離れたくないと思い始めていた。
このお泊まりが終われば、しばらくエドヴァルドとは会えなくなる。公務が立て込んでいるらしく、彼は多忙なのだ。
「それでは、おやすみなさい……メイベル様?」
「……っ」
知らぬ間に、私はエドヴァルドの手を握っていた。
「どうしましょう。私はまだ、貴方と離れたくありませんの」
口ではそう言ったものの、頭の中では触れる以上にエドヴァルドを求め始めていた。半分だけ食べると決めたケーキを結局すべて食べたくなるように、もっと、と自分自身が彼を欲しがっているのだ。
彼の気持ちに触れたことが、起爆剤になってしまったのかもしれない。
「奇遇ですね、私もです」
エドヴァルドは、指を絡めるように繋いだ手を握り返してくれたのだった。そしてそれが、ただのオウム返しではないのだと、私は不思議と直感していた。
「なぜかしら。お見舞いに来てくださったあの日からじゃなくて、吹雪のあの日からずっと、貴方を待っていたような気分ですの」
手繋ぎで満たされるような清らかな感情では収まらない気持ちを、私はそれとなく呟いた。
「あの日、私は貴女の抱擁を受け入れることはできませんでした。でも、今は違う」
「え、あっ……!?」
エドヴァルドは、私を胸に抱き入れたのだった。服越しだというのに、彼の鼓動は私のとても近くに感じられた。
「メイベル様」
「……っ、殿下」
「今宵は、私と共に過ごしてはくださいませんか?」
エドヴァルドの言葉に、私は静かに頷いた。




