令嬢、不安を抱く
「修道士セドイは旅の途中でオルデランタを訪れ、この場所に聖堂を建てよと神のお告げを賜ったのです。それが、セドイ大聖堂の始まりなのでございます」
大聖堂の長机にエドヴァルドと座り、私は神父の説教を聞いていた。聴講しているのは私たちだけであり、広い聖堂内には神父の穏やかな声だけが響いている。
エドヴァルドに誘われたこともあり、私はセドイ大聖堂へと訪れていた。結局、取り巻きの令嬢たちは理由を付けて来なかったため、小旅行は彼と二人きりになったのである。いつもの賑やかな話し声がない空間は、やけに新鮮に感じられた。
神父の説教はさぞ退屈……かと思いきや、いざ始まると非常に面白いものであった。聖堂がこの地に建てられた経緯や、修道会がオルデランタとどのように関わってきたかなど、宗教に限らず歴史から文化に至るまで話が及び、まるで分厚い本を読んでいるような気分になっていた。
「以上となります、ご清聴いただきまして、ありがとうございました」
神父がそう言って、話を終えた。私たちは彼に感謝を込めて、惜しみない拍手を贈ったのだった。
「貴重なお話、ありがとうございました」
「とんでもないことです。こちらこそ、遠方からお越しいただき、ありがとうございます」
神父は、国外から訪れた私たちを歓迎してくれたのだった。
「いやはや、まさかカルダニアやハリーストの方々に当聖堂へお越しいただけるとは思っておりませんでした」
「おや、我が国やハリーストからの来訪は珍しいのですか?」
「はい、やはり言葉の壁というものは大きいようでして……あまりお越しいただけていないのが現状でございます」
ハリーストとカルダニア、その周辺国は同じ言語が使われている。しかし、オルデランタは全く違う言語なのだ。つまりは、母国語が通じないのである。令嬢たちが旅行を断ったのも、恐らくそれも理由であった。
しかし偶然にも、ラティスラとオルデランタは同じ言語であった。そのため、私やエドヴァルドは問題なく神父とも話せるのだ。
「お二人とも、語学も堪能でいらっしゃるのですね」
「そんな、大したことではございませんわ」
二度目の人生を歩んでいるからとは言えず、私はただ笑って誤魔化したのだった。
「おっと、話が長引いてしまいましたね。それでは図書館の方へご案内いたします」
神父と共に、私たちは聖堂の隣にある図書館へと歩き出した。
聖堂から図書館に繋がる回廊を抜けると、大きな扉が見えてきた。その前には、ウェイターが一人待ち構えていたのだった。
「それでは、お二人のご案内をよろしくお願いいたします」
「かしこまりました。それでは、どうぞこちらへ」
神父からウェイターに案内役がバトンタッチされ、不思議に思いながら図書館の螺旋階段を登っていく。しかし、エドヴァルドは特に驚いた様子はなかった。
しばらくすると、建物の最上階へと辿り着いた。そしてバルコニーには、テーブル席が用意されていたのだった。
「お紅茶とお食事のほう、すぐご用意致します」
「ああ、ありがとう」
席に座ると、ウェイターはどこかへ去っていった。テーブルクロスの上は花でデコレーションされており、さながら小さなお茶会である。
「殿下……その、これは一体?」
「最近この図書館では近くのパティスリーと提携して、一日五組限定でアフタヌーンティーを始めたのですよ」
「まあ、そうなんですの?」
「はい。何でも、先程の神父殿の発案で始めたとか」
そんな会話をしていると、ウェイターとウェイトレスがアフタヌーンティーのセットを持ってきたのだった。サンドイッチからケーキに至るまで、どれも美味しそうなものばかりである。
「それでは、いただきましょうか」
私たちは、アフタヌーンティーを楽しみ始めた。
大聖堂や図書館は海沿いに建てられているため、バルコニーからはオルデランタの港街の景色が一望できた。海上貿易で栄えてきた国というだけあり、街も港も行き交う人々で賑わっている。綺麗に整備された街並みは、とても美しいものであった。
とはいえ、図書館は街とは離れているため、私たちに聞こえるのはカモメの鳴き声と帆船の帆が風ではためく音ぐらいだ。普段あまり耳にしない自然の音達は、私の耳を癒してくれたのだった。
「気に入っていただけましたか?」
「はい、もちろんです。もしかして、このアフタヌーンティーは、事前にご予約いただいていたのですか?」
「ええ、メイベル様と二人で楽しみたかったものですから」
「ありがとうございます。……って、え?」
(……今、私と二人で……って言ったような?)
「ここならば貴女とゆっくりお話しできると思いましたので。この一ヶ月、全く話せていなかったでしょう?」
つまりは、私との時間を作るために、彼はここを選んでくれたと言う訳だ。
「そ、そんな……わざわざ、ここまでしていただかなくても」
エドヴァルドは多忙な人だ。きっと、今日も予定を調整して一日空けてくれたのだろう。そう思うと、嬉しさよりも申し訳なさを感じたのだった。
「私は、殿下からお手紙をいただけるだけで十分ですので」
極端な話、残り二ヶ月で彼と一言も話さなくても婚約は可能である。だから、私のためにエドヴァルドが大変な思いをすることはないと思ったのだ。
「確かに、話さなくとも手紙でやり取りはできますし、あと二ヶ月をそれで乗り切ることもできます」
私の考えを見透かしたかのように、エドヴァルドは言った。
「しかし、それは強硬手段でもあるので、いつものご令嬢たちからの反発を招く可能性もあります。そうなると、婚約後のメイベル様の立場が危うくなってしまう」
「確かに、そうですわね」
婚約後も結婚してからも、エドヴァルドと四六時中一緒にいる訳ではない。きっと彼がいない時に、あらゆる攻撃が飛んでくるに違いない。
(……似たような性格だったから、あの子達の行動が手に取るように分かるわ)
「だからメイベル様を守るためにも、結婚するのは貴女がふさわしい、というのを彼女らにも分かってもらわねばと思っております。何も心配ない状態で、貴女と結ばれたいのです」
「……殿下」
彼の優しさに触れて、私は胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。
そうこうしているうちに、ケーキスタンドの皿の上はすっかり空になっていた。説教を聞いて頭を使ったからか、お腹が空いていたのである。
「とっても美味しかったです」
「ふふ、それは良かった。……そう言えば。今はアフタヌーンティーだけですが、来年あたりに図書館の一部を改装して宿泊もできるようになるそうです」
「そうなんですの?」
「ここは空気が綺麗なので、夜は星空が楽しめるらしいので……よろしければ、また来ましょう?」
「はい、喜んで」
来年というと、このまま進めば彼と結婚していることになる。私は、王太子妃という立場になっているのだろう。
そう思った瞬間、言いようのない大きな不安が襲ってきたのだった。
「メイベル様、いかがされましたか?」
「いえ……その……自分が本当に王太子妃として、殿下のお隣にいられるかしらと、少しだけ不安になってしまって……」
一度目の人生で上手くいかなかった結婚生活を思い出し、だんだんと気が重くなっていく。
王宮とは閉ざされた世界であり、様々な欲望が交錯する場所である。そこに再び足を踏み入れるのが、怖くなってしまったのだ。
私が俯いていると、エドヴァルドはある提案をしてきたのだった。
「メイベル様。もしよろしければ、なのですが……」
「?」
「雰囲気を知るために、今度わが家に泊まりに来ませんか?」
そう言って、エドヴァルドは私に笑いかけたのだった。