傷を癒す手
「そのイヤリング、とっても素敵ね」
「ふふ、ありがとう。そう言えば、殿下はどんな女性が好みですの?」
「私も気になりますわ!! ぜひ教えてくださいな」
カルダニア王宮の庭園には、賑やかな声が響いていた。その声の主は、エドヴァルドを取り巻く令嬢たちである。紅茶を飲みながら、彼女たちは彼を質問攻めにしていたのだった。
「……そうだな。急に言われても、答えに困ってしまいますね」
「えーっ、何でもいいですから、教えてほしいですわ」
この場にエドヴァルドと私の会話は存在しない。あるのは、彼と私以外の会話だけである。
集まっても私だけ蚊帳の外。こんな日々が、もう一ヶ月も続いている。
令嬢たちがエドヴァルドと友達になってから、彼と二人きりで会うことはできなくなっていた。友人は平等に扱うことが大原則のため、私がエドヴァルドと会う約束をしても彼女たちが一緒に来たいとなったら、断れないのだ。
とはいえ、私の心は意外にも落ち着いていた。
二人で会えない代わりに、エドヴァルドと私は定期的に手紙を送りあっていた。便箋の上では誰も邪魔することはできないので、そこは自由な世界である。この場で話せなくても手紙で彼とやり取りできるので、寂しさは感じなかった。
それに、私としては令嬢たちのことが嫌いではなかった。彼女たちからすれば私は邪魔者だけれども、私からすれば令嬢たちは敵でも何でもないのだ。むしろ、エドヴァルドに振り向いてもらうために懸命になっている彼女たちに、親近感すら抱いていた。
きっとそれは、ユリウスに恋していた時の自分……アルビナと重ね合わせているからかもしれない。
「何か、小さなヒントでも構いませんので、知りたいですわ!!」
「……うーん。でしたら、聡明でお優しい方、でしょうか」
「わ、私、よく家族に優しい性格って言われますの!!」
「私だって、勉強は得意でしてよ!!」
それは誰にでも当てはまりそうで、誰も傷つけない絶妙な回答であった。そしてそう言ったあと、彼は気づかれないように一瞬だけ私に笑いかけてきたのだった。
彼に微笑まれるだけで、心臓が飛び出そうな程のときめきが私を襲った。
(不意打ちは反則でしょう……!!)
気持ちを落ち着けるために紅茶をすすっていると、一人の令嬢が話題を変えたのだった。
「そう言えば。もう初夏なので、どこかにお出かけとかも良いと思うのですが、予定を合わせてみんなで日帰り旅行などいかがですか?」
「まあ、素敵。殿下は行きたい場所はどこかありますか?」
「そうですね、オルデランタにあるセドイ大聖堂が一度行ってみたいと思ってます」
「……え?」
「大聖堂図書館には数多くの本が貯蔵されていると聞きましたので、前から興味がありまして。ちょうど次の休みの日に、行ってみようと思っていたところです」
セドイ大聖堂と聞いて、一気に場の空気が凍ったのが分かった。
セドイ大聖堂はオルデランタ王国の南端にある聖堂である。彼の言う通り、様々な本が貯蔵されていることも有名だが、もう一つ違う意味で知られている。大聖堂の神父が、とても説教が長く有名なのだ。
大聖堂を訪れるとなれば、当然ながら神父に挨拶をするだろう。そして、せっかくなのでと説教を聞くことになるのは目に見えていた。
「皆様もよろしければ、ご一緒にいかがですか?」
「あ、えーっと……私は少し予定が立て込んでまして」
「そ、そうね……また別の場所ならばぜひ……」
何時間かかるか分からない説教を聞きたい訳もなく。令嬢たちはあまり乗り気ではないようだった。
「そうですか。それは残念です」
「そ、それはそれとして。さっきの殿下の好みのタイプのお話ですけど、外見で言うとどんな女性がお好きですの?」
そう言った令嬢の爪を見た瞬間、私は身体が強ばるのを感じた。
「最近、我が国ではマニキュアを塗るのが流行しているのですが、おしゃれな女性はお好きですか?」
彼女の爪は、艶やかな赤色で塗られていた。それは血ではなくただの塗料であるけれども、私の嫌な記憶を思い出すには十分すぎるものであった。
爪を剥がされた瞬間の痛み、苦しみが、頭の中に蘇っていく。暖かい季節だというのに、身体はガクガクと震えていた。
そしてアルビナの悲鳴が、私の耳元にうるさく木霊していたのだった。
『痛い、痛い、やめて、嫌、嫌ああああ!!』
「……っ、う」
「っ、メイベル様!?」
椅子から床に倒れこみ、そのまま私は気絶してしまったのだった。
+
どれ程時間が経っただろう。額に感じる人肌の温もりで、私は目覚めたのだった。
「……ん、う?」
「よかった。ご気分は悪くないですか?」
私はベッドに寝かされており、エドヴァルドは寝台の隅に腰掛けていた。彼の右手は、私の額に置かれていたのだった。
「あれ、みんなは……?」
「今日はもう、帰ってもらいました」
「……ご迷惑おかけして、申し訳ございませんでした」
「そんな、とんでもないことです。お怪我もなくご無事で何よりです」
安心したように、エドヴァルドは優しく私に笑いかけたのだった。
私はもうアルビナではなく、メイベルだ。けれども、アルビナであった時代の辛い記憶は、今でも心に焼印のように刻み込まれているようだ。
今日のようにまた彼に迷惑をかけてしまうかもしれないと思うと、気が重くて仕方がなかった。
「結局私は、アルビナという存在からは逃げられないのね」
不意に、私はそんな言葉を口にしていた。
アルビナが犯した罪も受けた傷も、生まれ変わったからといって消えることはないのだから。
「確かに、傷が癒えるには時間がかかるのかもしれません。けれども私は、全てを知った上で貴女を支えていきたいと思ってます」
額から手を外し、エドヴァルドは私の頬を撫でた。すると、自然と涙がこぼれ落ちてきたのだった。
「げほ、……う、ううっ……」
「何が貴女を襲ってきたとしても、私が絶対にお守りします。メイベル様」
その一言は、どんな言葉よりも私を安心させてくれたのだった。