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再び灯った光

 猛吹雪の日以降、アルビナが私の部屋を訪れることはなかった。代わりに数ヶ月後、私は信じられない報せを耳にしたのである。


 アルビナが、妊娠したのだと。


 ユリウスと彼女は寝室を別にしているため当然ながら周囲は困惑し、相手は誰かなのかと噂し始めた。そして中には、私がその子の父親なのではと言う者もいた。アルビナが私の部屋を訪れることは、もはや周知の事実だったからである。


 とはいえ。確固たる証拠もなく、アルビナが口を割らなかったこともあり、私に制裁が下されることはなかった。証拠不十分不起訴、と言ったところか。


 それまでと変わったことと言えば、使用人たちが私を見て噂話をするようになったことぐらいである。元々アルビナ以外と話すことは稀だったので、私からすれば、それは些細なことであった。


 ラティスラでは中絶が禁じられているため、アルビナは身篭った子を生むこととなった。


 そして出産後、事態は一変する。


 エリザと名づけられたアルビナの娘は……私と同じ紫色の瞳をしていたのである。


 アルビナは赤色、ユリウスは青色の瞳だ。エリザが二人の子ではなく、私との子であると思われてもおかしくはなかった。エリザが生まれてから、使用人たちの態度がよそよそしくなったのは言うまでもない。


 そしてしばらくして、私はユリウスから呼び出されたのである。


+


「突然呼び出して悪かったな、イヴァン」


「いえ、とんでもないことです」


 執務室のソファに座り、机を挟んでユリウスと相対する。顔を合わせるのすら、何年ぶりか分からないほどであった。


 通常ならば、久しぶりに会うならば元気にしていたかなど、雑談から入るだろう。しかし彼は、そんなことは一切しなかった。自分に向けられる冷ややかな視線は、これから彼が何を言うのかを暗に示していた。


 正直、今回の件について申し開きをする気は一切なかった。身分すら分からぬ男の子であるより、私の子であると勘違いされたほうがアルビナとエリザの立場が守られるならば、それでいいと思っていた。


 不義を働いた罪で投獄なり拷問なりされるならば、一向に構わない。唯一、私とアルビナをまとめて処罰するとユリウスが言い出した場合に限り、子に母親は必要だから、アルビナを生かし自分だけを殺せと言うつもりだった。


 紅茶すら用意されていないテーブルの表面を見ていると、ユリウスはようやく口を開いたのだった。


「今後、エリザは私とアルビナの子として育てるつもりだ」


 それは、予想だにしない言葉であった。


 ユリウスがアルビナを毛嫌いしているのは結婚後ずっと変わらぬことなので、真っ先に自分との子ではないと主張すると思っていたのだ。


「生まれた子に罪はない。周りが何と言おうが、エリザのことは守るつもりだ」


「……左様でございますか」


 エリザが私の子であると断定したかのような言い回し。しかし私は、あえてそれを否定することはなかった。


「寛大なご対応をいただき、感謝いたします」


 とりあえずアルビナとエリザが処罰の対象にならないことが分かり、私はそう言ってユリウスに頭を下げた。


 が、しかし。


「アルビナのことはエリザの母親だとは認める。だが、私の妻とは一生認めない。それは変わらぬことだ」


 ユリウスの一言を聞いて、私は心の中で何かが切れるのを感じた。


 オフェリアの追放、不義の子の妊娠。彼から見て、アルビナがあやまちを繰り返してきたのは紛れもない事実だ。


 しかしなぜ、過ちを犯すに至った原因に目を向けようとしない?


(……ふざけるな)


「兄上は、自らの目に映った事柄のみがこの世界のすべてだと思ってらっしゃるのですか? ならば、それは大きな間違いでございます」


「何だ、突然……」


「どうして分からないのですか!?」


 机を拳で叩き、私はユリウスをきつく睨みつけた。


「貴方の前では何食わぬ顔で振舞っていたのかもしれない。しかし裏では、考えつかないような地獄を背負っているのです。ほんの少しでも、彼女の心の悲鳴に耳を傾けたことがあるのですか!?」


「イヴァン、落ち着け。一体、お前は何が言いたい?」


 反応からして、ユリウスはアルビナがすごしてきた壮絶な日々など、まったく想像できていないようだった。


 そしてこれからも、一生知ることはないのだろう。


「これ程までに自分の愚かさに気づけない方だとは知りませんでした。……貴方には、心底失望しましたよ」


 私は立ち上がり、執務室の扉まで歩き出した。そしてドアノブを握ったところで、ユリウスは私を呼び止めたのだった。


「なっ……、話は終わってないだろ、待て」


「これ以上お話することはございません。どうぞ、貴方は醜いものが切り取られた狭い世界の中で、のうのうと生きてくださいませ」


「……っ、イヴァン」


「今後お呼び出ししたとしても、私が貴方とお会いすることはございません。気に食わないならば、お好きに処罰すればよろしいと思います」


 そう言い捨てて、私は執務室を後にしたのだった。


+


 それからしばらくは、ただ時間が過ぎていくだけの日々をすごすばかりであった。しかしある日、またもや信じられないような報せが私の元へと届いたのだった。


 アルビナが夜会でワイングラスを割り、その破片で片目を怪我してしまったのだ。


 怪我は深刻なもので、眼球の移植が必要だと医師は判断した。だが彼女は、移植手術を拒否したのだった。


 もし誰かの片目をもらってしまったら、いくらお金を払ったとしても、一人の人生を奪うことになる。片方の目が見えないだけで、とっても大変なことなのはよく知っているから、そんなことはできない。


 そう言って、アルビナは首を横に振ったのだという。きっと彼女は、どこぞの目の悪いドブネズミを思い浮かべたに違いない。


 しかし幸いなことに、無力なドブネズミにもやれることはあった。左目はほとんど見えなくなっていたが、右目は常人の半分程度の視力が残っていたのだ。


 アルビナのために右目を差し出すのに、何一つ迷いはなかった。彼女が助かるならば、それで良かったのだ。


 私はアルビナの担当医に声をかけ、移植手術の説得をするよう頼んだ。彼は悩んだようだが、最終的には協力してくれた。


 アルビナには死にかけの老人からの申し出だと伝え、彼女も了承したようだった。瞳の色は人工虹彩を入れることで別の色に変えたため、アルビナが私の目だと気づくことはなかった。


 しかし、運命とは残酷なものである。手術から数年後にアルビナは病に倒れ、若くして亡くなってしまったのだ。


 今まで自らの光としていた存在を失い、私は絶望の闇の中に突き落とされた。そして彼女の葬儀が執り行われた日の夜、死ぬことを決めたのだった。


 本来ならば、忘れ形見であるエリザの行く末を見守るべきだろう。しかし、全盲になりかけた私は何の手助けもできない。むしろ彼女の負担になると考えたのだ。


 テーブルに座り、グラスに注いだ一杯のワインに毒薬を溶かしていく。自分の隣を見ても、幼き日に本を読んでくれたアルビナはもういない。


 毒薬が溶けていくのをぼんやり見ていると、私は子供の時にアルビナから教わったまじないを思い出した。


 飲み物をワイングラスに注ぎ、人差し指を入れて、指先を飲み物で濡らす。それから濡れた指で、グラス側面に人の名前を書く。そして飲み物を飲み干すと、名前を書いた相手が幸せになれるというものだ。


『幸せにするのは自分でもいいの。だから、みんな自分の名前を書いてるわね。お行儀が悪いから大人に怒られちゃうけど』


 アルビナはそう教えてくれたのだった。


 どう生まれ変わっても、自分の幸せなどたかが知れている。私は毒杯に指を入れ、アルビナの名をグラスに書いた。それから毒に触れたことで指が痺れるのを感じながら、心の中で呟いたのだ。


(アルビナ様。どこかの世界で、どうかお幸せに)


 そして私は、ワインを口にした。


+


 その後。不思議なことに、自分は大国カルダニアの王太子エドヴァルドとして生まれ変わっていた。


 両親も姉も、家族はみな優しい人ばかりで、先天的な病もない。イヴァンだった時と比べると、あまりにも恵まれすぎていた。最初は困惑していたものの、大切な家族や国の民のため、私は王太子として公務に打ち込むようになっていった。


 多忙ながらも充実した日々をすごす中で、私は密かにこんなことを考えるようになっていた。自分がこうして生まれ変わったのだから、アルビナもこの世界のどこかにいるのではないか、と。


 とはいえ、私がまったくの別人となっているように、彼女もまた別人になっているのだから、互いに顔を合わせても気づけないに違いない。愛する人との再会が叶わないことは寂しくも感じたが、私はそれを受け入れた。二度と会えなくても、彼女が幸せならば私も幸せだと思って。


 そんなある日。私は公務からの帰り、馬車でハリーストの教会近くを通ったのだった。


 何気なく窓の外を見ると、教会では催し物が開催され、多くの人で賑わっていた。そして人混みの中にいたある令嬢を見た瞬間、私は目を見開いた。


 姿は変わっても、彼女がアルビナだと一目で分かったからだ。


「!?」


 咄嗟に私は、馬車を停めようとした。しかし、それより先に馬車は教会の前を通り過ぎてしまったのである。


 その令嬢は催し物を手伝っていたので、おそらく慈善活動の一環として参加したのだろう。私は帰宅したあと、令嬢について必死に調べ始めた。公務の合間を縫って寝る間も惜しんで、彼女を探し続けたのである。


 やがて私は、彼女がハリーストの公爵令嬢メイベルであることを知る。そしていつの間にか、私の中にはとある思いが芽生え始めていたのだった。


 最初は、アルビナが幸せになっていればそれでいいと考えていた。しかし、自分も彼女の幸せの一端を担いたいと思い始めていたのだ。それは彼女が自分に気づくか否かに寄らない想いであった。


 カルダニアはハリーストの隣なので、会いに行くことは簡単なことだ。そしてもうじき、彼女も夜会に参加する年頃なので、‘‘友達’’にもなれる。


(……ようやくお会いできますね。アルビナ様)


 それは心の中に、再びあたたかな光が灯った瞬間であった。

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